|
2003年の4月1日は衝撃的な日でしたね。
身内でもない友達でもない、ただ遠くから見ていただけの人なのに泣けるなんてね。
始めは涙も出なかったんだけどね。
数日後、通勤電車のなかで急に涙があふれてきてねぇ。
それがけっこう続いたよね。
とにかく悲しいって言うより、くやしい、どうして?どうして?と言う感じ。
レスリーの身近にいた香港の俳優、歌手、プロデューサーの方々、中国や京劇関係者、
色んな人達、またドイツやブエノスアイレスの新聞などの追悼文を読んでいると泣けて泣けて・・・。
こんなにも彼はみんなに愛されていたんだなぁって。
そいで友達とどうしてレスリーは亡くなっちゃったんだろう?と真相など知るはずもないけれど、
ネットの情報に見入ってました。色んな事言われてましたね〜。当初は特に。
でもね、後で2002年の10月にも服毒自殺して、それは唐さんに発見されて未遂に
終わってたと聞いて、成る程ねぇ〜、絶対間違いなく死ねる24階から飛び降りたのかって
妙に納得しましたね。
春頃は色んなところであった追悼上映会に行きましたよ。
特に大きな画面で見た「さらば、わが愛 覇王別姫」のレスリーの美しいこと!
勿論何回も観てましたよ。だけどまたもや惚れ惚れとし、ため息が出ましたよ。
観ながらも「あぁ〜もうレスリーはこの世にいないんだなぁ。」と心の中で思い返したりして。
それと「ブエノスアイレス」ま、この映画に関しては大きな画面で観れるのはうれしいんだけど、
例えば、あのトニーが風邪ひいて凄い熱なのに、レスリーが食事おねだりして、
フライパン揺すってるところなんかね、いっぱいの人と観ると、笑い声なんかが起こっちゃうんで、
あ、そうか、これは映画だったんだなって気づくわけ。いつも一人で密かに観ていたので、
何となく彼らと私の隠れた物語だと思ってたふしがあったのよね。
夏頃になってレスリーの歌が聴ける気持ちになりました。
歌の途中のブレスしているところ、そこでまたもや「あぁ〜この時はここで息をしてるのに!」って
曲自体よりブレスが気になってね。その日からは毎日レスリーの声を聞きながら寝ました。
いつもレスリーが頭から離れない日々でした。
秋頃はただでさえもの悲しいのにレスリーの事を思いだしてはツ〜ッと泣けるんですよね。
冬、暮れも押し迫った12月30日、9月に子宮頸癌であることを公表していたアニタ・ムイまで
40歳で亡くなってしまってね、信じられない思いでした。
アニタのコンサートでレスリーが病気をおして出演していたなどと後で写真を見ると本当に悲しかった。
レスリーはこの頃は胃の内容物が逆流してかなり苦しんでいたそうですね。
何かこの年の暮れは香港は哀しみに包まれていたようですね。
でもつい最近中島らもの「心が雨漏りする日には」という鬱病体験の本を読んでて
チョット見方は変わったんですけどね。
それは中島らもが2回目のひどい鬱病になったとき頭の中に「死ね」と言う悪魔と
「生きろ」と言う天使が出てきてずっと囁き合うのだそうです。
その度に死のうと思ったり、生きようと思ったりを繰り返し、へとへとになり疲れ果て、
頭の中は生きるか死ぬかそれしか無くなったんだって。
俺は今死んだ方が良いんじゃないかと結論を出し、確実に死ねるビルから飛び降りようと
決心して立ち上がったその瞬間、体中からザーッと汗が出てきて、俺は本当に死ぬんだな、
とあらためて思ったらしいのです。その時わかぎえふが脚本の仕上がりを確認しに来て、
彼女の声を聞いて彼はにわかに生への希求がほとばしった。と書いてる。
もしかしたら、そういう紙一重って事なのかも知れないなぁって思ったりする。
だって前の日は、サーズ騒ぎの中、ブリジット・リン達とマスクをかけてマージャンしてて、
香港政府のサーズへの取り組みが悪いと怒ったりして、結構饒舌だったらしいからね。
でも飛び降りる前にはマネージャーだったかな?電話で話してたから、また違うのかな?
もうあれから、3年が経ちましたねぇ。身内でもない友達でもない、
ただ遠くから見ていただけの人と、あの素晴らしい時間を持てたことを幸せに思います。
|