つれずれなるままに。。。ユコンブの独り言

主に書くのは教会関係で、私がリバイバル教会で過去にあったことも書いています。日常もちょっとずつ書きます。

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子ども時代と教会 ケータイ投稿記事

私が教会に行き始めたのは9歳の11月。
ある朝7時に突然
「さぁ起きてー!楽しいところ連れて行くよ〜」
明るい母の声で叩き起こされ、(せっかくの日曜日なのに何なの〜?)

そう思いながらも渋々身支度して出掛けました。
連れていかれたところはアパートの中にある教会。そして何故か幼児クラス。

「騙された…。」

子どもながらにそう思ったのでした。当日3歳の弟がいたからですが…。
すぐに小学生のクラスはないのか確認してもらい、次週から通うことになりました。

そこで最初に聞いたのがクリスマスの話。

神様が人となってこの世に来てくれたのをお祝いする日。

「うわぁ〜神様凄い!!」

単純にそれで信じました。

信仰のベースがここからなので、今でもその時の気持ちを大切にしています。


当時の私は、小さく細い体ながら男勝りな性格で、曲がった事が大嫌いな頑固ちゃんでした。

誰かがいじめられたら飛んでいき、いじめた相手に理由を聞き、答えずにケンカをうってきたらケンカして、力でねじ伏せていました。

一方で先生や目上の人には礼儀正しく振る舞い、勉強もスポーツも真面目に取り組んでいた為、先生が頭を悩ませていたようです。

「真面目だけど、喧嘩っ早い。正直良い子なのか悪い子なのかわかりません」

母に面談でそう話したとのこと。

私の方は一学期の成績で、友達と仲良く出来るの評価だけ努力マークがついていたので焦っていました。他は良かったからです。

何とかしなきゃと思っていても、向こうがケンカ売ってくるのに??
と、葛藤していました。
そんな時に教会に行き、聖書と出会い、「あなたの敵を愛しなさい」に衝撃を受けたのを覚えています。

ええっ?それじゃやられちゃう!

そう思いながらも、売られたケンカを買わないようにしました。
我慢できずに買ってしまった時は、気付いた時に手をひきました。

手を出さない事でやり返されないか心配でしたが、意外な事に、その変化に相手も戸惑い、いつの間にかケンカをする事が減っていき、ケンカをしないで過ごせたら、何だか良くわからないけど凄く気持ちが晴れ晴れとして、神様ありがとう!って空を見上げていました。

それが私の実践した最初の御言葉でした。

子ども聖書をボロボロになるまで読み、話が飛び飛びだから大人の聖書が欲しいと駄々をこねて買ってもらえず…。
ある日高熱を出して休んだとき、欲しいものあるかと聞かれ、すかさず「聖書!」と答えて、まんまと買ってもらうことが出来ました。


友人が、その変化に一番驚いていた。
6年生の時には、だいぶ落ち着いたよね〜って笑い話になっていた。


行った教会はカルトでしたが、神様と出会えた事は否定できないし、聖書があるから良くなれた。

どんな教会でも、確かに神様哀れんでくださるし、助けてくれると思います。

でも、助けてって感じる事さえなくなってしまったら、どうやって抜け出すのでしょうか?

マインドコントロールは、その感覚すら奪ってしまう。逃げようと考える事も離れる事も選択出来なくなる。体に異変がきて動けなくなるか、環境が変わるために通えなくならない限り、やめることも難しくなる。
誰かが気付かせて、手を伸ばさなければいけない。


