流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

経営

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近代化 16

 今日で近代化の話は最終です。近代化とは何か、ということを最近、考えるようになりました。近代化は人間の全活動領域に広がるものでしたが、個々の領域ごとに近代化の意味は随分、異なったものですから、一律的に近代化とは何かを語る事は難しいと思われます。

 私の専門は食品ですから、食品の世界で言えば、近代化は人間の食生活自体も、その生産も消費も大きく変えてきました。近代に入る以前においては、圧倒的に自分で作ったものを食べるというのが普通であり、加工食品も非常に多く家庭で製造されていました。
 味噌、醤油といった調味料にしろ、保存食であった乾物類、塩漬け品等々もです。それらを商品として購入できたのは、都市の住民、それも都市の中核に居住する人のみであり、全食料生産の数パーセントでしかなかったかと思われます。

 近代というのは工業化により、多くの食品は購入して食べるものに変わっていく。その範囲は初めは調味料や加工食品に、戦後も昭和40年代あたりになると、物流技術、コールドチェーンの完成により急激に生ものから惣菜化した製品供給されて行く形になりました。
 激しい競争環境の中で生鮮品にも、惣菜類にもブランド化が行われ、地域限定商品もマーケティングの立場から作り上げられる状況になりました。

 この流れで分かるように、どこかで止まるという事のない流れであり、時代を経る中で、あれが分岐点だったかもしれないと思う事は出来ても、ほぼ切れ目のない変化をもたらしており、途中での深刻な健康問題、安全性への疑惑が持ち上がっても、それをものともせずに乗り越えていく、より一層の拡大という、資本主義の強靭さを改めて思い起こさせるものがあります。

 このままどうなっていくのだろうかという不安がない訳じゃない、本当に食の持つ幸福が維持され発展できるのだろうかと思うのですが、いろいろ修正を加えながらも、この広大な世界はより大きく進んで行くのでしょう。

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近代化 15

 西欧が圧倒的な武力や技術力を誇った時代は第二次世界大戦でほぼ終わり、1970年代に入るくらいの頃から日本の力は世界一の工業国であったアメリカを追いつめ、それがグローバリズムを強化させて人件費を抑え込み利益で圧倒する方向にアメリカは戦略を切り替えていきます。

 そのことがアジア世界を工業化に向かわせ、初めはアジアの4龍と呼ばれ、次にはアセアンに拡大し、現在では中国やインドにまで広がるアジアの時代を迎える事になりました。世界の工場はアジアに移動し、欧米は次第にかつての輝きを喪っているのが現状です。
 それでも新しい技術、新しいマーケティングは日本と欧米以外からは生まれておりません。相変わらず欧米と日本は激しいつばぜり合いを演じています。この場にアジアのどこの国が参入してくるか、いまだ分からないし、まだ当分、無理かもしれません。

 アジア諸国の工業化は先進国企業の進出に因ってもたらされたもので、自発的なものは少ないのが特徴的です。もはや植民地の時代ではない、軍事力で理不尽な形で労働力や市場を奪うことが困難ですから、実に巧みな収奪する方式を生み出しているべきでしょう。

 平和的で皆が幸福になるような仕組みでありながら、ある種、固定された関係があり、いかにしてこの壁を破るかは相当に困難でしょう。そんなことで無理をせずに、先進国のシステムに乗る形で人間の移動が活発化しているのが21世紀です。
 かつてのように侵略という具体的な形があり、白人に拠る支配という明確な打倒目標があった20世紀に比べて、収奪をするのが自国の権力者なり、成功したビジネスマンであったりするようになりました。もはやマルクスの描いた共産主義革命では救われることのない社会に入ってきてしまいました。

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近代化 14

 近代化=西欧化であるという批判は根強いものがありますが、一に植民地化あるいは隷属化を回避するという意味では、欧米列強の軍事力に対して、あるいは植民地化に傾きがちな文明力、差別意識なり、西欧以外は認めないという、特に第二次大戦前の風潮に対抗するためにも西欧化は、どうしても取り組まなければならないものであり、それも政府レベルではなく、民間の末端まで浸透したものであったことです。

 戦後世界の風潮である脱植民地化なり、差別を減らして行こう、様々な文化を受容しようという流れの中で、当時の日本の戦略を批判するというのは無意味です。
 確かに幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米人、その中でも日本見聞記を残したような人々の多くが、江戸文明の素晴らしさを礼賛し、そのままの日本であって欲しいという思いが伝わってきますが、その頃の為政者たちあるいは知識人が、そういう発言に対して植民地化への詭弁として斥けた話があります。結局はそういうことなのです。

 最近、まったく聞かれなくなった話ですが、南洋の自然豊かで、のんびりした暮らしに強い憧れなり、ああいう方が人間的な生活なのだと称揚するインテリがかなりおりました。しかし、今、それらの国でそのような価値観で自らを主張する人は稀です。皆、豊かさを求め、国の成長を望む世論が支配的です。
 人間というのは、度し難い面があり、都合の良い言説、何もしない方が幸せなのだという説には油断のならないものがあります。

