つれずれなるままに。。。ユコンブの独り言

主に書くのは教会関係で、私がリバイバル教会で過去にあったことも書いています。日常もちょっとずつ書きます。

私の過去の経験(ORC時代)

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再び繋がる絆

沖縄リバイバル教会で、約7年前に起こった締め出し事件のときの頃。
 
私たちは、本当に多くのものを教会の忌まわしい事件と共に失った。
 
信仰だけでなく、普通の友よりも深い絆だと思っていた友がいともあっけなく離れ、
 
聖書で語られているあるべき姿とは、全く背を向けた教会、信徒の姿を見、
 
教会がやってることが間違いだからと反対の立場をとっているだけなのに、ほとんどの教会の人が電話にも出なくなった。
 
今まで家族共に仲良くしていたはずの友達も、その親が態度を豹変させ、口汚く罵られ、深く傷つきながら、「ごめん」の一言で連絡が途絶える苦しみを味わった。
 
あの時、どれだけ多くの涙を流しただろう。
 
すでに家族も教会を離れ、行こうものならどんな態度をするのか予想もしていたけど、地元に帰ったときに、あえて教会に足を運んだ私の気持ちを、あの中にいるどれだけの人に感じられたのか。。。
 
実際に行ったとき、話しかけてきたのは副牧師のもりととそのこ夫人。
それ以外の人は、本当に何にも知らないすっとぼけた数人と、遠巻きに睨みつけながら様子を見る人、来ているのを知ってて聖書とお祈りをしてるふりして下を向いてる同世代の信徒ら。。
 
本当にここは教会なのか?って思うくらい、私の周りを包み守る光以外は真っ暗な空間だった。
 
何事もないようにあっけらかんと会堂の中を歩いて、好きなように散策。
行きたくないと言っていた妹は後から合流して、妹と友達と一緒に教会の敷地で待ち合わせた。
 
妹を見て、泣き出すそのこ夫人。泣きながら妹に近づき話をしていた。
正直、その涙はなんなんだろうと不思議だった。
妹は、教会でもとっても好かれる明るい子だった。少なくとも、好きでいてはくれたのかな?とも色々考えたりしながら教会を後にした。
 
でも、家に着いたら友達の親戚から友達に苦情の電話が届いた。
その親戚は、教会の側近の一人だ。
私たちの家族は、問題の根底に気づいて出てる。
それを知っている。だから、友達にこう言った。
 
「お前はまだ、伊良皆の家族と付き合っているのか?お姉ちゃん(私のこと)はどうなのか知らないけど(事件当時、東京にいたから)、妹は最悪だよ。おじさんもさんざん文句言われたよ」
妹と友達の親戚は、日曜学校時代に先生してもらっていたくらいしか関わりがなく、この人に文句を言うほど親しくもない。
 
友達の苦しそうに謝る姿は忘れられない。
 
そのことを含め、帰る日の木曜日、教会の午前の祈祷会に参加し、直接副牧師夫妻に話をした。
 
教会の土地の件は、何が悪いのかわからないけど、わかったらちゃんと対応すると答え、側近含めリーダーの人間性の教育は責任を持つと言っていた。
 
だけど、あれから7年。
 
何も変わっていない。もし変わっていれば、人間性に明らかな変化が周りにも起こっているはずだから。
 
未だに、被害者に直接謝罪にも来ないし、ネットではとことん正当化しようとする。
本当にまともなところだったら、フェアに相手だけじゃなく自分にも非があることを念頭にいれた配慮もあるはずだからだ。
 
こんなこと書いたら、また手を変えて正当化するだろうけど・・・。
悪霊追い出しも馬鹿馬鹿しい。
2hで、悪霊に勝利しましたって言いながら、もう辞めてくださいってお願いしてる。。。
なんで、こんなに矛盾した主張や言論ができるのか、、あきれてものも言えない。
 
