レスリング日記

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 今日は9月の世界選手権(デンマーク)の代表選考会を兼ねた、レスリング全日本女子選手権の最終日でしたね。
 55kg級ではアテネ・北京両五輪金メダリストの吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)が、1回戦と決勝で2004年2月以来、国内では5年2ヶ月ぶりにポイントを失いながらも、3試合でフォール勝ちの圧倒的な力を見せて優勝し、同大会8連覇を達成しました。
 63kg級は世界チャンピオンの西牧未央(中京女大)が勝ち、昨年67kg級に続いて2年連続優勝。48kg級の坂本真喜子(自衛隊)、59kg級の正田絢子(網野ク)も2年連続優勝で、坂本は5度目、正田は6度目の優勝を飾っています。
 51kg級は堀内優(日大)、67kg級は井上佳子(中京女大)、72kg級は佐野明日香(自衛隊)のいずれも全日本王者が優勝し、初優勝を飾っています。
 この結果、全日本と全日本女子を制した、48Kg級坂本、51Kg級堀内、55kg級吉田、63kg級西牧、67kg級井上、72kg級佐野が世界選手権の代表に内定。
 59Kg級は全日本王者の山名慧(中京女大)が初戦の2回戦で敗れたため、正田とのプレーオフで代表が決定します。
 2009年に入っても吉田選手強いですね!また、西牧など若い選手も伸びています。今回は大幅にメンバーも変わって世界選手権に臨むことになりますが、若い選手たちが世界選手権で世界の強豪とどのようなレスリングをするか?楽しみですね!

 昨日はレスリングの全日本マスターズ選手権が行われましたが、今年から新設された女子の部で64歳の女子選手がデビューしたそうです!当然女子の公式戦参加で最年長記録になりますが当分破られそうにない記録ですよね!
 その選手は東京の太田章レスリングクラブに所属する山田純子選手で2年前にレスリングを始め、週2回の練習を重ねて今大会で公式戦デビューしたそうです!
 エントリーは3選手で1人が棄権し、初戦が決勝戦となって同じクラブの西村優美選手に敗れたものの、年齢差が27歳あることで順位はつけず、両者1位となったそうです!^・^!
 2004年アテネ五輪で金メダルを取った吉田沙保里選手の勇姿に感動したのがきっかけで、レスリングを始めたそうですが、若い時にやっていたスポーツはマラソン、山岳、水泳で、レスリングはもちろん格闘技や武道の経験も無かったそうです!
 夫とともに盛況だった飲食店(中華料理店〜ステーキ店)を経営に追われ、スポーツをすることなく約30年がすぎたそうですが、数年前に店を閉じ、人生の豊かさを求めて、早大が社会人を対象にして開講しているオープン・カレッジに通うことを決意。最初は文科系の授業に通ったそうですが、自分に合わないと感じ、アテネ五輪での吉田選手の闘いに感動していたことと、「楽しいレスリング、というキャッチフレーズにひかれた」とのことで太田章氏(五輪銀メダリスト、早大教授)が講師のレスリング教室に方向転換したそうです。
 年齢だけでなく、格闘技の経験もないので最初は太田氏も心配したようですが、マラソンや山岳で足腰を鍛えていたせいか、下半身がしっかりしていて、何よりも熱心に練習する山田さんを見て「これならできる!」と思うのに時間はかからなかったそうです。
 ただ身長150Cmなので周囲と釣り合いがとれないこともあり、太田氏が運営しているキッズ教室「オータ・キッズ・クラブ」にも参加。1年前からオープン・カレッジとキッズ教室との2本立ての練習に参加し体格も体力もぴったりの相手とともに練習メニューをしっかりこなしているようです。
 周囲からは「10年は続けろ」とハッパをかけられているそうですが、それに対して、「ずば抜けたものはないけれど、ひとたび始めたら長く続ける性格ですから・・・』と今後も練習を続け、参加していくことを明らかにしたのは頼もしいですよね!
 応援したくなるし、私も負けていられませんね!
 写真の青の選手が山田選手です

