つれずれなるままに。。。ユコンブの独り言

主に書くのは教会関係で、私がリバイバル教会で過去にあったことも書いています。日常もちょっとずつ書きます。

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偶像と他宗教 ケータイ投稿記事

1ヶ月前から、将来の目標を達成するために沖縄から離れ、仕事のフィールドを変えました。
今は三重にいます。
三重県は、伊勢神宮が有名です。

日本古来より信仰されている神様が祀られています。

天照大神です。

この辺では日本一の神様だと言われています。

しかし、キリスト教視点では偶像です。

でも、キリスト教ではない人が、実は聖書の神様と同じなんだと話していました。


この話を聞いたら、今まで何でも偶像って切り捨てるキリスト教が余計嫌になりました。


多神教のギリシャにも忘れられた祭壇があり、知らずに拝まれている本当の神様。その話をしながら福音を伝えた使徒。

バアルの神とイスラエルの神の力比べを持ちかけ、生きておられる神を証明した場面も含め、他宗教の人の宗教を否定して本当の神様を伝えている記述など、聖書にない。

偶像礼拝をしてはならないとあるのは、あくまで本当の神様を信じている人に向けてだ。


教会では、すぐに何でもかんでも偶像礼拝と結びつけて、サタン崇拝と一緒だと考えさせるように教えてた。

今思えば、あまりにも偏見に満ちていて、間違った教えだと思う。

そんなんで本当の神様を心から信じてるとは思えない。

自分が正しいと思うプライドが育ち、信仰生活を守るという名目の偶像礼拝でしかない。

本当に神様見てたら、もっと相手のこと考えられるはず。


私も自分の信じてる神様否定されたらとっても悲しいし、嫌だ。

中学の時にそんな経験もした。
社会人になっても、考えの合わないクリスチャン(牧師)に、「あなたの神は誰ですか?」と罵られた。


だから私は絶対、人の信じてるものを否定しないと決めた。


その代わりに、こう言う。

「信じてるものは違うけど、本物があるからコピーができるように、
本物の神様がいるから、色んな宗教ができる。
だから、元をたどればきっと本当の神様に出会えると思う。私は聖書を通してその神様に出逢ったと思ってる。だから、本当に神様を求める気持ちがあれば、絶対神様に出逢えるから!」

信じる信仰で義とされるなら、本当の神様を信じたいと思う心に神様は絶対に働いてくださる。

気付かせてくださる。


偶像礼拝と言って、本当は本物の神様を否定することも起こっているかもしれない。

考えが固まって、それが偶像になってしまうようなクリスチャンにはなりたくない。


御利益信仰ではなく、本当の神様を求める気持ちがあれば、神様は必ず近付いて来てくださるんだと、最近とても強く感じるようになった。


旅行に来るお客様が、伊勢神宮にお参りに行く話を聞くと、さり気なく神様の話が出来るのが最近の楽しみの一つです。

聞いた人も興味を持ってくれるから、楽しい。
本当の神様は、イスラエルから広がったんじゃなく、必ず世界中に足跡を残してくれてるから。

人間のいるところには、どこでも!


他宗教をよく知りもしないなら、否定する資格も全くないし、偏ってると思いました。

それを偶像礼拝と混同してはいけない。


視野を広く、柔軟な信仰者でありたい今日この頃。


とりあえず、自分はクリスチャンだと思いたくないや。

聖書の神様は信じてるけどね。

子どもたちの為にも… ケータイ投稿記事

   『心訓』
    福沢諭吉

一、世の中で一番楽しく立派なことは、
 一生涯を貫く仕事を持つことです。

一、世の中で一番惨めなことは、
 人間として教養のないことです

一、世の中でいちばん淋しいことは、
 する仕事のないことです。

一、世の中で一番醜いことは、
 他人の生活を羨むことです。

一、世の中で一番尊いことは、
 人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。

一、世の中で一番美しいことは、
 すべてのものに愛情を持つことです。

一、世の中で一番悲しいことは、
 嘘をつくことです。



毎朝、子どもたちと読んでた福沢諭吉の『心訓』。


子どもたちに今は意味が分からないかもしれない。だけど、いつか意味が分かった時、自身もその様に育ち、立派な大人になって欲しい。

人間性が築かれる為の土台が今つくられている。

道徳、倫理も決まった教え方などないけど、知らなきゃ(理解していなければ)教えることなど出来ない。
道徳教育がちゃんとされてないって良く聞くけど、そもそもそれは親が全身で伝えていく事なのだ。


