Jimmyの明かり窓

今さらだけど、レスリーの映画評をHPから移し中

病気

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母の経過

11月8日に入院し、2が月が過ぎた。入院して状態がどんどん悪くなったので
10日程してHCUに入った。HCU(ハイケアユニット)はICU(集中治療室)と
一般病室の中間にあたるものらしくナースステーションの奥に続いていて、
24時間管理で見てくれる所。
その頃は親戚の人や近所の人が入院しているのがわかって順繰りにやって来た。

11月28日に私は病院へ行って母の顔を見てびっくりした。
死相が表れた顔というのを始めて見た。顔の頬や鼻の辺りが暗く陰が出来ている。
ショックだった。(これは下血が続いて貧血がひどくなっている為だったらしい)
私と義妹は交代で昼頃、弟は父を車に乗せて夕方か夜に毎日病院に行っていたので、
その日の夜、弟と話しをした時、弟も同じように思っていた事がわかった。

HCUには窓もなく、何となくムードも暗いので母は段々、日にちや時間の感覚が
わからなくなってきているようだった。行くと「今日は何日?今は何時?」と聞いていた。
それでも退院したらみんなで温泉旅行に行こうなどと言っていた。

その数日後、輸血をしたので母の顔は元のように戻ったが手も足もやせ細り、
顔も体も小さくなっている。食欲はなく食べても吐くので、ますます食べなくなった。
でも少し落ち着いてきたので昼は普通の病室で夜はHCUで暮らすようになった。

12月に入り血管が細くなり点滴が腕や足から出来なくなってきたので
鼻からチューブで栄養をとることにしたが、母が痛いと言って嫌がったのでそれも止めた。
それでは栄養がとれないし、腸が動かないのは良くないので今度は豆腐とかゼリーに
したものを一日に一食だけ食べることになった。これは食べてくれて良かった。

12月の終わり頃、いよいよ手から点滴が出来なくなったので鎖骨に埋め込む手術をした。
母はぐったりしているが手から管が取れて、手が自由に動くようになって喜んでいた。
昼も夜も普通の病室にいるようになったので、ましにはなっているんだろうな。

1月になってベッドの位置が窓側になったので良かった。ここは10階で六甲山の山なみが見えて
すごく展望は良いのだけれど、母はベッドに寝たきりなので廊下側に居た時は何も見えず
相変わらず時間の感覚がおかしかった。窓側に来て元に戻った。
誰だって病室の壁や天井を見ているだけでは滅入るよね。
山や空や雲や町並みが見えて、母はホッとしていた。

最近で驚いたことは何かと母を気遣ってくれていた同室の女性が急変して
突然亡くなってしまったこと。食事もしていたし、お元気そうに見えていたし、
その日のお昼も私はその方と話しをしたのに・・・。
母は、夜中にバタバタと看護師さん達が来てよその部屋に移ったと言っていた。
だけど実はいったんHCUに入りそのまま個室に移り、亡くなったとのことだ。
(もちろん母は今も知らない。言えないものね。)

今、母は私達が持って行くものを少し、ほんの少し食べるだけ。
でも痛い、苦しいと言うのを余り言わず、時々胸が締め付けられるような気がする
と言うだけ。それが救いだなぁ。

母の経過

10月7日(金)
母は背中が少し痛いのでかかりつけの病院でレントゲンを撮って貰ったところ
肺に水が1リットルも貯まっているとのこと。

10月14日(金)
抜いて検査した所、母の居ないところで、水には悪性の細胞が入っていて
腫瘍マーカーが普通、5の所250位あったと聞く。
話しを聞いていて肺ガンだと思った。

10月21日(金)
詳しい結果を私と両親で聞きに行くことになっていたがその前にT先生に電話して、
もし最悪の場合、母にはガンであることを隠すように頼む。
母の性格からして、ガンと聞いただけで倒れそうだし、落ち込んでどうしようもないと思う。
先生は私に進行性の肺ガンでH医大病院で放射線をするようにすすめた。

電話のあと3人で病院に行った。
打ち合わせてあったように先生は
「ちょっと悪い細胞が出ていて、炎症があるから痛くない方法で放射線あててみるのはどうかな?」
とびっくりするくらい、水が貯まると困ること、炎症があること中心に上手く話した。
先生は素晴らしい名演技で私はビックリした。
母は肺ガンとか手術するとか言われなかったので安心していたが放射線は怖がっていた。
先生からの紹介状とH医大の予約をしてもらう。
10月28日行くことになった、母が紹介状を読まないことを祈る。

10月28日(金)
その日私は行けなかったが弟と両親で紹介状を貰ったH医大に聞きに行った。
母がいるところでは、「放射線も止めてレントゲンで検査しながら
貯まったら水を抜いていきましょう。」との方針を示した。
その後、弟だけを残して先生は弟に進行していて3期のBであること、
もう無理なことはしない方が良いとの話しをされたそうだ。
母は入院しなくてよくなったので喜んでいた。

11月1日(火)
弟よりTELあり母親があまり歩けなくなったとの事。肺とは関係無いのだろうか?

