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歴史・名所
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沖縄平和記念資料館と平和広場に行って来ました。 平和広場には、沖縄戦で亡くなられた国内外の20万余の戦没者の名前が刻印された石碑が あります。 ジグザグの石碑は、波の形を表してると言われてます。 平和の火の水には、世界地図が描かれてます!!(赤丸は、日本です) 平和祈念資料館内は、撮影不可でしたので写真はありません・・・・・・ 平和資料館平和の広場平和の礎平和の火 |

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妻の実家「滝部寺地」近くに、幕末の思想家「吉田松陰」の母「滝子」の実家があったところに 「村田家」を顕彰する石碑があります。 石碑が出来る前は竹がいっぱい生えていて、人が上がれない状態でした・・・・ 地域住民の寄付と奉仕活動でここまで綺麗になりました。 石碑は御影石で、縦1m・幅1.8m・鷹さ1mの台座に設置 石碑の文字は「安倍晋三首相」が書かれてます。 お近くに来られた時は是非お立ち寄りください!! 村田家記念公園村田家顕彰碑説明板寄付明録板三春滝桜 |

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下関市中之町1−1 下関では「ふぐ」を「ふく」と呼び,幸福を呼び込むとして親しまれています。 明治21年、総理大臣伊藤博文公が下関でふく刺しを賞味し、その美味を絶賛したことから 全国に先駆けてふく食用禁止が山口県で解禁されました. 昭和9年関門ふく交友会の人々が、亀山八幡宮表参道東側に「波のりふくの像」を建立。 このふくの像は下関の名物として親しまれ,旅人の心を和ませていました。 しかし大東亜戦争末期の昭和19年、金属供出により台座のみが残りました。 平成元年、下関のふくを愛してやまない有志により、ふく銅像再建推進委員会が結成され 総経費2、000万円をかけて46年ぶりに再建。 除幕式は、平成2年9月29日(フクフクの日)に行われ、以後毎年9月29日には ふく漁解禁にあわせてふく像前にて、シーズン中の航海安全・豊漁・商売繁盛を祈願するふく祭りが 開催されてます。 亀山八幡宮世界一の「ふく像」
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国道9号線、関門海峡沿いに「平家の一杯水」があります。 壇ノ浦の戦いで深手を負い、命からがら岸に泳ぎ着いた平家の武将が水溜りを見つけ 飲んでみると真水だったが、もう一口飲もうとしたら塩水になっており、その場で力尽きたという 伝説が残っている所です。 【平家の一杯水】 寿永4年(1185)3月24日、源義経を総大将とする源氏と平知盛が率いる平家は 最後の一戦を壇ノ浦でくりひろげました。開戦当初は、東向きの流れに乗った平家が有利に戦って いました。やがて、潮の流れが西向きに変わり始めると、源氏方は反撃を始めました。 潮流に乗った源氏は、平家の船を操る水夫(かこ)と舵取り(かじとり)を弓矢で狙いました。 こぎ手を失った平家の船は潮の流れに引き込まれ、完全に自由を失いました。そうなると 勝敗はもうはっきりしています。平家方のある者は捕らえられ、または海に沈み、または傷を受けて ようやく岸にたどり着いた者もありました。そのうちの一人の平家の武将は、全身にひどい傷を受け 海に落ちましたが、命がけで泳ぎ岸にたどり着きました。 その武将は傷の痛みと疲れで喉がカラカラに渇ききっていました。 あたりを見渡すとわずかな水たまりを見つけたので、武将は痛む体を引きずって、 水たまりに近づき、その水を手のひらにすくい喉をうるおしました。その水の美味しいこと 武将にとっては命の水とも思えるものでした。 あまりの美味しさに夢中になって二度目を口にしたところ、大きくむせて吐き出してしまいました。 不思議なことに真水は塩水に変わっていた、といわれています。 【実はこの井戸は、干潮のときには火の山からの伏流水が真水で流れ出し、満潮のときには海水で 満たされます。これが伝説のもととなったと考えられます。】 平家の一杯水の石碑説明版国道から階段で下ります平家の一杯水の井戸と鳥居平家の一杯水の、井戸
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