というか、ネット環境が対応してなくて書き込むことすら出来ないので、その辺は申し訳ないけど完全に傍観者。コメント欄も見当たらないし。。。
 
そんな中で、嬉しいこともゆっくりだけど進んでいる。
あの時、本当に助けたかった人たちや、無理やり引き離された友との繋がりが回復しつつあること。
 
いつも一緒に遊んでいた子は、親が豹変して
「うちの子をたぶらかして、もう会うな!殺すよ!」などの言葉(方言を直訳しました)を浴びせられ、一方的に連絡を断絶された。
この子は問題が何なのか知っていました。でも、親の豹変ぶりに混乱し、今までの教会の人の豹変ぶりにも傷ついていた。
 
あの時、一番苦しかったのは教会の中にいた人じゃない。出て行った人だ。
どれだけの傷をおって、どれだけの絶望と孤独を味わったのか・・・。
 
その気持ちに気づいて話を聞ける勇気があった人は、どれだけいたのだろう。
 
無理やり引き離された絆に関しては、いつか繋がる日が必ず来ると信じていたけど、
本当にそれが実現している。
繋がっただけじゃなく、失った分、絆を取り戻していきたい。
 
まだまだ本当に会いたい人もいれば、正直もう会わなくてもいいやって思う人もいたり。。複雑だけど、神様が結び合わせてくれた人の絆は、人間の手では引き離せないんだって感じている。
 
そういえば、ブログ始めたばかりのとき、嫌がらせのつもりなのか非通知着信がちょこちょこあって、ブログで書いたら全く来なくなったっけ?
 
思い出すたびに似たようなこと書いてるけど、私が体験したことだから仕方ない。
 
沖縄リバイバル教会の問題を知りたい方は、被害者ブログをみてください。それぞれ体験したことは多少違うと思います。
年代によって受けたものも変化しているからです。しかし、その証言に必ず共通する教会の体質が見えてくるはずです。
 
その体質こそ、教会が実らせている「実」です。間違えても、他の要素を「実」だと思わないようにして欲しいです。
 
とりあえず、私たち沖縄リバイバル教会の被害者は、それぞれほとんどバラバラに過ごしていますが、簡単に引き離せないような絆になっていると思っています。
最後にみんなに会えたのって何年前だったかな?
揺るがない絆って素敵だな。。。
 
………………………………………………………
沖縄リバイバル教会の裁判での原告、上江洌尚子(うえずなおこ)さんのブログは消されましたが、事の次第を知りたい方は、匿名であっても受け付けています。
ネットを通して沖縄リバイバル教会(ORC)問題を知った方、もしくは元ORC信徒など、直接ORC被害を受けた人達とコンタクトをとりたい場合はこちらまで↓↓↓

上江洌尚子(うえずなおこ)さんへの連絡先
携帯  090−1366−6363
自宅  098−897−8663
 

またもや短大時代にタイムスリップします。(すみません、私にとって一番信仰生活が苦痛だった時期なので・・・)

私は、信頼できるひと握りのクリスチャンでも、特に教会内の喫茶店の経営者でもあったうえずさん家族と親しくさせてもらっていました。
とても親切で、人のことを思いやる優しくて面白い家族でした。
私は自然と彼女の喫茶店に足を運び、いつもにこやかに受け入れてくれる彼女に教会での安息をもらっていました。
人がいない時間帯に喫茶店に入ると、うえずさんは聖書を読んでいて
「裕子ちゃん、丁度良かった。一緒に聖書読まない??」
そうやってよく誘ってくれました。
セルの集まりや礼拝以外で聖書を開いての交流なんて、家族以外ありえなかったので、私はうれしかったのを覚えています。

次第に私は、教会で思っていること、悩んでいることなどを彼女に話すようになりました。

その中で、とても腹立たしい出来事がありました。

私が教会に行き始めた時に、S兄弟というとても明るく元気で面白いおじさんに、親子共にお世話になっていました。

Sさんはとても信仰熱心でいつも大声で「ハレルヤー!!」と神様を賛美していました。
子どもながらに、彼の人柄の良さを感じ、「Sおじさん!!」と親しんでいました。
あるときのこと、Sおじさんは教会を離れてしまいます。そのことが私にとってとても気にかかっていました。
そのSおじさんの話を、うえずさんにしました。
「Sおじさんは、とってもいい人なんだよ。でも、先生とトラブルになったみたい。Sおじさん、悪くないのに。。」

