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仕事と俳句

 12月1日
 午前中は、野田市の興風図書館で続けている水曜の会で、能村登四郎と石田波郷について話した。その準備で、昨夜(というより早朝)、能村登四郎の年譜に、勤務先の市川学園の沿革史を重ねた年表を作ってみたら、今まで見えなかったものが見えてきた。登四郎は、学園の創設者とともに、市川学園を作り上げた一人なのであった。国語教師のかたわら俳句をやっていた、などというレベルではない。登四郎は、教頭として、学校運営の中枢をになっていたのである。
 教頭をしながら文学を続ける大変さというのは私にも分かる。私も公立中学校の教頭をしながら子規について調べていた。だが私は、3年で教育委員会に移り、翌年退職して文筆業になってしまった。けれど登四郎は、昭和39年に教頭になってから20年も教頭職を続けている。それも幼稚園から高校までを持ち、毎年拡張を続ける私立学園の教頭職である。私は登四郎に、今まではなかった畏怖の感情を抱いた。
 一方、石田波郷はほとんど職業歴を持たない人だった。戦時中は文学報国会の事務をやっていたらしいが、生涯のほとんどが俳誌の編集と闘病で終わっている。それはそれで壮絶な生き方である。その波郷が、登四郎を励まし続けていたというのも面白い。年齢は実は登四郎の方が上である。
 
 午後は苞の会という句会。「軸」で2番目に古い句会であるからみな高齢である。半数は85歳を超えているが、支え合って頑張っている。今日は腰を痛めて一人欠席であった。
 
 成人の孫の姿をうれしく見る      富枝
 「ゆたりら」へ送られてゆく冬日和   光子 (「ゆたりら」は介護施設の名称)
 銀杏を拾う行きずりのソクラテス    好子
 正座冷ゆ寂光院に目を閉じて    百合子
 立ち疲れ菊人形の帯ゆるむ      清香
 
 まだ70代の3人は、みなで京都に行ったのだという。嵯峨野の大河内山荘の話で盛り上がったのだが、私はまだ行ったことがない。大河内山荘は、丹下左膳で有名な映画俳優、大河内伝次郎の別荘である。私も近いうちに訪ねてみようと思う。
 
 声色は左膳マスクにくぐもらす  敏
 

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波郷は好い。特に青春の波郷は好い。

萩青き四谷見附に何故か佇つ 波郷

この句に惹かれ、四谷見附の交差点に佇んで見たが、別段変ったものは無かった。

波郷忌の四谷大きな空の下 龍一

その後、四谷見附には安い「遊び宿」があったことを教えてもらった。う〜ん。なるほど、それなら分かる。「何故か」が良く分かる。

2010/12/2(木) 午前 5:54 [ 遊人 ]

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遊人さん、いつも人生の深さを教えてくださって有り難うございます。なるほどそういうことだったのですね。

2010/12/2(木) 午後 11:56 [ Akio Bin ]

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秋尾先生の講評を深く受け止めている一人です。講評の幅広く、厳しく、心に届くことをこよなく嬉しく思っています。

2010/12/4(土) 午前 10:20 [ 瑠異 ]


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