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昭和57年8月1日午後、台風10号が愛知県中部に上陸。本州を縦断して日本海へ抜けました。この台風、マーシャル諸島東方で発生して西よりに進み、小笠原西方で北向きに進路を変え、そのまま本州中部を縦断するという、若干変わった進路をとりました。
 
台風がまっすぐ北上する場合、その東側ではずっと南よりの湿った風が吹き続け、降水が長時間に及び、雨量が多くなります。
 
この台風の場合、愛知に上陸したため、その東側の山地すなわち南アルプス一帯や関東山地では降水量が多くなり、さらに台風通過後に低気圧が日本海を通過し、3日にかけて大雨が続きました。8月1日から3日にかけての降水量は、静岡県井川で850㎜、静岡県本川根742㎜、山梨県八町山で418㎜などとなっています。この大雨により、様々な被害が出ました。南アルプスでも多数の登山客がとり残されると言う事態にいたりました。
 
以下、当時の静岡新聞記事より。
 
大雨で大井川が増水し、8月1日未明、畑薙大橋が流されました。
 
この橋は、静岡県側から大井川源流部(南アルプス南部)に通ずる、唯一の自動車道です。また、山梨県側から大井川源流部にいたる登山道も崩落してしまいました。
 
このため、大井川源流部は孤立し、数百人の登山客がとり残されてしまいました。
 
一帯の山林と山小屋を所有するのは東海フォレストという会社。この東海フォレストの所有する二軒小屋から静岡市に救助要請が入ったのは、台風通過後の3日午前。当初は「200人が孤立」という情報だったようです。この時点で各山小屋の食料は1〜3日分であることが判明。市から県に情報が伝えられ、県は自衛隊に救助を要請。また、この日の午後に約50人が自力で下山。
 
天候の安定した4日午前、県と自衛隊のヘリコプター計4機が出動。ラーメンや乾パンなどの食料2日分を空輸するとともに、登山客を搬送。また、静岡市北部の山間部集落が孤立していることも判明し、そちらへも食料空輸を開始。
 
5日には自衛隊のヘリコプターがさらに投入され、計8機による救助活動が行われ、この日のうちに全員を静岡市街地にまで搬送する。結局、合計564人の登山客を救助。
 
なお、一連の救助期間中に、ヘリ発着場となった登山基地への移動中にけが人1名、川に転落2名(うち1人は行方不明)という人的被害も出たそうです。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇
 
さて、リニア中央新幹線は「南海トラフ大地震への備え」という位置づけにされているようです。
 
そのリニアの南アルプス横断長大トンネル群は、長さがおおよそ52㎞あります。一番長い中央のトンネルは約23㎞になるとみられます。ほぼ中央にあたる二軒小屋に、長さ数㎞の斜坑(工事短縮用の地上との連絡トンネル)が設けられます。
 
イメージ 1
 
「南海トラフ大地震への備え」という位置付けらしいので、大地震発生時を想像してみます。
 
地震発生直後、沿岸の地震計が揺れを感知すると、気象庁の緊急地震速報と同じシステムで走行中のリニア車両に緊急ブレーキがかかります。
 
全列車がいっせい停止すれば、運行本数(片側1時間6本)からみて、かならず1列車は南アルプス地下のどこかに停止します。上下線2本が停止するかもしれません。
 
すると乗客は、トンネル内を最長11〜12㎞も歩いて出口に向かわねばなりません(もっともトンネル自体が無事という前提ですが)。確率は低いでしょうが、片方の坑口が崩落した場合には、20㎞以上を歩かざるを得ない場合も想定されます
 
まず、このトンネル内での徒歩避難が無事に行えるかという疑問があります。リニアの定員は1編成あたり950人ほどですが、食料・水もなく、外部からの救助も届かず、さらに余震が頻発する中、それだけの大人数が十数キロも歩いて無事に出口まで歩けるのでしょうか?
 
また、停止位置や坑口付近の土砂災害によっては、先に述べた二軒小屋斜坑からの脱出を余儀なくされるかもしれません。JR東海自身、この二軒小屋斜坑は避難口として整備する方針だそうです。
 
この地上への避難だけで、最低丸1日はかかります。
 
出口に出てきても、そこは南アルプスの山奥です。それからどうやって”下山”させるのでしょうか?
 