私の話している意図は、Sおじさんのこと先生が誤解してしまったのではないか?なんで、誰もちゃんと話をしてあげなかったんだろう。という思いでした。

その話をした後、すぐに凄い剣幕でそのこさん夫婦にいきなり怒られました。
しかし、その内容に私も驚いたのです。
「裕子!うえずさんから聞いたけど!あんたはうえずさんたちに先生の文句言ったでしょ!Sさんがどうだとか、悪く言って!」

もりとさんも
「これが先生に知られたら、大変だよ!除名だよ!!」

いきなりこんな言葉を浴びせかけられたのです。
私は一瞬ビックリしましたが、先生の文句なんて全く言った覚えないし、ましてやそこまで激怒させるようなことをうえずさんに言ってもいないので、この言葉に私が激怒。
「本当に、うえずさんがそんな風に言ってたか?私は言った覚えない!!確かに、そう言ったか?じゃあ、今すぐうえずさんに言って確かめてくるよ!私がそんなこと言ったかどうか!」
あまりに酷いことで、私は本気で怒り、うえずさんのところに行こうとしました。
すると、

「裕子、分かった。裕子がそこまで言うなら、これから先はそんな話でないよね?だからいいよ。」
変ななだめ方をされ、止められました。

怒りが収まらない私は、うえずさんに文句を言おうと思い、喫茶店に足を運びました。
しかし、彼女の目は、人に悪いことを告げ口するような目ではありませんでした。
いつものように私を迎えてくれる視線。

悪口を告げる人は、目が泳いだりするので一瞬たりともその動きを見逃さないように構えていましたが、全然そんな気配すらせず、拍子抜け。この怒りの矛先をどこに向けたらいいのか分からず、しばらく紋々としていました。
このときの私は、牧師やその奥さんが人を悪く言うはずがないと思っていたので、彼らの言葉をそのまま信じていました。
だから、他の人との間に人格的なギャップを感じ、何が本当なのか悩んでいました。

しばらく人間不信になり、他の人とも関わるのをなるべく避けるようになったのでした。

このような経験が、そのこさんを通してたびたび起こっていたので、今振り返って教会が嘘をついていても、ありえることだと納得できました。
いつも彼女が間に入ると、人間関係がギクシャクしていた。でも、まだ人を疑うことを知らなかった私は、自分の非がなかったか、必死に原因を自分に探し、苦しかった。

ただ、私に救いだったのは神様にすがりつつも、考えることを決してやめなかったこと。自分の記憶を信じることをやめなかったこと。そして、自分が神様の前で潔白であることを証明することを諦めなかったことでした。
もし、あの時考えることもやめ、静かに物言わぬ良い子クリスチャンしてたら、私は完全にマインドコントロールに入るだけじゃなく、心を壊していたと思います。


****************************************
マインドコントロールの三段階
「解凍」「変革」「再凍結」
「解凍」について
「解凍」とは、人格を破壊させる段階
だれかに急激な変革を起こさせるには、まずその人の現実を揺さぶらなきゃいけない。教え込みをする側はその人を混乱させなければならない。

現実に対するその人の見方を混乱させれば、その人の防衛本能も武装解除され、今までの現実を否定するようなカルトの諸概念でも受け入れてしまうようになる。

感覚を奪うことと同じように、感覚に過剰な負担をかけることもまた、人のバランスを乱れさせ、その人を暗示にかかりやすくする。感情のこもりすぎた素材を、消化できないほどのはやさで浴びせかけられることもある。すると「圧倒された」という気持ちになってしまう。精神がぷっつり切れて停電状態になり、注ぎ込まれてくる素材を評価することもやめてしまう。

