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 新俳句人連盟70周年記念祝賀会に参加した。場所はお茶の水のガーデンプレイスホテル。新会長に飯田史朗氏が就任。ゲストの宮坂静生現代俳句協会会長、「港」主宰の大牧広氏、「豈」編集長の大井恒行氏らにお会いした。
 スピーチで、俳誌「南柯」と佐藤雀仙人に触れた。戦時中、もっとも国家に守られていたはずの俳誌「南柯」が、新興俳句の句風を保ち、さらにはプロレタリアート俳句の作家をかくまい、育てていたということを伝えたかったのである。この国の俳句文化はしたたかである。イデオロギーよりも俳縁、師系よりも友情が優先していることが多いのである。

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片山広明 "HAPPY HOUR"

 片山広明があたらしいCDを出した。"HAPPY HOUR"である。メンバーは 石渡明廣(g) 早川岳晴(b) 湊雅史(ds) 
「冥土の土産」などとおそろしいことを言っているが、どの曲もすんなり身体に入ってくる。入退院を繰り返して、この人はいつまで吹けるんだろうという状態なのだが、そこで"HAPPY HOUR"と言っちゃうのだから大したものだ。

 俳句の世界では、幕末や明治の脳天気な月並句をバカにする人は多いわけで、正岡子規がそういう俳句を批判したところから近代俳句は始まるのだけれど、よく考えてみれば、抗生物質も痛み止めも電気器具もない時代に、よい月ですなあ、なんぞと言い続けたというのは、よほどの精神力と思わなければいけない。

 曲は、Por Una Cabeza , Cry me a river , Darwin's Finches , The House of Rising Sun , March , Hymne a l'amour , gannets and boobies. どの曲も、病院で、あの曲はもう一度やっておきたいなあ、と思った曲なんだそうだ。分かる気がする。Darwin's Finches は早川さんのオリジナルだが、けっこうどう猛なカツオドリのお尻をつついて、その血を吸って生きているいるフィンチがいるのだそうで、そういう世界観も、片山らしいのである。 
 発売記念のライブが続いているけれど、体は大丈夫なんだろうか。働き過ぎないでいただきたい。6月26日のアケタの店のライブは良かった。28日のなってるハウスは、石渡さんが体調不良でお休み。サウンドが全然違っちゃうので、ちょっと残念でした。
 
 

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花岡幸代活動再開

シンガーソングライターの花岡幸代が活動を再開した。19年ぶりのことである。結婚し、家族との暮らしに専念すると言って音楽活動を休止したのだった。
1月10日、柏市のライブハウス、スタジオ・ウーで復活のコンサートがあった。会場は満員で、中には夜行バスで和歌山や奈良から来たという昔日のファンも混じっていた。
耳に馴染んだ「夢のしっぽ」や「人」、新曲の「十六夜」、「星空メール」と、相変わらず心に染み渡る声が会場を包み込んだ。声質や音程がすばらしいのは昔のまま。そこに深みが加わっている。ギターも良い。ほんとうにこの人は19年間もギターを弾かなかったのだろうか。前より巧くなった気がする。
花岡幸代が活動を再開したきっかけは、夫君を病気で喪ったことにあるようだ。自身の音楽活動を抛って愛し尽くした相手である。心の痛手は計り知れない。
今、花岡は、その心のすべてを歌に託して歌い始めた。ファッションのような音楽ばかりが氾濫する時代に、貴重な歌手が帰ってきた。悲しい再開ではあるが、その再デビューを心から祝福したい。
花岡幸代のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/hanaokayukiyo

