平成二十七年 2015 十一月 〇四日 「水曜日」

        ≪ 悪魔相応 ≫

   16  七年

                             南伝 相応部経典 四、二四、七年
                             漢訳 雑阿含経 九 二一、七年 
 斯様に私は聞いた。(如是我聞)
 或る時、世尊は、ウルヴェーラー (優留毘羅) 村のネーランジャラー (尼連禅) 河の畔為るアジャパーラ・ニグローダ (阿ジャ波羅尼倶律陀) の樹下に留まって居られた。

すると、其の時、其れ迄七年の間世尊に付き纏って、如何しても付け込む隙を得無かった魔羅は、亦世尊に近付いて、ゲを以って世尊に語り掛けた。
 「汝、林中に在りて沈思するは
 そも悲しみに沈めるにや
 富を失いてうなだれるにや
 何ぞ村人に悪事を為せるにや
 何故に人人と交わりを為さざるにや
 汝には友と為すべき者の在らざるにや」

 〔世尊は仰せられた〕
 「全て悲しみの根を掘り除き
 我に罪無く、悲しみも無い
 迷いの生は全て尽きたり
 汝、放逸の輩よ
 我に、迷い無くして禅思する也」

 〔悪魔は言った〕
 「是は <我が物> と言い
 其れは <我が物> と言う
 若し汝の心其処に有らば
 沙門よ
 汝は未だ我因り脱れず」

 〔世尊は仰せられた〕
 「是を <我が物> と言わず
 其れを <我が物> と言わず
 悪魔よ、其の様に知るが善い
 汝は我が行く道を見る事値わず」

 〔悪魔は言った〕
 「彼の安穏不死へ到る道を
 汝若し証れりと言う為らば
 去れよ、汝一人行けよ
 何の為に他人 (ひと、読む) に教うるや」

 〔世尊は仰せられた〕
 「彼岸へ趣かんと願う者
 我に不死の国の事を問わん
 問われて我は、彼等に
 *最早後有 (ごう、と読む) 無き涅槃を説かん」

 〔悪魔は言った〕
 「大徳よ、例えば、村或いは町から遠からぬ処に蓮池が在る。其処に一匹の蟹が住んで居た。大徳よ、其の時、大勢の少年や少女が、其の村或いは町から遣って来て、其の池に到った。そして、彼等は、其の蟹を捉えて陸に上げた。大徳よ、其の蟹が剪みを振り立てると、彼等少年や少女は、木の片れや小石を以って、其れを叩き壊して終う。斯くして、大徳よ、其の蟹は、其の剪みを悉く叩き壊され、再び池に入る事も出来無い様に為った。丁度其れと同じ様に、今私は、是迄の、どんな無法も、奸策も、曲計も、皆んな世尊に拠って、叩き壊され、叩き潰されて終って、最早、隙を狙って世尊に近付く事は出来無く為りました」

 そして、魔羅は、すっかり気落ちして、世尊の許に於いてゲを歌った。
 「彼の脂肪 (あぶら、と読む) にも似たる石を見て
 おお、此処に軟らかき物を得ん
 おお、此処に甘き物を得んと
 鳥は空より舞い降りしが
 其処に甘き物を得ずして
 空しく空に飛び去れり
 其の石を襲いし鳥の如く
 我は落胆してゴータマ (く曇) 拠り去る」

 斯くして、悪しき者魔羅は、世尊の御許に於いて、気落ちせるゲを歌うと、其の場を去り、世尊拠り程遠からぬ地上に趺坐すると、黙然とし、悄然として、肩を落して下を向き、物思いに沈み、途方に暮れて、杖で地上に何か書き乍ら坐して居た。

注解
 「悪魔相応」 の最後に 「七年」 (パーリ語及び英訳語を略す) と題する経を取り上げる。
 其れは、釈尊が大覚成就の後、尚暫く、ウルヴェーラー (優留毘羅) のネーランジャラー (尼連禅) 河の畔の樹下に住して居られた頃、其の胸中に点滅した思いを、悪魔説話の文学形式を以って描き出したもので有る。
 其の成立は、恐らく、やや後事のもので有ろうと推測せられるが、尚、其の中には
、仏伝の資料として極めて重要なものが存して居る。
 例えば、第三の問答のゲは、其の時、釈尊の胸中に、説法の問題が初めて課題として上提せられた機微を語って居るので在る。

