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さて、お盆の前あたりから、記事【沈む狂夏】の続きの書き込みを致しておりますと、 この頃なんだかねぇ・・・・ 自分の意識がね、段々と落ち込んでくるんですよ。 まぁ他の原因も多少はありますけども、この記事の影響にですよ わたしの、軟弱お脳がモロに重く応えてしまいました。 今回のこの記事の続きを書き込んでいますと、頭の中でですね、 記事の内容を、わたし自身が、疑似体験をしているようなんですよ。 だからね、精神的にも、次第になんだかね、追い詰められてる感覚がいたします。 暫く、続きの掲載を、中止いたします。 夕べ、続きが出来上がって、投稿したら消えてしまったんです。 なにかが、そうさせたような気がしますから、止める中止じゃぁなく、休憩します。 暫くは、此の記事から遠ざかって、違う雰囲気のでやっていこうと思います。 |
【 沈む狂夏 】
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詳細
最初にお断りしときます。
この話はね、作者のわたしの想像なんですよ。
だからね、万が一、なにかと似たようなことが書いてあってもね、
其れは偶然ですよ。
ただ、お話しの舞台がですね、島という設定の方が書きやすかったからです。
このお話は、元々は違う内容にするつもりでした。
だけど、書き込んでゆくうちに、自分でも驚くことにですね、
なんだか自伝みたいに為って来てるんですよ。
だからね、限定記事にします。
もぅ島にはたぶん、昔の人は誰も残っては居ないと思いますけど、
ヒョットしてこれからの話しの内容では、御迷惑がかゝるかもと思いますので。
地名、人名、内容、全部がね、想像妄想の産物ですよ。
もしも実際のお名前や地名、出来事となだ、重なることが御座いましても
それは、まったくの偶然なんですよ。
宜しく御理解くださいませ、お願い申し上げます。
コメント(9)
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夕陽が沖合いの水平線にと沈んで、辺りが暗くなり、夜も深まってくる頃に、島の二つの地区の 其々の桟橋に、マストに明かりも燈さずに無灯火で、黒い影のように為って夜陰に紛れながら 色々な種類の船が着岸してきました。 船は着岸すろと直ぐに何かを降ろし、大慌てで埠頭を離れてゆき、次の船に場所を譲ります。 影になってる一隻の小さな船は漁船なのか、狭い港を取り囲む岬の山に、弾けるような焼玉エンジンの 鼓を打つような音を響かせていました。 「暗かったけん、おかぁさんたち判らんかったとぅ・・・・ 」 少し落ち着いた母は言います、唇を震わせながら。 だけどぼくはもぅ、聞きたくなかった。 たぶん、これから聞かされる話は今まで以上に、もっと刺激的なんだろぅと此の時、感じとっていたから。 病院からの緊急呼び出しで召集された、他の同僚たちと班分けされた母たちは、 島全体が防空の為に、灯火管制がしかれていたので、暗いなかを星明りを頼りに、 なんの灯りも燈さずに、港の桟橋まで下りてゆく長い坂道を、走って行かされたそうです。 坂の途中には急な曲がり角が二箇所ありました。 その曲がり角で、最近この島に赴任してきた若いお医者さんが転んでしまって 崖から落ちそうになってしまったそうです。 だからこの班の班長は、自分が携帯していた懐中電灯を部下の一人に持たせました。 そして曲がり角に立たせて、電灯部分を掌で覆わせて明かりを燈させました。 その指と指の間から漏れる、僅かな明かりが、曲がり角の危険を知らせる道標でした。 人は集団で駆ける時、人の走る足音と、息する音が迫るように湧くそうです。 坂ノ下の、狭い港が近づくに従って、臭いがしてきたそうです。 桟橋まで駆けていって近づくと、益々臭いがきつくなったそうです。 「さっちゃん、(臭いが)きつかねぇ! 」 ともちゃんが、鼻を摘んでいるのか、鼻声で聞いてきました。 