流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

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商業の爆発的発展 37

 さて駅前商店街の話です。既にスーパーやショッピングセンターの成功の要因の一つとされるワン・ストップ・ショッピングの魅力と言っても、専門店街がほぼ崩壊状態にある中では、もはや分かり難い時代です。ですから、商店街を再現すると言っても、見たことも無い若い方々には、なかなか難しい話になります。変化の激しさを痛感します。

 以前に書きましたように同業種の店が駅前商店街の中に多数存在しており、激しい競争を行っていました。価格であり品質であり品揃えが、それぞれに違っており、特徴を訴求し、サービスを巡っての競争がありました。

 ほとんどの店は八百屋なら八百屋で、ほぼ同規模でした。飛びぬけて規模の大きいというのは、あまり多くない。今日の方が規模の格差は大きく、大型のスーパーの売り場面積と中小の小型スーパーとは、あまりここらは正確な話は分からないですが、比較的品揃えの差が小さい食品売り場でも3倍から5倍くらいあるのじゃないでしょうか。

 というのも従業員をそれほど多く雇う事は何しろ個人商店に毛が生えたくらいなものですから、数人いれば多い方で、だいたいが家族総出、親戚の子が混じるくらいでしょうか。かつて集団就職があった時代、昭和30年代から40年代くらいまででも、初期は商店への就職もありましたが後半には工場に就職するのが普通になりますから、従業員を雇用すると言っても、なかなか求人を出す場所、今日でいえばハローワークということにもなりますが、社会保証もろくろくありませんし、非常に多くがすぐ辞めてしまう。雇用を安定させる事ができません。

 このように従業員が雇えないという事は事業に限界があり、零細な規模に留まることになりました。つまり店を大きくしようにも、お金はあっても、能力の限界で、それほどできない。ですから同じような規模になってしまうところがありました。

 それでも商売の巧い下手というのは結構差を生むものですし、何十年もそこで商売している人と、昨日今日、商売を始めた人との差は非常に大きなものです。これは仕入れ先にも当然のように大きな影響を与えるものです。

 仕入れはほとんどが問屋からになり、近隣の同業者と同じ問屋から仕入れたら、原価が丸見えで、商売を見透かされてしまいますから、問屋も小売と同じように大量に必要というか、新たな参入が可能であった事です。問屋同士の競争も苛烈なものとなります。

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商業の爆発的発展 36

 岡本哲志「江戸→Tokyoなりたちの教科書」を読んでいたら、闇市や駅前商店街の話が書かれていましたので、参考までに紹介したいと思います。文章はいじりました。

 闇市では長屋形式のバラックの中央に路地を通して店を回遊する形式であること。路地の道幅は江戸の屋台、明治以降の露天商の知恵から生まれた身体感覚的なものであること。狭い路地が重なるように人々が往来することで賑わいを呼ぶ場となったことが書かれています。

 道幅は多分、そういうことなんでしょうが、市場の仲卸売場、中でも築地市場あたりは、相当に近似しています。すべての店が商品を張り出して展示していますから、実際の道幅よりも、はるかに狭いもので、だいたい大人が行き帰ができる程度で、市場だとターレ、商店街の中というか、ショッピングセンターの中の通路という方が分かりやすいでしょうが、せいぜいなところ台車が通るギリギリくらいです。

 欧米のスーパーなどでは、フォークリフトが通るくらいに広いのですが、世界的には例外的で、アジア諸国にしろ中近東にしろ、だいたいが我が国くらい狭い。欧米でも市場あたりは随分狭い。
 ここらの身体感覚は結構難しいものです。特に物流絡みでは、トラックも入ってきていますから、人と人との身体、つまりは賑わいを演出するものと、如何にして人手をかけずに高速に商品を動かすかという問題があって、賑わいを優先すれば人件費がかかるという問題になります。

 銀座商店街については、昭和30年代の半ばくらいに○○銀座、銀座○○商店街と称したものは全国に491あり、中でも都内は109もあったそうです。

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豊洲移転

 どうやらこうやら築地の豊洲への移転について、業を煮やしたのでしょう、これまで反対の立場が多かった水産の仲卸も含めて業界が一致して移転の日程を決めました。これで大体、形が付くのでしょう。それにしても移転が遅れた事による補償金が90億円。まったくの無駄金です。

 小池知事の迷走から、これだけの莫大な金を使った責任をどう考えるかです。欧米なら損害賠償ものでしょう。そしていまだ無意味とも言うべき土壌汚染の改修費もかかります。

 多分ですが、このまま推移すればオリンピックに多大な影響を与えることを恐れた政治家や東京都などが知事を無視して働きかけたのでしょう。そして業界の方も、賛成派にしても、反対派にしても、全員が賛成することはありえないことも、ある意味ではこの迷走の中で分かったのではないでしょうか。

 それにしても共産党によって揺さぶられた問題が、ようやく解決の方に向かいます。そして市場は改めて、生鮮流通の本来、どうあるべきなのか。生産者や消費者にとって、流通業者にとって持続的発展をどのように市場機能を使って確保すべきなのかが問われる事になります。

 大変残念ながら、新市場の場内物流も、全国ネットにおける中核の役割としても、効率性は勿論の事、商品ならびに物流品質についても、今よりほんのわずか良いくらいで、世界に向かって胸を張れるような市場ではありません。そういう意味では20年も30年も前のものでしかないのです。
 小池知事が総選挙結果を見ずにパリのランディス市場を見に行ったようですが、何を今さらであり、あの市場はそれこそ30年前の市場であり、ごたぶんに漏れず市場機能の低下に苦しんでいるのです。