 *最早後有無き涅槃 (パーリ語及び英訳語文を略す)
  此処は、些か、意訳をした。原文の儘に訳する為らば、「全ての終わり、即ち、最早再び生まれる基盤の無い処」 と言う程の意で有るが、其れが即ち涅槃の境地なので在る。

+ 本日は、此処迄に致します。御読み下さいまして、有難う御座居ました。

  南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛  合掌 禮拝致します。

                  平成二十七年 2015年 十一月 〇四日 「水曜日」
 平成二十七年 2015年 十一月 三日 『文化の日』 (前の明治節) 「火曜日」

        ≪ 悪魔相応 ≫

    15  統治

                             南伝 相応部経典 四、二〇、統治
                             漢訳 雑阿含経 三九、一八、作王

 斯様に私は聞いた。(如是我聞)
 或る時、世尊は、コーサラ (拘薩羅) 国のヒマヴァンタ (雪山) 地方の、森の小屋に住して居られた。

 其の時、世尊は、独り坐し、静かな思索の中に在って、此の様な思いを起こし給うた。
 「統治と言う事は、人を殺す事も無く、人を害う事も無く、或いは、勝つ事も無く、勝たしめる事も無く、或いは又、悲しむ事も無く、悲しませる事も無く、法の如くに為す事は出来無いもので在ろうか」

 其の時、悪しき者魔羅は、世尊の思う処を知り、世尊の許に到って言った。
 「世尊よ、世尊は自ら統治仕給え。世尊自ら、人を殺す事も無く、人を害う事も無く
、或いは、勝つ事も無く、勝たしめる事も無く、或いは又、悲しむ事も無く、悲しませる事も無く、法の如くに統治仕給うが好い」

 「悪しき者よ、汝は一体何を以って、其の様な事を言うので在るか」
 「世尊よ、世尊は*四つの如意足を修め習い、恰も自分の乗用車の様に思うが儘に為し、恒に行い、慣れ親しんで、自由自在で在る。若しも世尊が、山王ヒマヴァンタを黄金に仕様と決意為されば、彼の山も黄金と為るで在ろう」

 〔世尊は、ゲを以って仰せられた〕
 「彼の雪山を化して黄金と為し
 更に其れを二倍に仕様とも
 好く一人の慾を満たす事を得じ
 斯く知りて、人人よ正しく行なえ
 善く苦と其の原因を観る人は
 如何でか欲愛に傾くべき
 其は此の世の繋縛 (けばく、と読む) と知りて
 寧ろ其れを解かんと学ぶが善い」

 其の時、悪しき者魔羅は、「世尊は、「私を知って居る。世尊は私を見抜いて居るのだ」 と、苦しみ萎れて、其処に其の姿を没した。

注解
 此処には 「統治」 (Rajjam=英訳語を略す) と題する経がある。
 釈尊の胸中にも、不図政治の事が閃いた事が有ったらしい。

*四つの如意足 (cata‐ro iddhipa‐da‐=英訳語を略す)  人間の精神を自由自在にする四つの力を言う。漢訳では、亦、四神足とも言う。其の詳細に就いては、第三巻 「実践の方法 (道) に関する経典群」 の中の 「如意足相応」 を参照され度い。

+ 本日は、此処迄に致します。御読み下さいまして、有難う御座居ました。

  南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛  合掌 禮拝致します。

  平成二十七年 2015年 十一月 三日 『文化の日』 (前明治節) 「火曜日」
                   平成二十七年 2015年 十一月 二日 「月曜日」

        ≪ 悪魔相応 ≫

   14  団食
                            南伝 相応部経典 四、一八、団食
                            漢訳 雑阿含経 三九、一五、乞食