私が、カルト教会でも神様に出会えたのは、その為だったのかもしれない。

疑問集 ケータイ投稿記事

私が沖縄リバイバル教会にいた時に感じてた疑問や違和感をふと思い出したので、書いておこうと思います。

小さい頃から曲がった事が大嫌いで、好き嫌いがはっきりしてる怖いもの知らずの子ども時代でした。


まず、小学校の頃は教会に人がどんどん増えてきた時期で、その時には大人はみんな「先生が素晴らしい」と言っていました。

小学校5年生の時、ある人に、
「ここは、本当に良い教会だよ〜。とっても祝福されてるよ〜。先生凄いよ〜。」

そう言われ思わず
「えっ?別に先生凄くないし」

そういったら、その人は慌てて
「ゆうこちゃん、先生はとっても素晴らしい人なんだよ〜!」

諭されるように言われたのを覚えてます。

後に同年代で中が良かった人も(Tちゃん)この家族も今は離れています)、2年前に会ったときに同じ事言っていました。

Tちゃんママ「そう言えば、あの時期、Tも同じ事言ってたさー。」

T「ほらね、子どもは純粋だから、みんなわかるんだよ!」



教会でも人柄が良く、面倒見が良かったおじさん家族が教会から出て行きました。とっても元気いっぱいで、明るく、イメージで言うと、間寛平さんのような面白いおじさんでした。
このおじさん家族が離れた事は、私にとってずっと疑問になり、心に残るきっかけになった事です。
後に、このおじさん家族の話題で短大の時に「先生を悪く言って!」といきなり怒られる事になります。

それとは反対にある家族は、子どもたちも素晴らしい!理想のクリスチャンホームと言われてました。みんなが言ってるほどの事はない。と思ってました。

正直、この家族の両親は好きになれませんでした。どんなに柔らかい笑顔でも、冷たく怖い雰囲気に見えたから。
そして、子どもは正直なので、「怒られたら太ももを思いっきりつねられるし、怖いよ〜」
そう言ってました。
親に怒られないように良い子ちゃんしてるんだなぁ〜と思いました。

そんな私は、何を言われようと自由に振る舞っていた子ども時代でした。変な子扱いされていたようです。

なぜ、家族によって扱いが違うのかが疑問でした。


短大に入って、セルの福リーダになったばかりでいきなりすぐに降ろされました。
でも、みんなに黙っているように言われました。さらに無期限で奉仕禁止を命じられました。

苦しかったけど、正直そこまでされるほど悪いことした覚えてすらなかったので、具体的に言って欲しいと思っていたし、納得していませんでした。

奏楽奉仕のお姉さん達の薦めで、奏楽奉仕者見習いとして奉仕復活。
それはそれで嬉しかったけど、練習中に疑問に思っていたこと。


礼拝の音楽は全て牧師先生が決める。
(奏楽奉仕者で話し合って、沢山ある楽曲からローテーションで選んでから、報告していると思っていた。だから、正直なんで奏楽しない先生が全部決めるのかとか、意味がわからなかった)
しかも、前日の練習日当日、練習時間終了ギリギリまで決まっていなかった事もあり、奉仕のお姉さん達が先生の選ぶ曲を予想して練習してました。それはそれで単純にお姉さん達を偉いな〜って思ってました。ある程度決まった曲でしたけど。

祈りの時に演奏する、コード演奏のルール

音楽で神様の隣在を感じるように、リズムから流れまで気をつけること。
(ここで感じたのは、『音楽で神様感じるようにコントロールするの??』でした)
それ以来、お祈りの時間も音楽が気になって気になって…。

教えてくれた人が良い人だったので、奏楽に関する疑問は喉から飲み込んで心に留めておきました。

その時には、「私の言うことはキツい」とレッテルを貼られていたのもあり、疑問を言うことで、せっかく良くしてくれる人を悲しませたり傷付けたくなかったからです。

昔書いた記事と重なる事もありますが、細かい事でも思い出したら、忘れないように記録しておこうと思いました。

本当に必要な支援 ケータイ投稿記事

今私は保育士として特別支援にかかわっている。
配慮の必要な子や、障害のある子に対する保育です。

今は特別支援の枠は広く、一見普通の子の範囲に入る状態でも、場面場面での適応力などから支援対象になっている子もいます。

特別支援には色んな文献があり、今主流なのが、違いを受け止め、適応させるのではなく、こちらが配慮して環境を設定する。保育にもそれを取り入れています。

クラス全体で同じ理念を共有しているつもりでも、扱う人の個性や考え、心で、対応が大きく異なります。

同じ理念を共有しているはずの私とクラス担任では、対応に大きな違いが出て、クラス担任に合わせようと心がけている私には苦痛な事もあります。


極端な話し、私は本当に相手(子ども)に愛情があれば、どんな子育てでも良いと思っています。
本当に愛情があれば、間違った範囲には及ばないと考えているからです。
しかし、方法論優先で心がそこにない場合は、同じ対応をしたところで結果は変わってきます。
心が入らなければ、良かれと思った対応ですら、子どもに生きることはありません。