母が、答えようとしたら急に隊列が止まったので、母たちは前の人にぶつかった。 「縦隊止まれッ!」 小声の命令でしたが、言い慣れてるのか、良く通る声でした。 「(命令が)遅かとぅ! 」 「ともちゃんッ!」 「しっ!さっちゃん声が大きかとよ 」 「無駄口は言うなッ!これより軍医殿から説明がある 」 今朝早くに、医薬品を部下の衛生兵に抱えさせて、島から出て行ったはずの軍医でした。 軍医といっても叩き上げの軍人じゃありません。普段は民間人のお医者さんです。 今は戦時下なので、非常呼集で召集された、臨時軍医ですから語り口調は穏やかな物言いです。 「今からみなさんには、特殊な患者さんを扱っていただきます 初めての事なので驚かれるでしょうが、可也な重症患者さんたちです どぉかみなさん、この方たちのお力に為って差し上げましょう 詳しくは、軍の方から説明が御座います 」 辺りは暗くって、軍医が話終わると、凪いだような波が桟橋を打つ音と その音以外の、なにかがハミングしてるようなぁ・・・・・! みんなは、静かにして軍医の話を聴いていましたが、そのハミング音に気づきます。 すると、もっと別の静かさが、みんなの上に覆うように迫ってきました。 近くの山の藪から聞こえる、虫の鳴く声に混じって聴こえてきます。 だけど、ハミングの音と、ざわざわとした音だけが、みんなの耳を捉えます。 続いて軍の報道関係の兵士が話し出します。 「これからの事は、軍の機密であるッ!ケッシテ親兄弟にも他言無用であるッ!」 他にも何か注意事項が喋られたけど、憶えていません。 ただ、≪軍の機密≫という、言葉だけが戦時下なので、間違うまいと。 それに暗かったし、母は先頭からは後ろの方だったので、あんまり聴こえません。 だけど、聴こえる兵士の声には、有無を言わさぬ怖さが混ざっていました。 それから母たちの班は、そこでも小さな班に分けられました。 「さっちゃん、怖かねぇ 」 「ぅん 」 母は、返事が出来かねていました、何かに圧倒されていましたから。 埠頭から浮き桟橋まで渡る、揺れる橋を渡るとき、擦れ違がった人が背負っている物から、 小さな声が聴こえました。 その音は、人が微かに呻く声でした。 さっき埠頭で聞いたハミングの音は、集団で人が呻くときに挙げる声です。 ざわざわとした音は、看護する人間が、呻く人の耳元で励ます声でした。 突然ッ!傍のともちゃんが悲鳴を挙げました。 「ともちゃん、どげんしたとっ!」 「テッ手が・・・・剥けるとぉ!」 「誰か、声を挙げるなッ!」 叫ぶように叱咤する声が聴こえると、ともちゃんは必死で続く悲鳴を堪えます。 それがまるで、大きな咳をするように母の耳には聞こえたそうです。 母も、悲鳴を挙げそうでした、自分が介抱しようとして触った人の躯が、普通じゃなかったから。 剥き出しの手足に触れると、皮膚が滑るように剥けるのが、暗くても手触りで判ったからです。 服の上から触っても同じ感覚がします。 それと、此処まで来る間に嗅いでいた匂い、浮き桟橋全体に満ちていました。 母は、何度も吐きそうに為ったそうです。 事実、他の同僚が堪りかねて、海に向かって吐こうとして、そのまま海に落ちた人もいました。 母は、こんなことなら無理をして、晩御飯を食べるんじゃぁ無かった、と後悔したそうです。 新たな船が、桟橋に横付けしようとしていました。 時折、風の向きが変わり、石炭の燃える臭いが桟橋を覆います。 母たちは、普段ならば煙突から湧き出る黒煙には、文句の一つも言うのに、 今は、その煙に燻されることの方が、救いに為っていました。 沖合いには、暗闇を背に、幾艘もの船が待機しています。 その船の全部に、いったいどれだけの重症者が、詰め込まれていたのでしょう。 わたしは、もぉぅ、聴きたくはなかった。 母の流す涙も見たくも無かった。 だけど、言い尽くすまでは終わらないと、もぉぅ判っていました。 |
