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8月6日 金曜日
クレムリンとは 城壁という意味らしい 昔は城壁の中だけが モスクワの街 赤の広場 ロシア語で 赤は 美しいと同義 長い間雪に閉ざされる北国だからかな? 美しい広場という意味で 共産党のイメージカラーの赤ではないらしい
今は城壁のレンガが赤いけど、最初は白だったとか〜 知らないことが多い
クレムリンの真ん中にすご〜く近代的なショッピングモールが 有名なレーニン廟前の長〜い行列を横目に 私たちはトレチャコフ美術館へ 炎天下 予約していても 少し並ぶ 暑いさなか 中国人観光客が横入りしてくる ちょっと堪忍してほしい 欧米人から見たら 私たちも 同じアジエンス 困ったもの〜
ロシア正教の教会の屋根は どうしてあんな形をしているの? と尋ねると ろうそくの火の形
カトリックと違って 偶像崇拝はしないから 教会の中の空間で神様とつながるとか なんか イスラムのモスクっぽいなぁ 夜はいよいよ 市内から南西60Km 郊外のベカーソボ村で 交流会
![]() ここでも いろんな曲を歌ってくれ そののちに トロイカ を みんな嬉しくなって 思わず日本語で歌いながらフォークダンスに ![]() ![]() この時も 娘たちは キョトン
彼女たちは トロイカ も知らない![]() お琴に お茶 書 ロシアの皆さま とっても喜んでくださいました。
![]() ベカーソボ村に招いてくださったセルゲイさん
この旅行を企画してくれたジーマさん 日露創幸会の江藤代表 三人とも 本当に気さくで素敵な人たち セルゲイさんは チェルノブイリで被災した子供たちをずっと支援され チェチェン紛争で被災した遺児たちも支援を続けていらっしゃいます。
プロ並みの歌唱力にびっくり![]() お返しに みんなで東京音頭で盆踊り
「ロシアには日本人の敵はいません ロシア人はみんな日本人が大好きです」 と話され お別れの時には とっても温かいハグをみんなにしてくださいました。 |
旅行
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ロシア旅行から帰国して いつの間にか 一か月以上過ぎ
忘れてしまわないうちに モスクワでの日々も綴っておきます。
8月4日 木曜日
高速列車サプサン号で サンクトペテルブルグのモスクワ駅から
モスクワにあるレニングラード駅へ
モスクワにつくと もう夜の10時過ぎ 緯度が少し低いモスクワではこんな感じに 翌日 モスクワ大学へ しかも 本部棟は本部棟内にある学部の教授と学生以外は入れません
強〜いコネで 入れてもらいました
有名な ちょっといかついスターリン建築の代表的な建物の本部棟は
地質学の女性教授が案内してくれました。
参加者の一人が書道家さんで
ロシア語でカチューシャをプリントした横に 小筆で日本語の歌詞を書いたものを教授にプレゼントすると
教授が嬉しそうに
カチューシャを歌いだし![]() いつの間にかみんながハミングで唱和 ![]()
にしても モスクワなのに 気温は30度越え〜〜 暑〜〜いよう
![]() あっ そうそう
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旧ソ連時代にはレニングラードと呼ばれたサンクトペテルブルグは
「聖ペテロの街」を意味する 建都を命じたピョートル大帝が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたらしい 絢爛豪華で、まるで巨大なディズニーランド
しかも3百年前からの本物の建築物 高層建築物はなく 何処を見ても美しい街並み 思わず、そりゃぁ革命も起きるなぁ 貧富の差 権利の差 ありすぎ〜 北東方の後進国だったロシアが西欧列強に追いつけ追い越せ
ん?? なんか時代は違うけど明治維新のころの日本みたい
古いスラブ系の文化や歴史よりかっこいい欧風にせっせと切り替えたみたい
日清日露戦争に勝って沸いた日本みたいに
当時の強国スウェーデンに大北方戦争で勝って大いに沸いた
街中 記念の像や建築物や噴水の数々が残っている よっぽど嬉しかった?
おまけに その後にドイツ出身のエカテリーナ2世が女帝になって
ますます 負けへんよ〜みたいに 絢爛豪華になっていった
その間 圧倒的多数の大地に根付いた農民たちは さぞかし 苦しかったやろなぁ
日本でも農民一揆とかあって
時代をひっくり返すのは うっぷん 不満 不公平感 これは世界中同じかも?