大人と違って、子どもは敏感に愛情を感じて、それを返してくれます。

子どもと関わっていますが、大人も結局は同じだと感じました。


カルト問題の支援も同じです。

教理が間違っているから、正しい教理を学べば、正しい信仰の姿勢を勉強すれば、カルト思考から解放されるか?

私は否だと思います。

実際に全く考え方の違う支援者の支援の仕方や支援を受けてる人の様子をネットなりで観察してきました。

心がない支援者に捕まってしまった人は、なんてかわいそうなんだろうと胸が詰まって苦しくなります。

心が入らない支援とは、一見、支援が必要な人(クライアント)にとって心地よい空間をつくり、そこがやっと得られた安全基地だと思わせる。

方法論や知識の量で他に専門的な人ははいないと信頼させる。

この時点で、カルトでマインドコントロールされた人は、簡単に信じ、ついていくでしょう。

問題はその後です。

どんな人でも違いがあり、理解の仕方も理解出来る角度も違います。

同じ角度でしか話が出来ない人(特にマインドコントロール被害者などのクライアント)の為に、支援者は別の角度からも理解してもらえるように、周りに働きかけるべきだと思います。またクライアントにも同じです。

ですが、私が問題とみている支援者は、支援者の意に従う人であれば、どんなに人格的に問題があっても、犯罪を犯してない限り、大丈夫だと太鼓判を押し、フォローに回す。
しかし、反対に意にそぐわない他の支援者に対しては、あまり勧めないとクライアントの不安を煽り離れさせる。

そうやって、支援者に依存させて、クライアントにとって本来の回復には繋がらない対応しかしない。結局支援者のイエスかノーに従う人間を作り出す。

カルト被害での場合においては、私は再マインドだとよんでいます。


聖書だって、扱う人の心一つで曲解する。

どんなに良い方法でも、扱う人が悪ければ、それは悪用にしかならない。

これは、実際に働きながら、見たり、聞いたり、感じた事です。
知識は実際の行動を通して経験となり、知恵となると、実感しています。

被害者(クライアント)にとって本当に必要な事は、その人それぞれに応じた支援であり、病状の良し悪しに関わらず、自立を促し、自由に考えられる広い視野に気付くこと。

「自立」とだけきくと、ひとりで生きると思う人もいるかもしれないけど、自立とは、精神的にも生活面でもまずは「自分の足で立つ」こと。

それらを手助けするのが、本当の支援であり、それは本当に愛がなければ出来ないことだと思います。

愛があるのとないのでは、結果に大きく差が出るでしょう。


私のある友達は、色んな事がありましたが、精神的な症状が今年から出ることなく、薬も全く飲まなくなったとのこと。

今は、祖母の身の回りのお世話をしながら家事を頑張っているそうです。
時々連絡してなかったからと気遣ってメールをしてくれます。
今までは逆だったし、苦しい時しか連絡なかったのに、彼女の回復と心遣いに嬉しい限りです。