私の場合、それを教えてくれたのは母である。
母の仕事の様子からも人との関わりを覚え、幼稚園の時からどこに行っても
「とても礼儀正しい子ね」
そう言われた。

感受性が強く、情緒豊かな母は、自然や物事にとてもよく反応して見せた。
その姿を見て、様々な事象について考える癖がついた。

生き物の死にも真剣に向き合い、命の大切さを教えてくれた。
叱られたあと、一緒に月や星を見ながら、どうして叱ったのか、想いを伝えてくれた。



一番心に残っているのは4歳の頃のこと。
忘れたくても忘れられない。

欲しいお菓子が買ってもらえず、母に見つからないように妹にも渡し、こっそり持って帰ったことがあった。
結局妹がばらし、母を大変悲しませてしまった。

「こんな悪い子は、母さんの子じゃない!!もうお巡りさんのところに連れて行くから!」
タクシーに乗り込みスーパーへ
その間、私は幼くも大変悪いことをしてしまった後悔と、ひとりで牢獄に入って謝っている姿を想像して大泣きしていた。

母は大粒の涙を流しながら、スーパーの店長を呼び出す

「申し訳ございません!この子達は、お店のお菓子を盗みました。品物は返します。お金も払います。この子達を警察に突き出してください!!」

この行動に店長はギョッとしていた。

突き出された子どもは、4歳と3歳である。

逆に店長が母をなだめた。

この時の母のショックはどれだけだったのか…。母は、その時の事をこう語った。
「大切だからこそ、本当にいけないことをわかって欲しかった。」

私はこのことをきっかけに、悪いことは大好きな人をとても悲しませる事を知った。
いくら自分のしたいようにしても、それが悪いことならば、自分だけじゃなく、大切な人を傷つけるのだと。だから、善悪をしっかり判断し、善いほうを選んでいくことを、幼児期で学んだ。

