流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

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 ブログでは無いですが、トラブルが起きまして、ネット環境を整理するというか、年も年なので断舎利を実行する事にしました。

 7月20日頃にブログならびにHPを全面的に閉鎖します。

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付加価値の配分 15

 商品経済が発達していない中では、個々の物品の価格というのは「相場」というのが形成されないために、その土地なり個人が豊富に持っていれば、さほどの価値があるとは意識せずに、労力自体も金銭評価していないですから、ただのように手に入れることができたりします。
 逆に、その物品なり技術がなくて、それを切望する様な場所なり個人では非常に高価なものとの交換が成立します。

 何を言いたいかというと、必要とする人に必要なものを供給するだけで、膨大な利益を生む。商品を右から左に動かすだけで、その労力とは比較にならない利益を得ることができる。
 交易を学ぶという事は、モノ・サービスを必要とする人・場所を見つけること、モノ・サービスを供給できる人・場所を見つけること、それをリスクを背負って仕入れ、輸送し、販売する方法を見出すことにあります。

 商業が活発化するとは、交易の機会が拡大し、交易に参加する商人たちが増加し、流通するモノ・サービスの中身が増加することを意味します。そして参入する商人が増加する事によって競争が激化し、価格競争が生じ、劇的に価格が低下する、つまりは商人たちの手元に残る金が激減する事になります。

 そこで商人たちは自らの利益を守る行動として流通を規制する、自分達だけで流通を独占しようと指向して行きます。
 中世から近世にかけての流通に起きてきた事の大部分は、このような動きです。ただ、古代的中世的な商業が権力と結びつき、あるいは権力者自らが交易を行うなど、流通が社会全体に与えた影響が非常に小さい範囲に留まる傾向があり、その付加価値の多くが権力者を潤すレベルであったことです。

 古代的中世的商業は権力という暴力装置と不可分の関係にあり、それが独占の基盤であり、競争が生じ難く、それが故の停滞性がありました。インド商人、アラビア商人などは史上名高いものですが、政治権力の消長に影響されるものであったように思われます。

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付加価値の配分 14

 江戸時代の貨幣の流通量の変化は、Wikiにあります江戸時代の三貨制度でみることができます。小判が一番、みるのに良いと思いますが、初期の頃の1695年元禄の頃に1千万両、1772年に2千5百万両、1854年には4千6百万両、明治2年に1億27百万両。まぁ、幕末にかけては戦争状態ですから、インフレは避け難いものではあるのですが、それにしても停滞とかいわれるような江戸時代にこれだけの貨幣が膨張して行くのは、やはり商業と密接にかかわる話です。

 各藩は積極的に地元商品のブランド化を行って、より高い価格を得る、高付加価値商品を作り出す努力を重ねる、あるいは藩内生産を推し進めることで購入を減らすという形もあり、それらは必然的に藩内外の流通の合理化を推し進めていく事になります。
 これらの事業に武士階級が積極的に係わることで、商人だけでは限界がある流通の発展に大きく寄与することにもなります。このような経済政策の運営には、商人を藩政に組み込むというか、武士に取り立てることも行われており、同じ封建時代を経験したといっても、ヨーロッパのそれとは大きく異なるもので、経済運営に精通する人間が支配階級に多数いたというのがきわめて特徴的なものです。

 そして庶民の方も、長子相続の関係から農家の次男坊、三男坊の非常に多くが都市の商業や運輸業、職人という名前の技術者として育って行く、決して固定的では無い流動的社会が形成され、それが大きく発展するし、成功の機会にも恵まれた社会であった事です。

 膨大な人々が競争し合う事で非常に多様な職業が生まれ、商売が生まれ、様々な流行現象がその時々に発生し、それに係わる仕事がまた大きく発展していく形です。
 

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