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また落ちた! また落ちた!! あれがまた落ちたそうだ。 今度は長崎に落ちたそうだ。 長崎は、全滅たいッ! 新型爆弾が長崎に落とされた。 と、知ったのは。 初めて原爆が広島に落とされた時と同じように、今度も軍の報道じゃぁなかった。 それは原野で野火が自然発火し、燃える炎が周りを嘗めるように広がるように 人から人へと何処までも伝わっていく、噂話で知りました。 だけど、母が住んでいた島の住民たちは、その前に知ってしまいました。 このまさかの噂が、噂どうりの真実だったと知ったのは 長崎に原爆が落とされた、三日後のことでした。 あの日の、夏の太陽は、強烈な燃える輝きで眼も眩むかとでした。 今日みたいな夏の暑い日、島の西側の岬の上に佇み (終戦から暫くは此処に国民学校(小学校)が在った) そこから西方の、遥か五島列島を望めば、五島列島が想ったほど遠くに視えないで とても近くに感じることでしょう。 その五島列島の山々の頂から、大きな積乱雲が聳えいます。 海は穏やに凪、太陽の光を反射させ眩しいほど輝いて観えます。 視線を下の入り江に向けますと、火山砕屑の黒な軽石が、浜全体を埋め尽くし その入り江の左奥には、今は穏やかな波が洗う崖磐が、入り江を抱くように続き 引き潮時には、大岩が並ぶ磯浜でした。 崖磐には天然の洞窟みたいな大穴が、大昔に自然によって穿たれておりました。 そこには、普段は使われてはいない、浮き桟橋がありました。 五島列島から、島では貴重な水や農産物等を船で運んできた時に 北側の小さな港に行かずに、この入り江を船着場にして、荷揚げなどをしていました。 水は浮き桟橋から直接ポンプで汲み上げて、入り江を囲む山の頂の、貯水タンクまで 長いパイプで送られて、貯蔵されていました。 その入り江は戦時には、崖磐の大穴を利用した海軍の秘匿基地がありました。 平和時には、その浜には小魚が波で浜に打ち揚げられ、島民が拾ったりしてました。 また、魚群で入り江の海面が盛り上がり、まるで湧いてるかの如くな豊かな漁場でした。 「かぁちゃん今も船が沈んどるけん○○ちゃんのとおちゃんが、網が打てんちゅうとった 」 「そぅよぉ、だから行ったらよかことないとぅ 」 「ぅん、もぉいかんとぅ 」 わたしは、母の言葉の言い回しが解りませんでしたけど、なんとなく 言葉の中の、忌み嫌われてるような厭さが感じ取れてはいました。 その日は、夏の太陽が強烈な輝きで、眼も眩むかとでした。 黄昏近い夕方になると、風もそよがずに海は穏やかに凪ぎ 珍しくも一日中、島では空襲警報のサイレンも響き渡らなかった。 眩しかった太陽が傾き、夕陽になって海と雲と島を赤く染めながら、 一日平穏だった今日を惜しむように、ユックリト水平線にと沈みます。 だけど、日中の蒸し暑さは、深夜晩くに為っても去らずに続いていました。 看護婦だった母は、昼の勤務が深夜にまで及び、夜半過ぎにようやく勤めから開放され おなじ勤務で同部屋の仲良しの同僚と共に、病院の独身寮にと 互いに疲れた躯を引きずるようにしながら、戻ってまいりました。 それから晩御飯をと、寮の食堂に二人で行きます。 食堂に入りますと部屋の中は薄暗かった。 戦時で電力を節約するために、電圧を下げられていましたから 部屋の幾つかの電燈の明るさは、普段の半分もなく薄暗かった。 食堂のすべての窓は閉じられ、おまけに部屋の明かりが外に漏れないようにと 分厚い黒色遮光カーテンが吊るされ、風も吹き込まない狭い食堂の中は蒸し暑く 母と同僚の疲れた躯では、我慢できないほどだったそうです。 食欲どころか、この後に入る予定のお風呂の水が、海水を沸かした風呂だと思うと 全身汗まみれの体が、自分でも疎ましく感じたそうです。 だけど、食べなければ体力が持たないからと、無理に口に運びます。 独身寮の賄いのおばさんが、少ない食材を何とかしてと拵えた 戦時以外なら、食べ物とは言い難い晩御飯を、白湯で喉の奥にと流し込みました。 「さっちゃん、なんかゞ口にできるけん、よかとねぇ・・・・」 「ぅん、こげんもんでも、いただけるとぅ 」 「風呂にはいるとぅ? 」 「おばさん、真水はあると?」 