幼児期で身に付けた人格は、大人になるまで引き継がれる事を、今とても実感している。

私の人格が、母の厳格な態度と、深い愛情の中で培われてきたことは言うまでもない。

愛は依存ではなく、最終的に自立に導くもの。

教養は、人間として独り立ちし、自分で物事を判断するために必要な材料。

そして、それらはすべて個人の人格を土台として立て上げられる。


それを体で教えてくれたのは、母である。

聖書もまだ知らない頃から、母の愛は変わらない。
聖書を知り、母の愛情のなかで、神様の愛も学んだ。


母は私たちを、しっかりと自立した人間になれるように必死に育て、守ってくれた。


まだまだ未熟者だけど、これからも色んなことを吸収しながら成長していきたい。

今の教会の問題は、本当に絶望してしまいそうになるけど、
それでも自分の子どもや孫の時代には、少しでも明るい未来になれるように…。


神様ってお母さんみたいだなぁ〜って子どもの時聖書読んでて思った。

自分の子どもが悪いことしたら大激怒して当然だよね。
それだけ愛されているもの…。
同時に沢山傷付けて、悲しませているんだよね。

これは神様のせいじゃない。


しっかり問題に向き合って、解決できるようにみんなで考えて、行動しなきゃ変わらない。


人間が自分で起こした問題を、祈って神様に解決させようと考えるのは間違ってるよ。

ましてや神様利用するのなんて、ゆるせない。

1人でも多くの人が気付く事、行動する事を願います。


子ども達にも、ちゃんと伝わるように…。


この子達の未来の為にも…。
新しい仕事を始めてもうすぐ1ヶ月。

先々週の出来事。

あるご婦人が、お店の前でジッと立ち止まっていたので、声をかける。

お店に入るのを悩んでいた様子。
見た目が若い世代しかいなさそうな店なので、入りにくいとのこと。

「どなたでもお気軽にご利用できますので、大丈夫ですよ」とお店の中へ

セルフサービスでの提供に戸惑いが感じられたので、代わりに商品をつくろう。

欲しいもの、欲しい量、好きな飾り付け

相手が欲しいものを引き出すのは、こちらからの声掛け。

商品が少しずつ出来上がるのを見て、楽しそうに喜んでくれるお客様。

最後にお会計。

商品の質にはこだわりがあるらしく、食品への意識も高い。


ゆっくり召し上がってもらい、終わってのんびりしているころに、再び声を掛ける。

「いかがでしたか?」

その一言だけで、ご婦人の口から泉のように言葉が溢れる。

楽しそうに、お店に入るまでの経緯や、迷いも全部事細かに話してくれた。

とても満足していただけた様子。
「とっても良いお店!今日は素敵なお店をみつけられて良かったわ。勇気を出して話して良かった!次からは自分でやってみるわ!」

そう嬉しそうに話すご婦人を見てて、こっちも嬉しくなる。

次回はご友人やご家族ともいらしてくださいと、お店の割引券も渡すと、
「私からも」
と飴玉をいただいた。

人と人の繋がりが持ちやすいのが接客業の醍醐味で、それもお客側からではなく、こちらからのアクション次第なところもやりがいに繋がる。

このご婦人と話しながら、ご婦人がお店に来てくれて、こうして仲良くなれて良かったと、温かい気持ちでいっぱいになっているその時、

「本当にここに来れて良かった!
それに、あなたに出逢えて本当に良かったわ。本当に素敵なお店!
これからも頑張ってね!」

何度も何度もそう言いながら、名残惜しそうに帰っていくご婦人。

(私も「あなたに出逢えて良かったです…」って思ってました)

人の心もちゃんと繋がって、伝わるんだなぁ〜…。

これが感じられるから、人と関わる仕事はやめられない。

そして、その繋がりはその場限りではなく、その先まで続く可能性がある。人脈が広がると、視野も広がる。

どんな形であれ、私たちは人と出逢う。

色んな人がいるので、吟味しなきゃいけないことも多いけど、出逢う人は大切にしていきたい。

その想いが仕事でも伝わると、正直嬉しい。

今日も、お客様が近所の知り合いみたいに手を振りながら

「またねっ!」
そう言って帰って行った。
一緒にいた新しいお客様も、
「私が他の人も沢山連れてくるから!お店紹介してあげる
もう常連さんみたい。


経済的には前より大変だけど、しばらく様子見!!




そういえば、ブログ始めて1年になった。

継続は力なり。

これからも、自分が体験したこと、思ったこと、考えたこと、気付いて欲しいことや日常を少しずつ発信し続けます。

ブログを通しても人脈広がったし。。

人の繋がりって凄い。


最後に、出逢った方々へ…

あなたに出逢えて、良かったです。
これからも宜しくお願いします。

止まった時を動かす ケータイ投稿記事

マインドコントロールの実際を見て感じたのが、「時の流れ」です。

最近もリバイバル教会を出たけど、問題も何にも分からない人と食事をしました。
教会の話しとかはあまりせず、最近あったこととか、何気ない話しをしていたのですが、いつも不思議な感覚になるのです。

目の前にいる人は、私と同じように時を重ね、同じ年月をそれぞれで過ごしているのに…相手は「教会に通っていた時のまま」のような年齢に感じるのです。

逆に私が年をとってしまって、相手の年齢を追い越してしまったような錯覚がおこります。

私の方が結構年下なのに…。

マインドコントロールは、思考を停止させると今までも言ってきました。
考え方が、思考停止した時から成長しないのが特徴です。

20歳から教会どっぷりだと、30歳過ぎても考え方にほとんど変化がないのです。

止まってしまった精神の時計は、自分の時計が止まっていることに気づかなければ、いつまでも動きません。

指摘しても本人が認めることは、まずほとんどありません。
気付いても、ちゃんと動かす努力(リハビリ)をしないと、いつまでも変わりません。

「考え方が幼い」

そう言われる事なんてあまり無いと思いますが、もし同世代の考えていることが、難しいと思ったり、理解出来ないで悩んだりすることがあって、どんなに考えても先に進めない事があったら…

時が止まっているかもしれません。

もし、教会とか宗教とか、熱心に通って、奉仕にも一生懸命だったりしたら…。

可能性大かも。。


精神の時が止まっていても、一見生活には支障ありません。
何故なら、その時の年齢でも普通に生活出来たから。

では、社会ではどうでしょうか?

例えば、学生の精神状態のまま、会社で責任ある仕事は出来るのでしょうか?
部下は育てられるのでしょうか?

自営業なら大丈夫でしょう。

しかし会社勤めなら、思考停止の状態がひどいほど、長く続けられないはず。

最近食事した元信徒も、今の職場で1年経ち、今までで一番長く続いたとの事でした。

1年って…短いよ…。


もちろん精神の時計が動いていないので、未だに感覚が二十代前半。いや、下手したら十代かも…。

本当なら、もう結婚して子供がいてもおかしくない年齢。
いくら今晩婚化してるとはいえ…適齢期は過ぎようとしてる。
だけど、焦りもない。


そんな元信徒さんを見ていると、本当に教会のしてきたことがゆるせなくて、悲しくなるのです。


この人は好きでこうなったんじゃないし、普通に暮らしていたら、それなりに年を重ね、年齢に応じた社会性を身に付けられた。

神様信じたのだって、本当なら素敵な事で、喜ばしいことなのに…。

何故…。


本当に悲しくて、悔しい。

神様だって、こんなふうにしたくないはず。

助ける振りして、幼い思考の時計はそのまま動かさないで上手く利用する人もいる。

だけど、思考が動かないと利用されても気付かないんです!