 今週は心の中に空白ができた感じに見舞われた日が続いたと思います。
 長年、日本レスリング協会、全日本学生レスリング連盟、大阪レスリング協会等で副会長、会長を努められた、私の大学の大先輩で大恩人とも言えるO先生が逝去されました(享年78歳)。O先生は多くの要職をこなし、M大学で監督、総監督として指導しながら、代表を務めるS市民レスリング教室で、数え切れないほどの幼稚園児や小学生、中学生を指導してきました。
 先生が指導した選手のなかには、S市民レスリング教室を卒業した後もレスリングを続け、インターハイや国体、インカレ、全日本で優勝した選手、世界選手権で優勝した女子選手もいます。
 私が先生に出会ったのは16年前、私が24歳の時でした。その頃は職場で一部の管理職やその息がかかった連中に執拗な嫌がらせをされていました。嫌がらせをする連中を叩きのめして会社を辞めることも考えましたが、就職した経緯もあり、お世話になった人に迷惑をかけたくない一心でただひたすら耐えていました。職場に関係がある団体のラグビー部でラグビーを続けていましたが、ラグビーを続けるのも難しくなっていました。
 そんなある日、自主トレをしていた体育館でレスリングをしている子供達や大きな声で指導していた先生を見かけました。
 子供の頃からレスリングをやってみたいと思っていましたが、当時私の故郷は、レスリングを教えてくれる教室やレスリング部がある高校もない『レスリング不毛の地』と呼ばれていました。
 大学時代に体育の授業でレスリングを習ったこともあり『一生懸命仕事をしても、嫌がらせをされる。ラグビーを続けるのも厳しいし、やってみたかったレスリングをできるだけやろう!そして、悔いが残らないようにして故郷に帰ろう』と思いました。
 日を改めて先生のところに挨拶に行き『大阪にいる間にレスリングを勉強させてください』とお願いすると、その日からいきなり練習することに・・・・
 マット運動、基本動作、そしてタックル。走ってくる相手を倒すラグビーのタックルと、間合いを見極めて、相手を捉えて倒すレスリングのタックルの違いに戸惑ったのを覚えています。
 その後、自分も練習して、小さい試合に出場しながら、本やビデオで研究して子供達の指導をお手伝いさせていただく日が続きましたが、充実した日だったように思います。先生と家が近かったので練習の帰りは一緒にビールを呑んで帰ることが多くありました。先生と呑むとレスリングの話が多かったんですが、それ以外にもいろいろな話を聞かせていただき参考になることが多かったように思います。
 職場ではいやな事が続いていましたが、『がまんできるとこまで頑張ろう!』と開き直ったこともあり楽になった気がしました。一度いやな事があって暗い顔をしてた時に『先生、病気なん?』と小学生の女の子に言われた事がありました。そういえばO先生もレスリングや他の会議などでいやな事があったり、怒鳴ることがあっても子供達の前に出ると何もなかった様な顔をしていました。当時の子供達って結構感受性が強かったので、こっちが暗い顔をしていたり、不安そうな顔をしていると子供達に余計な心配をかけてしまうんですね。それから子供達と練習するときは、絶対に笑顔で接するようにしました。もちろん、まじめにやっていない子供を注意するときは別ですが・・・・・
 自分も練習、研究して子供達を指導しながら、多くの大会で審判や競技役員をする機会もいただきましたがこのときの経験は今も仕事や私生活にも役立ってることが多いと思います。
 先生に出会って3年、職場で配属異動があり仕事の内容が大きく変わる異動でした。例を挙げると『体育の先生が、今度はいきなり音楽を教える』感じですね。それを機会に職場を辞めて帰郷する決心をして、『お世話になりました。事情があって帰郷することにしました』挨拶に行くと、『今まで辛い事もあったと思うが、お前の大好きなレスリングに免じての2年後の大阪国体までは何とか力を貸してほしい』と頼まれました。『少しだけ考えさせてください』と話し、その日は練習に参加せず帰宅しましたが、次の日に実家の母親から連絡がありました。O先生が私の両親と話し合い『今の状態で故郷に帰っても本人のためにはならない!』との結論に至ったらしい。『もう少し頑張ってみるか』と気を取り直し再スタートしましたが、その後暫くして私が結婚することに・・・なんとか、私を関西に留めておきたい先生とっては違う意味でも嬉しかったようですね。大阪国体が行われる平成9年2月2日に挙式。私の主賓は会社の人間ではなく、敢てO先生にお願いしましたが、立派な挨拶をしていただきました。これで、平成9年の大阪国体は競技役員として夫婦で参加することが決定的に・・・雑務と時間との戦いに追われ大変でしたが、大阪国体に夫婦で参加できたのはいい思い出になりました。そして大阪国体の後も故郷に帰ることはなく現在に至っています。
 結婚の直前に大阪から兵庫に引越し、再びラグビーに関わったり、子供が他のスポーツを始めたこともあり、レスリングの教室に行く回数は減ってしまいましたが、たまに子供と一緒に教室に行ったり、大会のお手伝いに行くと喜んでくれたのを覚えています。
 今年の5月に職場が大混乱し、レスリングの会議に出席できず、欠席させてもらえるよう電話したときに『また、顔出せや!一緒にビールを呑もうや!』と言われたのが最後の会話になってしまいました。
 レスリングの発展と大好きな子供達の指導に人生を捧げ、全ての情熱をそそぎ、ビールをこよなく愛した先生でした!
 レスリングに対する情熱が強すぎるのと、歯に衣着せない言動のため各協会内には敵も多かったそうですが、裏表のない人柄だけに親派や慕う人間も多い先生だったと思います。
 11月3日、4日にお通夜と告別式が行われましたが、レスリング界や各界から900人近い参列者があったとのことでした。お通夜に家族で出席させていただきましたが、先生に最後のお別れをした後、もし先生に会ってなかったら、『俺はどんな人間になっていただろう?』と思い、いろいろな出来事が思い出されました。若い頃心が荒れたこともありましたが、その後道を踏み外さず歩んでこれたのは先生にいろいろな事を教えていただいたおかげだと改めて実感しました。
 先生ありがとうございました!これから先生に教わったことをレスリング界だけでなく、スポーツをする少しでも多くの子供に伝えて行こう!と決意をあらたにしたじみけんでした。

