つれずれなるままに。。。ユコンブの独り言

主に書くのは教会関係で、私がリバイバル教会で過去にあったことも書いています。日常もちょっとずつ書きます。

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最近、引っ越しでまとめておいた本の中から、買った覚えのない本がでてきました。
実家にあったのを持ってきてしまったのか、よくわからないのですが。。。
自分では明らかに買ったことがないものですが、この本が大変私の役に立ちました。
 
「クリスチャンの成長を阻む 12の誤解」
地引網出版2006年発行
 
 
うちの母が好んで買うような本ではないし、ましてや私の兄弟は興味も持たないものだし・・・。
 
「まさか、あなたが買ってないよね?」
 
彼にも確認して、やっぱり持ち主不明。。。
最終的には、ライフセンターの福袋だということにしましたが、、、。
 
その本の中に書かれていたことで驚いたのは、
 
「聖書的に教えている教えの中には、全く聖書的じゃない教え(思い込み)が昔から存在し、聖書の中でもずっと問題にされてきた」
 
という点です。
 
さらに、この本の著者が非公式に調査すると、ほとんど学びの経験が少ないクリスチャンの方が、危険な教えによる傷が少ないということが書かれていました。
本格的に聖書を学んできたクリスチャンの方が、御言葉に忠実であろうとするあまり、危険な教えまで受け入れてしまっていて、多くの痛みが生じているということでした。
 
12の思い込みの症例をカウンセリングでの実例に基づいて紹介されていて、とてもわかりやすかったことです。
 
そして、この本のもう一つの良いと思う点は、クリスチャンや教会が陥りやすい思い込みの間違いを聖書から解き明かし、回復の過程も記録されているところです。
 
 
話は変わりますが、、、
私が、今一番許せないのは、教会によって傷ついてきた人達を、自分の群れにするために再マインドを行っている牧師や教会です。
 
彼らは、表向きは今まで傷ついてきた教会とは違うように振る舞いますが、実情は同じく愛がなく、信徒(被害者)を利用します。
中には、セミナーを行ったり、あちこちに飛び回っている人もいます。
 
共通しているのは、表向きが「教会被害者救済」であるが、裏では自分の枝教会を増やしているだけで、本当の救済(心のケア)とはかけ離れたずさんな支援であることです。
 
ずさんであることの証明になるのは、
「ケアに当たる人を吟味しない」
「自分にとって特になる人間には絶対に優しくする。(ご機嫌取り)」
「何か問題が起こっても、絶対に自分の責任にならないように根回しする」
ことがあります。
 
支援を広げることは、自分の責任の範囲も広げることと同じですが、再マインド牧師や教会は、責任を広げることはありません。
 
問題が起こっても、表向きは問題に真摯に取り組むそぶりを見せますが、実際は問題を起こした人に対する叱責や助言などは行いません。
大多数の他の信徒に対して問題をごまかすために勉強会を企画したりして、自分に責任追及が無いように繕います。
 
一番不思議に思うことは、それらの行いからその人間性が判断できるはずなのに、カルト教会の中の信徒同様に、関わっている人が全く見抜けない点です。
 
 
「日の下には新しいものは何一つない。」
 
その本にも書いてあり、私も好きな個所ですが、どんな問題もすでに解決の道が示されていることがはっきり示されているのに、精神的なものが悪化してしまうのはどうしてでしょう?
 
カルト教会では、教会の教えでおかしくなっているなんて誰も思わないようにしてるでしょう。
うまくいかないのは、自分の信仰がないからだとか、サタンの妨げだとか、または教会以外で関わっている人のせいだとか、問題の根本に目が向けられないようになっています。
 
同様に、支援者であれば(特に著名人物)いとも簡単に信用してしまうようになって、問題が起こればそれ以外の要因ばかり考えている人もいます。
これでは、カルト教会にいた時と、体質が全く変わっていません。
 
そんなはずない!!と、悪いところに目を向けて考えてみようとせず、自分にとって都合がよい、きれいな部分だけに目をとめ、安心しようとします。
 
表面的な正しい教えでは、体質は変えることができません。
 
ある被害者の状況を聞いて、私はあるカルト被害支援者に対する憤りを覚えました。その被害者のことを考えるといつも胸が苦しくなります。
支援者を実名で批判できるならするでしょう。
しかし、その支援者を信じている人が自分で気づいて離れないと意味がありません。
信じ切っているときに、批判したところで頑固に拒絶し、離れるチャンスをも奪ってしまう可能性があるからです。
 
