流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

商業の爆発的発展 38

 多量の小売と問屋、零細な商業がどちらにも存在するという状況は、今では想像し難いものであるでしょう。それでも問屋の方が少し規模が大きいですが、今残る大手問屋が零細な小売商と取引した事はごく特別な例を除けばあり得ません。

 問屋もメーカーに近い方から一次問屋、二次問屋があり、地方によっては三次卸から仕入れるケースもありました。生鮮食品の場合は産地側も集荷業者の段階が一二あるのが普通で、それも加工用に集荷する業者やら、業務用の問屋があるなど、生産者に向かい合う業者も多様でした。

 このように流通は長大で、複雑であり、問屋も零細ですから、自身で品揃えができない商品は仲間取引で融通しあうということが何の抵抗も無く行われていました。
 特にこの時代では営業マンの個人能力に頼る事が多く、極めて属人的で組織なんてものは無い状況ですから、会社の上の方の人は何がどうなっているか、あまり把握もしていない、そんな時代です。

 このような流通は非常に高コストであり、品質も危うい場合も少なくありません。安かろう悪かろうが常識ですから、流通に携わる人間は目利きでなければならず、熟練の技を必要とし、人間関係も堅密でなければ商売が巧く回らない状況です。

 こういう中に初期のスーパーは参入して行く訳で、手ひどい目に遭うのは当たり前でした。

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商業の爆発的発展 37

 さて駅前商店街の話です。既にスーパーやショッピングセンターの成功の要因の一つとされるワン・ストップ・ショッピングの魅力と言っても、専門店街がほぼ崩壊状態にある中では、もはや分かり難い時代です。ですから、商店街を再現すると言っても、見たことも無い若い方々には、なかなか難しい話になります。変化の激しさを痛感します。

 以前に書きましたように同業種の店が駅前商店街の中に多数存在しており、激しい競争を行っていました。価格であり品質であり品揃えが、それぞれに違っており、特徴を訴求し、サービスを巡っての競争がありました。

 ほとんどの店は八百屋なら八百屋で、ほぼ同規模でした。飛びぬけて規模の大きいというのは、あまり多くない。今日の方が規模の格差は大きく、大型のスーパーの売り場面積と中小の小型スーパーとは、あまりここらは正確な話は分からないですが、比較的品揃えの差が小さい食品売り場でも3倍から5倍くらいあるのじゃないでしょうか。

 というのも従業員をそれほど多く雇う事は何しろ個人商店に毛が生えたくらいなものですから、数人いれば多い方で、だいたいが家族総出、親戚の子が混じるくらいでしょうか。かつて集団就職があった時代、昭和30年代から40年代くらいまででも、初期は商店への就職もありましたが後半には工場に就職するのが普通になりますから、従業員を雇用すると言っても、なかなか求人を出す場所、今日でいえばハローワークということにもなりますが、社会保証もろくろくありませんし、非常に多くがすぐ辞めてしまう。雇用を安定させる事ができません。

 このように従業員が雇えないという事は事業に限界があり、零細な規模に留まることになりました。つまり店を大きくしようにも、お金はあっても、能力の限界で、それほどできない。ですから同じような規模になってしまうところがありました。

 それでも商売の巧い下手というのは結構差を生むものですし、何十年もそこで商売している人と、昨日今日、商売を始めた人との差は非常に大きなものです。これは仕入れ先にも当然のように大きな影響を与えるものです。

 仕入れはほとんどが問屋からになり、近隣の同業者と同じ問屋から仕入れたら、原価が丸見えで、商売を見透かされてしまいますから、問屋も小売と同じように大量に必要というか、新たな参入が可能であった事です。問屋同士の競争も苛烈なものとなります。

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商業の爆発的発展 36

 岡本哲志「江戸→Tokyoなりたちの教科書」を読んでいたら、闇市や駅前商店街の話が書かれていましたので、参考までに紹介したいと思います。文章はいじりました。

 闇市では長屋形式のバラックの中央に路地を通して店を回遊する形式であること。路地の道幅は江戸の屋台、明治以降の露天商の知恵から生まれた身体感覚的なものであること。狭い路地が重なるように人々が往来することで賑わいを呼ぶ場となったことが書かれています。

 道幅は多分、そういうことなんでしょうが、市場の仲卸売場、中でも築地市場あたりは、相当に近似しています。すべての店が商品を張り出して展示していますから、実際の道幅よりも、はるかに狭いもので、だいたい大人が行き帰ができる程度で、市場だとターレ、商店街の中というか、ショッピングセンターの中の通路という方が分かりやすいでしょうが、せいぜいなところ台車が通るギリギリくらいです。

 欧米のスーパーなどでは、フォークリフトが通るくらいに広いのですが、世界的には例外的で、アジア諸国にしろ中近東にしろ、だいたいが我が国くらい狭い。欧米でも市場あたりは随分狭い。
 ここらの身体感覚は結構難しいものです。特に物流絡みでは、トラックも入ってきていますから、人と人との身体、つまりは賑わいを演出するものと、如何にして人手をかけずに高速に商品を動かすかという問題があって、賑わいを優先すれば人件費がかかるという問題になります。

 銀座商店街については、昭和30年代の半ばくらいに○○銀座、銀座○○商店街と称したものは全国に491あり、中でも都内は109もあったそうです。

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