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クラシック音楽は難しい。 楽器が出来ないし、譜面も読めないし・・・。 そんなニュアンスを感じる事があります。 私は譜面を読んでいくつかの楽器をこなします。でも、それは音楽を楽しむ上で関係がありません。 それに、弾けると言っても程度の問題。 リコーダーで学校の音楽の時間に教科書に載っている譜面を吹いた。 中学の時に音楽部にいた。 アマの楽団で今でも演奏している。 とレベルはありますが、どれも所詮プロの演奏者から見たらずぶの素人です。 確かに「弾くから解る」難しさや楽しさは存在します。でも、それはそれ。 弾けるから楽しめる部分もあれば、弾けないから楽しめる部分もある。 「この楽しさは、弾いたからこそ解る部分だよね」 と、演奏者ならではの楽しみもあれば、子供の頃大好きだった曲が、弾くようになって難しさが分かり純粋に楽しめなくなった。そんな事もあるでしょう。 演奏出来る弊害の一つとして、こんな人がいます。 「自分は聴かせる側の人間である」と、聴くだけのファンに一線を引きたがる人。自分を特権階級の人間とでも思い違いをしているのでしょう。いい気持ちはしません。 しかし、そういう人が本当に音楽を知っているのか、また楽しんでいるのかというとどうなのでしょう。 それは、演奏会が終わった後の会話を聞くと如実に現れます。 「気付いた? 79から95小節、ヴィオラが突っ込み気味で粒が揃っていなかったね」 「そう、それに1楽章のフィナーレでトランペット。バランスが微妙に崩れていたよ」 開口一番、眉間にしわを寄せて語り合う面々。 「プロなのかなぁ」「良い耳をしているな」 いえ、騙されてはいけません。この人たちは、音楽を聴く耳を持っているのかどうかさえ分かりません。何故なら、この人達はただのジャッジマンだからです。 神経を集中させて、一体何を聴いているのでしょう。 その「演奏のミス」「減点」を拾い出す作業は、まるで「フィギア・スケート」のテクニカルポイントを採点するかのようなもの。 もしかすると、この二人はヴィオラとトランペットのプレイヤーなのかも知れません。もし自分に縁のある楽器のあら探しをしていたとするなら、何ともつまらない聴き方ではありませんか。せっかくの良い演奏を堪能する事が出来ないのですから。 「聴いていて感動する」「心地よい」 恐らく、彼らの辞書には無い言葉なのでしょう。それどころか、自分の楽器しか聴いていなかった、或いは見ていなかった可能性すらあります。 それでも、「それも楽しみの内」だと考えれば良いのかも知れません。楽しみ方は人それぞれなのですから。 ただ、こういう人達が「解説」や「レビュー」を書いたら大変です。 どんな名演を聴いても「第○楽章の○小節での○○のミスが悔やまれる」「技術的に満足出来るレベルであるが、弦と管のバランスが悪く聞きづらい」こんな事しか書けないのではないでしょうか。 その演奏会がどれだけ感動的であったか、何が良かったのか、それでも残念だったのはどこなのか・・・。 そんな興奮醒めやらぬ「人を惹き付ける」レビューなら、案外楽器・譜面に精通していない一般のファンの方が、素晴らしい物を書ける。そんな気さえしてしまいます。 「楽器が出来る」 出来るが故、全体を聴かずに特定の楽器ばかりに集中する。 譜面が頭の中をぐるぐる駆け回って離れない。 難しい部分が近づくと思わず緊張してしまう。ピアノなら、小さなミスタッチが気になって仕方ない。 こういうものは経験者に多いものです。 音楽が「くつろぎ」ではなくなってしまうのですね。 ところで、「演奏者」と言うと、まるで「音楽万能の優等生」のように聞こえますが、実は「ヘ音記号が読めない」「ヘ音記号しか読めない」、こういう人も結構いるもの。 それどころか、音感が悪い人もいれば、リズム感が無い人すらいます。 「曲なら何でも知っているだろう」と思うと、交響曲すら聴いたことが無い人がいる。 曲の感想を聞いても、テクニック的な事ばかりで音楽性はチンプンカンプン、こういう人もいるのです。 そんなプレイヤーに比べたら、色々な曲を聴いて感動できる「聴く方専門」の方が、よっぽど音楽の何たるかを知っています。 少なくとも「『○○交響曲』のどこが好きですか?」と訊かれ、「一番トランペットが目立つから」と応えることなど無いでしょう。 「演奏する」事と「音楽を聴く」事は全く別のもの。
楽器も譜面も知らなくて全然構いません。いかに楽しめるか、感動できるか、これが一番大事なのです。 何のしがらみも無く音楽を聴いて楽しめる「聴き専門」。これも大きな幸せの一つと言えるでしょう。 |

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