 
 
 

 今日は世界女子レスリング選手権の最終日でしたが、55K級に北京五輪で2連覇を達成した吉田沙保里(綜合警備保障)、北京五輪72K級銅メダリストの浜口京子(ジャパンビバレッジ)が登場しました。
 吉田は初戦から圧倒的な強さをみせて、準決勝までの3試合を全てフォール勝ち。決勝でも、テチアナ・ラザレワ(ウクライナ)を相手に優位に試合を進め、第2ピリオドの途中には吉田の強烈なタックルでラザレワが足を負傷。試合続行不可能となり、同大会6連続優勝、五輪を含めて8大会連続の世界一に輝きました。北京五輪の後で、疲労や調整具合が気になっていましたが、強かったですね〜!
 試合後は、本人もロンドンで五輪三連覇を目指すと宣言しましたが、常に進化してるように思えるだけに、期待したいですね!
 72K級の浜口は、初戦こそフォール勝ちしましたが、やはり本調子ではなかった感じでしたね!組み会う中で、相手の圧力で頭が下がりがちなのが気になりました。
 北京五輪後、モチベーションの低下やケガなど苦しんでいたようですね!
 準決勝で無名の洪雁(中国)に敗れ、世界王者に返り咲く夢は消えたものの、3位決定戦でオチルバト・ブルマー(モンゴル)にリードされる苦しい展開から、第2ピリオドを取り返し、第3ピリオドも連取して2−1の逆転勝利で銅メダルを獲得した浜口の戦いには執念を感じました。
 3位決定戦に勝利した浜口の笑顔は印象的でしたね。
 浜口も30歳を迎え、五輪後はすぐに現役続行を表明しましたが、「今はゆっくりと休みたい。休みながら今後のことを考えたい」と話したそうです。これまで、女子レスリングを牽引してきた浜口の功績は大きいと思います!とにかく今は、ゆっくり休んで、ほしいと思います!
 この大会で、日本は51キロ級の坂本日登美(自衛隊)、59キロ級の正田絢子(網野ク)、63キロ級の西牧未央(中京女大)と吉田が金、67キロ級の新海真美(アイシンAW)が銀、48キロ級の坂本真喜子(自衛隊)と浜口が銅となり全階級でメダルを獲得しました!
 若い選手の成長を見ることもできたし、収穫の多い世界選手権だったと思いました!^・^!
 

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 世界女子レスリング選手権東京大会は今日2日目を迎えましたが、48級に坂本姉妹の妹、坂本真喜子(自衛隊)、63K級に西牧未央(中京女大)が登場しました。
 世界選手権初出場の西牧は、決勝でリュボフ・ボロソワ(ロシア)を圧倒。2−0の判定で破り優勝! 日本女子選手では20人目の世界王者となりました。
 西牧選手は当初67K級にエントリーしていましたが、伊調馨の欠場で本職の63K級にスライド出場した大会で見事優勝を飾りました。この後は、伊調馨と言う大きな壁に挑むことになりますがロンドンに向かって若い力が出てきたことは嬉しいですね!
 48K級の坂本真喜子(自衛隊)は準決勝で敗退しながらも、3位決定戦でデメト(トルコ)、第1ピリオド1分20秒でフォール勝ちし銅メダルを獲得しました。これからロンドンを目指す坂本真喜子選手にとって大きな銅メダルになりそうですね! 
 
 

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