「あんたらのぶん、バケツにあるけんもってくるよ 」 「おばさん、ありがとうございます 」 「よか、この間は残ってなかったやろ、わるかったねぇ 」 島では、水は島の外から運んできます。 だから貴重な水でした。 今は戦時で、水を運ぶ船もこの頃では少なくなっていました。 だから、真水で沸かす風呂には、もぅ何年も浸かったことはありませんでした。 海から汲んできた潮水を沸かして、風呂水として使っていました。 風呂から上がるとき最後に、わずかな真水を頭から被っていましたのでそのせいか 髪の毛は塩分が抜け切れないのか、いつもパサパサな感じだった。 それと、やはり塩分が抜けないせいか、よく頭の皮が痒くなってたそうです。 「さっちゃん、潮の風呂って海軍さんじゃぁ昔からやったそうたい 」 「すかんとぅ、汗んなかに浸かっとるみたいじゃけん 」 仲良しの、ともちゃんは、躯を洗おうとして手拭に石鹸を擦りつけ なんとか泡たてよとしてた。 「あんなぁ軍医の○○さんがぁ今日の朝方になぁ、なんかぁ慌てとっとぅ 」 「どげんしたとぅ? 」 「薬ば、とくになぁ火傷ん薬ばイッパイ衛生兵さんにぃ担がせて、裏の入り江までいきんしゃったそぅたい 」 入り江とは、裏山の貯水タンクの下の、海軍の基地が在る入り江のことです。 「なんばあったとぅ? 」 「病院から、緊急って連絡がきっとっとぅ! 」 賄いのおばさんが、慌てたようすで風呂場に駆け込んできて大声で言った。 このとき母は、泡立たない石鹸で髪を洗っていたそうです。 友人のともちゃんは、母の後ろからなんとか泡立てた泡を 母の頭にかけてくれてたそうです。 躯についてる石鹸はそのままに、躯も真水で洗わないで、裸で手拭を絞りながら部屋まで走り 急いで躯を拭き、モンペを履き、胸に血液型や所属を墨で記載した名札つきの上着を着て 肩から布の鞄を斜めに掛け、防空頭巾を背中に背負って、病院まで。 日頃の訓練の成果が、こんなときには生きてきます。 母も、ともちゃんも、用意ができて病院まで走る間、何も喋らずに無言でした。 二人とも躯が、叩き込まれた動作を自然に取って、動いていたそうです。 病院には非常呼び出しで召集してきた、多くの職員が集まっていました。 母たちは、なにがなにやらと判らずに、直ぐに班分けされました。 母たち若い方の看護婦は、若いから元気だからと、病院から一番遠い 島の北側の港に配属されます、年配の看護婦は、裏山の貯水タンク下の 海軍基地入り江に、配属。 病院中から、ありったけの担架や車椅子、それでも足りないからと近所から集めてきた戸板。 足りないものは、後から持ってゆくからと、直ぐに出発。 みんなは、北の港まで暗い中を走っていったそうです。 病院の直ぐ近くの運動場には、テントが急いで張られていたようだったと。 後から母は、そうだったような気がすると あの日は、記憶がもぅ無茶苦茶だったと。 「さっちゃん、なんやろかねぇ? 」 「わからんと、桟橋までいったらわかるとやろぉ 」 風呂上りなので、母もともちゃんも、全身汗まみれ そうでなくとも、この晩は蒸し暑さは一塩だったから 暗い中、走り続ける他の看護婦や職員も、同じように汗まみれだったんでしょう。 若い看護婦の殆どは、モンペなどの普段着でしたけど、夜勤だった何人かは 真っ白な看護婦姿でしたから、暗い坂道を入り江にと走って下りるのは 走り難かろうにぃ、っと、ともちゃんが、言いました。 「誰かッ! 無駄口は慎めッ! 」 男の班長から気合が、かかりました。 仲の良かった同僚の看護婦らと、暗い坂道を走って下ります。 モンペ姿で防空頭巾、胸には血液型や所属を墨書きした名札。 肩から斜めに提げた布の鞄には、僅かな医薬品。 若かった母、どんな心算で暗い坂道、走りましたんかなぁ。 入り江の港の桟橋が近づくと、潮の香りに混じって、何か他の匂いもしてきます。 星明りでは、暗闇の向こうまでは見え難かった。 海面は星明りを映し、少し光っていました。 その海面に、幾つかの船の陰が浮き上がって見えていました。 入り江の入り口あたりにも、船の形が黒く見えていました。 「なんばあっとぅ? 