つれずれなるままに。。。ユコンブの独り言

主に書くのは教会関係で、私がリバイバル教会で過去にあったことも書いています。日常もちょっとずつ書きます。

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現実逃避するな ケータイ投稿記事

マインドコントロールが浸透しやすい教会の特徴に、トランスなど(それを教会では聖霊の働きと言っている)の現象が起こったりする。

私が昔通った沖縄リバイバル教会も、按手の祈りが流行ったとき、
人がバタバタ倒れて、バラバラバラやら高い声を出したり笑い出すことがよく起こっていた。
私や家族は倒れても、何も起こらなかったが…。
(目をつぶって力抜いて手を広げて立って、
おでこ押されたらだれだって倒れるし、
みんな倒れてるから倒れてないと気まずい雰囲気もあった)

何も知らず、事前に教会での説明で現象が起こることを教えられていた私は、それが他の人に起こったとき、頭では「喜ばしいことだ」と思った。
しかし、頭で考えていることと全く違う感情が沸いてきた。
「悲しみと怒り」である。

私は、自分の中から沸き起こる感情に動揺し、とても不思議に思ったことが今でも記憶に残っている。

教会では、自分の感情や思いは肉の思いで、サタンに付け入るスキを与える。
そう言い続け、大人たちも霊的な現象が起こることを期待し、自分の思いをすて、神体験というものを待ち望む。実際にそれが起こることが霊的に優れているもの(神様の御心)だと思っていた。

それなら、私が思った 「喜ばしいこと」 が、肉の思いで、
良く分からないが沸き起こる 「悲しみと怒り」 が聖霊なるものということになる。

教会の言ってることとあまりにも反対な状況だったので、当時は誰にも言えなかった。
今振り返ると、まやかしの騙しごとに神様怒ってたのかもしれない。


人間の脳はあまりにも繊細にできてる。
そんな繊細な器官が体の全てを統括している。
マインドコントロールは、人の精神をコントロールする。
自己暗示や催眠状態を引き起こし、意識を変える。
催眠術のテレビを見たことある人は分かるかもしれないけど、
かかった人は自分の身にいままでとは違う事が起こる。
大嫌いな食べ物を美味しいと言ってボリボリ食べ出したり
出来ないことが出来るようになったり。。
教会では、催眠術を魔術みたいなものだと教えてたけど、そうじゃない。
 
人間の能力は未知数で、あのエジソンですら脳全体の4%しか使えていないと言われている。
体の動き、感情、感覚を脳が認識し、それを体に伝える。
言い換えれば、意識しなくとも脳が作り出すものは体に現れるということ

教会に行けば、祈ってもらえば癒やされる。」

一見信仰に思うかもしれない。

疲れてまで教会に行って、癒されて、パワーもらってきた。
そんなこと言うけど、日常生活になんら活かせず、
教会の中のみであるなら、それはインチキだということ。

脳にそんな錯覚させ続けて、現実を見つめない生活しつづけたら、
そのうち必ずしわ寄せがくる。
現実に体が耐えられなくなってくる。
心と体が一致しない状態は、人にとって一番良くない。

心理学を勉強してて、カウンセリングの先生から何度も言われたのは、
「心理学での実践技術は、人を助ける事も出来るけど、
悪用すれば操ることも出来る。
だから、使う人は倫理道徳をしっかりわきまえなさい。」と。

心理学を学ぶことを、牧師は嫌がっていたようだ。

無駄じゃなかった。

霊的現象に想いを寄せ、自分の頭で考える事をやめた人は、カルトには沢山いる。

普通に考えてよ。神様は人を御自身に似せて作った。
私たちには、感情や欲求のほかに、他の動物にはない「理性」がある。
冷静に物事を考え、分析したり、自制する力だ。

もし、教会が自分で考えることをサタンの誘惑だとか教えているのが正しいのなら、
「理性」なんていらなかった。

何のために、人間に「理性」があるのか、考えてみましょう。
もし、私の書いたことが「暗いこと、マイナスなこと」としか捉えられない状態の人は…。超危険信号。

もうちょっと冷静に客観的に、自分を観察したほうがいいかもしれません。
何故なら、カルト教会の教えていることと反対の事は書いてるけど、
別に物事を否定的に言ってるわけじゃないから。

