|
元夫とは、職場で出会いました。その年の学期始めの最初の教師会が3日程連続で行われたのですが、
同じアジア人で、それもアジア人は私たちだけだったのでいろいろな所で意気投合して話が盛り上が りました。 出会いから結婚に至っては、いろいろとあったのですが、そもそも、結婚に至るまで、元夫は私に嘘 をついており、婚姻届けをする前に子どもも作ってしまったことが最大の間違いであったのです。牧 師でもあり、御言葉を知っているはずの元夫がしたことは、クリスチャンの道から全くかけ離れてい たのです。今の時代、婚前交渉は別に特別でもない。できちゃった婚や授かり婚という言葉も使われ ていて、面と向かってそれを咎めたり非難することはないようです。(反対者もたくさんいるとは思い ますが、社会的風潮が昔とはずいぶん変わっていますね) 一方の私は、彼が牧師というと聖職者で、いろいろと話されたことを鵜呑みにしていました。また、 その当時いろいろなことで困っていた私を親切に助けてくれたり、中国の教会をアメリカのいろいろ な州で3か所も立ち上げた話なども聞いており、彼のことを疑う余地はありませんでした。私も彼を好き だから、彼のことを知りたいという気持ちで、彼の一生懸命語る聖書のことにも耳を傾け、日曜日には 一緒に教会にも行き始めました。 教会に再度行き始めた時は、前にあった教会アレルギーがなくなっていて、すんなり教会に入ってメッ セージを聞けたことは今から思うと不思議でした。 でも、いいメッセージであって感動することはあっても、神様と繋がるということはなかったし、聖書 の話、いい話を聞いたというところでとどまっていました。ただ、話の内容に反対したり、疑問を持っ たりすることはなかったと思います。 ある日曜の礼拝後のこと、メッセージが何となく心に入り、今までと違ったものを感じました。そし て、それを元夫に伝えたら、元夫は興奮して「じゃぁ、教会の人に話して洗礼を受ける手続きをしよ う。」というような、私にはよくわかっていないことを言い出して、その教会の事務所のようなところ に連れて行かれました。 そこには、教会のスタッフと多くの、イエス様を救い主として受け入れたいと思っている人たちがい て、それぞれが個室に呼ばれてカウンセリングのようなものを受けていました。そして、私もその一員 として元夫にその部屋に連れてこられたのです。私は、今一、その状況や私の置かれている立場が分 かっていませんでした。そして、そのスタッフの女性に招かれ、その女性のデスクに座って質問をされ ました。 「あなたは、イエス様を救い主として受け入れたいんですね?」と聞かれて、私は、まだ、そこまでの 思いはなく「???」しばらく考え込んでいました。するとその女性はもう一度、「イエス様を救い主 として心に受け止めたいですか?」と聞かれ、再度私は「はい。」と返事できずに困っていたら、なん となくその女性がイライラしているのが感じられ、よくわからないけど、元夫が横で聞いているし、 「まぁ、いいや。」という感じで、本当に心から理解して信じたわけでもなかったのですが、「は い。」と答えていました。結局、その女性と元夫からのプレッシャーで「何でもいいや!!!」という 形で告白した形になってしまったのです。 その告白後に、スタッフの女性が「おめでとう!」と言っていましたが、私には何がめでたいのか、全 然心に入っていないしわからないままでした。 一方、元夫は、自分が牧師であるにもかかわらず、ノンクリスチャンの私と一緒になってしまったこと に焦りがあったのか、私の本当の心を理解することなく表面的なクリスチャンの信仰告白を私から得た かったのでしょう。私の意志とは関係なしに、洗礼の段取りがその女性と元夫とで進められていまし た。 その時、私は心の中では悶々としていましたが、元夫は、その時に私がイエス様を救い主として受け入 れてクリスチャンになったと、勝手に思っていたようです。 |
神様と繋がるまでの証
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