」 「知らんとよぅ、イッパイ船がおるとねぇ!」 暗くて狭い浮き桟橋と、そんなに広くはない波止場には、人がたくさん群れていました。 「ぅちらはね、あげんことばする為にぃ、看護婦に為ったんと違うと 」 「かぁちゃん、どげんしたとぅ? 」 母は、眼から涙ば イッパイ流していました。 幼かったわたしは、もぉぅ其れを視ただけで怖かった。 正直、わたしは母の話が、もぅ此処らで済んで欲しいと、想っておりました。 「○○ちゃん、戦争ばすっとなら、負けんようすっとぅ 」 わたしは此の時、何も返事はできませんでした。 今の、この歳になっても、如何答えた方が良いのかも判りません。 ただ、母のような経験は、絶対したくはない っと。 今でも、夏にはね、静かに怖さが迫ってきます。 |
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わたしが子供の頃、母から聴かんでもいい事を聞かされました。 「夏がくっと うちはなんか無感覚になると 」 「むかんかく ってなんね?かぁちゃん 」 「なんも判らんと っちゅうこと 」 「なんばわからんと 」 「夏はすかんとぅ もぉいらんけん 」 暑さ凌ぎで開け放った窓の外から、坑内(石炭採掘場)で働く二番方が 交代するときの合図のサイレンが、殷殷と鳴りだし 蒸せるような暑さを、尚更かと感じさせた。 母は突然、繕っていた服を投げ出して、前屈みになり耳を塞ぎます。 「聞きとうなかっ! 空襲ぅ想いだすけん!・・・・」 わたしの母は、痴呆症(アルツハイマー)を患っています。 段々と記憶がね、消え去って逝きます。 新しい記憶は、母の意識の中には積めません。 昔を回顧する為にかと、新しい記憶から消え去って逝ってます。 今はもぅ、随分と古い記憶まで遡ってます。 わたしは、恐いんです 母の記憶が、あの昔のことまで辿り着くと・・・・・ 広島に、新型爆弾が落ちた。 その衝撃ある噂は、直ぐに母が住んでた小さな島にも伝わってきた。 その九州の西の海に浮かぶ小さな島は、明治の時より石炭が採掘される島でした。 戦時中は、戦争を遂行する為の燃料政策の一環で、石炭増産を果たすために 当時日本が統治していた国から、石炭採掘の労働力として、外国人が多く連れてこられ、 鉱夫として日本人炭坑夫と一緒になって働かされていました。 だから島の防備のために、陸海軍の守備隊が駐屯し防備が固められ、防諜関連の 情報統制は厳しく取り締まられていました。 多くの島民が少しの疑いで憲兵に捕って、憲兵詰め所まで連行されてます。 ようやく開放されて帰宅した時は、躯と意識が大概、襤褸ボロに為っていました。 島の二つの、港とは言えない小さな入り江には、一方には海軍の艦船が停泊し、 もぅ一方には、民間の貨物船や連絡線が、小さな桟橋に横付けしていました。 だから、島からの出入りは、軍隊の統制化に置かれ、一般人は自由に本土と行き来はできません。 戦争の全期間中、国民は戦況を軍の統制された放送でしか、知りようがなかった。 だけど戦争も末期が近づきますと、ラジオの戦況報道が信じ難いと誰しもが、想っていたそうです。 戦争スローガン 「一億総玉砕」 「欲しがりません勝つまでは」・・・・ 狭い町の目に付く、あらゆる所に張り出されていました。 当時、日本が統治していた南方の島が次々と玉砕し、連合軍に占領されていました。 つい先ごろには、五島列島の遥か南の島、沖縄が、その次には硫黄島が占領されています。 開戦当初は、島の上空を、ひっきりなしに日本軍の飛行機が飛んでいたのが 今は、米軍の大型爆撃機の大編隊が飛んでるのしか、観かけません。 敵の飛行機は、大型の爆撃機が多かったのが、最近は米海軍の艦載機が増えて 突然山陰から現れては急降下しながら、機銃掃射しながら島を横切っていったりしていました。 大型爆撃機は、初めのうちは夜間飛行で飛来して、島の上空を通過していたのが、 昼間に群れを成しては、堂々と本土へと向かってゆきます。 島にも、秘匿された高射砲台が幾つかは備えられてはおりましたし、 航空監視鉄塔が島の北の高台の上と、南の低い山の頂上に在りました。 