流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

付加価値の配分 8

 中間流通、問屋業が流通の付加価値の大きな部分を享受していた時代は、近世から昭和の30年代、つまりスーパーが登場して付加価値の大きな部分を強奪するまでの長い期間がそれに当たります。つまりは商業史そのものに、ほぼ該当する事になります。

 欧米ではどうであったのか、他のアジア諸国、特に中国ではどうであったのか。実は時期こそ違っていても、それほどの差は無かったのではないかと思われます。問屋業あるいは我が国の分類的には海外交易を主体にするなら商社ということにもなりますが、これも別に差がある訳ではありません。

 商業史においては小売業が大きく発展してくるのは商品経済の発展、中でも産業革命以降の大量生産大量販売が登場し、それが家庭消費の製品分野にまで達した段階、20世紀に入ってのアメリカから始まるものだからです。

 そう考えると、現代の流通環境がまだ、未整備で未熟なもの、持続的発展を支えるものでない理由も、歴史の浅さと捕えることも可能かもしれません。

 商業史をおさらいする必要は無いでしょうから、江戸中期を中心に、問屋業が隆盛を極める中で、どのように変化して行くのかを考えてみたいと思います。

 私事ですが、他で書いていますが、ブログの更新がかなり大変な時でして、更新がま遠になることもあろうかと思いますので、よろしくお願いいたします。

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付加価値の配分 7

 付加価値の配分が小売に偏っているという状況を端的に示すのが本社・本部の姿です。イオンにしろ、セブン&アイにしろ皆、立派なビルの中にあります。こんなに必要なのかと思うほどの人が勤務しています。

 つまりは象徴的な意味合いも濃くありますし、納入業者を圧倒する迫力に満ちています。では納入業者の方はどうかと言えば、メーカーはともかくとして、卸や問屋で、あれだけ立派なビルに入っている業者を見ることはまず無い。勿論、大手商社を並べれば、そうでもないでしょうが、しかし彼らの取引先でスーパーが主力になっている例はないでしょう。

 商社・問屋でスーパーを取引先として巨大化した例は、あまり多くはありませんし、いくつかはありますが、依存度の高さから、利益率の低さもあり、厳しい経営を強いられている例が多くあります。まぁまぁ頑張っているところもありますが・・・大変だなぁという思いを強くします。

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Amazon Go

 IT化による新たな店作りがアメリカ、そして中国で始まっているようです。アメリカはAmazon Goですし、中国は日経XTRENDの12億人が支える画像認識AIの記事からです。

 いづれもスマートフォンを利用し、レジの清算を省略していること、棚から商品をチョイスした所でスキャンしたのと同じ効果があり、中国の事例では、スマートフォンが無いお客には画像認識ソフトを使って本人を確定するという買い物を非常に簡便化する仕組みを作っている事です。

 自販機を極限化する、一切の無駄を排除したような仕組みです。でもこれ商売と言えるものなのか? という話に行きつくものです。確かに商品の供給を受けるという意味では、消費者にとって一切の面倒が無い仕組みに見えますが、商売というのはコミュニケーションで成り立つものです。

 コミュニケーションはスマホ等のネットワーク機能を使うことなんでしょうが、なかなかどうなるのかという部分もあります。

 現代の世相というのは、とことん対人接触を嫌がる方向にきているなと思うのですが、人を介する事での安心感とか、個別分析的に捕えた形での買い物が大部分であるにしても、例えば、私が今一番苦労するのは、母親の下着を買わなければならない事態の中で、名前も分からない、何が良いのかを考える材料もない、いったい価格が普通なのか、高いのかも、ともかく全然分からない中で、どうするというと、やはり店員が要るのです。

 高級品でも何でもない、日常的な安い商品を1つ2つ買うのに、ネットで調べ、店頭にいて何処にあるかを調べる、それもまったく買ったこともない、そんなに大ぴらに他人に尋ねることもできない。

 こういうの結構、大変です。つまり非常に先端的な店舗が大きな割合を占めていくにしても、それ以外の店も必要であるという以上に、誰かが支えていかないと、専門店がほとんど消滅してしまったように、旧来型の店舗をどのようにして残すのか、そういう全体像が必要になってきているのです。市場原理では商業すらも、首が締まる時代が来ていることを感じます。

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