大部分のカルトは解凍のこの段階で、人々が弱っていくのにあわせ、「自分はひどい欠陥人間だ無能で精神的に病んでるし、霊的にも堕落している」という観念で責め立てる。学業や仕事、がよくできないとか、肥満だとか、人間関係でトラブルがあるとかいうように、本人にとって切実な問題なら何でも、途方もなく膨張して、その人がどんなに完全にダメな人間かを証明するのに利用する。

こうしてひとたび人格が崩壊すると、その人は次の段階へ準備がととのったことになる。
『マインド・コントロールの恐怖』第4章の一部より抜粋
≪スティーブン ハッサン/著 浅見定雄/訳 恒友出版≫

どんな理由であれ、状況であれ、私の体験はマインド・コントロールの手法の一つに該当するのです。
そんなつもりなくても、表面上なんでもないように見えても、人の心に影響を間違いなく与えているので
す。

リバイバル教会のユースの財源は、教会から充分降りておらず、教会や礼拝で必要なものをお願いしても、

「ユースはそこまで予算降りないからよ〜。」

盛人さんは、ぎま先生が予算も決めているから。と、なかなか必要なものが揃わない状態でした。

教会用としてユースが使える楽器やその他の機材は、少しの音響と、古いドラム、キーボード、ピアノでした。

ギターやベースを弾く子は自前のギターやアンプを練習の度に持ってきてたので、次第に教会に置きっぱなしにするようになりました。

音楽をしてるうちに、せっかく神様に賛美するんだから、楽器も良い物を使って賛美したい!ちゃんと教会用は教会用として置きたい!
そんな気持ちが出てきました。
そこで、楽器を購入して欲しいとお願いしました。

しかしいつもの様に
「予算がない」
で終わってしまいました。

私たちは、教会がやってくれないなら自分達でなんとかしよう!
そう考え、北谷のフリマに出店することにしました。

家中のいらないものをかき集め、車の後ろやトランクに詰め込み、5・6人で集まり、値段を決めたり、陳列順を考えたり…。
多いときには週2日、土曜日の昼からと日曜日の礼拝後の夕方。

そのかいもあり、お金は集まりました。
そのお金で楽器の一部を新調することが出来ました。

全てはユースがもっと良くなるように…。
その願いだけでした。

残っているお金は、実行したメンバーで一番年上だった私が預かっていました。

いよいよ私が東京へ旅立とうとする日が近付いてきたとき、そのこさんに言われました。

「ゆうこ、あんたたちがフリマで集めたお金だけど、ゆうこが今持ってるんでしょ?ユースのお金として、今度から私が預かることになったから、渡してね〜。」

今思えば、私達が自分の持ち物を売って得たお金なので、そんなのおかしいのですが、当時の私は疑いもせず、お金を渡しました。

後で、このお金がどうなっているのか、使い道は不明です…。


その後の話。。 これは私が東京にいるときの話。

ユースは献金が少ないから、何かやろうとしても、ソーメンパーティーくらいしかできない。とのこと
でも、友達を教会に誘うには、何かしらイベントがないと呼べない。
だから、福音宣教のためには何かしないといけない。

人を沢山呼ぶために、ソーメンパーティーが計画されました。

「70名達成したら、ぎま先生が焼き肉おごってくれるってよ〜。」

焼き肉も食べたい育ち盛りのユースは、70名達成するために必死だったとのこと。

ソーメンパーティーで70名達成したというのに、実際に焼き肉のご褒美はなかったとのことです。


もう、信仰で動いているのか、エサで釣られているのか、離れて見てみるとわけがわかりません。

しかし、私はフリマを通して、労苦して得たお金が、教会(神様)の為に使うことは誰の目から見てもわかることだし、ちゃんと知ることで本当の意味で安心してお金も出せるのだと学びました。

少なくとも、私がフリマのお金を管理している間は、他の人が事後報告でも何に使ったのか把握出来てましたし、お互いに正しく使えているのかも見ることができました。
だから、お金のトラブルも起きなかった。

