流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

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 スーパーが登場する昭和30年代の半ばでも、商店街の隆盛は続いています。その前に行政は商業に対してどのような態度で臨んだのかという話を書きます。

 戦後の行政が、商業の現状に対して最初に手を付けたのが闇市の整理であると考えます。これは所管する通産省というよりは、警察と消防が主力であり、厚生省の食品衛生法が鍵ともなります。

 当初の闇市は祭りの出店以下の、衛生意識を欠いたものであり、不潔であり、偽物ばかりであり、何が入っているか分からないような残飯をベースにしたものが圧倒的であったからです。この当時は現在とは異なり、化学物質による汚染なんかはありえない代わりに、細菌類が野放し状態でしたから、伝染病に対するリスクが最大のポイントでした。
 ですからDDTの粉末を頭から掛けるなんていう乱暴なことが行われ、DDTの薬剤が大きな噴霧器で街中を撒く事も強く記憶に残っています。
 その他、密集した店舗兼住宅からは、何しろ安普請でしたから、燃えやすく、火災が発生すると多くの被害者を生み出すことしばしばでした。また、密集した地域にありがちな泥棒や詐欺などの犯罪も頻発していました。

 当然のことながら警察はしばしば闇市に立ち入り検査を行い、暴力団や第三国人によって支配されている闇市の解体を目指します。そこには高騰する物価対策も盛り込まれており、流通の近代化も大きな目標になりました。

 単純に闇市を解体すれば良いという訳ではありませんから、行政は防火対策を含めて鉄筋コンクリート造りの市民市場が闇市にとって代わって駅前などに建設され、多くの市民を集めるようになります。

 こういう市民市場は現在は地方の観光的な市場を除けば、ほぼ消えました。市民市場の話は次回に。

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