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先週の木曜日はNational Prayer Dayでした。 近所のクリスチャンブックストアーで、兄弟姉妹たちとお祈りをする時間が設けられていて、違う教会 の兄弟姉妹とも、ともに祈ってみたいと思い参加しました。地域のこと、教会のこと、家庭のこと、学 校のことなど、身近な所から行政、国家のことまで、聖霊様に導かれて参加者が口に出して祈りたい人 がいれば祈っていくような形式で祈っていましたが、やっぱり祈り方でどういう信仰を持っているかが 反映されるんだなぁと、感じたことがありました。ただ、いろいろな宗派が集まっていたけど、それぞ れに聖霊様の導きを大切に祈りを進めているのは嬉しく思いました。 一人、とても若い女性で分野ごとに権威ある祈りをしていた姉妹がいて、あぁ、この姉妹はきっと異言 で祈る姉妹だなと感じました。 祈りが始まって、10分ぐらいした頃に私の隣に座っていた年配の婦人の様子がおかしいことに気が付 き目を開けてみると、その婦人は、立ち上がって胸に手を押さえて苦しそうにしています。「大丈夫で すか?」と聞くと「大丈夫じゃない、ちょっと胸が苦しいの。」というので、私はとっさに異言で祈り 始めました。その婦人の手を握ると力強く握り返して、一生懸命立っています。胃の痛みからくる心臓 発作みたいなもので、座ったら余計苦しくなると言って立っているのですが、私の内なる霊は異言でど んどん祈っていきます。私が祈り始めた時に、権威ある祈りをしていた若い女性もその婦人の反対側に 座っていて、異変に気付いて一緒にその婦人のために祈り始めました。やっぱり彼女も異言で祈り始 め、霊が一致して祈っているように感じました。少しして、他の人たちもこの状況に気づいて、グルー プでの祈りを中断して、婦人のためにみんなで祈りました。そして、また、グループの祈りに戻りまし たが、私はしばらく聖霊様の導きにより婦人の手を握りながら霊で祈っていました。異言もなくなり、 婦人の痛みもなくなったようで落ち着いてきたので私も、グループの祈りに戻りました。 でも、グループで祈っている間、私の左手がいつものように、熱でいっぱいになりかなり熱くなってい ました。でも、とりあえずはグループでの祈りが終わるまで待っていました。時間通りに祈りの会が終 わってから、私はもう一度婦人のために祈ることを聖霊様に促された気がしたので、彼女に歩み寄って 私の癒しの祈りの証を少し話して、祈ってもいいかと尋ねました。お願いすると言われたので、熱く なってい左手を患部に当てて祈りました。理性での祈りから入って異言で祈りました。祈る前に、異言 のことも少し触れて私は異言で祈ることも伝えていました。婦人も異言のことをわかっているようだっ たので、祈りやすかったのは確かです。でも、痛みが戻ってきたときに痛みをイエス様の御名によって 叱責して痛みが戻ってこないように宣言してくださいね。と言った時は初めて聞くような素振りでし た。再度、私が念を押して痛みを受け取らないようにというと、わかったようで安心しました。そし て、最後にやっと、自分たちの紹介をしたところ、婦人の友達の向かいに住むご近所さんが日本人だと いうので名前を聞いたら、そのご近所さんはなんと私の知っている女性でした。そのご近所だというG さんは日本人のHさんが救われているかどうかが気がかりでしょうがないというのです。Hさんは、熱心 に教会に行っているわけではないけど救われているのは知っていたので、HさんのことをGさんに伝えま した。癒しの祈りをしているときにこれは神様の巡り合わせだねと言っていましたが、HさんがGさんの 近所で私と繋がりがあることを知って、これも絶対、神様の計画よと言われました。私も実は心でそう 思っていました。Hさんは、私の母と同年齢ぐらいの方です。Hさんのことを知っている私の友達が、 前々からHさんの具合があまり良くないようだから今度一緒に家に行って様子を見てこようと言ってい たのです。でも、お互い忙しくて時間がなかなか合わずに実行できずじまいだったのです。
今回の、この近所に住んでいるというGさんの言葉で、「Hさんに連絡しなきゃ。」と思いが与えられた
のです。 2日後に、Hさんに電話したら、去年の秋ごろから調子が悪くて冬は本当に大変だったこと。日本の教会 の姉妹たちが、お手伝いの申し出をしてくれるけど頼めない性分だということ。いろいろな話を聞かせ てくれて、1時間以上お話ししました。 本当に久しぶりに話をしたのですが、私の電話をとても喜んでくれて、「電話してよかった。」と思い ました。そして、神様が、私をあのブックストアーの祈りの会に導かれた理由も確信したのです。 この、祈りの会は、ちらしを見た時に「行くべきだ。」というような気持になったものの、自分の教会 で十分祈りの会には参加しているし、異言で祈ることはないだろうし、行ってもしょうがないかなとい う思いも同時にありました。 時間帯のことも有り、一時は「行かなくていいや…」とも思ったのですが、結果的にやっぱり行ってよ かった。最初に「行くべきだ。」という思いを与えられたのも神様だったんだな。と、あとから感謝で いっぱいになった出来事でした。 聖霊様は日常のほんの些細なところで囁かれ、導いてくださいますが、それが自分の思いなのか導きな のか見極められて、全ての導きを聞き逃すことなく実行していきたいと思いました。 「神様、私はここにいます。私が、聖霊様の囁きに敏感で、即実行ができるように導いてください。そ して、私をもっともっと使ってください!アーメン!」 |
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