流通の歴史と未来のブログ

食品流通は凄く面白い世界です。昔・今・未来を語りたい

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商業の爆発的発展 50

 戦後の商店の爆発的拡大、その象徴としての駅前商店街、○○銀座と称せられたものを長い期間、展開してきましたが、ただ、私の記述力も低い上に、資料をどういう風に扱って良いのかも分からず、とても巧く組み立てられたとは思えません。多分、読んでいらっしゃる皆さんにとって、経験された方は分かる部分あったでしょうが、経験の無い方々にはさっぱり要領を得なかったのではないかと思わないではありません。

 商業を語る事の難しさがあります。そして最後に述べたように、どうも商業とは本質的に何であるのかが問われるようになっているように感じられる事です。
 セルフ販売は限界に来ていますが、そうかと言って対面販売には戻れそうにありません。時代はより人間が介在しない販売、ネットを介在した通信販売の割合がどんどん増えていく流れにあります。

 人と人とがどのように係わって行くのかが時代の大きなポイントであり、そこでの商業の役割は、現状のままでは益々小さくなって行くようです。それにしても語り合う事がこんなに困難になり、コミュニケーション障害が問題になり、虐めや激しくなり、言葉自体もセクハラだぁ、パワハラだぁ。怒鳴る事も、咎めることは論外になり、ちょっとした注意すらも、逆切れされるような事態が起きている。極端な清潔への要求にも似たところがあります。

 さてさてこんな時代の様相の中で、何をどう考えるのか、根本に戻る事になるのでしょう。このシリーズも丁度、50回の区切りですので、終了とします。次に何をするかはまったくの未定です。

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商業の爆発的発展 49

 商業が物品やサービスの供給という点だけから考えれば、ネットを介在させた通信販売が今日の世界では最も合理的なのでしょう。そういう意味では商品供給の拠点としての店舗は、今後、益々減少して行くでしょう。つまりは店員の人件費を負担できない。店員の人件費に見合うだけの付加価値を賦与する事が大変厳しいという意味を持ちます。
 店は人件費ばかりではありません。商品を保管するための倉庫代も棚代も、小分けし、品揃えし、値段を付けるなどの流通加工にも費用がかかります。それでも圧倒的に人件費が重要です。

 しかしながら人件費をコスト捕えるところに資本主義的限界があることも確かです。いったい人は何故、商売を始めたのか。この原点に戻って行くしか、実は現代という時代に商業は生き残れそうもなく、商業を喪う事の文明の不幸があるのではないかと思ったりします。

 商品を何故、持つのかという課題も次第に大きくなってきています。現代の若者たちは車を所有したいという熱意はかつてとは比べられないほど下がってきています。
 自動車と言えば、私の友人で代表をしていた彼がベンツを持つ事が夢だったと言っていた事がありました。その彼はベンツには乗っていましたが、まだ中古だからと自らを蔑んでいましたが、それでもバーにベンツで乗り付けることを誇っておりました。
 その車が持っていた豊かさや自由のシンボルが大きく崩れました。今は何が誇りなのか、成功を意味するのか分かりませんが、もはや車でも、別荘でもなく、プール付きの邸宅でもないように思えるのですが、さてどうでしょうか。

 若い時代は人と比べる事が大きな関心になりますが、そういう関係性自体も辛くなっているようにも見えます。それぞれの生き方が次第に拡散して行っているようで、テレビ東京で放映されている外国人が何故日本に住むのか、日本に来るのかの番組を通して見えてくる何かであったり、家に行って良いですかという番組に見られる多様な人生模様は何かを訴えているようでもあります。

 商業の本当の意味が問われる、そんな時代の入り口に立っているように感じられるこの頃です。

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商業の爆発的発展 48

 中小のスーパーが競い合うような形の多様性は可能なのかという話もあるでしょう。しかしながら現状では、未来が見え難い事に変わりありません。

 隣の町にはGMSはありますが、我が町にはGMSはありませんで、駅前だけを取り上げると、食品スーパーが大手のチェーンが1つ、中小のチェーンが1つ、地域のスーパーが2軒あります。市内全域に広げても中小のチェーンが2つですかな、生協の店舗も1つあります。ほぼすべて200から300坪の売り場面積です。

 この中での競争ですが、大手、中小のチェーンは、地域のスーパーに比べて値段は高いが品揃えは豊富というより惣菜化された商品が多いというべきでしょう。まぁ、そういう意味では惣菜の品揃えが沢山あると表現されるのでしょうか。
 大手、中小のチェーン間での商品として大きな差異は無く、立地の良さと勢いでの差異くらいなもので、これといった特徴はありません。
 一方、地域のチェーンは価格面で頑張ります。大手、中小のチェーンに比べてNB品でも10〜20%くらい安い場合があり、その代わり品揃えの幅は小さい。
 地域スーパーの一つは業務用の需要を狙っているのか、肉類、中でも鶏の品揃えが豊富で、変わった部位や、大容量のパックがあります。

 他の町に比べて、比較的スーパー同士の競争がある方ではないかと思うのですが、まぁ、こんな程度の多様性でしかない。個性化するには、それに対応したお客がついてこないと難しいのであって、そこまでの顧客開拓ができないのが現実だろうと思います。
 業務用を狙った形の鶏肉を販売するスーパーでも、素人には説明が無いですから分からず、業務筋、近隣の飲食店や居酒屋相手なのでしょう。そこから新たなお客を作り出すまでには至らない。つまりはコミュニケーションが無いことがスーパーを専門性を強化して行く流れには立ち至らない。