「否定的」って意味も調べてみてください。

多分考えてみると、苦痛が生じるかもしれない。
でも、現実逃避しつづけるより未来は明るい。

なんか、必要な人がいる気がしたから、書いてみた。
役にたてば良いけど…。

良薬口に苦し。
今まで、ずーと言いたかったけど言わなかったこと。
やっぱり大事だと思うからちゃんと言うことにします。
そして、考えてちゃんと向き合ってもらいたい。
 
教会の問題に取り組むようになってよく教会に通う他のクリスチャンから聞かされた言葉。(間接的なものも含む)
「教会の問題よりも、失われてる羊に目を向けるべきでは?
「教会に問題があったとしても、一番大切なのは自分の信仰がちゃんとしてるかじゃない?」
「どこでもいいから教会につながっている方がいい。」
 
大体そんなことしか言いません。ってかそれしか言えないの?
 
私達のリバイバルの事件が起こったとき、約90名の人が教会から離れました。
リバイバルでは、毎年約40〜50人の授洗者がいました。
でも、どんどん増えてるわけじゃなくて、入れ替わり立ち代りで、500名過ぎたあたりから、気付けば私の小さいころから知ってる人は全体の約三分の一。
 
そんなに数は変わらないのに、ひとの出入りは激しい。
 
ってことは、毎年30人〜50人は教会を離れてる。
じゃあ、累計すると??
少なく見積もっても30人の20年  30×20=600
600人は教会から離れてる。(リバイバル教会を1例として)
大体今教会にいる人の倍以上、教会から離れてしまった人がいるってこと。
 
知ってる人が3分の1で数は変わらないってことは、今いる人の少なくとも3倍の人が出て行っているということ。
クリスチャン人口1%って言って伝道伝道ってなってるけど、その倍の3%の人を教会は救えなかった。
むしろつまづきを与え、傷つけ、その結果信仰までその人から奪ってしまうことも起こる。
出て行った人は、自分の罪で出て行ったの?
違うと思う。
私が見てきたほとんどの人は、教会で沢山傷ついて、躓いて出て行った。
私が実際に出てきて見える光景も、自分のエゴとかなんてあまりにも少数であることに気付いた。
半分以上が教会に通っていない。信仰を保っている人もいれば信仰を捨てた人もいる。
 
じゃあ、少しでも出て行く人が減っていけたら?本当に神様の愛が実践されて、愛し合っていたら?
とっくに福音伝わってるよ。
新しく入ってくる人に目を向けるべきだというクリスチャンの方。
その人がちゃんと植わる土台、備えはちゃんと出来てるの?
教会がおかしいのに、ちゃんとした信仰が根付くの?
明らかにムリでしょ?
 
私が教会の問題で一番思っているのは、これ以上被害者を増やしてはいけないということ。
それは、今だけじゃなく、これから信仰する人のためにもとても必要なこと。
新しい信仰者が、間違った教会の被害者になる可能性が十分あるから。
離れた人で信仰を捨てた人が、神様は本物なんだって安心して神様にもどってこれるためにも。
 
 
自分の信仰って言って、近くで苦しんでる人をそのままにして神様から離しているのも今のクリスチャン。
沢山傷ついて外に出てる人には心も留めないで、新しい人しか見ないのも今のクリスチャン。むしろ離れた人は汚い人みたいに煙たがる人ばかり。
 
そんなんで、教会に集って兄弟姉妹ってしてる意味あるのかな?
出て行った人は、もう兄弟姉妹じゃないんだ?
兄弟姉妹ってごっこ遊びなの?
ごっこなら、教会で集うことなんて必要ない。
 
さばいてはならないから、教会の問題には口を出さない?
神様がさばくから?
 