 斯様に私は聞いた。(如是我聞)
 或る時、世尊は、マガダ (摩掲陀) の国のパンチャサーラー (五葦) と言う婆羅門村に留まって居た。

 其の時、丁度、其のパンチャサーラー為る婆羅門村では、若い男女が互いに贈り物を取り交わす祭りが有った。

 其の時、世尊は、朝早く、衣を着け、鉢を取って、托鉢の為に、パンチャサーラー為る婆羅門村に入った。

 だが、其の時、其の村の婆羅門の家主達は、「沙門ゴータマ (く曇) は食を得無い様に」 と言う、悪しき者、魔羅に取り付かれて居た。

 だから、世尊は、托鉢に行った時の儘の、清らかに洗った鉢を抱えて帰らねば為らなかった。

 其の時、悪しき者魔羅は、世尊の許に到り、世尊に言った。
 「沙門よ、食を得たか、如何か」
 「私が食を得無い様に、汝悪しき者がしたでは無いか」
 「では、世尊よ、もう一度パンチャサーラー婆羅門村に入られるが好い。さすれば、今度は私が、食を得られる様にして上げ様」

 〔世尊は、ゲを以って仰せられた〕
 「悪魔よ、汝は如来を悩まして
 既に悪徳を生ぜ占めたり
 汝悪しき者よ、此の悪は
 実を結ばずと思うや如何に
 されど、得る処無くとも
 見よ、我等は楽しくも住む
 例えば、彼の*光音天の如く
 我等は喜びを食として生きん」

 其の時、悪しき者魔羅は、「世尊は私を知って居る。世尊は私を見抜いて居るのだ
」 と、苦しみ萎れて、其処に其の姿を没した。

注解
 此処には 「団食」 (Pindam=a lump) と題する経が有る。托鉢に入れられた一塊の食物を言う言葉で有る。然るに、此処では、釈尊は、全く其の食を受ける事が出来無かった。其の日の心事を、悪魔説話として叙したもので有る。

*光音天 (パーリ語及び英訳語を略す) 無上の愛を象徴する神々の一群。喜びを食とし、語れば其の口拠り清き光を放つと言う。

+ 本日は、此処迄に致します。御読み下さいまして、有難う御座居ました。

  南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛  合掌 禮拝致します。

                  平成二十七年 2015年 十一月 二日 「月曜日」
                    平成二十七年 2015年 十一月 一日 「日曜日」

        ≪ 悪魔相応 ≫

   13  処

                            南伝 相応部経典 四、一七、処
                            漢訳 雑阿含経 三九、二三、入処
 斯様に私は聞いた。(如是我聞)
 或る時、世尊は、ヴェーサーリ (毘舎離) のマハーヴァナ (大林) 為る*重閣講堂に在しました。

 其の時、世尊は、六蝕処、(そくしょ、と読む) 即ち六つの人間の感覚の成立に就いて、比丘達の為に法を説き、教え、励まし、心喜ばしめて居た。彼等比丘達は、其れを善く理解し、思惟し、心を専らにして、耳を傾けて聞いて居た。

 其の時、悪しき者魔羅は、斯様に考えた。
 「今沙門ゴータマ (ク曇) は、比丘達の為、六蝕処に就いて説法し、教え、励まし
、歓喜せしめて居る。又、彼等比丘達は、其れを善く理解し、思惟し、心を専らにして
、耳を傾けて聞き入って居る。私は、彼等の眼を晦まさんが為に、沙門ゴータマの処に行こう」

 斯くて、悪しき者魔羅は世尊の許に到り、世尊に遠からぬ処に於いて、大いなる、恐ろしい声を揚げた。其れは恰も大地の裂けるが如くで有った。

 其れを聞いて、一人の比丘が一人の比丘に語って言った。
 「おい、おい、是は丸で大地が裂ける様では無いか」

 其れを聞いて、世尊は、其の比丘に仰せられた。
 「比丘よ、あれは大地が裂けるのでは無い。あれは、汝等の眼を晦まそうとする悪しき者魔羅なのだ」

 そして、世尊は、其れを悪しき者魔羅だと見抜いて、ゲを以って語り掛けた。
 「色 (物体) も声も香も味も
 若しくは触 (感触) もはた法 (観念) も
 全て此の世の恐るべき餌 (えさ、と読む) にして
 其処に到って人人は惑う
 されど、仏陀の弟子達は
 正念にして此の餌を見抜き
 遙かに悪魔の領域を超えて
 太陽の如く輝く也」