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ソウルガールズ

 アボリジニへの偏見はそう過去の話ではないだろう。2000年のシドニーオリンピックの陸上400mで獲得したキャシー・フリーマンの金メダルが特別のものであるように感じられたのは、やはり差別ということが背景にあったからに違いない。
 まして、1960年代と言ったら、アメリカでも公民権運動の真っ最中であるから、オーストラリアでも、さぞかしすさまじい差別が横行していたのだろうと思う。
 そんな、かなりシリアスでトラジックな状況での「実話」を、この映画は、みごとにエンターテイメントに仕上げてしまった。
 このカラッとした明るさが、そのまま当時のアボリジニの少女たちのものであったとは思えないのだが、しかし映画はこれでいいのである。現在のオーストラリアの人たちが、この映画に共感し得たということが重要である。そのことが、この国のこれからを決めていくに違いない。
 前半の心理の推移の描写は、日本映画を見慣れた眼にはかなり荒っぽく感じられるが、次女ジュリー役のジェシカ・マーボイの歌がすべてを帳消しにしてくれる。
 マネージャー、デイヴ役のクリス・オダウドのダメ男ぶりもかなりのものだが、何と言っても後半は長女ゲイツを演じたデボラ・メイルマンの演技が、映画の質を支えている。いい映画だった。
 こういう映画を見ていると、十代の自分が、ジャズに傾いて行ったプロセスを思い出す。
 きっかけは、小学校四年生のときに見た映画「キクとイサム」だった。アフリカ系アメリカ人の兵隊が日本に残していった戦争孤児の物語である。私のすべてはこの映画から始まっている。
 1959年封切りのこの映画は、私の住む地方都市野田には、その翌年にやってきた。
 映画館は満員だった。なぜなら、この映画の夏祭りのシーンに、野田市の雨乞いの祭である津久舞が登場するということで、この地域の多くの人がこの映画を見に行ったからである。
 監督は今井正。脚本は水木洋子である。しげ子婆さんを演じた北村谷栄の演技は、小学生の心も動かした。映画好きの父から、実は彼女はまだ40代だと聞かされて仰天したのを覚えている。
 やがて中学生になり、アフリカ系アメリカ人の公民権運動に共感するようになったのも、この映画の影響だと思う。ラジオでジャズメッセンジャーズを聞き、ベースの音が聞きたくてスピーカーの箱を作り、アンプも作るようになった。その原点に「キクとイサム」という映画がある。
 一本の映画が、子どもの生き方を創り出す。そういうことはよくあることなのだと思う。
 

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 1月10日、東京オペラシティコンサートホールで行われた「山下洋輔プロデュース 東京オペラシティ・ニューイヤー・コンサート「ジャズのもう一つの夜明け」に行った。山下洋輔プロデュースとしては今回が最終回である。
 プログラムは4部構成で、最初が山下洋輔(p)、池田篤(A.sax)、中村健吾(b)、高橋信之介(dr)。
 次が、山下洋輔(p)、スガダイロー(p)、Miya(fl)。
 3番目が挾間美帆(p,arr)+真部 裕クァルテット[真部 裕(Vn)、沖増菜摘(Vn)、吉田篤貴(Va)、島津由美(Vc)]+はたけやま裕(pc)。
 最後が山下洋輔(p)、寺久保エレナ(A.sax)、中村健吾(b)、高橋信之介(dr)。
 最終回の山下洋輔に敬意を表するということもあるが、何と言っても池田篤と寺久保エレナを同時に聞けるということに興味があって行った。二人とも、クラシックでも通用する正統的な吹き方を基礎に置いて、ジャズ風に音色をアレンジするという吹き方だと思うのだが、結果としてずいぶん違った音になっている。その違いを知りたかったのである。
 しかし、残念なことに、1階27番という席では、アルトの音域の残響がきつすぎて、二人の音色の違いを十分に味わうことができなかった。もう少し天井を下げてくれれば違ったかもしれないが、二人に共通するクラシック的な部分が強調されて、似た音色になってしまうのである。
 まさにホールはメディアである。このホールではスタン・ゲッツさえもクラシックの音になってしまうのではないかと思われた。
 そのかわり、今回は、中村健吾、高橋信之介、スガダイローという3人の若手のすさまじさを十分に味わうことができた。この3人はほんとうにすごい。タイトルの「ジャズのもう一つの夜明け」に特に意味があるとも思えなかったが、要するにちゃんとジャズをやる若い世代がちゃんと育っているよ、と言うのが山下さんのメッセージだったのであろう。
 アンコールは全員総出というサービスぶりで、山下さんの「ハイク」を演ったのだが、このことは「俳壇」誌(本阿弥書店)の「俳壇時評」に書いておかなければと思う。
 山下さんの「ハイク」は5拍子、7拍子というわけではなく、4拍子(2拍子?)に乗せて575を叩き、あとはフリーという曲である。つまり、テーマは、ジャカジャカジャン、ジャカジャカジャカジャン、ジャカジャカジャン、これだけなのである。
 ご承知の方も多いだろうが、池田篤さんのお母様は、俳人の池田澄子さんである。山下さんはこのことをご存じなのだろうか。
 澄子さんにとっては篤さんはまだ心配な子どものようで、彼がどんなにすごいサックス奏者になっているかということを十分認識なさっていないところがある。一方、篤さんと話をしていても、お母様がどんなにすごい俳人かと言うことを認識されていないのではないかと思うときがある。まあお二人に照れがあるのかもしれないが、不思議な親子である。
 
 
 

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