ただ 社会主義のソ連になっても、文化遺産を壊さず残したところはえらいなぁ
ナチスにボロボロに破壊されたエカテリーナ宮殿の絵
かつて ナチスドイツにぼろぼろにされたエカテリーナ宮殿も 見事に復活させた
有名な琥珀の間の琥珀もはぎとられ 未だに行方不明のまま
ならばと 本物の琥珀で前以上の琥珀の間を作った このひどい写真を見て
ロシア人の女性ガイドさんに
「ロシアの人たちはドイツ人が嫌いにならなかったんですか?」
と尋ねると
「ドイツの人たちは、この宮殿にたくさん観光に来てくれます。
悲しい歴史ですが、それはもう歴史の1ページ 私たちの国(日露)にも戦争はあったでしょう? それも一つの歴史です」
なんか 懐が深いなぁ それにしても
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今回の旅行を企画してくれたロシア人のジーマさん
ロシアの人は愛称で名前を呼びあうらしい
ジーマさんは ドミトリーなんとか〜 言いにくいからジーマ
彼はモスクワ大学の中の東洋日本語学科が独立した大学(なんか日本と制度が少し違うみたい)卒業
非常に優秀で人柄がいい その彼は現在エストニア在住 それはエストニア人の奥様と結婚したかららしい
![]() 美しい街並み 修復を繰り返し美しい街を守ってきた
![]() この美しい国も バルト海の要衝として 地理的に苦しい時代が長かった
デンマーク ポーランド スウェーデン ドイツ
そして ソ連(ロシア) 侵略を繰り返され 圧政に苦しみ 独立を勝ち取り また奪われ
ようやく エストニアとして存立している シベリア抑留は戦後日本人捕虜が味わった悲劇 それよりももっと前の時代に ソ連は エストニアからもシベリアに強制連行を行い 多くの人たちが犠牲になった
エストニア人の奥さんを持つジーマ君に ロシア人とエストニア人の中に確執はないのか尋ねてみると
「あります」 と重く答えてくれた。
歴史は世界中、戦争の歴史でもある
エストニアは今エストニア人だけではなく50%はエストニアで生まれ育ったロシア人がいるらしい 独立前に ロシア人にアンケートを配られ 独立に賛成した人だけがエストニア国籍をもらえた ただのアンケートだと思い 正直に反対と書いたロシア人には今も国籍がない パスポートには エイリアン(宇宙人)と記されている
一緒に旅行した人が 在日韓国朝鮮人の人たちと似ていると言っていたけど
在日の人は国籍があるし 希望すれば帰化もできる 一応 希望すればロシア国籍は取れるらしいが
生まれた時からエストニア 今更ロシア国籍もしっくりこない と考えエイリアンのままの人が多いらしい
エストニア語が話せない人も多い 難しい問題を抱えている
エストニアの歴史を振り返ってみると簡単ではない ジーマ君とソフィアさん結婚するとき 家族間に問題は出なかったのかなぁ
幸せな家庭を築いてほしいなぁ 夕方には ラスナマエ区の区役所で地元の皆さんと交流会
ジーマ君は 日本語 エストニア語 ロシア語で同時通訳 お疲れさま(中央左 ジーマ君 右 美人の区長さん)
準備が段取り良くできず ちょっと時間を取りすぎて 疲れたなぁ でも 楽しかった ![]() ![]() エストニアの人たちにとって日本文化にふれることはとっても珍しいことらしいです
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エストニアのタリンに向かう途中
成田から フィンランドのヘルシンキに向かい 高速船でタリンへ
初めてのフィンランド
せっかくだから もう少しゆっくりしたかったけど
船に乗るまでの短い時間にお買い物
皆さんはマリメッコへ
あんまり興味のない私と娘は ふら〜っと他のお店へ
すご〜くお買い得! ラッキー 買っちゃいました。
ヘルシンキはきれいな街
![]() ![]() ![]() 澄み渡る青い空 旅行の前日に荷物を準備して3時間ほど寝て 早朝4時20分から MKのシャトルで関空へ
LCCのピーチさん 少し遅れるし 成田で第一ターミナルについてから第2ターミナルに向かうバスゆっくりやし
集合時間に遅れて ぎりぎりに着いて
最初からバタバタ 飛行機の中でも寝れなかったし と、くたびれてる顔の言い訳〜〜
さぁ今から魔女の宅急便のモデルになった町と言われているタリンに向かいま〜す。
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トロイカ

彼女たちは

プロ並みの歌唱力にびっくり
という感じ



美しい街並み 





澄み渡る青い空 旅行の前日に荷物を準備して