11月8日(火)
夜中に母がトイレで動けなくなり、痙攣を起こし救急車で病院に入院したとのこと。
病院に行くとえらく老け込んでいた。

入院してから信じられない思いでいる。
11月になるまではピンシャン歩いていたのに・・・。
母は段々悪くなり、本人も家族も気持ちがついて行けない。
入院したときは車いすでトイレに連れて行ってもらっていたのに
すぐに紙おむつになり、食事が出来なくなった。
頭だけははっきりしていて「なんでだろう?情けない。」と母は泣いていた。
そして今度は言葉が少し話しづらくなった。可哀想に。おしゃべりが大好きなのに。

色々検査してもらったら肺ガンが脊髄に転移し、神経を圧迫したために歩けなくなったらしい。
母には歩けない理由の病名を加齢による複雑骨折によって神経を圧迫しているためだと言った。

この頃下血もしているので先生が腸を調べようとしたら母はやりたくないと言った。
前に注腸X線検査をして大変な目にあったのであの時大腸癌になっても検査はしないと言っていた。
母は血で汚れたパジャマを見て「私、癌やろか?」と言っていた。
だけど肺に関して痛くないので肺ガンだとはまったく思っていない。

父にも隠していたがやはり言っとかないといけないと思い弟が父に言った。
父は案外素直に受け入れた。良かった。父のフォローも弟と考えていたがこの分なら大丈夫だ。
母は貧血になったので輸血をした。

私達は毎日顔を見せに病院に行き、少しでも食べたいものを持って行くことしか出来ない。
とにかく今、苦しくないこと、痛くないことが救いだ。

「愛別離苦」

今日はマンションの消防設備点検日なんだけど
いつ来るかわからないから待ってます。
サッサと終わって欲しいなぁ。
その合間にブログでもさわってみようかなんて・・・。

母は実はつい最近 10月の終わりにチョッと背中が痛くてレントゲンを撮ったら
肺に水が1リットルも貯まっていて検査の結果肺ガンが見つかっていた。
もう抗ガン剤や放射線もできないらしく、ゆっくり進行していくので
水を抜いたり対処療法でやっていこうってなっていたんです。
母は凄く心配性で落ち込むから内緒にしてるんですけど。

友達のお父さんはそういう感じで後、半年と言われていたけど2年以上
過ごしているのでそんな感じかなぁと思っていた。

母は痛いことも苦しいことも無く元気にしていた。
なのに急に歩けなくなって倒れたからビックリした。
でも転移したとかじゃないらしく何か自分で悪く考えて落ち込んでいったんじゃないかな。
まぁまだはっきりと調べられていないので解らないんですけどね。

人間って科学や医学では割り切れない生き物なんだな。
もっと全体的なもの。

私は無神論者なんだけど前に聞いたことがある「愛別離苦」って言葉。
つまり親しい人や愛する人と別れなければならない辛さを言っているんだけど、
どうする事もできない運命だものね。どうする事もできないからよけい辛いんですけど・・・。

習い事で知り合った同年代の人も2年前に肺ガンになり、片肺をとる手術をした。
無事に治ることを祈ってましたが、転移しているのでつらいです。
モルヒネを背中に貼っていて、痛みはないそうですが、
呼吸が苦しいので1時間寝たら起きてって感じで大変なようです。
もうイレッサ(この薬を使って亡くなった方もいて問題になってますねぇ)
しかないと言うことで、聞いているだけでつらくなります。

息が普通に出来ること、それだけでも幸せですね。

母も長年隣で吸っていた父の煙草の煙に関係あるのかもしれない。
主流煙より、副流煙の方が何倍も有害物質が多いというのだから困ったものだ。
やっぱり分煙って大事なんだなぁ。

母が入院

昨日、母が倒れてしまって救急車で病院に行き入院しました。
もう高齢なのでいつかはこういう事になると覚悟していたけれど
実際になってみると実感がわきません。
夫の両親も健在でうちの両親も元気だったので喜んでいたのに・・・。

親の世代だけでなく、もう自分たちが危なくなってきた。
どうやって生きるかと言うことよりも、どうやって死ぬかという事の方が
難しい事が解ってきた。
 
健康はもちろん一番だよ。でもどんな時でも笑える事、楽しめる事は重大なことなんだ。

先天性臼蓋形成不全は 普通の人は股関節が骨盤に40度以内の角度で入っているのに
私は49度で間接の入り方が非常に悪く、これは生まれつきというもので
もっとひどかったら、股関節脱臼になっていて赤ちゃんの時に手術していたんだと思う。

それでわかった。
私は昔から学校行事で六甲山とか登るのがあっても皆について行けなかった。
友達と買物に行っても歩き回るとすぐに足がだるくなり、喫茶店にいきたがった。
バイトで立ち仕事ができない。などなど・・・。

さっそくリハビリの先生の指導のもと、運動を始めた。
今までの腹筋、背筋に加えて、足の力をつける運動、バランスボールを使ったものなど。

紆余曲折があり、一進一退 ス〜っとは治ってくれない。
整形外科は異常なほど混んでいて、行くだけで疲れる。
最近は暖かくなり随分 良くなってきた。

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