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やはりキーワードは「脱物質主義的価値」ということんおだろう。



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先進国で環境政党をもたない特異な日本〜「脱原発」はなぜ可能になったか(2・完)

吉田徹・北海道大学准教授 SYNODOS JOURNAL 6月28日(火)19時5分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110628-00000301-synodos-soci



■「緑の党」という存在

もうひとつ、脱原発を可能にした政治的次元がある。

原発政策でドイツにもっとも影響を与えてきたのは、一貫して反原発の立場を貫いてきた「緑の党」である。

ドイツが脱原発に大きく舵を切りはじめたのは10年以上も前のことである。1998年、社民党(SPD)と緑の党(90年連合/緑の党)の連立政権発足に際して、段階的な原子力撤退が両党間で合意されたときのことだ。

その後、2005年に発足したメルケルの保守中道連立政権は、産業界の意見を受け入れて、原子炉の稼働年数の平均12年の延長を決定している。しかし、これは方針転換というほどのものではなく、脱原発のスピードを緩めたと解釈する方が適当だろう。さらに、その交換条件として、経済界には新たな経済負担(核燃料税)が課せられたことも忘れてはならない。そして、この当面の原子力維持政策も、「フクシマ」のインパクトを受けた市民社会の抵抗によって転回を余儀なくされることになったのである。つまり、ドイツの脱原発はすでに10年以上も前から既定路線であり、今回の決定はこれを早めただけにすぎないともいえる。

その背景には、やはり緑の党があった。今年3月中旬、南西部バーデン・ビュルンベルク州議会選挙で、緑の党とSPDの躍進を前に、メルケル首相率いるCDU(キリスト教民主同盟)が敗北するという出来事があった。同州は戦後一貫してCDUが多数派だったにも係らず、である。この選挙での結果、緑の党から史上初めての州首相が選出されることにもなった。

したがって、メルケル首相による脱原子力の決断は、優れて政治的な決断でもある。「フクシマ」を経て勢いづく緑の党と、その潜在連立パートナーであるSPDの先手を打つという戦略がみてとれる。ドイツでの近年の総選挙は、保守/左派の二大政党とも、単独過半数を得られないばかりか得票率を減らしつづけ、小政党との連立を前提にしなければ政局が安定しない状況がつづいているからだ。

しかし、そうした決断をうながす政治的状況が長い年月をかけてつくられていったという事実にこそ眼を向けなければならない。実際、緑の党が掲げる政策は(他の国でも同じように)、既存の大政党に徐々に取り入れられるようになっているのである。

■「エコロジー、社会、ラディカル・デモクラシー、非暴力主義」

ドイツに滞在したことがある者なら誰でも気づくように、この国の環境主義は徹底している。それだけ環境意識が高いともいえるが(近代において環境保護政策を掲げたはじめての政治勢力がナチスだったことも想起されてよいだろう)、しかし国民意識は土壌のようなものであって、実際にはそれを表現する主体(アクター)が必要なのはいうまでもない。

西ドイツの緑の党は、新左翼の流れのなかで環境意識が高まった1970年代から存在してきたが、全国レベルで組織形成がなされたのは1980年のことである。同党の綱領は「エコロジー、社会、ラディカル・デモクラシー、非暴力主義」(「カールスルーエ綱領」)を謳う。国政レベルに進出したのは83年だが、これも当時の広範な反原発運動の勢いを借りてのことだった。同党は、その後、ほぼすべての州議会で議席を獲得して、社会のなかに着実に足場を築いてきた。

政治学に「政治的機会構造」という考え方がある。これは社会のなかで一程の政治勢力が存在していても、実際に影響力を持つためには、さまざまな「機会(オポチュニティ)」を保証する構造がなければ、現実に影響を与えるまでにはいたらないという見方だ。この見方からは、ドイツの連邦制や小政党でも議会進出が比較的容易な選挙制度など、環境主義政党の影響力を担保する制度的が保証されていたといえるのである。

■日本は特殊な例外

その影響力は異なるものの、ドイツ以外でも緑の党はヨーロッパのほとんどの国で結党・組織されている。いずれも、既存の大政党とは異なって、ルースな運動体として、きわめて平等主義的な組織運営がなされているのが特徴だ。

日本は、先進国のなかで環境政党をもたない特異な事例として特筆される。その理由は多岐に渡るが、自民党との対抗関係から、社会党が既存の反原発運動との連携を重視したため、環境主義政党の芽を摘んでしまったこともあげられる。かつての「新党さきがけ」は、この環境政党の路線を狙ったが、その後の民主党(96年)の発足で吸収されるにいたった(現在、「さきがけ」の後継組織としては「みどりの未来」がある)。現在では「新党日本」が、同様の政治信条・立場を掲げているともいえるが、民主・自民二大政党の狭間で伸び悩んだままである。

日本と比較する際、政治的機会構造に並んで、もうひとつ指摘されなければならないのは、その国の政治において、どの程度「脱物質主義的価値」が支持されているかどうかという点があげられる。「脱物質主義的価値」は、政治社会学者のR.イングルハートが1970年代に広めた言葉で、国民が物質的豊かさや賃金水準よりも、政治参加や表現の自由に重きをおく態度全般を指す。この観点から比較すると、日本は90年代に脱物質主義的価値観が広まるものの、そのタイミングは他先進国と比べて20年程遅く、その程度も相対的に低いことが国際調査からはみてとれる(*)。

*以上は、野地孝一”Why Does not Exist Any Ecology Party in Japan? : New Politics in Comparative Perspective,” 『信州大学法学論集』1:161-172,2002からの示唆を受けている。

その理由にもさまざまなものが考えられるが、ひとつには、1968年の全共闘世代の後世に対する影響の多寡がある。ヨーロッパ各国で、民主化運動を繰り広げた「68年世代」が文化的ヘゲモニーを確立し、ドイツのように確固とした政治運動へと波及していったのに比べ、日本で同じだけの政治的遺産は残らなかった。「赤毛のダニー」として当局を恐れさせたコーン・ベンディットに象徴されるように、緑の党のリーダーの多くがまた学生運動を率いた「68年世代」であった。その後、緑の党の支持者が若年層に浸透して行ったことを考えても(83年選挙の際にドイツ「緑の党」に投票した有権者の7割が35歳以下だった)、世代間でバトンを渡すことに失敗した日本との政治的条件の違いは歴然としている。

■「古い政治」との対抗

こうして、現代政治は歴史に投げ返される。歴史的遺産とその遺産を活かす制度の双方があったドイツだったからこそ、脱原発への舵切りを可能にしたのだ。

リーマン・ショックを経て、各国の経済政策はケインジアニズム一色となり、経済成長優先という「古い政治」に回帰したかにみえた。メルケル政権による原子力継続政策もその性格が強かった。しかし、緑の党に代表される政治意識は、そもそも資本主義と原子力エネルギーがともに持続不可能であることを、もっと悪いことに両者が「癒着」した関係にあることを、告発しつづけてきた。その告発が正しかったことが、いまでは明らかになりつつある。

資本主義と原子力の「癒着」がもっとも強固な日本で、これを断ち切るための歴史的遺産も、その活用を可能にする条件も、ともに不足しているのは間違いない。それだけに、日本の脱原発への道は、遠く、険しいといわざるを得ない。しかし、もし脱原発の路を選ぶのであれば、そのために必要なツールはすでに解っている。それは意識であり、制度であり、主体なのである。

おわり

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