ブラームス

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前編では二人の「プラトニック・ラブ説」に沿って話を進めましたが、実際はどうだったのでしょう。
今回は「他の説」を取り上げてみたいと思います。

クララとブラームスは果たしてプラトニックだったのか、それとも違ったのか。

ブラームスはシューマンとクララの家に出入りし、シューマン亡き後はクララの助けとなり、またプラームス自身もクララの助けを得たのは事実です。
また、二人が恋仲になったのはシューマンがまだ元気な頃で、それが元でシューマンが気を病み病気になった、という説もあります。
ただ、これは当時の社会状況やクララの父との関係もあり、シューマンの病気についても隠されていましたから、真実ではないようです。

しかし、プラトニックかどうかは別にしても、実際にクララとブラームスは親密な関係にありました(1年ほど不仲の頃もありましたが)。
ブラームスは曲が出来るとまずクララに批評してもらい、クララがOKを出してから出版社に持って行ったのです。
ピアノ協奏曲第一番が不評だった時には毅然とした態度で彼をかばい、「天国に持って行きたい曲」にクララはロベルトではなく、ブラームスの曲を選びました。
二人で連弾も行ない、指揮:ブラームス・ピアノ:クララで協奏曲の演奏もあったとか。
ただ、これは当時「クララのお墨付き」「後ろ盾」があると無しでは出版社の対応が全く違ったためで、ブラームスを売るためにクララが尽力していたという事ではありますが。

思えば、クララがシューマンと出会ったのは、まだ子供の頃でした。
ファースキスから結婚まで5年で、それからシューマンが亡くなるまで16年、そこからクララが亡くなるまで40年です。
年数だけで言えば、クララがシューマンと過ごした時間より、ブラームスとの時間の方が圧倒的に長い。
とは言え、父の反対に裁判まで起こして結婚し、8度の出産。そして夫シューマンの死と自身の気の病で心身共にボロボロ。クララはこの時すでに37才。
たとえブラームスとどういう関係になろうと、結婚への情熱などもう起こらなかったのかもしれません。

一方のブラームスも、実のところクララが本当に自分を愛しているのか、いつも不安だったのではないでしょうか。
ロベルトに隠れて密かに逢っている時も、クララの心にはいつもロベルトの陰が見える。それはロベルトが入院してからも、亡くなってからも同じこと。
誰よりも先にクララへ楽譜を送り、それを賞賛の言葉と共に世に送り出してくれるクララ。
しかし、いくら賞賛されても所詮は賞賛でしかない。
少なくともクララはロベルトの曲に恋をし、まるで自分の体の一部のように愛していた。
自分の曲も同じように、クララは愛してくれているのだろうか。

クララとブラームス。
生涯クララを愛し続けていたブラームスと、同様にロベルトを愛し続けたクララ。
真相は分かりませんが、思うほどに切ない物語です。


              (※この話はあくまでも私の想像です)

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クララ(クララ・ヴィーク→クララ・シューマン)はシューマンの愛妻で、19世紀を代表するピアニストであり作曲家でもありました。(5月20日が命日)

ブラームスはシューマン夫妻と共に過ごし、シューマン亡き後はクララを支え、深い親交を持ち続けます。
手紙も残していますが、ブラームスはクララを愛していました。
二人は「恋愛関係にあった」という話もありますが、専門家の間では否定されています。
ブラームスの思いを受け入れるクララ。しかし、その目は「愛」ではなく「家族」を見る目。
クララはシューマンを心が病むほど愛していましたので、ブラームスに対しては最後まで家族以上の感情を持てなかったのだと思います。

入院中に見舞いに行かなかったのも、愛が冷めたためではなく医者が止めたため。でなければ、自由恋愛を求めて裁判を起こす程のクララが、離婚せずにいたわけがありません。
世間に病気が知られないように隠し、逢うことも禁じられ、ロベルトを愛しすぎる余りに心を病んでしまったクララ。
ロベルトが亡くなると、その症状はますます悪化。そんなクララに、ブラームスは自分の思いをストレートにぶつけられたのでしょうか。

ブラームスがクララの娘を好きになったのも、そこにクララの面影を見たからであり、男として愛されない悲しみから逃れるために、分身である娘が欲しくなった。そう考えても不思議ではありません。
しかし、それはどこまで行っても心の偽り。ブラームスが好きなのはクララなのです。