聖書では、「外のことは神様が裁くから、中はみんなでちゃんとすること」をすすめてるよ。
聖書読んで照らし合わせて、明らかに間違ってることは「違うよ」って言うべきじゃないの?正しいほうに一緒に進むべきじゃないの?
 
闇雲に正義感振り回して、批判してるんじゃない。
神様が、何が正しいのかちゃんと判断できるように聖書をプレゼントしてくれた。
聖書から、神様の望んでいることしてほしいこと、沢山伝わってくる。
聖書読んで、状況みて、神様どうしてほしいか答え出してる。
それに気付いて行動するのがクリスチャンじゃないの?
 
「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない  伝道者の書1:9
 
聖書に出てくる沢山の人物を通して、歴史を通して、神様はどうして欲しいかはっきりしてるのに、はっきりしてないのは神様信じてるって言ってるクリスチャンです。
 
これでも、被害者や問題教会に関わるより、「自分の信仰」なのかな?
言わなきゃ、被害の拡大は防げない。神様から羊奪って傷つけて追い出すことは二度とあってはならない。神様悲しませているのは、どっちだよ。
 
 
どんなに長い時間かかっても、声を上げ続けるよ。声が枯れても言い続けるよ。
 
神様の御前で間違った教会が本当に改心するまでは。。。
 
私のことを神様にあって本当に愛してくれる人ならば、このくらいで離れないことも知ってるし、本物かどうかもちゃんと分かるから。ねっ!!
 
 

牧師の質と落胆

1年半くらいぶりに教会の礼拝というものに参加した。
動機は、糸満にある「カルト?」かも知れないとの情報がある教会の様子をみるためだが。。
 
人数は20人前後で、中部近辺にある教会の枝教会らしい。
 
賛美がずっと立ちっぱなしで、久しぶりだからかとても疲れた。
しかし、そんなのは全然可愛いもので、メッセージは聞けたものではなく、苛立ちながら記録をする。
 
以下内容
メッセージ「時を見分けることを知らないのか」
聖書箇所 ルカの福音書12:54〜56
群衆にもこういわれた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ。』と言い、事実そのとおりになります。
また南風が吹き出すと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります
偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。(手元の聖書が新改訳なのですが、その教会では共同訳を使用。 時代→時となっている)
 
 
(始まる前にパソコンの調子が悪いのか、もたもたしていてなかなか始まらない。
たらたらと世間話が続く)
 
「聖書の箇所の『時』とは、何時何分何秒とかの時間のことを言うのでしょうか?いいえ、違います。聖書で言う『時』と言うのは、こういうことです。」
 
(やっと聖書の話になったとしたら、再建主義のことを話し出す。)
再建主義とは。。
神様は7つの時を用意していると考えている
・混沌の時・・自身の良心によって信仰する
・その後の律法の時・・モーセの十戒に代表するルール
・イエス様の十字架の時
・教会のとき
等、(途中までしか言わない)まぁ、極端な再建主義者は昔の旧約の律法まで守るべきだと考えてる人たちですね。
しかし、ものごとには白から黒まで限りなくグレーがある
律法を完全に行うなら、現実に目には目を歯には歯をがある。
加害者は被害者と同じ傷を負わなければならないのか?
 
*「私の突っ込みや考えていることは前に『*』をつけます。」
*「グレーって何!?」
 
私達は時を見分けるのが大切なんです。
正しいからって何でも言っていいのか?
子どもに勉強しなさいって言ってる人。どうなんですか?私は、いつもこの話をしますけど、状況も見ないで言うと子どものやる気を失わせてしまう。
大事なのは状況を見ること。状況の中でなされる
備えていない中で、状況を言うことはどんなにそれが正しくても間違っていると言うこと!
 