 激しい切迫感と焦りの中でスタートした日本の近代化は、江戸時代以来培ってきた共同性、集団性に因って猛烈なスピードで追いついていきます。しかしながら戦前においては、いくつかの優れた製品なり、技術なりは出てきますが、欧米を凌駕する様な技術基盤は形成しきれません。輸出産業にしても、生糸や玩具と言った軽工業が主力であって、重工業、鉄鋼、造船、機械、化学、肥料等々はみるべきものがありません。

 これらが本格的な輸出産業として名乗りを上げるのは戦後の高度成長期の完成までまたなければなりませんでした。こういう歩みをとることができたということは、やはり世界的な偉容であるでしょう。

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近代化 13

 鉱山開発の話を書こうかと思ったのですが、紡績の話よりも、もっと縁遠いものですから、止めておきます。

 日本の産業革命というのは、遅れてきた分、同時多発的なもので、例えば最も早く近代化が始まった紡績にしても既に蒸気機関が使われ、やがて電力利用に発展して行くように、非常に短期間に集中的に進む傾向です。
 これらを先導したのは、各業界で欧米の先進知識を吸収し、事業家として高い能力を有し、かつ自身の栄達、金欲に染まったような人物ではなく、日本の発展、業界の発展に力を込めた英雄たちの時代でもありました。

 ここらが実は他の欧米以外の国には見られない特質で、優秀有能な人間はいても、多くが自身と一族のためであって、彼が潰れる、死ぬなどすると、それでお終いになる、つまり継続性を欠いたもので、国全体を豊かにすること無く費えたこと、しばしばであったことです。

 同時多発的な近代化というのが必要でありながら、単発で終わる、社会全体の近代化には程遠い形で終わる事、しばしばでした。
 植民地下にあったことは、非常にハンディなことではありましたが、でもすべてが植民地という制度の問題でも無かったようにも感じられるこの頃です。現在の中国や韓国の現状をみると、社会の準備が足らないという感じを持ちます。もの凄い無駄を繰り返し、近代にたどりつく事の困難さを思います。

 それにしても我が国の近代化、工業化は、いったいどう進んだのかという研究はどうにもこうにも、進んでいない。我が国の社会学の未熟さを強く感じさせるものがあり、これでは世界に貢献できるものは何もない。もうちょっと何とかしてくれ・・・私の悲鳴です。

 こんなことを書くと、あるよと言って引っ張り出して来るのは、マルクス主義をベースにした日本の跛行的発展とかいう、問題だらけの論説で、欧米の発展に比べて、どうのこうのという極めて観念的な話になります。たとえ最初に工業化を行ったイギリスですら、跛行的であり、そうでない発展なんてあるのか。すべての国民が一斉に近代化に向かって、しかも民主的に工業化が行われるなんていうことが、社会主義国であったソ連ですら農民の犠牲に因って工業化されるし、社会主義国なるが故に逆に労働者の権利がまったく省みられる事の無かったという事実をどう説明するのか。

 日本を貶めていればインテリだという、実にワケワカメの話しかなく、そのことが単なるレッテル貼りで、少しも近代を語ることにはならないと私は思います。

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近代化 12

 工業の近代化における安全保障の問題は非常に重要です。鉄道にしても、電信網にしても、軍を素早く、大量に的確な場所に動かすという命題は非常に重いものがあります。どこで反乱が起きようとも、どの海岸から敵が侵入しようにも必須のインフラと言うべきものです。
 この鉄道も電信も、植民地においては、植民する方、つまりは欧米になる訳ですが、イギリスもフランスもオランダも、ベルギーも強力に推し進め植民地支配を決定づけるものになります。我が国ように自らの力で鉄道や電信を敷いた例は、ごく一部を除いてなかったのではないか、もしやったとしても多くが欧米諸国からの借款で行われましたから、赤字経営から植民地の宗主国に奪われるという結果しか生まれなかった。

 鉄道や電信網は、国内市場の統一を強く促進することになります。米相場なども江戸時代は堂島の相場が影響を与えていたとはいえ、それでも各地に相場があり、市場ごとの価格差は厳然とありましたが、明治以降は東京と大阪の相場に全国の米相場はほぼ統一されて行く事になりました。
 生産者にしろ、流通業者にしろ、全国の市況を眺めながら自らの経営を考えるようになる、つまりは全国津々浦々まで電信、ラジオから聞こえてくる相場に耳をすます状況が生まれてくるのです。これが生糸のような国際商品となれば、横浜の相場は勿論の事、ニューヨークの相場の動きに一喜一憂する、そういう時代に飛び込んで行く事になったのです。

 安全保障という面で、武器の購入は大きなリスクを伴うものでした。明治の日清日露の戦役において使用された武器の大部分は輸入品でした。何しろまともな鉄も、機械産業も発展していないのですから当然の事です。
 そうなると戦争をするにしても外国が武器弾薬を売ってくれなければどうにもならない、ということは欧米の支持がなければ戦争もできない状況にあった事です。

 日本が侵略戦争を仕掛けたというのは、おかしな話でして、欧米の後押しがあっての戦争であった事を知っておかないと論理的に成り立たないのです。

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