私達は小さな集まりの中で、しかも学生であっても、この事が大切な事を理解しました。

ましてや、そのユースの見本となるリバイバル教会の大人がそれをわからないことが不思議でなりません。

信仰と、管理は別枠で、天秤に出来るものではありません。

むしろ信仰によって、正しく管理し、明確な使い道を見せ、誰が見てもその流れが透明であれば、誰もそれで躓かない。
教会のお金で大きなトラブルが起こるはずがない。

お金を管理して学んだものとしての見解ですが、トラブルが起きるなら、管理者の怠惰であったり、管理者の質の問題です。


大人として、特にお子さんがいる方には特に、お金の管理の大切さを、今一度考えてもらいたいと思います。

神様が望んでいるのは、良い管理者になることです。

お金は大切だからこそ、責任を持って管理し、流れも把握しましょう。

私が短大生だったころ、大阪だったか忘れたけど、本土から同世代の牧師の卵がメッセージするために、リバイバル教会に来ました。

どんな子なのかな?どんな話するんだろう?

とても楽しみにしてました。

彼女がまだ10代ということもあり、みんな関心を持っていました。

しかし、私は彼女のメッセージに正直がっかりしました。

内容は、捧げること(献金)について

彼女の語ったことで一番インパクトに残っているのが

「私は、自分の持っている100円すら、自分の為に使うのは惜しいのです。この100円を神様に捧げるために、飲み物も我慢するんです!」

とても窮屈で縛られている感覚がしました。


確かにユースは献金が少ないと、副牧師の盛人さんと奥さんのそのこさんは言っていました。

だから彼女が呼ばれたのかもしれません。

でも、よくよく考えてみてください。
ユースと言われる子は、中学生以上でそのほとんどが学生で親の保護の元にあり、バイトでもしない限り、そのお金は自分のものではありません。

礼拝では、親からお金をもらい、献金をちゃんと捧げている子はいっぱいいました。
しかし、もともと大金の持たない年代の子が集まる礼拝で、ちゃんと献金をしてもそこまで集まるはずがありません。

それをジュース代まで…。

彼女のメッセージを聞いて、自分も頑張ろうと言う子はいませんでした。
ただ圧倒され、
「すごいね〜、自分にはまだ出来ないさ〜」
そんな感想ばかり聞こえてきました。

用いられた彼女のその後ですが、数ヶ月後心配になり、盛人さんに訪ねました。

信仰は捨ててないけど、タバコを吸うようになってしまったらしい。

そう聞き、胸が苦しくなりました。

ジュース代すら神様の為に…そんな事を言っていたのに、その倍もする、体に悪いタバコに手を出すようになってしまったのです。

この子の信仰生活は、締め付けられていたのではないか?
本来なら癒やされるはずの教会で仕え、恵まれているはずなのに…。
私は、今仕事をするなかでストレスも感じますが、神様に向き合っていると、自然と癒されます。
ずっと神様と向き合っているはずなのに…。

彼女のことは今でも心配ですが、やはり窮屈な信仰をもてはやす体制は、自由にされたはずの私たちを束縛するものであり、そこから本当の信仰が育つことは極めて困難だと考えます。

大人達は、このように縛られている子ども達の信仰が、果たしてそのままで良いものとして考えているのでしょうか?それとも見えていないだけなのでしょうか?