*「逆に、何かしら行動しなきゃいけない状況、時期があって、クリスチャンはまずそれを見分け、最善をつくすものだろ!!っと心の中で突っ込み・・」
 
(ここでカウンセリングの話)人はどんなに気をつけても傷つくときは傷つく。
だから、最初に傷つけるかも知れないよ。と言っておく。
だから相談する人は構えるんですが、剣が思ったより小さかったから、「あれ?先生それだけ?」って思うんですよ。
だけど、逆に全く意図していないときに傷つくことが意外とある。
誰かを励ましても、後でそれが傷ついてしまったと告白される。
なぜ、傷つくのか聞くと、まだ進む準備が出来ていないからと言う。
だから時を見ることが大切なんです。
傷ついているって、剣に気付いたら、自分で抜いてくださいね。
 
今は、カウンセリングは家族療法というものもあり、一人の人が変わるためには家族全員をカウンセリングしなきゃいけない。
しかし、カウンセリングというものの内容は、聖書のエッセンス・ノウハウが使われている。
私達と同じことをしているんですよ。
それで人が癒やされる?じゃあ、何が違うの?
神がいるかいないかですよ!!!むこうはノウハウのみ!!
 
*「すみません、あまりにもイライラする程度の低い内容なので、この辺でこの礼拝で牧師が言いたいことを以下にまとめます」
 
「今の世の中を見ると、政治も政権交代してるし、いろんなことがどんどん変わってる。しかし、韓国も10年前からクリスチャンが30%から増えていないし、日本も1%の状態。
そういう時は、必ず問題があるから伸びない。
時代は変わってるのに、クリスチャンが時代の流れに流されて、そのまんまで過ごしている。古いクリスチャンは賞味期限切れ。
だから、神様は時代の状況を見せて、今が変わるときだと教えている。
新しい信仰を求めている。だから、変わらなければならない!!」
 
以上です。
 
感想
一言でいうと、説教というにはあまりにもお粗末様。
これで牧師だとよく言えたもの
それ以上に、こんな説教に頷いたり、笑ってる信徒の神経が信じられない。
 
突っ込みどころ満載でした。
 
まず、神様は時を見分けろと言うのはクリスチャンが古いとか言いたいのではない。
確かに今の状況間違った教会や牧師がうじゃうじゃいる。
この状況を見分けられないクリスチャンの現状に
神様は嘆いているのは言うまでもない。
 
でも、リバイバルも似たようなというか、もっと酷かったとのことなので、
学生時代は本当に聞き流していたことにも気付けた。
 
カウンセリングのことについては、はっきりいって信じられなさ過ぎてイライラする。
カウンセリングの基本姿勢は、
その人をそのまま受容すること(聖書で言う無条件の愛情である)。
無条件に受け容れられることが人を安心させ、癒やしに向かう状態になる。
クリスチャンであれば、神の愛を実践することにつながる。
 
傷つくのは確かにその人次第だが、問題なのは気付かせる為に傷つけることを意図して発言するということを平気で言っていた。
しかも、個人の悩み(離婚問題)を講壇から話し、「本人を目の前にして言うのもなんですけど、」と言っていた。
いくら名前を言ってないからって、これは酷すぎる。
この牧師はカウンセリングのカの字もちゃんと理解もしておらず、
聖書の神様の愛の姿勢すら実践していない。
 
さらに、最後の問題提起。新しく変わるには、じゃあどうするのか??
新しいクリスチャンになるためには??等と言うが、
はっきり言ってお手本もいないのに、
神様の御心にかなう生き方なんて出来るわけがない。
新しい信仰などという言葉は聖書にはない。信仰は古い新しいなど存在しない。
 
動機づけもなければ、愛もない。
愛がなければ、愛されることも知らないし、愛することも学べない。
そんなんでどうやって神様の愛をちゃんと伝えられるのか?
これでは、まともな信徒が育たない。
 
