共和の架空取引と政界癒着事件
今回の総選挙で、かつて日本政界の重鎮だった加藤紘一氏が14選目指したが落選した。日本中国友好協会会長であり、日中友好に多大な貢献をしてきた方の落選、大変残念に思う。 |
思い出話
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バブル時代会社の贅沢振り
前回:勤務先の突然の倒産宣告この記事を書くため、何とか参考資料を見つけようと、株式会社共和というキーワードでGoogleやYahooで検索を掛けたが、一つも当らなかった。完全に消えた会社だ。 共和会社の倒産で退社した後、私は翌日から御成門近辺の会社で働きはじめたが、社員同士の解散会参加や会社と契約を結んだホテルでの食事券利用などで、何度も新宿に行った。
契約ホテルの食事券
契約ホテルでの「食事券」?いま世の中、顧客招待用にはたまにあるかもしれないが、従業員が使うには、まずないと思う。もしかしたらバブル時代の特有ものかもしれない。
当時、社員に福利厚生の一環として、昼食事を会社負担という名目で、1日千円、月2万円の契約ホテル専用の食事券がみんなに配られていた。実際は、職場に別の弁当屋さんとも契約を結んでいるので、昼間にわざわざホテルに食事を取る人はあまりいない。食事券は、ほとんど夜の飲み食いに使うのは実態だった。
私は、周に2、3回しか行かないアルバイトでも、社員同様に毎月上司から2万円つづりの食事券が手渡される。当時では酒をあまり飲まない私は、精力的使うとしても、毎月が自然に貯まってしまう。
会社が倒産した後、食事券は12月中旬まで使えると通知されたので、家族を連れて、何度もそのホテルのレストランで贅沢な食事をしにいた。
エレベータガール
会社が入居していた建物は、当時では周辺に一番高い新日本火災ビルというピカピカな高級オフィスビル(いまはすでに名称変更された)。女性社員専用のピンク制服を着る可愛い美女二人がいつもフロアのエレベータ前に立つ。エレベータが開け閉めするたびに、来客なら「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」、社員の出入りなら「いってらしゃい」、「お帰りなさい」を必ず挨拶する。いまの銀座高島屋や新宿京王デパートのエレベータガールと同じだった。
ラウンジ
入居ビルの高層階に、社員と接客専用のラウンジが設けられている。ラウンジと言って、談話室のようなものではなく、高級洋酒が並べられ、昼間と違うセクシーな制服を着る女性が勤務していた立派なナイトクラブだ。いまの都庁やパークタワーができる前の時代なので、窓から東京の夜景を楽しむグッドスポットでもあった。私は職場の仲間と何回そこで軽く飲んでいた。現金払う必要もなく、給料から天引きができるのもメリットひとつ、また値段も格安で、1回2000円程度で済む。ある晩、たまたま仕事が遅くなって、例の契約ホテルで夕食をとってから、仲間から一杯やろうかと誘われ、このラウンジに軽く飲みに来た。その時、外で飲んできた専務さんが何人かに囲まれながら、「あぁ、あぁ」と声を出しながら、ラウンジの入り口から入ってきた。みんなは一斉に席から立ち上がった。上機嫌の専務さんが「今晩皆さんの飲み代を、俺のところに付けるぞ」とカウンターガールに言い放った。
「専務、ありがとう〜!」、「専務万歳!」 「さあ、全員挙杯、カンパイ〜!」 (つづく)
次回:後で聞いた共和政界汚職事件 |
勤務先の突然の倒産宣告
休日の書斎整理で、株式会社共和の社員証が出てきた。あっという間、20年以上経ちました。光陰矢のごとし。 1990年11月のある日、大学の授業がなかったので、朝から今の都庁敷地に近い新宿のバイト先共和に出勤した。 取締役設計センターの所長○○さんは朝早々、役員会議室に入った。社員達は普段とちょっと違う顔で仕事をした雰囲気がなんとなく感じた。 昼前の11時20分ごろ、○○所長は席に戻って、社員は一斉に立ち上がった。 所長は、「昼飯を食ってから話しする。飯だけを食わないと」。 午後1時、鐘が鳴ると同時に、みなさんは所長机の前に集まった。 「皆さんがすでに今朝の新聞テレビなどで見た、聞いたと思う、会社は倒産した。今から、取り掛かっている仕事はすべて中止する。担当者レベルでの顧客先説明は不要だ。個人給与などは管財人から後日個別に連絡がある。私物の片付けを含めて、出社できるのは今月一杯だ。社宅や寮に住んでいる人、一ヶ月以内にすべて退去する。私は今日中に辞表を提出する。私も皆さんと同じ被害者だ。これから別の仕事を探しにいくしかない。」 所長の話はたった3分で終わった。みんな席に戻って、各自の机の前にタバコを吸い始めた。 (その時代、机の前にタバコを吸うのは常識、女性事務員は自分の担当業務をしながら当番制で、一日に一回、男性社員の灰皿を掃除してくれるんだ。男女平等が当たり前という意識が持つ私は、それは何じゃと思う) へい?こんな立派な会社、倒産?寝耳に水だ! でも仕方がない、次の仕事を探すしかない。ひと呼吸の後、午後2時ごろ、私は会社隣りのコンビニで求人雑誌を買って、御成門にあるエンジニア会社に応募の電話を掛け、4時に、その会社に面接訪問をした。 私の履歴書を受け取った人事次長から、「共和さんか、今朝のニュースを見たよ、大変だね」、「図面を描けますか?時給2500円で、明日から会社に来れますか?」 一連の質問に、私がすべてOKをもらい、次長は「ちょっと待ってください」と言い、社長室に入った。すぐ、社長さんが現れ、「金さん、明日からうちにぜひ来てね、待っています。」と、面接交通費として千円現金が入った封筒が手渡された。 あぁ、これはバブル時代だ、良かったなぁ。 でも、この会社で空調ダクトの設計図を描くのは、たった半年だけだった。まもなく、その会社も倒産してしまった。 なんじゃ、俺は入った会社はみんな倒産だ。もしかしたら俺のせいかと自分にも問い詰めた。 (つづく) 次回:バブル時代の会社贅沢振り |
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