だけど高射砲は旧式で、撃っても敵の大型爆撃機の飛んでる高度には、弾丸が届かなかった。 砲の発砲炎や発射煙を見つけられてか、逆に激しく攻撃され、砲台は跡形もなく破壊されてしまったそうです。 新たに高射砲が据えられましたが、今度は敵機に向かって射撃をしません。 島民は、不信がリます。 何故に撃たないのかと。 軍は温存だと。 島に敵が上陸した時に迎え撃つためだと。 それじゃぁ、この島も、沖縄や硫黄島みたいに為るのか。 いや此処より西の、五島列島のほうが先に敵に蹂躙されるぞ。 だけど最後には、どうせ玉砕・・・・みんなの脳裏にこの言葉がぁ・・・・ 夜間に島の高台に登り東の方角を望むと、佐世保の軍港か軍の設備か軍需工場か 他の何処かの知らない街がか、絨毯爆撃で徹底的に焼き払われて燃え、そのせいで 遥か遠くの夜空が赤く染まって明るかったと。 風向きが東風だったら、その風に乗って、スルメを焼く匂いがするとか。 そんな日に洗濯物を干してると、何かの煤が付着した。 他にも、次々と不気味な噂は、止め処なくと云われます。 島の炭鉱の施設は、周りの風景に溶け込むように迷彩が施されたり、迷彩網で覆われます。 港の設備も毎日、新しい草木を使って隠蔽されたりしていました。 時折、港から出てゆく船は、石炭を燃やす蒸気船が多く、重油を焚く船は滅多と動きません。 日本にはもぅ、船を動かす燃料が尽きかけていました。 だから、島で産する石炭で動く蒸気船だけが、夜間に明かりも灯さず運行していました。 その船も昼間に海原へと出てゆきますと、煙突からの石炭が燃える黒煙が目立ち 米軍の航空機から機銃掃射や、爆弾攻撃をされ沈む船が多かったそうです。 本土との船での往き来は、満月の夜以外の、その前後を避けての暗い晩にしか、出来ない状態でした。 島では、昼間は危険で、誰も表には出なかったそうです。 本土を爆撃した飛行機が、基地に引き返す時に島の上空を通り過ぎます。 そのときに、島内で何か動くものを発見すると、急降下してきて銃撃してきますし また、爆撃で落としそこねた爆弾を、帰りの駄賃に投下したりしていました。 島の食料は、本土と同じで配給制。 飯を炊く竈で燃やす薪も、おんなじ配給制。 灯油ランプの油も、また配給制。 煙草も、酒もと、あらゆる物が配給制。 同じ配給制でも、本土と島では違いすぎるほどの格差。 戦時下は、日本全国飢えが蔓延していました。 島では、敵の潜水艦攻撃や航空攻撃で、島外からの食料の調達が出来かねたり 嵐の晩の、暗い夜にならばと無理を承知で海に出た貨物船、遭難。 それが数回続けば、飢餓が全島民に圧し掛かります。 島で採れる石炭は、火力が強すぎるから、竈では使えません。 仮に使えても、一グラムでも無駄には出来ない、戦争遂行のための燃料だからと。 島民に、生活の為の燃料としてはぁ、行き渡らなかった。 飲み水は、島には元々殆どなく、何処にも湧いてません。 井戸も数えるほど、やっぱり他所から船で運び入れるしか。 井戸は在っても僅か過ぎて、島民全員の喉を潤すこともできません。 戦争も今みたいな状況ではなかったら、本土や五島列島から船で定期的に運んでました。 ところが或る日、水専用の貨物船が、島と五島列島の福江との間の海上で あろうことか白昼に、大胆にも浮上してきたアメリカの潜水艦から砲撃されて、沈没。 島の、僅か数箇所の井戸は、軍の監視下に。 晴れた日が、十日も続けば止まるような山水が、 本当に僅かしか湧き出さない山の麓には、憲兵隊の監視詰め所ができ 兵隊さん以外は、入山禁止。 そんな過酷な状況下で、石炭の増産に幾ら励んでも、その石炭を運ぶ船が、いつの間にかなくなってた。 だけど、いつかはこの国には神風が吹く。 だから、どんな状況でも、この国は戦争には絶対負けない。 だが、人々の気持ちの中では、本当のところ絶対勝つとはぁ・・・・ だから、勝ちはしなくとも、負けはしなだろぅ・・・・ 島には、本土から取り残されたと想う諦めな感がぁ 何時かは、敵が上陸してくるだろぅ。 何時かは、全員玉砕なんだからぁ・・・・。 そんな島民の気持ちを逆なでし、殺すかもなと とどめを刺すような出来事が、起こりました。 長崎にも 落ちたっ! 新型で、広島の奴と同じらしいぃ・・・・? 「いけんとよ あげなもんで人ば殺すと いけんとよっ! 」 わたしの母は、恐い話をしてくれました。 幼かったわたしは、母の堪えきれずに少し上ずったような、 無理に押さえたような物言々に、ほんとうはどんな意味があるのか まったく理解していませんでした。 |
