流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

動きが見え難い

 最近、日経流通新聞にしても、あるいは飲食にかかわる専門誌あるいは一般の雑誌類にしても、トピックになるような話題がかつてとは比べものにならないくらいに減っています。
 ちょこちょこした話はそれでも沢山はあるのですが、潮流になるような大きな動きは見当たりません。ある店の試みとか、あるシェフなりの取り組みとか、そこそこ数はあっても話題は小粒です。

 底流に何があるのかが、私のように年をとって、感度が鈍くなっていると、全然、分からないなぁ・・というのが最近の心情です。
 これは今日は外食で書いていますが、流通全体についても同じです。そういう意味ではブログの閉鎖が近づいているというべきなのでしょう。

 しかし私の感性の衰えだけでは無いのでしょう。全体の関心がこの分野から退いている感覚があります。小さな話題の中でも、これは行ってみよう、食べてみようという意識が昇ってこないのです。多分、多くの読者もそうではないでしょうか。

 ではネットではどうなのか。これはというサイトなり、発信する誰かを見つけることができないのです。インスタ映えばかりが中心で、情報が少ない。

 これはなかなか私にとって深刻な事態です。

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工場の哲学

 随分、昔の本なのですが、ずっと取っておいたもので、たまたま読むものが無かったので、手にとって時代の変化を強く感じました。

 何が違うかというと問題の設定です。未来論が流行していたのでしょう。1960年代も初めの頃です。話はオートメーションであったりします。労働、当然のように工場労働なのですが、それが問題設定になっています。

 時代は大量生産大量消費であり、共産主義では無いので疎外論ではありませんが、それにしても制御技術について延々と書かれていたりします。工程の分割とか分業とか組織とか、そんな話があり、ある意味では懐かしいのですが、何かひどく仰々しく、「哲学」として語ろうという気負いが痛々しく感じられるところもあります。

 こんなことを語る人は今では学者でもいないでしょう。マルクス主義をやっている人でも、もはや語りようもないものになってしまっています。

 真面目に議論することは、今でもいろいろな分野でありますが、例えばAIとか、ロボットとか、生命に絡む話、あるいは医療とか介護とか、そういうものが時として、現実から離れて観念だけで議論される場合に、何かもっともらしい、あるいは危機感を煽るような、そんなものが数年を経ずにして、まったく何の意味もないものになってしまう。

 この本も長く本棚に眠っていたものですが、感銘することがあったらこそ、棚に収まっていたのでしょうが、時代は容赦なく無意味化して行くことに、ある種の感慨を覚えないではありません。
 

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大企業

 先日、大手メーカーの展示会に行ってきました。最近、物流分野に進出したらしく、講演会もセットになっていたので、最近、物流フェアに行き損ねていたので、参加しました。

  B to Bに慣れていないからなんでしょうが、講演会の半分以上が、よく知っている業界の現状について消費されました。何でこんな話を長々と聞かされなくちゃならないのか、そんな感じでした。
 そして結局のところは、搬送ロボットの性能しか、残るものはありませんでした。最近、ここらの評価は聞いてないので、何とも言えませんが、まぁまぁのものなんじゃないかと思いました。

 それにしても苦しいというか、脱皮するのが大変なんだろうなぁ、という印象の濃いもので、大企業なるが故の苦しさに満ちていたように思えました。
 こういう場でも、若い者を演壇に立たせないところも、あるいは外部からの新しい血を入れることも、日本の古くからの大企業だと難しいのだろうと思わないではありません。

 はっきり言って、つまらない会でした。やはり一企業の、しかも消費者相手のメーカーでは、それが如何に大手でもフェアとして成り立ち難い。
 本人達にとってみれば先端なのかもしれませんが、世の中的にはちっとも先端では無いところが見えないのでしょうか。こんなリタイアして久しい爺にこんな風にしか見えないのでは大いに問題でしょう。

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