私は、小学生の低学年の頃、近所のクリスチャンの母娘が教会の日曜学校のようなことを集会所を借り て土曜のお昼ごろにしていた所に出入りしていました。 クリスチャンでも何でもない母が、どうして私をそこに連れて行ってくれたのかはよくわかりません が、私は、そこで聖書という書を初めて手にしたのです。大人の使う分厚い聖書で、漢字には仮名が 打ってあり小学低学年の私にも読めることは読めました。 でも、はっきり言って、その頃、その聖書を読んでいたのか、全く記憶にないのです。 出席ノートみたいのものをもらって、そこに行くと、きれいなシールを貼ってもらったことと、御言葉 が書かれたきれいな絵カードをもらうのが楽しみだったのを覚えています。 イエス様の名前も、その時に初めて教わって知ったのですが、当時は、イエス様が私たちの救い主だと いうことなども、教わったのか全然記憶に残っていませんでした。 確か、2年ほど通った後、その集会が無くなったのか、自分が行かなくなったのかは、覚えていません が、それっきりキリスト教とは縁が無くなりました。 そして、次に神様と再び出会う機会が与えられたのは、キリスト教精神の大学に通うことになって、宗 教学が4年間必須科目となっていた時です。でも、その時は神様と出逢うというより宗教学の一つとし てキリスト教を学問として教わっただけで、やはり、神と個人の交わりなどという概念はありませんで した。世界の三大宗教の一つであるキリスト教という宗教学だったのです。 チャペルの時間が午前中に20分間与えられていて、それは任意で参加するものでした。私は、もともと 人の話を聞くのが好きで、いろいろな場所である講演会などに参加していましたが、チャペルの時間も 神様の言葉を聞くというより、講演会を聞く感覚で一、二回生の頃は結構参加していたと思います。で も、三、四回生になり授業が昼からになったりして、わざわざチャペルのために大学に行くことはあり ませんでした。また、友達とおしゃべりしているほうが楽しくて、チャペルに行くことも遠ざかってい ました。 このブログで何回も書いてきましたが、大学では宗教学として聖書を読んでいました。そして、聖書の 一番初めの書である創世記のしょっぱなの一文「初めに、神は天地を創造された。」で、早くも躓いて しまったのです。 これだけ科学が発達していて、進化論を学校で学んできていたので、その一文が馬鹿馬鹿しくて、受け 入れられなかったのです。 でも、4年間必須であった宗教学の単位が取れなければ大学を卒業できません。だから、試験に受かる ために、一夜漬けでキリスト教を宗教学という学問として勉強していただけで、当時は神と私の個人的 な交わりなんて考えてもみなかったし、聖書が神の言葉として受け取ることなんて有り得なかったので す。 そして、3回目のキリスト教との出会いは、社会人になって、アメリカに来たホームスティのホストマ ザーが敬虔なクリスチャンだったということです。 毎日曜日の午前中、教会に行くホストマザーに連れられて私も、教会に通っていました。でも、私の目 的は神様との交わりでも何でもなく、英語のヒヤリング上達目的の教会通いだったのです。そして、2 年ぐらいは教会に行っていましたが、何でも「神様のおかげ、神様がしてくれるから。」というホスト マザーの言葉や、娘の友達のことを「その人クリスチャン?」と聞く質問など、日常生活の多くの中の 会話でうんざりしている自分がいたのを覚えています。ホストマザーはとてもいい人でしたが、クリス チャンの定義など、いろいろなことに疑問を持ち始め、教会からも、少しずつ遠ざかっていました。そ して、いつの間にか教会アレルギーになっていて、教会に入るのさえも嫌になっていた時期もあったの です。 それから、数年後、また、教会に行き始めたのは、元夫が、クリスチャンであったのがきっかけです。 その頃は、いつどうやって教会アレルギーが無くなったのかわからないのですが、自然に元夫と教会に 行くようになっていました。 そして、その頃は私の英語もずいぶん上達していて、説教もよくわかり「いい話だな。」などと、自然 に話も聞けるようになっていました。でも、まだまだ、神と個人的交わりとは程遠い、教会に通うノン クリスチャンでした。
|
全1ページ
[1]