私が出来ることは、これらの再マインドを行う支援者達に共通している点を、調べて表にだすことしかありません。
 
 
「12の誤解」の後書きに書かれていたことをシェアしたいと思います。
この本は未完成であり、さらなる思い込みが日々新たに生み出されているということ
で、その様子をある神学校の教授が次のように言った
「私たちは完全に腐敗するまで創造的に罪を犯し続ける存在である」
 
では、クリスチャンはどうすればいいのか?
・正確な教えかどうか、神を仰ぎ、あなたの思考を神の真理と知恵で照らしていただく。
 
・聖書をあなたの最終的な権威にする
 
・批判的に物事を考える習慣をつける
言い換えると、権威的な存在(牧師とか、お偉いさん)が言ったからといって、それを鵜呑みにしない
質問をしたときに身構えるような教師には気を付ける
 
・自分で物事を考える人たちと交流をもつ。
その人たちが新しい情報に触れたとき、どのような質問をするのか学ぶ
一人で行動できる人は、大勢で固まって行動する人たちが伝統に縛られて見逃すような宝を見出すもの
 
・そう教えられているから信じているのか、それとも真実だから信じているのかを自問する。
家族や教会、また自分の所属するグループへの忠誠心が揺らぐのを恐れて、間違った思い込みに疑問を挟まない人たちが大勢います。
最後まで揺るがないのは神の真理であることを忘れないでください。
 
・その教えが生む実を見る
その教えは愛や責任、自制、赦しを生んでいますか?
それとも孤立や強制、罪悪感や恥をうんでいますか?
 
 
**********************
この本を読みながら、神様は本当に必要をわかっていて、私が気づかない時からすでに備えてくださるんだなぁ〜って、感じました。
教会の教えや、環境で苦しんでいたり悩んでいる人が、是非読んでもらいたい本です。
 
「本さん、私のところに来る運命だったのね・・・」
 
タイトルからは、一見カルト問題とかとは関係無いように感じるとは思いますが、実例を含め、カルトで精神的にも苦しんでいる人の助けになると思います。
カルトの土壌はどこからでも発生することがわかりました。
 
 
霊的なことばかりに目をとめて、知性的に聖書を考えない人は沢山います。
霊的(精神的)な事も大切だけど、知性的に考えることも大切です。
キリスト教では、聖霊派とかがリベラル批判とか、してるけどみんな偏りすぎてる。
実際はどちらもバランスよく働かせてわかるように聖書はつくられている。
 
「『心を尽くし、思いを尽し、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります ルカ10:27」
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本当にいつから私の本たちの仲間に入っていたのか、全く覚えてないけど・・・
でも、私の手元に来てくれて、ありがとう本さん。
ありがとう神様。
 
 
 
 
 
 
 
 

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最近、私の母教会でもある沖縄リバイバル教会の動向をずっと見ていました。

沖縄リバイバル教会の関係者は、表のブログにはほとんど出てきません。

しかし、2チャンネルの沖縄リバイバル教会に関するスレットにはよく出てきます。

あの締め出し事件、裁判から、長い時間がたちました。

裁判資料まで閲覧できた上江洲尚子さんのブログが削除されてから、また沖縄リバイバル教会の活動が活発になっています。

この事は、彼ら(沖縄リバイバル教会、儀間盛夫及び関係者)の訴えが裁判の時同様に希望通りになったことで、嘘であっても思い通りに出来るという事を実感させ、その過ちを助長させる状態になっています。

その文面からは、「反省」「悔い改め」の頭文字すらありません。

裏サイトで有名な2チャンネルの中で、彼らの不正やおかしな点がつつかれると、すぐさま隠蔽が始まりました。

沖縄リバイバル教会のサイトに対する指摘を受けると、すぐさまサイトがリニューアルされました。
さらに、長々と裁判の報告をあたかも自分たちが完全に正しいかのように書いています。

