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「軸」

 12月10日(金)
 軸1月号編集会。新年俳句大会の計画も練る。夕方は、来年の色紙のために守谷の斎藤澄子氏宅へ。すばらしい版画をお借りする。乞うご期待。
 軸は、昭和42年に創刊された。私が高校2年のことである。井上富月、河合凱夫(私の父である)、井上純郎、鈴木昌平らが集まって、「東虹」を離れ、同人誌「軸」を発刊したのである。
 昭和47年、その軸は、河合凱夫を主宰とし、「麦」の中島斌雄を師系とする結社誌に生まれ変わった。
 私が軸の活動にはじめて参加したのはその年である。大学3年生であった。「リズム考」という俳句のリズム論を1年間連載させて貰った。俳句のリズムは、音節、音歩、単語、文節、五七五の句切れ、連文節などを単位とするポリリズムだというのが論旨であった。今も、基本的にはその考えに変わりはない。
 その後の10年は、幾度かとびらの詩を書いたり、エッセイを寄稿したくらいで、ほとんど軸に関わってはいなかった。仕事に専念していたのである。
 ところが昭和60年、体調を崩して入院し、2ヶ月間療養休暇をとるはめになった。そのとき父が、また何か書いてみないかと進めてくれたのである。それがきっかけで、子規のことなどを書き始めた。また、パソコンに手を染めたのがきっかけで、軸を発送するための宛名シールの担当なども引き受けていた。
 平成11年の春、突然父が、俺が死んだら軸を引き受けないかと言ってきた。当時は、俳句評論に専念するつもりでいたので、俳人になるつもりはない、まして主宰などとんでもないと断った。父の体調が何となく悪そうだったので、弱気になっているな、とは思った。前年の12月から、咳が止まらなかったのである。
 平成元年、父は腹部大動脈瘤で緊急入院し、8時間の大手術で人工血管を入れていた。だから血圧を上げてはいけないと言われていた。咳が続くという状態は体によくないはずであった。
 私はそのとき『子規の近代』を本にしようとしていた。これは急がなければ、と思った。
 7月29日の朝、父は倒れ、帰らぬ人となった。7月30日発行の『子規の近代』は、その一週間前に自宅に届き、父はそれを1000冊買い取って軸の仲間や知人に送ってくれた。
 子どもの頃、父に遊んで貰った記憶はほとんどない。仕事にも熱心で、休日は俳句三昧の人であった。だが結局、父に導かれて生きてきたような気がする。あのとき、主宰を引き受けると言っておけばよかったと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

閉じる コメント(4)

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こんばんわ。先生とご尊父様のお話しみじみと拝読いたしました。私は前主宰のお父上様のことは存じ上げませんが、きっと先生のお仕事ぶりを天国から目を細めてご覧になっていらっしゃることと存じます。
夏の果て第二走者にゴールはない
先生の俳句の中で私が大好きな句の一つです(了解もなく記載してしまってすみません)。お体おいといになって、これからもずーっと軸の主宰でいらしてください。

2010/12/12(日) 午後 8:21 [ はやしの猫 ]

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秋尾先生、最近、無性に父を詠いたくなってきています。

父知らぬ父は泳ぎぬ夏の川土手を走りて我は追ふなり
コスモスの丘へ酒乱の父を置く哀しいほどの空の青さよ

何なんでしょうね。

2010/12/13(月) 午前 10:39 [ 遊人 ]

本当に、ごぶさたしています。
野田第一中学校時代には、お世話になりました。
昨夜、ラジオ深夜便で、俳句のことが気にかかり、先生のことを思いだし、検索してみた所、ご活躍のことと拝見いたしました。
私も、俳句やってみたいな🎵

2018/12/20(木) 午後 11:41 [ dmv***** ]

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2回目です。覚えてますか?
野田第一中学校で、お世話になった、倉持重男です。
まど窓、学期末成績処理、短冊でやっていたのに、先生のwindows 前の懐かしい電算処理、そして10年ぐらい前でしょうか?
自宅近くの交通危険な角で、お会いしたのは、
今、学習塾の講師を近くでやってます。
軸とは関係なくて、申し訳ございません。

2019/1/13(日) 午後 7:22 [ dmvcor@yahoo.co.jp ]


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