また、それは曲にも現れています。
「CLALA」に含まれる音名は「C」と「A」。
夫のロベルト・シューマンは、この二つの音を巧みに使って作品を生み出しましたが、またブラームスも曲で一番多く使ったのが「A」が絡む調でした。

ブラームスの曲と言えば難しいイメージを持つ人もいますが、私はそう思いません。
クララへのドロドロとした愛が封じ込められ、爆発しているようにさえ聞こえます。
「変ロ長調」の曲では「ニ短調」の楽章を多く使っていますが、この2つの調で共有するのは「D」と「F」。
これにCLALAの「A」を足せばニ短調、BRAHMSの「B」を足せば「変ロ長調」。
「A」と「B」。つまり、二人の競演です。

それにしても、ブラームスは交響曲第一番に時間をかけました。
習作を沢山残している作曲家もいますが、ブラームスはそれをしません。余程の思いと覚悟があったのか。
「ハ(C)短調」。これもクララの象徴、クララの「C(モール)」ですから。
身の回りの世話もし、心の支えにもなっていたブラームスにとって、もはや「音楽」しかクララを振り向かせる術が無かったのかもしれません。
愛されるためには曲で認められるしかない。ベートーヴェンに匹敵する、いや、それ以上の曲を書き、曲に込められたメッセージを伝える。

交響曲第1番、第1楽章冒頭のティンパニー。
これは彼自身の鼓動であり、重さ・厳しさは決意。
保養地では明るい2番を書いたものの、再び3番の第1楽章展開部でクララへの思いを爆発させます。3楽章に入ると悲しみが止まりません。
こうなると、もう気持ちを抑えることが出来ない。
4番では最初から思いをぶつけ、まるですすり泣いているよう。クララはきっとこれを聴いて苦笑いした事でしょう。


私は胸が締め付けられるのです。
切なさ・希望・悲しみ。1番から4番まで、交響曲の全編にクララへの抑えきれぬ思い、欲望とドロドロした狂おしいほどの愛があふれています。
手に触れようとすれば触れられる程、すぐ目の前にいるクララ。自分の思いを知っているクララ。
もし無理強いしたなら、心はどうあれ拒否はしないであろう。だが、それはしない、出来ない。ロベルトもクララも尊敬している。

ブラームスは「完璧主義」と言われますが、それもこれもクララに愛されたいが為の行動の様にも思います。
尊敬もあるでしょうが、それより「愛されたい」「認められたい」出来ることなら「自分が尊敬されたい」。もし、そう思っていたとしたら、彼の心理も理解できるのです。
ブラームスが本当に手に入れたかったものとは、クララとの「関係」より、音楽家として男として「尊敬される事」。この方が上だったのかも知れません。

さて、今回は数ある説の一つをベースに書きました。
次回は他の説をベースにしてみましょう。


              (※この話はあくまでも私の想像です)
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ブラームス「交響曲第4番」。
私はこの4番が好きでたまりません。それは一体何故なのでしょう。
交響曲にしては重みのないホ短調ですが、この憂いのある調性で有名なものと言えば、チャイフコフスキーの5番、ドヴォルザークの9番、あとはショスタコービッチの10番くらいでしょうか。
そして「チャイコフスキー5番」と「新世界より」と、この「ブラームス4番」と言えば私が大好きな3大交響曲と言っても過言ではありません。

第一楽章。
少々難しくなりますが、この4番はいきなりカノン(追っかけ旋律)で始まります。
しかも完全なカノンではなく、1小節1調性での進行。
カノンを聴く醍醐味は、何と言っても後発旋律が先発旋律にからみついてくるパズルの様な整合感なのですが、当然先行旋律が移調すると複合調となってしまい、スッキリと調を進行させることが難しいですよね。
そこがまた幾何学的というか何とも言えない魅力なのですが、この4番では追っかけ旋律の形を微調整して調性・響きを優先させて行きます。ですからあの憂いに満ちた雰囲気を維持できるのです。

