全体表示

[ リスト ]

 11月15日、青山の草月ホールで、セシル・テーラー京都賞受賞記念公演が行われた。セシルのような本当の意味でジャズを深め、その可能性を広げてきた人にこの賞が贈られるのは素晴らしいことだ。
 公演は舞踏の田中泯とのデュオで、休憩を挟んでの2部制であった。
 スタートは暗転の中での入場から。ここですでにその身体性において、セシルが泯を圧倒してしまった。上手からゆっくりと一歩ずつ下手のピアノに近づくセシル。泯の舞踏はそのセシルを迎え、影となってピアノに導く妖精であるのだが、しかしセシルの日常を超越した存在感に対して、泯の身体はいささか日常であった。
 むろん素(す)であることが、泯の目指してきたことであろうし、ことさらのおどろおどろしい演技力など、彼の望むところでないことは分かっている。だが、セシルの身体は、泯の<おどり>を越えて、ありのままのオーラを放ち、あるがままの姿で聴衆を非日常の空間に導いていった。
 ピアノの最初の音が鳴らされるまで、20分近く経過したろうか。ジョン・ケージの「4分33秒」をはるかに超える深く長い沈黙が会場に満ちる。やがてセシルのヴォイスに続いて、ベーゼンドルファーが低く唸りはじめた。
 休憩までの第1部は、異なる二つの文化がそれぞれ独自の唸りを放っていた。分かりやすく言えば、やはりセシルの音楽は西洋のもので、泯の身体は徹底して東洋なのだと感じ続ける時間帯であった。しかし、休憩を挟んでの第2部、セシルはほんの少し何かを変えてきたように思う。一流のサッカーチームが、ハーフタイムを挟んで絶妙の変化を見せるように。
 後半のセシルは、泯の身体と完全にコミュニケーションを取り合っていた。たとえて言えば、それが映画「ほかいびと伊那の井月」のバックに流れていたとしても何の違和感もないであろうと思わせるものであった。
 それにしてもセシル・テーラー85歳。アタックの鋭さは多少丸みを帯びたかもしれないが、その指は完璧に和音のバランスを保ち、高らかに生命を歌い、ピアニッシモの低音までも極限まで響き渡らせる。ジャズメンとしてもピアニストとしても京都賞にふさわしいアーティストである。
 開演前のロビーで、京都賞の審査委員でもある細川周平さんに初めてお会いした。松岡秀明さんの紹介である。細川さんは、私の著書の「文学する」という概念を引用して下さっていて、いつかお礼をと思っていたので、有意義な日となった。
 
 
 

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事