ユースの事は、リバイバル教会の大人達にも不透明だったようですので、ユースの事も書いていきたいと思います。

締め出し緊急集会後の1ヶ月後に、私の家族は全員教会から離れました。

うえずさんのブログのKさんは、私の母です。

私はまだ、母への仕打ちがここまで酷いと思っていなかったうえに、こんな事が起こっていたことさえ知りませんでした。

だから、沖縄に帰ってきたときに教会に行って、自分の目でちゃんと確かめたいと思い、2005年の8月に仕事の夏休みを利用して、沖縄に帰ってきました。

私の家族の他にも、叔母家族も教会から離れました。

叔母家族は宮古でリバイバル教会の枝教会として活動もしていたほどで、当時の信徒で知らない人はいないと言っても過言ではないでしょう。

私の家族、親族はリバイバル教会の基準通り、什一献金も捧げ、礼拝も守り、教会内の行いに置いては、落ちるところがない信仰生活を送っていました。

事件後、おじであるMさんは、教会に真実を求めました。
しかし、何も真実は語られず、それどころか『実を見てくれ』と言われ、真実を見せようとしませんでした。

しかし、原告の話も聞ける立場にいたM家族は、話を聞いて、ギマ牧師に和解を求めたのでした。
あまりにも必死の訴えもむなしく、ギマ牧師は宮古リバイバル教会を任せていたMさんを、教会から切り離しました。


私はその話を聞きましたが、もしかしたらまだ可能性はあるんじゃないか。。その希望を捨てきれず、教会に行くことにしました。

同じ教会員でもある、Rも誘って、Rも久々に教会に足を運びました。

とりあえず普通に礼拝に参加しましたが、事件後離れた教会員の家族でもある私の事を、遠巻きに見ている古株信徒の姿は目につきました。

真っ先に近付いてきたのは、盛人さん(副牧師)でした。

久しぶり〜!と声をかけ、東京の話とかをしていました。

車がない私を迎えに、私の妹が教会にきました。

私の妹を見て、そのこさんは泣いて妹と話していました。

私の妹は、誰からも好かれる雰囲気の持ち主で、そのこさんもよく妹と一緒にいました。

その姿を見て、やっぱりちゃんと話せばきっと分かるかもしれないと思いました。

その日、いつものように帰ってきたら、一緒に行ったRから電話がありました。
とるなりいきなり謝られました。
何事かと訪ねると、Rの帰宅後、Rの親戚である前川さんから電話があったとのこと。
「R、お前、伊良皆の娘とまだ付き合っているのか?お姉ちゃんはどうか知らないけど、妹の方は最悪だよ。僕に対しても悪口いうくらいの子だよ!」

そうやって、Rに私の妹を中傷したのです。

はっきり言って、前川さんは、ユースとは関わっていないはずなので、妹が悪口を言えるほどの関係などありません。しかも、妹は人の悪口を言えるような子ではありません。

私は、Rの話していることに耳を疑いました。何度も確認したのを覚えています。何よりも、Rが一番傷ついていたと思います。
自分の身内に友人を非難されるって…。


こんな人がリーダーとして存在する…。

これはちゃんと把握してもらわないと困ると思いました。

帰る日の午前の祈祷会あと、盛人さんと教会のホールAでお話しました。

まずは教会のこと。土地のこと。向こうの話をちゃんと聞いてあげて、誠実に対応すればきっと大丈夫だから、ちゃんと向き合ってほしい。ということ。

もう一つは、リーダーを本当の意味でちゃんと育てて欲しい。
これは、私が直接見て、切に願うことでした。

盛人さんの返答は、
土地の件は何がいけないのかわからない。わかればちゃんと対応する。

リーダーの育成は、確かに自分の責任だ。ちゃんとするよ。

そう言ってくれました。

私は、その言葉を信じて、東京に戻りました。

しかし、沖縄に帰ってきて、一つ目の願いはあまりにも酷いやり方で打ち壊されたこと。

もう一つの願いも、ブログコメントなどを見て、何一つ改善されていないことに気付きました。

私にとって、実は2つ目のリーダーの育成の方が何よりも大切な願いでした。
人を簡単に傷つけたり、嘘をついてまで中傷するような人がリーダーであっては、キリストを信じる教会としては成り立たなくなるし、それを見本に育つ人が沢山出てきては、もう救いようがなくなるからです。

リーダーの監督責任は牧師に当然あるものですから、盛人さんやギマ牧師がちゃんとしてるかどうかの判断基準にもなります。
リーダーの姿こそ、牧師の鏡なのです。


これが私の願いに対する、今の現状です。それが今のリバイバル教会です。。

熱心な信徒が本当に救われる事を心から願います。

「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
私は彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」
ローマ10.1〜3

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