流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全357ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

ブログの削除

 ブログでは無いですが、トラブルが起きまして、ネット環境を整理するというか、年も年なので断舎利を実行する事にしました。

 7月20日頃にブログならびにHPを全面的に閉鎖します。

この記事に

開く コメント(0)

付加価値の配分 15

 商品経済が発達していない中では、個々の物品の価格というのは「相場」というのが形成されないために、その土地なり個人が豊富に持っていれば、さほどの価値があるとは意識せずに、労力自体も金銭評価していないですから、ただのように手に入れることができたりします。
 逆に、その物品なり技術がなくて、それを切望する様な場所なり個人では非常に高価なものとの交換が成立します。

 何を言いたいかというと、必要とする人に必要なものを供給するだけで、膨大な利益を生む。商品を右から左に動かすだけで、その労力とは比較にならない利益を得ることができる。
 交易を学ぶという事は、モノ・サービスを必要とする人・場所を見つけること、モノ・サービスを供給できる人・場所を見つけること、それをリスクを背負って仕入れ、輸送し、販売する方法を見出すことにあります。

 商業が活発化するとは、交易の機会が拡大し、交易に参加する商人たちが増加し、流通するモノ・サービスの中身が増加することを意味します。そして参入する商人が増加する事によって競争が激化し、価格競争が生じ、劇的に価格が低下する、つまりは商人たちの手元に残る金が激減する事になります。

 そこで商人たちは自らの利益を守る行動として流通を規制する、自分達だけで流通を独占しようと指向して行きます。
 中世から近世にかけての流通に起きてきた事の大部分は、このような動きです。ただ、古代的中世的な商業が権力と結びつき、あるいは権力者自らが交易を行うなど、流通が社会全体に与えた影響が非常に小さい範囲に留まる傾向があり、その付加価値の多くが権力者を潤すレベルであったことです。

 古代的中世的商業は権力という暴力装置と不可分の関係にあり、それが独占の基盤であり、競争が生じ難く、それが故の停滞性がありました。インド商人、アラビア商人などは史上名高いものですが、政治権力の消長に影響されるものであったように思われます。

この記事に

付加価値の配分 14

 江戸時代の貨幣の流通量の変化は、Wikiにあります江戸時代の三貨制度でみることができます。小判が一番、みるのに良いと思いますが、初期の頃の1695年元禄の頃に1千万両、1772年に2千5百万両、1854年には4千6百万両、明治2年に1億27百万両。まぁ、幕末にかけては戦争状態ですから、インフレは避け難いものではあるのですが、それにしても停滞とかいわれるような江戸時代にこれだけの貨幣が膨張して行くのは、やはり商業と密接にかかわる話です。

 各藩は積極的に地元商品のブランド化を行って、より高い価格を得る、高付加価値商品を作り出す努力を重ねる、あるいは藩内生産を推し進めることで購入を減らすという形もあり、それらは必然的に藩内外の流通の合理化を推し進めていく事になります。
 これらの事業に武士階級が積極的に係わることで、商人だけでは限界がある流通の発展に大きく寄与することにもなります。このような経済政策の運営には、商人を藩政に組み込むというか、武士に取り立てることも行われており、同じ封建時代を経験したといっても、ヨーロッパのそれとは大きく異なるもので、経済運営に精通する人間が支配階級に多数いたというのがきわめて特徴的なものです。

 そして庶民の方も、長子相続の関係から農家の次男坊、三男坊の非常に多くが都市の商業や運輸業、職人という名前の技術者として育って行く、決して固定的では無い流動的社会が形成され、それが大きく発展するし、成功の機会にも恵まれた社会であった事です。

 膨大な人々が競争し合う事で非常に多様な職業が生まれ、商売が生まれ、様々な流行現象がその時々に発生し、それに係わる仕事がまた大きく発展していく形です。
 

この記事に

流通を巡る古代史

 古代史というのは、遺跡から出土するものくらいしかなく、後は非常に限られた文献資料しかないものですから、しばしば歴史家と称する人、特に素人の想像、それも妄想に近いような大胆な説が出てくるものです。私なんかは、そんなに想像力もありませんし、これでも結構、慎重に論を展開している積りですが・・・・。