だれか、精神の時計を動かすお手伝いをして頂けませんか?


教会の中にいる人が、友達だとか、家族や親戚だったら…。

一番必要なのは、その人を大切に思い、とことん付き合う姿勢です。
その人が本当に大切な人であれば、難しいことではありません。

聖書の知識?
そこまで重要でもないかも…。

マインドコントロールの解き方は、インターネットでも情報があります。

考えるきっかけになれるような疑問をそっと投げかけたり、一緒にいて安心できる場所を作り出したり…。


どうか、失われた精神の時間を取り戻す事が出来るように…。

止まった時計の針を動かすお手伝いをしてくれませんか?

とても手が足りません。

必要な人がまだまだ沢山います。

気付いた人から、ひとりでも。。

助け手がもっと必要です。
私には交際して3年半、内1年半遠距離の恋人がいる。

お互いに将来を意識して話し合いながら付き合いを続けている。

彼は洗礼は受けていないが、神様を信じている。


出会いは、Wワークで始めたファーストフードのバイト。彼はアルバイトマネージャーだった。慣れない時から色々助けてもらい、尊敬できる人でもあった。
1ヶ月ほどして仲良くなり、スケジュールの調整や交渉をされるようになったとき、日曜日はどうして休むのかなど聞かれ始めた。
教会に行ってることを話し、興味を示したが、スケジュールがあわないため、2ヶ月後のクリスマスのイベントだけ誘っておいた。

交際に発展するまで、沢山話したり、考えていることを言う度、彼は感動したり、驚いたり、私の話を食い入るように聞いていた。
そして、どうしたら驚くような考え方が出来るのかといつも不思議そうにしていた。

「私の考え方のベースになってるのは聖書だよ。私の事知りたかったら、聖書を読めばいい」
そう話した。

とくにそれ以外は聖書や神様の話などしたことがない。

付き合い始めは、彼が不安や心配に思うことばかりあった。

まず、私が男女構わず誰に対しても公平で平等であること。恋人であろうと彼にも同じように接していたのが一番の不安だったようだ。

「誰に対しても優しくして。あなたはみんなのもので、僕は付き合ってもらっているだけじゃん」

何度か言われた。
でも、そこは誰であっても譲れない。

理解してもらうまで沢山話し、時間を過ごした。

教会の礼拝で、教会での人とのやり取りを見ながら、聖書を開いて、私の行動の中心をはっきり発見するようになった。

「神様がみんなの事つくって、神様が大切に思っているから、ゆうこさんも人を大事にするんだね。大事にし過ぎだけど(笑)」

それを機に、何かとても嬉しい事があると

「神様のお陰かも!」

などと発言するようになる。

逆に驚いた私が

「えっ?信じてるの?(不信仰?笑)」

「だって、ゆうこさんみたいな人もめったにいないし、そんな人と出会えたのも神様だと思うから、いると思う!」

そう幸せそうに笑う彼。

生きることに精一杯で、目標もなかった彼が、今では人を助ける仕事をしたいと、夢を見つけ勉学に励んでいる。

「人生で一番勉強した」と、受験を振り返りながらも、
「神様が助けてくれた」

そう話す。

彼のその信仰を見て、私も彼の姿から神様を感じる。

「この道に進むことを、神様がOKなら受かりますように」

そう祈りながらしっかり勉強し、合格を勝ち取った今の彼の祈りは

「神様がOKなら、学校卒業するころには一緒になれますように」

だとか。

最終的にゆだねる事も実践してる。

イエス様の十字架、福音は、信じた後にちゃんと教えてるけど…順番逆?

でも、彼のように純粋に神様を信じる信仰、本当に大切にしたい。

聖書の御言葉はそのまんま言葉にしなくても、そのまんま行動することで伝わるんだと彼を通して実感した。

「これから先どんな事があっても、前に進める。」

お互いにそう思っているのは、やはり心に神様がいるからだと、感じているからなのではないかと勝手に思っている私。

信仰生活は私の方が長いのに、彼の信仰に感動して、学ばせてもらってばかりです。

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