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実像のクララとは一体どの様な女性だったのでしょう。 ソナタから協奏曲を聴く限り、なよなよした女性とは思えません。 そもそも父親に対して裁判を起こした程ですから弱くはありませんが、かと言って強靱な神経の持ち主とも思えない。 その当たりのギャップがまた男の心を掴むのでしょう。 幸か不幸か私はこの時代に生まれました。クララと出会う程の才能など持ち合わせてはいませんが、もしまかり間違ってブラームスの様な境遇であったとしたら、やはり彼と同じ様な道をたどったでしょう。 そんな妄想を携えながら、シューマン亡き後の人生に思いを巡らせるのです。 この曲は、1833年から1835年(クララ14才〜16才)に作曲されました。 今で言う中学生です。初々しいではありませんか。 これを大家の円熟した協奏曲と比較するのは野暮というもの。クララの少女時代を想像しながら聴くのが正しい聴き方です。 この曲が作られたのは、プロデビューしてロベルトとファーストキスをする前、天才の名声を手にして明るい未来を約束された頃です。 どうです? 光輝いていると思いませんか? この後、毎年のような出産と演奏旅行に忙殺され、おまけにロベルトの病気が発症します。 ロベルト亡き後のクララは半分抜け殻状態だったのでしょうから、このように沸き上がる「生の輝く音」はもう生み出せなかったのかもしれません。 合唱曲や歌曲、室内楽や管弦楽曲も書きましたが、この後再び協奏曲を書くことはありませんでした。 クララの人生を見て、もしロベルトと結婚せずに女流ピアニスト・作曲家としてそのまま歩いていたとしたら。成熟してからまた協奏曲を書いたなら・・・などと思ってしまいますが、そうなったらシューマンのシューマンたる曲が果たして生まれていたのであろうか。また、作曲家ブラームスが成功し、世に出たのであろうか・・・。 「もし」「たら」「れば」。これは歴史におけるタブーではありますが、空想の世界に誘う魔法の言葉でもあります。 ※この記事は、年表とクララの日記から紐解いたもので、あくまでも全て私の想像です。
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