 
だけど、あまりにもリバイバル教会の儀間牧師を思い出させるような話で、
まさか沖縄の牧師の大多数はこんな陳腐な説教しているのだろうか?
と本当にがっかり。
 
世間話の中に、外国の貧しい子どもの養子縁組して、
子ども手当てもらって1000円を現地に送れば生活が十分出来るから、
後はもらえば儲かるとか、キリスト教はチャンスなんです!!
と、講壇から金儲けの話しが出てること事態、非常事態。
 
さらに、どうするべきか?等の問いかけの前に、威圧的な口調になり、
「皆さんの答えを待ってるんです!!」等と言い放つ。
普通にそんなんで意見言えるわけなかろう。言いたかったけどね。
 
これぞ、マインドコントロールの基本メッセージ。
他にも今回の場合、韓国教会や再建主義の話しをして、比較し、
あたかもそれが良くないように思わせる言葉かけ、批判をする。
どこのカルトでも比較は上等手段。
 
そして、教会(牧師)の意図する選択を無意識のうちに常にさせることで、
考えることをやめ教会や牧師の言うことに素直に従う信徒を作り出す。
そのうち、自分の信じていることと違うことが考えられないから、
違うことを間違いだと認識する。
 
自分の信頼しきってる牧師や教会の批判を、正面から向き合い考えることができなくなり、
感情的に対決姿勢をむきだしにする。
これが、カルト教会におけるマインドコントロールが完成した従順な信徒の姿です。
 
信徒を利用して、奴隷化して。。。あまりにも馬鹿にしすぎ。説教の半分はニヤニヤして話すし。
こんな牧師は本当にゆるせない。
一番は、こんなレベルの低い聖書の間違った引用に、信徒がちゃんと気付くべき。
いくら、人当たりよかったとしても、聖書と照らし合わせて本物をしっかり見分けることが大切だと今回思いました。
 
教会離れて気付くことって、かなりビックリすることばかり。。学生時代で他を知るすべを知らなかったとはいえ、同じような状況下でのほほんと過ごしていたことにただただ残念でならない。。

Don't come any further!!

年度末でいよいよ今年度の仕事も大詰め。。。あと少し、頑張ります。
 
帰ってきて1年が過ぎ、教会に行かないで信仰を続けている。
沖縄の教会はほとんどが信用できなくなった。
平和を大切にする県民。。。そんなの嘘。。
極端な言い方すると、自分達に災いが降りかからなければ、隣で人が殺されようと、遠目から見て知らん振りしてるのが、沖縄の大多数のクリスチャンや教会だ。
 
妹と、ある日曜日に買い物をして帰り道。信号待ちをしていると、不思議な教会を見つけた。
「ラブリーチャペル」
看板には、教会とは思えないデザインがほどこされている。
ブライダルの会社にも見えない
私が東京にいる間に出来たのだろう。どうやら、本土で問題として認識されてる教会の枝教会との話もある。
 
別の日には、東京から遊びに来た友人のレンタカーにのってドライブをしていたときのこと。
問題になってる教会がどんなものなのか見てみたいとの友人の興味に応えようと、いる場所から最短ルートを検索した。
残念ながら、友人のレンタカーのカーナビには、「沖縄リバイバルチャーチ」は、どんな検索の仕方をしても出てこなかったが、それ以上にビックリしたことがあった。
 
浦添と那覇の境くらいで半径2キロ以内の教会を検索したところ、画面にうじゃうじゃと教会のマークだらけで、その数は確か70件をこえていた。
沖縄は北から南まで、そこまで小さい地域ではない。
これには思わず友人と「気持ち悪い」と言ってしまった。
 
