流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

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獣医

 加計学園問題というのは、学校の話だろうと思って、あまり考えてもいなかったのですが、この間の国会中継で前川ではなく、その前の文科省事務次官の加戸さんの話をネット上でみて、ようやく理解したのです。それで私の知っている話に繋げる事が出来ました。

 話は韓国発の民主党政権下での宮崎県での狂牛病騒ぎに端を発しているそうです。あの時は獣医が不足して大変な騒ぎで、獣医学部は出たけれど、獣医の仕事をしておらず、何年も研究職をしていた私の友人にまで動員がかかり、向こうに出張に行っていました。

 獣医の世界はそれほど知ってはいないのですが、世の中の変動に大きく左右されてきました。獣医は軍馬という存在から国家的な役割から始まりました。馬は軍における移動手段でもあり、戦闘にも重要な役割もあったことから、いわば獣医はエリートでした。ですから大いに尊敬され重視されていました。

 戦後、軍馬の需要はトラックの出現、地上戦がタンクが主力になったこともあって、海外においても消失します。我が国では戦争放棄ということもあって消えます。
 そうなると獣医は平和利用、食肉や酪農関係になり、昭和40年代までは、そういう職場に、農村部に配置されました。それが昭和40年代も後半になると、一大ペットブームが起きてきて、それまでの馬とか、牛とか、豚とか、羊といった大型哺乳類から、猫とか、犬とかの小動物を扱う、いわゆるペット医というのが獣医の有力というか、金儲けの一番の対象となるようになりました。

 私の中学時代の友人が近くの獣医大に入学したのですが、仲間内では、随分変わっているというか、大丈夫かなぁと思われていたのですが、昭和40年代の終わりくらいだろうと思うのですが、ペット医になり、同級生の誰よりも金持ちになってしまいました。何か見通しがあった訳ではなく、たまたまの運ではあったのですが・・。

 まぁ、それはともかく獣医大を卒業した人は今では相当量がペット医になっていると思われます。牛・豚・馬を扱う獣医は極めて少ないのは収入の面からも、我が国の畜産業が海外の巨大生産国、オーストラリアとか、アメリカとか、南米の国々からの攻勢を受けている現状からすれば、将来的にも相当に厳しいものと言わざる得ない状況は理解できるでしょう。

 牛・豚・馬を扱う獣医は彼らの病気を診断し治療を行うだけではありません。獣医は屠殺場において一匹一匹を診て病気などがあった牛豚を出荷させない立ち会い検査が法律で定められており、屠殺場の屠殺時間は獣医の勤務時間によって規定されているのです。

 もう記憶があいまいになっているのですが、確か9時から15時くらいで、昼休みもあったような・・・ちょっと曖昧ですが、実質、5時間もなかったように思います。そうなるとそれ以外の時間帯15時過ぎに搬入しても、翌日回しになります。屠場の方でいくら合理化を図ろう、処理頭数を増やそうとしても、獣医さんの都合が優先され、どうにもならないという経験をしたことがあります。

 獣医というのは、特権的というか、権威ある存在で、医師以上に既得権益化している所があり、その権益を守ろうとする人々がいることは間違いない話です。獣医を増やすまいとする勢力があって、岩盤規制とも言われるような状況も、何となく想像できるのです。

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商業の爆発的発展 4

 商業の爆発的発展ということで幕末明治編を書こうとしてきたのですが、いろいろ調べ、考えたのですが、どうも頓挫する感覚です。金融関連でも政府関連は比較的資料はあるのですが、民間になると混乱と詐欺のオンパレードで、まともな金融が成立するには、相当に時間がかかってくるようで、それこそ庶民金融、質屋とか、無尽とか、江戸以来の金融の方が、機能したみたいで、近代にたどりつくのは非常に難しそうです。

 つまりはこの時代に起きる流通の波乱は政府の近代化政策との関連でしか語れそうも無く、統計も明治も終わりぐらいにならないと出て来ない。結局のところ、いくら想像しても分からないことだらけというところに落ち込みました。
 幕府が倒れ、藩の統制から県への移行の中で、生産を取り巻いていた規制が外れる中で起きていたこととは、新たな市場環境の中で、混乱と、個々の農民というか、集落がどのように生産に取り組み、出荷していたのか、それに都市部の問屋がどのように動き、支配を強め、農地を占有して行くのか、ここらは具体的な事例を集めないとどうしようもない感じです。

 ただ、分かることは、強い者は規制がはずされることで、思うがままというか、強さを極端に強めていく過程であり、政府と結託することで、その立場をより強めたことは確かです。その中にあって家族や地域との結びつきはより強固なものとなって行く形であり、維新以降の戦前の社会を形作る大きな要素となったことは間違いありません。

 例えば「家制度」にしても、江戸時代というよりは近代、明治以降に強化された側面が強くあり、家業を継ぐという感覚も江戸時代というよりは近代のものであったりするところがあります。つまり今、我々が封建時代の遺物とされているものの中には、明治になってからのものが相当に含まれていることです。
 それはつまり維新前後の社会の大変動の中で、庶民が如何に自身を守るかを一所懸命に考え、行動した結果である場合が相当にあることです。