裁判資料などに目を通した事がある方はわかると思いますが、彼らの報告文章には、裁判の文章に自分たちの主張を狡猾に混ぜ込んでいる点が明らかに見えます。

絶対に騙されてはいけません。


私も締め出し事件が起こった後、裁判になる前に副牧師 儀間盛人、そのこ夫妻と少しですが問題にちゃんと向き合うように勧めました。

そのこさんは
「どんだけのことされたと思う?もう言いたくない(くらいだよ)!」

盛人は
「何がおかしいのか全然わからん。もしわかればちゃんとするさー!」

そう言った。

私は主観的な主張に対しては反応せず、あえて土地のみに話を短く絞ってちゃんと向き合って解決するように薦めた。

あれから少なくとも6年が経過した。

その間気付けば裁判になっていて、私が知ったのは裁判も終わり頃になってからだ。

その裁判という事実だけで、私が促していた状況とは真逆の方法で問題を解決しようとしていた事にショックが大きかった。

裁判が始まる前に、被害者の方が話し合いを求めていた。
しかし、それを全部拒絶し切り捨ててきたのは、沖縄リバイバル教会の儀間牧師の方だった。

裁判以外に話し合うすべがなかった。

しかし、被害者が裁判を選ぶと、逆に教会が訴え返してきたのだ。

キリストを信じて、福音を教えている人がこのような行動に出たのが、本当に信じられなかった。
キリストの道を完全に否定する行動。
さらにそれを支援する牧師に心底失望した。

被害者が訴えた裁判の号が666号だった事には本当にびっくりした。教会側の訴えた号数は全く違うけど。

被害者の裁判の相手は666。
たまたまにしても、凄い偶然。

「ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は666である。黙示録13・18」

黙示録に出てくる獣は、「聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
地に住む者で、ほふられた子羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。 黙示録13・7、8」

裁判で被害者達に勝ち、教会の中では、信徒達の精神操作(マインドコントロール)が行われている。

その行いや結果が、黙示録の獣と同じことをしている事に気付かなければいけない。

獣については、色んな議論があるけど、その兆候はどこからでも起こると思っている。

直接獣を拝んでいるわけじゃなくても、行いによってどこに結ばれているのかがわかる。

裁判が起こった段階で、私にとって母教会はキリストの教会ではない事をはっきり悟った。

だから、教会に行かず被害者の立場として歩む道を決めた。

大好きな教会すら行けない。
行きたい気持ちも、そこの人達にも会いたい気持ちもある。

でも、そうする事で教会で傷付き離れた人にとってはさらに痛みを与える事も起こり得る。

「教会は行った方が良い」
これは、信仰的にはまともに聞こえるかもしれないけど、全くの正論ではなく、問題意識を抱えて悩んでいる人にとっては、
「問題意識すら感じていないし、本当に寄り添うように感じられない」

クリスチャン独特の無関心である。

私自身も似たような対応をしてしまった事があり、いまだに悔やんでいることがある。

高校生の時、地元にある新生教会に部活の先輩が通っていた。

あるとき教会で何か問題があったようで、先輩は教会に行かなくなった。
「ゆうこ、まだ教会行ってる?」
何度か聞かれた。
「はい。先輩は?」
「私はもう行かない。」「えっ?どうしてですか?」
「…いえない。」

その先輩とは卒業後からどんどん距離が離れ、メールアドレスの変更連絡は来ても、電話やメールはこちらから送っても全く返ってこなくなった。
新生教会は沖縄リバイバル教会と仲が良かった。
牧師同士が育った教会が一緒だったのもある。

この新生教会の比嘉牧師は、リバイバル教会の裁判にも教会の支援者に入り、被害者の話も全く聞こうとしなかった。

先輩に何があったのかは分からないけど、教会が繋がっているから、何かしら情報が入っているのに知らないふりをしてると思われたのか、教会に行っているのが嫌だったのかとか色々考えさせられる。
東京にいるらしいので、いつかちゃんと会って話しをききたい。

沖縄リバイバル教会、さらに支援にまわった教会の行いを、沖縄にいる人はよく見てください。
そして、キリストの体を成していない教会は行かないように避けてください。

「不正を行う者は、自分が行った不正の報いをうけます。それには不公平な扱いはありません コロサイ3・25」

「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。?テモテ6・9、10」

「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
その時に人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。?テモテ3・1〜5」

「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
彼らは、神を知ってると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。テトス1・15.16」

「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子を、もう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。ヘブル6・4〜6」

聖書をちゃんと読めば、本物と偽物の区別は簡単に見分けられる。
外見の良さとか、表面的なものではない。

実際の行いをよく見ることが大切。
今までやってきた事は消せない。

しかも聖書が、信じた人が堕落したら、もう一度悔い改めに立ち返らせることが出来ないとはっきり示している。

だから、もうあの裁判が起こった事からも、沖縄リバイバル教会は行ってはいけない教会であり、これからも良くなる事はない。

「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。
ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つより他はないのです。
―――
まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
―――
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。ヘブル10・26〜31中略あり」


聖書を教える人間が、これらの御言葉を知らないような、または無視した生き方をしています。
その行いから、見抜いて避けてください。

肩書きや、表面的なものは信用に値しません。


………………………………………………………
沖縄リバイバル教会の裁判での原告、上江洌尚子(うえずなおこ)さんのブログは消されましたが、事の次第を知りたい方は、匿名であっても受け付けています。
ネットを通して沖縄リバイバル教会(ORC)問題を知った方、もしくは元ORC信徒など、直接ORC被害を受けた人達とコンタクトをとりたい場合はこちらまで↓↓↓