第2楽章はと言うと、最初の主題は短調でもなく長調でもない「フリギア技法」という教会旋法。後のシェーンベルクの「12音技法」を予想させます。
この選択は素晴らしい。
短調では1楽章と被りますし、だからと言って長調では曲全体としての色が別の物になってしまう。「あの4楽章」まで持っていくのも非常に難しいです。
そこで「フリギア技法」という特定の色・感情を抱かせない厳かな色を用いる事によって、ニュートラルな調性的な役割を果たしているのだと思います。
実際に聴いていると、この2楽章で第1楽章の最後に沸騰した心を、一旦静めてくれるのですよ。
譜面を見ると面白いのですが、音の流れが曲を逆回しにした形になっていますし、あらゆる事をやってくれています。
バッハにも傾倒していましたから、こういうパズルも大好きだったのでしょうね。

さて第三楽章です。
主題でいきなり上下のパートが鏡に映したような形になり(上がドレミなら下がミレド)、再現部に入ると今度はこの形が逆になって現れます。
まるで、挑戦状でも叩き付けられているようですよ、譜面を見ていると。
「さて、いくつ見つけられましたか?」
ひとつ発見するたびに「しめしめ・・・」と喜ぶのですが、まあ実のところそんなことは昔から本に書かれているのではあります。でも、そこが素人クラシックファンの醍醐味なのですよ。
テクニックとしては、バッハやモーツアルトの時代からよく用いられていましたが、このブラームスは幾何学的な印象を全く持たせず、仕掛けが潜んでいるなどとは微塵も感じさせません。そしてそのパズルは続く第4楽章でピークを迎えます。

第四楽章は御存知パッサカリア。
定義は色々ありますが、一般的には通奏低音の形を変えないシャコンヌと違い、パッサカリアは痕跡さえ残せば自由に形を変えられます。
「変えられない」縛りがあるシャコンヌと、縛りが無いパッサカリア。
考えようによっては「自由」で「楽」に思えるパッサカリアですが、自由だからこそ発想力と力が露呈してしまいます。
それにしても、この自由で劇的な展開。一体何なのでしょう、見事すぎます。
あまりにもうねりが大きすぎて、聴いている途中でパッサカリアを忘れてしまい、「もしかしたら捨てたのではないか?」と思えるほど。
この楽章で、ついにパズルも最高潮に達するのでありました。


さて、自分が好きだから言うわけではないのですが、日本人はこの4番が好きなのではないでしょうか。特に第1楽章などは。
例えば構成です。ソナタ形式であれば、本来は第1主題が短調なら第2主題は長調(「ソナタ形式」は後日記事にいたします)。しかしここでは第2主題も短調です。
楽章全体が短調一色で塗りつぶされ、暗いというか憂いというか、そんな雰囲気が全開。日本人は、まずこの「短調」が大好きなのです。
また、1楽章冒頭・第1主題の最初の4音。
4音目で半音上がってしまいますが、実は3音までピアノの黒鍵だけで弾けてしまい、この音形を基本として曲が進みます。

「黒鍵だけ」と言えば、日本独特の旋律「四(ファ)七(シ)・ヨナ抜き旋律」。
これは演歌や文部省唱歌でも多く用いられているもので、古くから日本人の感性にしっくりくるもの。試しに黒鍵だけで適当にメロディを弾いてみてください。どこかで聴いた演歌調になると思います。
ですので、当然三味線などもこの旋律が前提として作られており、そのために三味線で洋楽を弾くと、面白いことに長調が短調になってしまいます。

実は、この話はアメリカにも通じています。
日本人も立派な有色人種ですが、その昔にアメリカで白人が有色人種に歌を教えた際に「シ」がどうしてもフラットしてしまい、メジャーコードが歌えずにマイナーコードになってしまいました。
そこで仕方無しに、メロディも伴奏もそのままに「メジャーコードの伴奏の上にマイナーコードの歌が乗る」という形になり、その憂鬱な(ブルー)感じから「ブルース」「ブルーノート」が生まれたのです。
日本人が苦手な「ファ」と「シ」を避けて出来た「四(ファ)七(シ)・ヨナ抜き旋律」。今でもファとシの音程がとりにくい人、沢山いますよ。


大分話が横道に逸れました。
まあ、そんな事もあって4番は日本人の感性にとても合っているのでしょう。・・・と、私は勝手にそう思っているのであります。
4番が大好きな私。やはりガチガチの「日本人」という事になりますね。

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