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地域の歴史を調べるうちに松姫逃避行の話に興味を持ち調べております。
間違い、ご指摘、異論などが御座いましたら上記メールアドレスまでお願いします。
興味を持ったのは松姫と信長の息子信忠との純愛についてです。
幼少期に武田ー織田間の政略として縁組されるも、文通から信忠と愛情を深め、お互いを信頼しあうようになるのだが、悲運にも双方の家は戦争へと向かっていく。
長篠の戦の後、信長は甲斐への侵攻の総大将として信忠を総大将に任命し、松姫の住む高遠の城に迫る。
松姫は実兄の盛信と別れ、甲斐新府城へと逃れその後武州八王子に逃避行をする事となる。
当時の八王子城城主北条氏照(武田氏と同盟)の庇護を受けたかどうかは解からぬものの(氏照は松姫にぞっこんで度々求婚していたという逸話もある)八王子で旧臣達と細々と糸を紡いで生活していた松姫だったが信忠は松姫のことを忘れられず、生存していると言う話を聞きつけると改めて嫁に迎えるため自ら甲斐に出向いたという。
その知らせを聞いた松姫は甲州上野原まで信忠を迎えに出るのだが、、
道中、信長の本能寺討ち死にの知らせを聞いた信忠は京都の二条城に急ぎ帰ってしまう。
待てど暮らせど来ない信成の替りに松姫の元に届いたのは二条城での信忠自害の知らせだった。
その後、松姫は徳川家康の庇護の下、出家し信松院を開山し、生涯独身を貫く事となる。
松姫を慕い八王子に集まった武田旧臣達は後に新撰組の基礎となる八王子千人同心と言われる幕府の警護隊を築き、近代日本へと向かう日本の中、武士の魂を守る組織の礎となっていく。
千人同心は家康にも可愛がられ、家康の死後、日光に亡骸を運んだのは千人同心と言われており、日光の家康の墓周囲には武田菱がぐるりと囲まれている。
家康の出自に関する様々な逸話と合いまり、大いなるロマンに包まれるこの時代。
運命に翻弄されながらまだ見ぬ(信忠と松姫は一度も会ったことがないといわれている)許婚を一途に思い、生涯をかけて愛し合った信忠と松姫に興味を持ち、周辺古事を調べていこうと思っています。
ご覧になった皆様の中に詳しい方が居て、情報を頂ければ嬉しいです。
上記メールアドレスまでお願い致します。
2012/2/5
新府城址まで行ってきました。
新府城は信長の猛攻に備え勝頼公が作ったものでしたが、大軍の前に戦わず焼き払われた悲運の城です。
韮崎市、七里岩の南端に位置しこの辺りは道幅も狭く甲府への最後の砦でした。
小高い丘の上(251段の階段がありました)に有り、多くの鉄砲櫓を構える篭城の為の城と言った様相でした。
然しながら、長篠の戦で多くの有力な武将を失った勝頼には既に迎え撃つ力さえなかったのです。
信玄の生前、信長の侵攻を予測していた信玄は勝頼に府中での決戦を指示していましたが、既に力を失った武田軍と長篠の大敗を避けられなかった勝頼には信玄の教えを実行する力はありませんでした。
城址からは八ヶ岳、南アルプスの眺望が良く、武田宗家の始まりの地と言われる韮崎市。
勝頼公がこの地に城をどうしても構えたかった意図が見えるような気がしました。
生まれ育った諏訪からも美しい八ヶ岳が見えた事でしょう。
本丸跡地には勝頼公以下14将の石碑が立っていました。勝頼に最後まで同行し、終焉の地田野で片手千人切りと言われた土屋昌恒の石碑も並んでいました。 |
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一年ぶりきたー!!!
なにかあった?
2012/3/20(火) 午後 9:03 [ him*wa*i*3232*00 ]
いや、体調を崩してました(苦笑
体調が悪いといろんな意欲が無くなるんだよね。
2012/3/22(木) 午前 10:37 [ jin ]