青函トンネルや大清水トンネルのように、トンネル出口にバスを横付けすることはできません
 
こちらの国交省のページに、東日本大震災における、東北新幹線での乗客避難誘導の状況がまとめられています。
PDFファイルで2.4MBありますが、参考になるのでぜひご覧になっていただきたい。
地震発生時に営業運転中だった列車は13本、そのうち6本がトンネル内に停止しています。食料の供給は12時間以内に行われ、全員の避難所等への移動は24時間以内に終了しています。
 
南アルプスの場合、これは絶対に不可能です。
 
 
 
トンネル出入り口に通ずる道路は、いずれも深く険しい谷につけられています。大型車両の通行が困難なだけでなく、大地震直後にはこの道を使えなくなる可能性が高い。
 
となると、誰しもヘリコプターでの救助を真っ先に考えます。
 
先に述べた31年前の台風の場合、南アルプスで救助された人数は564人で、ヘリコプター4〜8機を用いて、救助そのものは2日で終了しています。
 
これを考えると、10機くらい投入すれば、同様に2日ほどで救助が終わりそうに見えます。
 
しかしながら、これは「平時」の場合です。
 
「大地震の直後」という場面を想像してみると…。
 
警察・消防・自治体・自衛隊といった公的機関のヘリコプターがまず先に行わねばならないのは…
常識的に考えて
 
状況把握
迅速な救助
けが人の広域搬送
消火活動
といったところでしょう。
 
台風での事例の場合、静岡県内の南アルプス以外の地域でヘリコプターが救援に使われたのは、静岡市山間部の1集落だけです。しかし南海トラフの大地震の場合、都市で火災が多発することが予想され、伊豆半島、紀伊半島、四国南部など津波の被害を受けやすい地域もたくさんありますし、山村で孤立する集落も続出するはずです。
 
静岡・山梨・長野のみならず全国からヘリコプターが大量投入されるでしょうが、震災直後は、いくらあっても足りないぐらいでしょう。
 
果たしてリニアの乗客を救助しに行く余裕があるのか?
あったとして優先度はどれくらいか?

ヘリコプターでの救助を想定するのなら、数日後になるケースを想定しておくべきではないかと思います。
 
しかし「数日間」山奥に孤立するとなると…
 
台風での事例の場合、夏場であったという条件を忘れてはなりません。夏場だったからこそ、山小屋が営業していて数日分の食料があり、燃料があったわけです。南アルプスという場所柄、登山客もそれなりの装備をしていたはずです。だから、ヘリコプターが向かうまで2日間は孤立していても無事だった。夏場ゆえ、台風通過後には天候も安定し、救助活動は迅速に行えたわけです。
 
これが冬や春だったら…山小屋は閉鎖されてますから、トンネルから脱出した950人の食料はありません。氷点下10度以下の世界ですが、乗客は普段着であり、自分で薪でも集めない限り、暖を取ることもできない。
 
さらに3000m峰に囲まれているため、天候の安定しない冬や春先には乱気流が起こり、梅雨時は霧に覆われ、ヘリコプターも近寄りがたい…。
 
どうするつもりなのでしょう?

ヘリコプターを当てにできない場合には、地上から救助隊を編成して救助に行かねばならないわけですが、すぐに駆けつけることが可能なのでしょうか?
 
飯田や甲府の駅に何人のJR東海社員がいて、そのうち何人が南アルプス山奥に孤立した乗客の救助に振り分けられ、どのくらいの時間でトンネルまでたどり着けるのか…?
 
応急的な道路の復旧、歩道の確保、あるいはザイルの使い方、渡渉技術、けが人・急病人の応急手当など、特殊な技術も必要かと…。
 
シロウト考えですが、南アルプスからの避難は、JR東海自社による乗客避難誘導の限界を超えてるんじゃないかと思います。
 
「避難の困難な鉄道路線」
それは社会全般から見て「災害リスク」と言うのじゃないのかな?
 
「そんな悪い方向ばかりに考えるな」という考えをお持ちの方もおられるかもしれません。
 
しかし、「南海トラフ大地震への備え」という位置づけである以上は大地震を想定しなければならない。
 
さらには、乗客の避難誘導という観点からでは、現行の東海道新幹線のほうがはるかに優位・安全であると思われます。線路はどこも人々の生活圏内ですし、長大トンネル−日本坂トンネル、興津トンネル、由比トンネル、新丹那トンネルなど−にしても、出口から10分も歩けば幹線道路にたどり着く…。このような視点で物事を考えずして、何が「南海トラフ大地震への備え」なのだろうと思うのであります。
 

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