ここ1ヶ月、個人的に苦しい中も通りましたけど、それも必要な事だったと実感しました。

ここ最近の一つスッキリです。

愛すべきおばあちゃん ケータイ投稿記事

沖縄リバイバル教会の支援者、盛山 和子さんについて、私の思っている事を書きたいと思います。

一言でいうと表題の通りです。

私は盛山さんが教会に来始めた年の3月に沖縄を離れました。
ですので、帰ってくるまでの五年間は面識もなければ存在もよく知りませんでした。

ただ、教会の締め出し事件の連絡を受け、その後の被害者や家族に味方してくれてる人がいるということを聞いて、安心したものです。

離れて、他の教会を見れたこともあり、私は母教会の異常さや自由の無さにすぐに気付く事ができました。

それまでは、「他の教団の方が自由がない!」
「他のところはあんまり良くないってよ」等々、転会してきた人もいたので、なんだかんだで一番マシなのかなぁ〜?と考えたり、他のところに遊びに行くことさえ悪い気がして、躊躇していました。

上京した教会で、母教会がおかしい事に気付いた私は、学んだ事を持ち帰って教会を良くしていきたいと思っていました。
カウンセリングの勉強をしたいと思ったのも、教会に心が病んでたり、貧しい中で苦しんでいる人があまりに沢山いると感じていたからだったのです。

牧師は手がまわらない程忙しいのかと思っていました。

代わりに他の人を助けたいと思っていました。

今、振り返ると何て悪意が無いことを前提に考え過ぎていたんだろうと思いました。


そんな中、被害者を支援してくれる盛山さんと会うことが出来ました。
前から私に会いたがっていたとの事で、嬉しそうな様子でした。

教会の問題や今まで起こった事など、話を聞きながら、全く同感な事ばかりで、〜はこう思わない?などの問いかけられたりしながら、時間が過ぎていきました。

「あら、この子はマインドにかかってないのね〜」

そんな風に驚いたりしながらも、私の教会で受けた傷や、影響なども感じ取ってくれた。

ほかのみんなは盛山さんの事を、命の恩人だという。
私も、直接助けてもらったわけじゃないし、みんなとは多分違う感情だと思うけど、大切な人を助けてくれた命の恩人に間違いない。


私にとって盛山さんは、良い先人の見本であり、だいぶ年の離れたお友達であり、将来、盛山さんみたいに年を重ねたいと思っている。


牧師に信頼してても、その牧師みたいな人間になりたいと思う人はいるだろうか?

盛山さんは私にとって、人間として尊敬できる数少ない中の1人です。


盛山さんに電話すると、私はあまり話さない。他愛のない話から、大切な家族の話しや、若かった頃の話し等々、いっぱい話してくれる。
そんな話を聞いているのが好きだ。
考え方が似ていたり、共感出来ることが多すぎて、まるで自分の心と心で会話しているみたいにストンと胸に落ちる。