沖縄から出るまでは、こんなに多くの教会が存在してるとは全く思ってなかった。
 
それもきっと情報操作されていたのかも知れないけど。。
最近も、沖縄に開拓に来ている教会がある。戻ってくるまでは、良いことだと思っていた。
今思うと、なんで沖縄なんだろう。。。って思う。
 
東京の教会の牧師は、出逢った人のほとんどが普段他の仕事をし、日曜日に牧師をしている人ばかりだった。
リバイバル教会にいるときは、
「内地(本土)にある教会は、教会だけでは食べていけないから、他の仕事もしながら牧師してる人もいるんだよ。大変だよ」
 
そう聞かされていたから、牧師は職業だと捉えていたけど、とんでもない。牧師は正当な職業として扱うべきではない。
 
私が出逢った尊敬できる牧師は、普段ちゃんと仕事もして、ちゃんと家族を養いながら、人のために日曜日の説教考えて。。。って言うのが見えたから、話も分かりやすかったし、どんなスタイルの教会に行っても、学べることが多かった。専念してる人はそれだけ他の人にかける時間が多く、家族のサポートもある。苦労しても感じさせないように努めて明るく暖かく人を迎えていた。だからこそ、話すことにはとても暖かさを感じる。
 
帰ってきて、自分の母教会のメッセージ記録を見ると、よくこんな説教をサラーっと聞いていたなぁ。。と自分で情けなくなる。
と言っても、ほとんど聞き流していたのか、私のメッセージ記録はほとんど真っ白。
しかも、ほとんど細かいことは覚えていなかったという有様。だから、とてもまめな人のメッセージ記録や過去にインターネットに載っていたもののコピーを読みながらの検証。
 
メッセージを記録していない自分は、ただ単に記録するのが苦手なのだと学生時代は思っていたけど、社会人になってからの記録はどれも細かくて、いらなくなっても捨てられないほど読み返しても勉強になる。
 
と言うことは、学生時代であっても母教会のメッセージを無意識に取捨選択していたのかもしれない。
マインドにはまらない分、沢山傷つくこともあったけど、はまらなかったから、出た時にいろんな違いがすぐに分かって、助かった部分が大きい。はまってしまってる人は、仕事の都合か何かで他の教会に行っても、自分の母教会は一番だと疑わずにいる。なかなか思考は変わらないらしい。もしかしたら、少しは疑問に思っているかもしれないけど。。。
でも、自分が助かっただけで安心してたら、結局中にいたときとほとんど変わらないんだよね。
人一倍、真面目で純粋だとよく言われる。だから、本当ならすぐにでも壊されてしまう危険があったのに、こうやって守られているから、本当に神様がいつも一緒にいてくださるって実感できるし、信仰も絶対手放せない。
 
私が一番辛かったとき、東京に行こうって思えたことも、神様が私のことをよくわかって逃がしてくれたのだと感じる。
行動するのは、自分。神様はそれが良しなら必ず助けてくれる。
祈りに応える神様だけど、祈っただけでは何も変わらない。
祈って、最善を考えて、ひらめいて、行動する。そこから必ず変化する。
 
だから、これからも自分の足取りがおぼつかないときも、快調のときも、ちゃんと正しいこと、大切なこと、しっかり握りながら歩き続けます。
 
沖縄にいる人や、移住する人に言いたいのは、沖縄の教会には気をつけて!!
良い教会もあるけど、こんなに不祥事が大きくなってる教会が近くにあるのに、何の抗議も、事実確認も危機感も表さない教会なんて、同じ穴のむじな。
被害が嘘だとか、被害者が悪いって言いふらしてる若い牧師とかもいるみたいだけど、話も聞きに行かないで、問題教会の肩をもつ自体、共犯であり、同じような被害を自分の教会の信徒にも大なり小なり及ぼしているってことでしょう。
 
ビジュアルやみてくれにだまされないで!
話していることをよーく聞いて、よく考えて!
 