 其の時、悪しき者魔羅は、「世尊は私を知って居る。世尊は私を見抜いて居るのだ
」 と、苦しみ萎れて、其処に其の姿を没した。

注解
 此の経は 「処」 (A‐yatana=spot) と題せられる。六処に就いての悪魔説話で有る。其処では、釈尊が、六触処即ち六つの感覚の成立に就いて法を説いて居た。
 其処に悪魔が現われて妨害仕様とする。其れを断乎として却ける釈尊のゲが其の結語で有る。

*重閣講堂 (パーリ語及び英訳語文を略す) 尖塔の在る講堂で在ったらしい。

+ 本日は、此処迄に致します。御読み下さいまして、有難う御座居ました。

  南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛  合掌 禮拝致します。

                  平成二十七年 2015年 十一月 一日 「日曜日」
                  平成二十七年 2015年 十月 三十一日 「土曜日」

        ≪ 悪魔相応 ≫

12  鉢
                             南伝 相応部経典 四、一六、鉢
                             漢訳 雑阿含経 三九、二二、鉢
 斯様に私は聞いた。(如是我聞)
 或る時、世尊は、サーヴァッティー (舎衛城) のジェータ (祇陀) 林為るアナータピンディカ (給孤独) の園に在しました。

 其の時、世尊は、*五取ウンに就いて、比丘達の為に法を説き、教え、励まし、心喜ばしめて居た。彼等比丘達は、其れを善く理解し、思惟し、心を専らにして、耳を傾けて聞いて居た。

 其の時、悪しき者魔羅は、斯様に考えた。
 「今沙門ゴータマ (く曇) は、比丘達の為に、五取ウンに就いて説法し、教え、励まし、歓喜せしめて居る。又、彼等比丘達は、其れを善く理解し、思惟し、心を専らにして、耳を傾けて聞き入って居る。私は寧ろ、彼等の眼を晦まさんが為に、沙門ゴータマの処に行こう」

 其の時、丁度、鉢を乾かす為に、沢山露天に並べて在った。すると、悪しき者魔羅は、牡牛に化けて、其の鉢に近付いた。

 すると、一人の比丘が一人の比丘に語って言った。
 「おい、おい、あの牡牛は鉢を破って仕舞うぞ」

 其れを聞いて、世尊は、其の比丘に仰せられた。
 「比丘よ、あれは牡牛では無い。あれは、汝等の眼を晦まそうとする悪しき者魔羅なのだ」

 そして、世尊は、其れを悪しき者魔羅だと見抜いて、ゲを以って語り掛けた。
 「色 (肉体) も受 (感覚) も想 (表象) も
 はた又行 (意志) も識 (意識) すらも
 そは我に非ず我所に非ず
 斯く知りて我等は貪著 (とんじゃく、と読む) せじ
 貪著せざるが故に心平らかに
 全て煩悩の惑わしを超ゆ
 其の人を如何に惑わさんとするも
 魔軍は終に彼を見出し得ぬで有ろう」

 其の時、悪しき者魔羅は、「世尊は私を知って居る。世尊は私を見抜いて居るのだ
」 と、苦しみ萎れて、其処に其の姿を没した。

注解
 此処には 「鉢」 (Pattam=bowl) と題する経が有る。比丘が托鉢に持つ鉢で在る。釈尊は、五取ウン即ち人間の煩悩を掻き立てる五つの要素仁就いて説法して居た。其処に悪魔が現われて、露天に乾した鉢を毀そうとしたと言う。其れを見破って説かれた釈尊のゲが其の結語で有る。

*五取ウン (パーリ語及び英訳語文を略す)  人間が其の存在に取著する五つの要素と言う程の意で有る。

+ 本日は、此処迄に致します。御読み下さいまして、有難う御座居ました。

  南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛 南無釈迦牟尼佛  合掌 禮拝致します。

                 平成二十七年 2015年 十月 三十一日 「土曜日」

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