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或る日、母が恐ろしい事を話してくれました。 「ピカドンが破裂したとを観た人がおって、大きか火の玉が天まで昇たと 」 「ピカドンって? 」 「原爆たい 」 「なんで、ピカドンね?」 「ピカっと光って、ドンって凄か音がしとったけん 」 母はわたしたち家族の、衣類の破れやほころびを繕いながら言いました。 「かぁちゃん、見とったと?」 「見とったら、あんたは生まれてこんけん 」 「なんで? 」 「死ぬとよ あげんなもん見たら 」 「・・・・・なんで死ぬと? 」 母は繕いをしながら喋るのをやめ、わたしを暫く見ていました。 そのときの母の眼は、悲しそうな眼をしていた。 あのときの母の顔は、忘れられません。 「なんでん聞いてもわからんけん、ゆわんと 」 「ゆうてくれんとね? 」 それっきりでした。 返事は返ってこず、それまで優しそうな顔で針仕事に勤しんでいたのが 少し怒っているような表情で、今まで以上に繕いに精を出していました。 古くなってほころびた、わたしたちのズボンの布を縫ってた 布に刺した針を摘む、指先の動きが其れまで以上に早くなってました。 そのころ、私たち家族が住んでいました小さな島と、おなじ長崎県内でも 原爆が落とされた長崎市とは、子供のわたしがどんなに想像しても 思いも拠らないほど、かけ離れて遠かったんですよ。 そのはるかに遠い長崎市で、原爆が爆発してその光が島から見えた。 そんな噂話は、わたしが通っていました小学校の同級生の間でもありました。 「ピカドンが破裂しとったとき、大島から海の向こうば見とった人がおって聴こえたと 」 「なんば聴こえたと? 」 「破裂した音たい 」 「そぎゃん嘘ばゆぅとっとやろ 」 「ほんとたい、凄か音が聴こえとって、眩しか光が見えたゆうとった 」 「あとから、イッパイ怪我した人がこん島にも逃げてきたとよ 」 わたしはまだ幼すぎて、周りの級友たちの噂話が、よく飲み込めてはいめせんでした。 それでもなにか、凄い事を話題にしてるのは判っていました。 だから母に確かめていたんですよ、「ピカドン」 っという噂の真相を。 「かぁちゃん、ここもどげんかなったと 」 「なっとたら、全部なくなっとっと 」 「なんで? 」 「みんなもって逝くけん 」 「なんばね? 」 「全部たい 」 「何処かに行くと?」 「知らんでよかとこにたい 」 「何処ね? 」 「・・・・・○○ちゃん、ほんとうに知りたかと?」 母の眼は、今まで見たことも無いような、沈んだ悲しさ色でした。 目尻は、少し引き攣ったように攣り上がっていました。 ものゝ言い方は、有無を言わさぬような、とっでした。 「教えてくれんと?」 「地獄があったとよ 」 「じごくぅ?」 子供のころ、母から聞かされました。 この自分が住んでる島の中にも、地獄があったのだと。 あのとき、母から聞かされたことは、大人になっても わたしの躯の中からは消え去ったことは、ありませんでした。 八月が近づくと胸の中で、なにかが蠢き始めます。 いつのまにか、消せない劫火の最初の焔が、チロチロチロ っと。 消し忘れていた、何処かに隠れていた熾火が、知らずに静かに燃え広がり、 胸の中の逃げ惑う心などを、なにもかもを焼き尽くそうとしてるようなと。 そんな苛立たしい感覚が募ってきて、如何にも気持ちが制御できづに 頭の中の何処かで、何かが奔り出そうとしてるようで、心が騒ぎ出してきます。 ヤッパリ、もぉこのお話は、止めたほうがぁ・・・・・ |