 数少ない文献が魏志倭人伝になるのですが、文字通り解釈することが困難な記述があること、日本史というか日本書紀などの日本側の文献との齟齬が甚だしいものですから、そこで学者にしろ、素人にしろ、勝手にいろいろ想像することになります。

 さてそんな講演会を聞いてきたのですが、トンデモ本としてネットで非難されているとの話が最初にありまして、学会は勿論のこと、まともな人にはまったく評価されていないことで、相当に苛立っているようです。本は新書版で三冊出しており、それを読んだ企画者が面白いという事で呼んだようです。

 まぁ、論理の飛び跳ねが酷くて無茶苦茶だなという印象でしたが、鉄の交易の話があって、古代にあっては朝鮮半島からの輸入が主であり、日本海側が交易の拠点であったという話がありました。瀬戸内海は交易のルートでは無かったという説と、鉄の国産化は相当後になってのことであり、大量の輸入があったという説です。

 文献上、こんな話はありませんから、彼の想像というか、鉄にまつわる遺跡が日本海側に集中していることからのようです。他の話は、ここでは割愛しますが、さてどうであろうかと。

 鉄が朝鮮由来というのは、学説的にも確かですが、輸入がそんなに多かったかと言えば、彼がいうほど大量では無いでしょう。何に大量に使ったのか。農具に鉄が使われのは、関西が早いのですが、それでも室町も後半です。
 武器と言っても、日本刀が流行するのは江戸時代です。中国との交易でも刀が出てくるのは比較的早いですが、その頃に原料は朝鮮・中国で日本が加工なんていう貿易が行われた可能性はまずないし、そんなことがあれば文献に残るでしょう。
 建築資材も釘くらいですか。やはり貴重品であって、「大量」という言い方はどれくらいを示しているのか分かりませんが、まぁ、可能性は低いでしょう。

 船や港湾に着目するのはともかくとして、トンデモ本と呼ばれても仕方が無い。まぁ、専門家でない人間が突拍子もない説を掲げる、それが正論になっていくことも、無い訳じゃあないですが、学問をバカにするんじゃないよという気がしないではありません。

この記事に

付加価値の配分 13

 商業の発展は単に物資が大量に流通することではないと考えています。ここらは学者の方々がどのように考えているのかは不明です。流通する商品、これは無形のものでも構わないのですが、量、額、速度、距離などの物理的な要素を測るという習慣が存在しない事も、分かり難さの証明の一つでしょう。

 その中でも流通に携わる、中でも商売=営業に携わる人間の量というか、人数や投入時間を指標とする事は一層困難に感じます。まぁ、これはそこまで厳密にしなくても、携わる人間だけに限っても構わないのですが、これも指標として商店数と従業員数は商業統計から推計はできるのですが、少なくともこれらを商業のパワーとして換算した例はありません。

 つまり商業というのは、ひどく分かりやすそうに見えて。数字化することが難しい分野です。そういう中で商業の勃興発展を書くというのは、結構難しい話であるのですが、まぁ、そういう数字的な押さえはともかくとして、戦乱が止み、各地に城下町が形成される近世初期は、有力商人たちを中心に積極的にインフラ整備に乗り出します。

 ここらの経緯は明らかではありません。何故、商人がインフラ整備するのかが分からないところが多々あるのですが、城下町の整備と一体になった社会変革が進められたのでしょう。
 少なくとも有力商人たちは、都市内の水路開発や河川修理を行うだけの財力を蓄えていた事は間違いなく、それらは海外交易と戦場での稼ぎやら、武器売買で培ってきたものであったのでしょう。

 これらの有力商人たちを城下町に集めることで繁栄を確かなものにする、あるいは藩内流通を活発化することで、より豊かなものにしようという為政者が揃っているところも、また、独特のものがあり、それも二つ三つの藩がそうであったのではなく、全国の藩がほぼ同じような動機で動いているというところが、何故、そんなことが起きるのか、よく分からない点です。

この記事に

全357ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事