 この間にいろいろ調べたことなどを流通とは離れた話になるかもしれませんが、何回か書きたいと思います。

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 明治の初めの頃の金融事情も混乱の極みの中にあります。民間の話の前に政府関係の金融が最も近喫の課題でした。単なる政権交代ではなく税金の収集システムが根本的に変わるからです。地方分散、つまりは藩を中心にした税の収集から、中央政権、明治政府による税の収集に転換され、それを役人だけに負わせることは不可能だからです。

 皆さん方の中には、ここらの仕組みに精通されている方もいらっしゃるでしょうから、私がどうこう言えるほどのネタがある訳ではありませんし、私の場合は想像してこんなブログを書いているところもありますので、眉に唾付けて読んで欲しいところでもありますが、倒幕の志士たちにいきなり国家の財務をやるといっても不可能です。

 明治政府は新札発行やら税務システムを作るのに非常な困難に直面すると同時に、使わなければならない金が何しろ戦時中ですから、猛烈な量あるし、不平を抱く士族や農民などへの手当てもしなければならない等々、混乱そのものです。

 その中で明治政府とよしみを通じた豪商が一部、これらの事務を担うことにもなるのですが、莫大な儲けの一方でリスクばかりで、あっという間に倒産するという非常に難しい舵取りを求められることになります。江戸時代以来生き残ったのは三井が一番有名でしょう。

 銀行制度が発布されると、莫大の数の小金持ちたちが銀行として名乗りを上げます。質屋などを営業していた連中が多く、貯金を集めるという新しい金融の方法に、有象無象の連中が参入して詐欺まがいが横行することになり、金融関係が落ち着いて産業資本に投資できるようになるまでには相当な時間を要することになります。

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 幕藩体制は封建制・身分制という規制の塊みたいなものですし、三百年培ってきた安定した制度の下で、それなりに皆が納得する形の規制があり、それが根底から覆される事態が到来しても、それに対応できるほど人間は柔軟にはできておりません。

 何が許されるのか、何が許されないのか、だれもが五里霧中に放り出されている感覚に近いものがあり、その一方で御一新だと、自分の都合の良いように解釈して勝手にやる連中が現れる。それを不当だとして訴える先も、素人同然の何も知らない人間が威張るという状況の下で、こすからいというか、目端の利く連中が、新たな権力者に接近し、利権を手にしていくという混乱状況が相当に長い時間続き、そこから次第に新たな秩序が作られていくことになります。

 流通なんていうものは、こういう政治的社会的混乱の中で、やはり大きな波動に見舞われて行ったように思われるのですが、それはそんなに何度も書きますが、明らかではありません。激しいインフレ、江戸は政治としてあったがゆえに、こういう混乱の中で、将軍家の倒壊、大名家の本国への帰還、武士階級の没落の中で、これらを顧客としていた流通業、これらからの仕入れを中心としていた、主に豪商はほとんどが潰れていき、一家離散なり、従業員の解雇が当然のように進行し、激しく流動化したことは間違いありません。

 江戸=東京がこんな状況ですから、江戸に物資を送ることで成り立っていた産地も大きな変動に飲み込まれることになります。大名家が専売していたブランド化した生産物も、それを引き受けていた豪商たちが消えているのですから、新たな販売先を求めますし、供給の取りまとめを地方の流通業者が担うことにもなります。

 この状況の中で分析の鍵は金融業であったでしょう。江戸期の金融は札差、質屋が代表するもので、それが欧米の銀行制度を取り入れる形で法制度化されます。

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 幕藩体制が崩れる中で、何がどう変わったのかについては、ほとんど分かりません。明治の初めの頃は圧倒的に旧来通りであったでしょう。しかし数年も経ない内に様変わりし始め、その変化は苛烈なものであった可能性が高い。

 身分制の上層部を作っていた武士階級は、いきなり失職する訳ですし、権益の多くを喪います。この変動は都市部の消費環境を一新させたでしょう。江戸屋敷からの撤退はどんどん行われたでしょうし、大坂などにあった蔵屋敷などもどうなったのか分かりません。

 藩という存在が消えたのですから、ほとんどの大名が抱えていた借金は、すべてかどうかは分かりませんが棒引きというか、チャラにされたのでしょう。何しろ徴税権は無くなるし、藩が行っていた特産品の独占販売も消失し、藩が握り管理していた林野、漁業規制も全部、外され、農業も農民の自由で品目を選ぶようになるのですから、混乱というか、早い者勝ちが横行した事は間違いありません。

 幕府が管轄していた鉱山なども政府の手に渡る事になりますが、これもそうそう簡単に明治政府の手に委ねるというものではありません。明治政府は薩長連合ですから、当然のように利権を誰がどう確保するかの争いがあり、当然のように自身の監督下でどの商人というか、事業者にやらせるかという問題から、賄賂が飛び交うなどがあり、それを取り締まる警察権も、幕府時代のようにしっかりした組織など望むべくも無いのですから、混乱と政変が重なり合って起きているというべきでしょう。

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