上江洌尚子(うえずなおこ)さんへの連絡先
メール  karutohigai_01@yahoo.co.jp
携帯  090−1366−6363
自宅  098−897−8663

新生活とご報告 ケータイ投稿記事

近しい人とも音沙汰無しの状態だったので、この場を借りて、近況ご報告。

2月に三重県の派遣を終え、東京へ戻ってきました。

東京に戻ってきた理由は、遠距離でお付き合いしていた彼との話し合いで、結婚に向けてそばに居て欲しいとの要望があったからです。

もうすぐ5年の付き合いになるのですが、2年間遠距離だったので、これ以上離れているのは良くないと周りからも言われていました。

最初は彼の実家で半年間お世話になりました。
その後、通勤や周辺の利便性、彼の通学がしやすいところに二人で引っ越して来ました。

彼は都立の看護学校に通う、看護士の卵です。
遠距離中に看護士になりたいと決意し、学校に通い始めました。

あと1年半で卒業なので、書類上の手続きは卒業を間近に控えた頃にしようと話しています。
今の状態で入籍すると、扶養関係やら保険やら、色々ややこしいので…。

卒業後の職場も内定していて、今の場所より離れているので、また引っ越しも視野に入れて話し合っています。

そういうわけで、東京で仕事をしています。


最初は交際を猛反対されていたのですが、遠距離になっても私達の気持ちが離れなかった事と、彼が自分の進みたい道に一生懸命頑張っているのを見て、今は母も応援してくれるようになりました。

電話でも必ず彼の様子を聞き、時々は彼と直接電話やメールをしています。

彼はとてもマイペースでのんびりやさんで、優しく温厚な人です。

人見知りなのであまり話をするタイプではないのですが、何故か人に好かれ、安心されます。
気付けば周りの人に可愛がられている、なんとも羨ましい人です。

私と性格は違うのですが、似ているのは、どこにいても実直で飾らないところ。
誰と会おうと、どこに行こうと、二人だけだろうと、マイペースだからか態度が全く変わりません。

お互いに正直なので、とても楽な相手です。

今の私の家での役割は、彼が勉強しやすい環境を整える事と、楽しく仕事を頑張る事です。

私の妹から使わなくなったパソコンをもらい、早速レポートを書くのに使っています。

得意な所と苦手な所が違うので、お互いに補い合いながら生活しています。

そんな我が家は、早速今週からちょこちょこ友人達が遊びにくる予定らしく、賑やかになりそうな予感。

「泊まったとしても、気をつかわずに熟睡できそう」などなど…

共通の友人達は言いたい放題ですが、楽しみにしているようです。


将来は、家族もお客様もゆっくりくつろげるような家にしたいねって、夢を話しています。


そんな感じで、新たな生活を歩み始めました。


私の性格もよくわかってくれ、他の人の事も一緒に考えてくれる良きパートナーです。
まだ5年の付き合いですが、これから生涯を共に歩んでいきます。
まだまだ未熟者同士ですが、よろしくお願いします。

病みつき ケータイ投稿記事

この所、自分は本当に幸せ者だなぁ〜と実感させられてばかりいます。

仕事の環境、引っ越した家、一緒にいる大切な人達、応援している人が元気になっていく姿。

何気ない時に、ほっと一息つくと、

「あぁ〜、幸せだなぁ〜」

つくづくそう思う。

一日一善じゃないけど、ちょっとした気遣いで人が喜んでくれることって、逆にこっちが元気もらえちゃったりしている。

ただ、いちいち人に言うことじゃないと最近すごく感じるようになってきたから、自分の最近の記事も嫌になったので、非公開にしました。

教会の問題と、自分の日常だけで良いかな?

自分がどんなことしてようと、良いことなら神様との秘密でいいやって思っていたりする。

でも人の幸せって、本当にご馳走!

病みつきになっています。

身近な誰かが、1人でも多く、1日でも長くハッピーでいてくれることが、私の幸せです。

一緒に苦しんだり、悲しんでいることもあるけど、必ず終わりがあり、出口が来る。

それがわかっているから希望を捨てない。
必ずよくなることを信じている。

だから苦難さえ喜べるというものなのかもしれない。

ただいつも喜ぶ事なんて、誰も出来やしない。
希望があるから喜べるんだ。

実生活を通して、本当に聖書の言葉って染み渡る。

言葉が先だけど、言葉が後になる。

なんて表現して良いのかわからないけど…。

とにかく幸せ!!