それよりも、これ以上牧師を職業として考える不順な動機で牧師にならないで!
そして、そんな人は沖縄に来ないで!!
沖縄の人たちを自分達の私腹の為の食い物にしないで!!
これ以上、神様をかなしませるようなキリスト教会増えないで!!
むしろ、沖縄からそんな教会全部なくなって欲しい。。。
 
はやく、クリーンになるためには、今のクリスチャン達からちゃんと気づかなきゃ!少しでも、疑問に思ったら、そのままにしないで確かめて。
 
 

祖父の旅立ち

12月25日、祖父が心配停止で救急車で運ばれた。

救急車が来るまで、妹と心肺蘇生法を施し、その後救急隊と交代。搬送先の病院で心臓は動くが意識不明の状態で3週間。
1月12日、祖父は旅に出ました。

教会に行き始めた時、祖父と母は大喧嘩をした。
教会に行き、本当の神様を知ったから、もう仏壇のことを一切しない!!

母が、そう宣言したからだ。

教会の教えがそうだった。偶像礼拝=サタン崇拝だったからだ。

私も、教会に行き、神様を信じたときから、教会の言うとおり、仏壇に手を合わせなくなったし、供えられたものも一切口にしなくなった。
「仏壇にいるのは先祖じゃないんです。サタンが先祖の振りしてる」
「サタンは拝まれたいから、大喜びする」
必ず、旧暦の行事のある時期に講壇から発信されるメッセージ。

神様以外のものに礼拝していると思うと、気持ちが悪くて出来なくなった。

あれから、16年。祖父が旅立ち、改めて考えることが出来た。

沖縄に帰ってきて1年、祖父と過ごし、いろんな話が出来た。

戦争のこと、祖父の故郷の島の話、政治や宗教、そのほか他愛のないこと。。。

祖父は一番宗教の話になると、とてもよく話した。
祖父も戦後、祖母と教会に行っていた時期があった。
米軍基地で勤めていた影響もあるのだろう。
しかし、行かなくなってしまったきっかけがある。

沖縄の祖先崇拝の否定と禁止。

祖父は、「聖書の話はいいけど、仏壇のことやってはいけないと言うからキリスト教は信じない」
そう話していた。
母との衝突は、その思いに拍車をかけてしまったようだ。

祖母も、「仏壇のこともやっても良かったら、いいんだけどね。」

私達が、信じていることは全く否定しない。でも、祖母達は否定された方だから、今更孫達の信仰や行いを見ても、自分も信じる気持ちにはなれないようだ。
それでも、自慢の孫として私達の兄弟を愛していてくれる。

そんな祖父母と過ごしながら、聖書や今までの教会の教えを振り返りながら考えていたが、沖縄の祖先崇拝は文化として扱うものであると感じるようになった。

仏壇のことをしている人にとって、祖先崇拝=先祖を大切にする気持ちであり、祖先=神様 ではないのだと感じた。

実際に、祖母に聞いても違う感覚だと言っていた。

しかし、幼いころから教会での教えを信じて守ってきた私達にとっては、祖父の葬儀はチャレンジでもあった。

代々長男の家系で跡継ぎの弟も、線香をあげることを最初は拒絶した。
教会に行かなくても、神様は信じているので、それはダメだと今でも思っていた。
弟に大丈夫だからと促し、恐る恐る線香をあげる。
妹は前々から話をしていたので、彼女もクリアできた。
一番心配だった母も、息子娘の姿を見て、一緒に線香をあげた。
私が何も言わなかったら、未だに線香をあげず、手を合わせることもしなかっただろう。

そして、親戚中から「礼儀知らず」や「情け知らず」と陰口をたたかれていたに違いない。

祖父の死を通して、沖縄の仏壇は親戚の絆をつなぐ潤滑油の役割として扱うことが出来るようになった。

リバイバル教会の教えからのリハビリ、祖父の死を通して出来た伊良皆家でした。

おじいちゃん、ありがとう。また会う日まで待っててね。


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