 土壌汚染は問題ではないと、私は新市場の検討の場で、言い続けてきました。何度も言いますが、商品や人が土にまみれるような状態はありえないし、放射能のように照射してくるものでも無く、単にケース単位でう移動するだけの物流施設で、土壌がどうであろうが関係なく、しかも何メーターもの土が覆っているのですから、汚染が商品の品質に影響を与えることはえす。

 市場のありようとは、産地や消費地に多大な影響があるもので、今日のようにスーパーでの販売が主力になってきている時に、並べられた商品をただ選択するだけの中で、惣菜化も進み、商品知識がどんどん無くなる中で、食生活のありようも、サプリメントが大手を振って歩くような状況で、今後どのようにしていくのかが本当は問われているのです。
 ですから市場というのは、単に物流機能だけではなく、情報の発信基地として、食が皆の楽しみであり、学ぶべき場として形成する必要があり、今の市場業者も単に商品をやり取りするだけではなく、彼らの持っている高度な知識や技を社会の中に展開して行かないと日本の食文化そのものが壊れてしまうのだと。

 私の主張は水産の仲卸の経営者の人達には少しは浸透したと思います。ただ、残念ながら市場の施設の中で私の考えが反映される事は無かったですし、物流にしても、なかなか旧来の考え方から抜け出すことが難しい。東京都も引っ張れるだけの人材に欠け、技術に関する知識が乏しく、建築設計事務所に丸投げして、施設が出来上がってしまった。

 この金をかけ過ぎてしまった市場施設は、採算を本当は維持できないでしょう。とんでもなく、そして情けないものなのです。そのことでやがて糾弾される事もないでしょう。残念な話ですが、それはともかくできてしまったものを如何に有効に使うかが問われており、開場してから試行錯誤が続く事になるのでしょう。

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商業の爆発的発展 35

 闇市はアメリカ軍の爆撃による焼け野原や、既に前もって大規模な戦災被害を避ける為に広大な空き地を確保していた場所など、所有者があいまいになっていた駅前に、第三国人や暴力団が強引に占拠した場所に、儲かることを第一の動機として闇市を形成、支配して行くのですが、当然のことながら無計画であり、店舗の形にしろ、住居としても、電気水道ガスなどのインフラについても、何も考えずに巨大化したものとなりました。

 いわば路上のフリマに、やがて台や机を置き、やがてその上に屋根をしつらえ、料理ができるような造作を作り、やがて周囲との仕切りを作り、土台ができ、やがてそこで生活をするようになって行くという、発展途上国のスラムのような作り方をしていったわけです。まぁ、当時の日本は米軍の爆撃でほとんどを焼失し、フィリッピンよりも貧しい状況にあったのですから、どん底の生活であり、全土がスラム化しているような話なのですが・・。

 闇市の中は一人がようやく行き来できるようなレベルの道しかなく、当然のように舗装何かされていない、劣悪な環境下にあり、伝染病が蔓延するのが一番、恐れられるような状況です。

 こういう中で行政は警察を主力とする治安の維持から始まって、厚生省による衛生管理の徹底、消防庁による防火対策などから始まります。つまり商業に手を付けるのはずっと後の話になります。

 ここは商業・流通の話ですから、闇市がどのように統制され変化して行ったのかは書く事はしませんが、こんなところから戦後の商業は始まったのだという事は理解しておいてください。

 駅前商店街が姿を現す時代からが、この話のスタートになりますが、闇市は依然、商店街の一角を占めている世界です。それでも何も無かった時代から、小型の三輪トラックが走る時代、つまりは私が物心つく昭和30年前後の世界を次回から。

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商業の爆発的発展 34

 商業というのは生き馬の目を抜くというような言い方がありますように、理念よりも、いかに競争相手を出し抜くかの頭のまわり方が必要とされます。そういう意味ではきわめてリアルなものであり、直接的な利益への指向が強く働く社会が出来上がっていくことになります。

 戦後の日本社会というのは、一方ではマルクス主義が流行し、マスコミや文系の学問の世界は理念というか、イデオロギーが支配的なものになるのですが、その一方で社会の方は金儲けというよりは生きるか死ぬかであり、豊かさを激しく希求する世界でした。ですから一歩、大学を出ればリアルが襲ってきますから、あっという間に資本主義に染まって、学生時代のマルクス主義もヒューマニズムも吹っ飛んでしまうことになりました。

 この落差というのは、なかなか面白いというか、実際のところマルクス主義を標榜する先生方も、世の中は金にまみれていますから口でどんな立派な事を言っていても、裏に回れば実社会と同じ金塗れでした。綺麗事を言っている方が金に汚い、権力亡者であるという、実にどうしようもないものがあり、そんなものが今でも濃厚にあります。

 商業にかかわる学問の方がマルクス主義的な傾向を持ち、現実の分析よりも、日本は遅れている、封建的慣習だと決めつけることばかりであったが故に、実際に起きていることに関心を持ちませんでした。それ故にアメリカで発達したケーススタディを中心とした分析が行われる事が、非常に少なかったというか、全然されない、やっても学会で評価されないというような状況が、商店街などの分析を妨げる結果になったのだろうと思いますし、それが現在でも少しづつ変わってはきていても、とても十分とはいえないので、私がこんな文章を書かねばならないのです。

 狭い路地に零細な店が密集して立つという状況から、どう変わっていくかは、商人たち自身の変革というよりは行政が大きな影響を与えます。それは次回に。

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