そんな盛山さんは、今までからだを壊したり、手術の為に入退院や通院を繰り返しながらも、困った人達の為に時間を割き続けてる。

家族以外面会謝絶の状況になっても、お医者さんに

「助けを必要としてる人が来るのに、合わなかったら、私は余計具合が悪くなりますから、入れてください!」

そうやって、安静を拒んでまで人々に尽くしてきた。

お金に困っている人には、返ってくるかも期待せずにお金を貸す。
過去に離れた人が、戻ってきて頼ったときも何も言わずに優しく受け入れる。


今も、弱った人々の為に生きている。


人によっては、盛山さんの言うことは厳しくて怖いと思うらしい。

私は出会って一度も感じたことはない。

「厳しいこと言ってごめんね〜」
と、心配して忠告してくれてるつもりなのかもしれないが…
言われている事は当たり前で、正直何が厳しいのかわからないくらい優しい。

相手が牧師だろうと、おかしな事や矛盾している事があったら、あえて周りに気付いてもらおうと、人前で「それはおかしいですね」と意見する人だ。

マインドコントロールされてると、脳がちゃんと活動していないから、気付かない部分が多い。

それを動かす為に、あえて意見したり、悪者になったりする。

もう70過ぎのご高齢のご婦人がそんな行動するのには、ものすごいエネルギーが必要だと思う。

それを被害者や困っている人、弱っている人に惜しみなく注ぎ続ける。

そんな愛すべきおばあちゃんに私もなりたい。
破壊的カルト化教会について、時々こんな意見がある。

「キリスト教系新興宗教だから…」

「新興宗教に引っかかるから…」


私個人的には、この様なものの見方をするクリスチャンは大嫌いです。


この発言から何が根底にあるかと考えたとき、

「自分達とは畑が違う」

「全く別物だから関係ない」

要は、「他人事」なのです。


彼らは、同じキリストを信じるものが傷付き痛んでいることに対して、同じ様に心を痛める事がありません。


同じキリストのからだであるなら、他の場所が悪くなるとき、同じ様に痛みを感じるはずなのに。

中学校の時に嫌いな生徒指導の先生が、全校集会で話を聞いていない生徒にこう怒鳴りました。

「自分達はちゃんとしてるから、関係ないって思っているお前ら!そうやって話を聞かない!お前らみたいな姿勢が学校をだめにするんだ!」

ちゃんと校則も守り、話もちゃんと聞いていた私は、この時正直カチンときていましたが、いま振り返って、現状をみてると非常に納得させられました。


マインドコントロールの問題の重要な要素に、傍観者の存在があります。(過去の記事にも書きましたが…)

自分達は関係ないって思う人がいる限り、カルトはなくならないし、後にも出てくるでしょう。

教会のカルト化は、信徒にも責任が大ありです。

自分の慕っている教会の牧師にも遠慮せずに苦言出来たり、意見ができる環境があれば、牧師個人に問題要素があっても、助長することは起こらないでしょう。

信徒が強いと牧師は大変かもしれないけど、それぞれの個性が共存できる教会なら安心だと思います。


私が沖縄リバイバル教会にいたとき、すでに大問題になっていた教会から沢山の方が移ってきました。


そのとき、祈祷会でこう言われました。

「どうして移動してきたのか決して聞かないように。とっても傷付いているので、何も聞かずに歓迎してください。」

その通りに当たり障りなく、関わりました。

また、別の教会から移ってきた家族で同じ年の子が、移ってきたばかりの頃に、こう言っていました。
「お母さんが言ってたけど、この教会なんかおかしいって。」

私「へぇ、どうして?」

「うーん、ちゃんと聞いてないけど…」

私「ふーん。」

もっと突っ込んできいておけば良かった。


会堂が立つ前、キリ短のチャペルで祈祷会してるとき、車の中での母との会話

「ねぇ、教会っておかしいんじゃない?それともお母さんがおかしいのかな?」
それに対して私は
「うーん、よくわかんない!何で?」

「そうだよね〜…」


この時までは、まだ高校生ということもあり、あんまり深く追求する頭もなかった。


他のカルト化教会から移動してきた人もまだ通っている。
私に「教会おかしいよ」って言った子も、結局教会にいて、子供も旦那さんも一緒だ。

一時はとても親しかった人達。


あの時、スルーしなければ、変わっていたかな?
今思い出しても後悔してる。

問題に気付いているけど、子どもの信仰を失う事を恐れて通い続けている人もいる。
すでに信仰を失った子がいると、仕方ないのかもしれないけど、その信仰が歪む事を恐れてほしい。

出たから自分は幸せ…で終わりたくない。

信仰は、教会に行かなくても、自分が手放さない限り無くならない。
神様忘れなければ、どこにいても大丈夫。

教理とは関係なく起こっていること。
教会や牧師に頼らないと(通い続けないと)不安になるようなマインドコントロール(言葉かけ)も、まずは離れてゆっくり自分で答えを探す作業しなきゃ、牧師頼ってたら解けないまま、教会サーフィンし続ける。


関係ないって切り離しちゃいけない。
あなたの信じる神様からみたら、どの人も大切な宝物。

間違っていることは、させちゃいけない。しちゃいけない。

神様絶対見捨てない。最後まで手をのばし続けてる。
同じ様に、手を伸ばして呼び続ける。

身近なところからでも。
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沖縄リバイバル教会の裁判での原告、上江洌尚子(うえずなおこ)さんのブログは消されましたが、事の次第を知りたい方は、匿名であっても受け付けています。
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