方向転換したのなら ケータイ投稿記事

いままでと同じ生き方はできない。
それが聖書で言う悔い改め。

間違った生き方をしている事に気付いたら、間違った生き方は続けられない。

自分では変えられないという考えは、甘さや怠惰。

「罪は犯してしまうものだから…仕方ない。」

全面的には指示できない考え。

失敗は確かにあると思う。
言い方、考え方、関わり方、その時の心に左右されやすい。

だからこそ、反省することは確かに必要。

自分がして欲しい事を相手にする。
自分がされて嫌な事は、相手にもしない。

自分を愛するように、他者を愛する。

この心がわかるなら、人を痛めつけることは、例えマインドコントロールの環境にいても出来ない。

神様の為と言って、嘘を平気でついたり、人を悪魔扱いしたり、苦しめてきたのなら、悔い改めたと言っても、その人の人格そのものが変わらない限り、誰からも信用されない。

もし、信仰の虐待をしていた指導者なら、悔い改めた時点で自分自身が指導者としては失格であることを自覚して、人を導く立場をきっぱりやめるべきだ。神様からの召しではなく、自分がやりたかっただけのことを認識しなければならない。

良い教師の資質があるのなら、そもそもカルトの中には長居できないし、人を導こうとしなくとも、人はついてくる。

本当に正しく導く力がある人は、人格も備えられてる。

人格がその人の「実」。

私が好きな聖書の話の中で、取税人ザアカイの改心の話がある。

木に登っていたザアカイにイエス様が声をかける
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」

大喜びでイエス様を迎えたザアカイは、こう話した。

「主よ、ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。まただれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します」


ザアカイは、イエス様との出会いで生き方を180度変えた。

人の為に生きることを選んだだけじゃなく、悪いことをしていたことも認め、償う姿勢を見せた。

まったく新しい人になった。


行動が変わるのは、心が変わるから。


「だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。
また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋にいれれば、両方とも保ちます。マタイ9:16、17」


新しく生きるということをカルトの教会では、聖書からではなく教会や牧師の都合よく教え込んでいる。

信徒は、牧師や教会が教えてる教えを、聖書からそのままだと信じて疑わない。

聖書の一言を引用して、あたかも正しい教えのように教えこんでいるだけなのに。

継ぎ接ぎだらけのボロの服と、泥水に命の泉の水を一滴まぜただけの汚染水を与えられてる。

それを新しい服と、命の水だと信じこまされている。


そんな事を続けてきて、沢山の人の命を削り、生活を壊してきて、内輪で悔い改めましたと言っても、本当の悔い改めになるはずがない。

本当に悔い改めたのなら、ザアカイのようになるはず。

イエス様に出会ってザアカイは生き方を変えた。

信じていながら悪い生き方をしていたのならなおさら、方向転換にどれだけエネルギーが必要な事か。
簡単な事ではない。


「神様ごめんなさい。」

その悔い改めの信仰を見せてください。

人間の信仰や心は、行いなくして誰も信じない。人間は神様じゃないから。

イエス様は、教えの中で心のあり方を何度も何度も繰り返して教えている。


心ひとつで大きく変わる。
信仰も、人格も、人間関係も、行動も。

善いことを選ぶのも、自分の心次第。


本当に神様を信じているのか?
神様ののぞむ生き方をしているのか?

その人の心がその実をあらわす。

その人の行い(振る舞いや言動)でその心を表現する。


その実は、それを見る人がはっきりわかるように出来ている。

何か凄い事が出来るとか、知識があって頭がいいとか、なんかの実績があるとか、大きくて立派な教会のクリスチャンだとか、そんな表面的なものが「実」じゃない。

人間性だ。

「義を追い求める者はいのちな至り、悪を求める者は死に至る。
心の曲がった者は主に忌みきらわれる。しかしまっすぐに道を歩む者は主に喜ばれる。 箴言11:19、20」


神様信じて、方向転換をしたのなら、信じてる神様が、嫌だと思う生き方はできない。

それが本当に信じて新しくなった人だと思う。

神様は、表面的なものを見ていない。
常にその心を見て、その心に対して語りかけておられる。

「だれでも、小さい者にすることは、わたしにしたのです。」

神様は、弱き者や小さな者の味方だ。
そんな人々を蔑ろにする事は、神様を信じていないのと全く同じだ。

クリスチャンだから救われているなんて、100%の保証などない。

神様は神様と心を共にしてる人を呼ばれるのだから。

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