流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

現代商業 7

 市場という形で複数の眼で商品なりサービスを確認し、需給状況を踏まえながら、相場が形成され、それが定着するというプロセスが、旧来の商業では必須条件であった訳ですが、現代流通は市場を経由しないで、直接、生産者と消費者が結び付く中で取引が成立する。

 ここでの信頼は生産者側、もしくはその代理者が提供する仕様であり、提示する価格です。それを受け取る消費者、需要側はその内容を吟味し、ネットを通じた評価を収集し分析した結果として購入を決定することになります。
 そこでは供給者の情報が正しい、確実に納品されるという保証が必要になりますが、供給者の“評判”が唯一の判断材料になります。
 その一方、供給者側は注文が本当の注文であるのか、受領後にクレームなどを決めつけるなど、確実に料金を回収できるかの不安を抱えながらの取引になります。ここでも注文主の“評判”が判断材料になります。

 この評判自体もネット上にあり、ネットの依存度が非常に高い特徴があります。

 これらは従来の取引であれば、商人という専門家による保証というリスクテイクに拠って成立していた訳ですが、現代の流通は末端側の負担が確実に増大しました。

 商人という専門家は、現代流通の世界では、かつてのように情報を独占する力もなく、流通する商品の知識も不十分になっているという時代背景もあります。大型商品になれば商店に行っても展示される商品には限界があり、結局のところカタログから選ぶ、メーカーに問い合わせしなければ分からないということになれば、通販の方がよほど便宜性が高いという実態もあります。

 商人たちもかつてのように自分達の手によって最終の商品化を行い、パッケージしていたとは異なり、商品を右から左に流すだけということでは、商品に対する知識も貧弱にならざる得ないということも非常に大きな原因です。

 そういう意味では、かつてのような商業が再び復活するという事はあり得ないということも分かるでしょう。かつてのように売り手と買い手が向かい合い、コミュニケーションをしながら、互いに相手の事情を見計らいながら、如何に有利な取引ができるのか、そんなことが成立する世界は焼失しつつある。そういう取引が成立するのは非常に限られたものになりつつあります。

この記事に

現代商業 6

 流通を生産地・生産者から消費地・消費者までの一つのパイプと考える、一連のシステムとして捕えていく考え方と、市場という価値を賦与する機能を焦点として、価値の伝搬という見方があります。

 前者の考え方はこれまで述べてきましたから、市場を焦点とした見方から考えてみます。従来型の流通は各段階ごと、原料段階、製品出荷段階、中間流通段階、消費段階にそれぞれ市場があり、市場の連鎖として流通を考えることができました。
 つまりそれぞれの段階ごとに流通する商品の品質評価、需給バランスの中で価格が存在していました。市場の形は皆さんがよく知っているような卸売市場もありますが、小売の世界では競合他社の比較を通じて、相場があり、それを巡って凌ぎを削る形もあり、生産者もまた、全国的な需給の中で、自身のポジションを探る形での価格を追求する形です。
 取引は競りは珍しく相対取引が流通の大部分を占め、基本的にプロ同士、しばしば参加要件の限られた人間同士が商品特性、生産特性、消費特性をみながら相場を形成していく中で商品が流通して行く。

 これに対して現代のネットを通じた商取引の末端は、amazonにしろ、yahooオークションにしろ、その他もろもろの通販サイトでは「相場」は存在せず、参加する当事者が了承するならば、取引が成立するようになっています。
 勿論、参加者は他の同様商品の比較があり、違う主催者のネットを見る訳ですが、当然のようにプロではありませんから、比較対照する範囲はごく限られたものになります。

 取引の効率性からみると、家や会社で自分の好きな時間に商品を見る、それもかなり大量の商品を比較検討できるという点ではリアル店舗よりも優れた側面がありますが、ネット上に上がった商品で売れるアイテムというのは、amazonのように膨大な消費者を抱えるサイトにおいてすら、それほど多いとは言えそうにもないなと感じています。
 つまり出品者側の労力は、出品から料金回収まで全体でみれば、リアル店舗よりもはるかに大きいと感じます。

 にも拘わらずネット取引が進展するのも、商品の種類が益々増大しており、リアル店舗では置ききれない、管理限界をはるかに超えてきていることが主因ではないかと思います。

 この話はもう少し続けます。
 

この記事に

現代商業 5

 この変化の行方は10年も経てば、過去形になり、完成形として学者にも、誰にでも見える形になり、当然のものとして受け容れられるのでしょう。それが現在では、何も見えないところの凄みがあります。

 しかもこの変化は日本だけではなく、それも先進国特有のものでもないという特徴があります。スマートフォンによる決済が強度に進んでいるのは、偽札が多く、信用機能もぐちゃぐちゃの、縁故頼りの中国やアフリカあたりが最も進んでいるという報道があるくらいです。

 つまり伝統的な商業も、流通も発達していなくてもネット環境と物流システムがあれば、できてしまう、動いてしまうところがある。それも別に国の中にそのネット企業が無くても十分に成立してしまう。新たな時代が始まっている。中古品だろうが、流行遅れ品だろうが、最新のファッション製品だろうが、同時に流通できる。かつてのようにそれぞれに市場が立ち、そこで取引される量や品質が吟味されるという段階を省いて、一挙に進行する凄みがあります。

 商品分類の枠を超え、流通の合理性、物流の合理性、つまり量をまとめると安くなるとか、中古品だから安くなるとか、需要が非常に小さいから高いとか、そういう理屈が通用しない流通が構築されている。

 B2B、B2C、C2Cとかいう分類も、段々、無意味化してきています。そういう中でリアル店舗の意味が強く問われるようになってきています。ドンキホーテが代表する様な、商品が分類されないで陳列される、理屈を超えた様々な商品が同居する状況がワクワク感をもたらすと考えられる、エンタテイメント性が求められる店舗への手探りが始まっています。

 歴史的蓄積を無視した流れの中で、流通はどのように変貌していくのかが最大のポイントです。

この記事に

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事