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句会

 12月11日(土)
 午前中は樟の会。男性二人はまだ初めて間もない。
 野の匂いさせて十一月の雨    保子
 椅子のない机は怖い夕時雨   ひろ子
 究極の美は黄落の一葉にも    澄子
 築百年隙間風にも道がある      豊
 落ちてこそ明日に繋ぐ山紅葉     収
 右脳など疾っくに空っぽ小六月  けい
 
 午後はかしわ句会。軸でもっとも古くからある支部だがメンバーは大きく替わった。50代が二人入ってきて頼もしい。
 耳からの童話が紡ぐ冬の夜   益江
 日溜りに銀杏落葉の免罪符   伸桂
 駅ビルの店また一つ閉じ初冬  章子
 故もなきいかりを白き大根へ   敦二
 冬至来る正午が作る影の位置  智介
 鶏頭の固き頭を慰める       寿一
 ひと言の電話で別れ寒椿    はるゑ
 
  
 
 

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「軸」

 12月10日(金)
 軸1月号編集会。新年俳句大会の計画も練る。夕方は、来年の色紙のために守谷の斎藤澄子氏宅へ。すばらしい版画をお借りする。乞うご期待。
 軸は、昭和42年に創刊された。私が高校2年のことである。井上富月、河合凱夫(私の父である)、井上純郎、鈴木昌平らが集まって、「東虹」を離れ、同人誌「軸」を発刊したのである。
 昭和47年、その軸は、河合凱夫を主宰とし、「麦」の中島斌雄を師系とする結社誌に生まれ変わった。
 私が軸の活動にはじめて参加したのはその年である。大学3年生であった。「リズム考」という俳句のリズム論を1年間連載させて貰った。俳句のリズムは、音節、音歩、単語、文節、五七五の句切れ、連文節などを単位とするポリリズムだというのが論旨であった。今も、基本的にはその考えに変わりはない。
 その後の10年は、幾度かとびらの詩を書いたり、エッセイを寄稿したくらいで、ほとんど軸に関わってはいなかった。仕事に専念していたのである。
 ところが昭和60年、体調を崩して入院し、2ヶ月間療養休暇をとるはめになった。そのとき父が、また何か書いてみないかと進めてくれたのである。それがきっかけで、子規のことなどを書き始めた。また、パソコンに手を染めたのがきっかけで、軸を発送するための宛名シールの担当なども引き受けていた。
 平成11年の春、突然父が、俺が死んだら軸を引き受けないかと言ってきた。当時は、俳句評論に専念するつもりでいたので、俳人になるつもりはない、まして主宰などとんでもないと断った。父の体調が何となく悪そうだったので、弱気になっているな、とは思った。前年の12月から、咳が止まらなかったのである。
 平成元年、父は腹部大動脈瘤で緊急入院し、8時間の大手術で人工血管を入れていた。だから血圧を上げてはいけないと言われていた。咳が続くという状態は体によくないはずであった。
 私はそのとき『子規の近代』を本にしようとしていた。これは急がなければ、と思った。
 7月29日の朝、父は倒れ、帰らぬ人となった。7月30日発行の『子規の近代』は、その一週間前に自宅に届き、父はそれを1000冊買い取って軸の仲間や知人に送ってくれた。
 子どもの頃、父に遊んで貰った記憶はほとんどない。仕事にも熱心で、休日は俳句三昧の人であった。だが結局、父に導かれて生きてきたような気がする。あのとき、主宰を引き受けると言っておけばよかったと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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