 多様性はセルフサービスを行っている以上は困難であると思えるのです。一般のお客にそこまで勉強させる、リスクをかぶせる事はできないのです。今のスーパーの個性化は限界だらけです。
 一般に言われるようなグルメスーパーのような高級化は、デパチカと同じく非常に限られたマーケットでしか成立しないのが現状です。
 我が町でも隣町の高級スーパーの支店が進出したこともあるのですが、我が町は商業地としての厚みがありませんから、早々に撤退して行きましたし、隣町でもなかなか巧く行ってないように感じられます。

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商業の爆発的発展 47

 賑わいという意味だけを取り出しても、該当する都市は都内でもどれだけあるのかというと、指折り数えられるというほど酷くはないですが、中央沿線では全部とはとても言えません。我が町も普通には商店街がある事になるでしょうが、夕方にしても、あるいはその他の時間にしても賑わいから遠いものです。
 中央線よりも、むしろ私鉄沿線の方が商店街らしい雰囲気があったりします。大型店も結構難しくなっている感じが濃くなってきています。GMSはどこも厳しいです。食品スーパーの方がよほどマシです。

 何かに似ているなぁ・・と思っていたら、生物多様性と同じロジックであるのに気がつきました。外来生物に痛めつけられて追われた在来生物が、かつての専門小売業であったり、零細問屋なのでしょう。単一のどこでも見られる光景と化した都市の姿です。

 外来生物に占拠され、単調な光景であったにしても、とりあえずは生活に支障が無いのならば、ある程度、止む得ないところもあるでしょうが、採算が合わないという理由で撤退されると、そこに生きる我々自体が立ち行かなくなる荒涼とした世界、砂漠化が起きる。つまりは持続可能性に欠けた世界になる恐れが強まっている事です。

 多様性を確保するために、何らかの政策が必要とされる事態が近づいている。大店法が結果的に大型店を繁栄させることになったのは、行政の方が内心では大型店による流通合理化を支持していたからだと思っているのですが、その意味では大型店の規制というよりは、如何にして中小小売店を生み出して行くかの知恵が必要になっているのでしょう。

 考えてみれば、今の時代はほとんどの人がサラリーマンになる、それ以外の人生を選ぶのが非常にリスキーであるという現実からすれば、生き方に多様性を喪った状態にあります。
 勿論、マスゴミあたりでは、いろいろな煽りがあり、夢を追求すれば必ず達成されるという話が横行していますが、あんなものに乗せられたら何が起きるか分からないと思うのは私ら年寄りの偏見でしょうか。多分、今の若い人は頭は良いですから、あんな煽りに騙される人は多くは無いでしょう。

 それでも私らの若い頃に比べて、選択肢はむしろ減っているように見えます。頭が悪くても、身体が大きければ、ガタイが大きければ、手先が器用であれば、いろいろな道があったように思うのです。そして今、振り返れば、頭の良かった人よりも幸せな人生を歩んでいる。

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商業の爆発的発展 46

 中小専門小売業、問屋業の衰退・磨滅は都市の風景を大きく変貌させて行きました。私の町でもそうです。それでも我が町は10万人を超える人口があり、最近では若い人の姿もあり、また、外国人もそれなりに増えている感じがあります。
 ですから、商店街は明らかに衰微してはいますが、それなりの残り方はしていますが、分厚い商業地という事はなく、やせ細っています。今のただ1軒の魚屋もなくなれば多分、我が町から消失するでしょう。勢いのある商店はどこにも見当たりません。飲食店も居酒屋も、繁昌している雰囲気は何処にもありません。

 では隣町は商業地としてそれなりに発展していても、生活の基本部分を構成する生鮮食料品はみる影もありません。それなりに人は大勢いるし、若者で溢れていますが、ファッション用品がほとんどを占め、生活感はありません。生活はやはりスーパーに頼らざる得ないのですが、スーパーも古いですから、それほど個性的ではありません。値段は高いですし、私なんかでは是非ともここでという感じの店は一軒もありません。

 まして渋谷、新宿、池袋なんてところは、巨大ですが、食料品の商店として魅力がある店はデパチカも含めても、価格をみれば、まぁちょっとなぁ・・・くらいなものです。まぁ、リタイアした私の金銭感覚では、若い人たちの感じ方とは大いに違っているのでしょうが。

 商店街で彩られた都市という感じが大都市以外では大きく下がってきた事は確かであるでしょう。

 かつてアメリカの田舎町にバスが到着して、その地方都市の中心部であったのですが、商店はパラパラと数軒のみ。それも指折り数える程度しかなく、残っている店もリサイクル品を扱うような店と、バーとも軽食を喰わせるような感じの店くらいなもので、後はただ5,6階建てのビルのみ。
 人も歩いておらず、これが中心部なのかと驚いたものです。買い物はすべて郊外のショッピングセンターへと。そこにも行ったのですが、巨大で華やかでしたが、当然のように同業種が競い合う空間ではない訳で、ここで買う以外の選択肢は通販しかない。

 人が集う場所としての都市は既に大きく後退しているのでしょう。文明の転換と言わざる得ない。これがもたらすものは何なのか。考えているのですが、分からない。

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