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恒例年末夜回り
12月27日〜30日 19時〜20時まで
18時50分 高坂牛乳店に集合 1月3日 10時〜11時 児童公園にて
焚き火を囲んで、雑煮を食す。 町内安全と健康の為、町内初顔合わせを行います。
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川つくり 決定事項
取り組み事項・・・ ホタルの育成
山葵の育成も取り組めれば・・・
その為の決定事項
1.現在の川の状況調査の実施 水質、水量、流量、水温等 2.大津市内のホタル育成地区の現地調査と
ホタル育成団体との意見交換
3.特別育成地区の選定と専門学芸員への相談
次回ミーティング開催日時 1月22日 15時〜
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快晴に恵まれ 約50名の参加 大盛況!
各家庭に御餅を届けることができました。
和気藹々!持ちつき先生の応援もあり、いい餅を10臼?(25キロ)
糟汁の提供・子供用に栗・さつま芋の提供など多数の方の支援も・・
からし大根おろし・普通の大根おろし・きな粉・醤油・アンコで試食!
「焚き火で焼き芋」突然の発案にもかかわらず、多くのさつま芋が、集結?
年寄りから子どもまで餅をつく、みんなの応援・声援に支えられて
初めてのイベントなので、戸惑いも
もち米を前日から洗って一晩水に浸して、水切りはどのタイミング
蒸し加減の判定基準は?しんが無ければOK、
「こづき」の仕方やどの位まで・・・
一臼でどれくらいの大きさの餅がいくつ出来るのか?
のしもち・御鏡餅の作りかた?
臼・杵・蒸籠・ガスコンロ関連道具などなどの準備
からし大根おろし・普通の大根おろし・きな粉・醤油・アンコなどの準備
開催までの準備が万全だったので、スムーズに実施できました!
準備をしてくださった方々に感謝!感謝!です。
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昭和44年編纂の大津市史に「大津京の時代から、打出浜に瓦工房が世襲であり、大津京、平安京の宮殿、社寺、民家、にも多くの飾り瓦が使われた。」
江戸時代まで、大津絵、大津算盤、大津組紐と並んで、打出瓦は大津の名産だった。 坊主町の某氏宅に「滋賀郡松本村住人、瓦師、井塚出雲守為久、改井上弥兵衛」刻印の立ち葵の軒瓦あり。
唯伝寺の大屋根の3mの鬼瓦に「滋賀松本村、壬申天保3年、井上弥兵衛為久」こんな箆彫が見られる。
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甚七町を流れる常世川の由来にかかわりのある渡世人?
昔、常世川(つねよがわ)という渡世名をもつひとりの侠客が大津にいました。清水次郎長率いるあの"清水一家28人衆"のひとりに数えられていた男でした。
晩年、次郎長が幕臣・山岡鉄舟に感化され、富士の裾野の開拓に携わった折、「自分は根っからの博徒ですから」と、次郎長と袂を別ち、滋賀に流れついたといいます。 明治24年、神崎郡選出の県会議員・磯部亀吉氏が、滋賀県庁舎を彦根町(当時)に移転することを求める建白書を議会に提出しました。その主張は「大津は国の片隅にあって不便。彦根は中央に位置して便利だ」というものでした。 彼の建白書は県議会を二分しただけでなく、滋賀県全体を巻き込んで、大きな論議を呼び起こしました。大津にすれば県庁を渡したくない。一方、彦根からすれば是が非でも県庁を誘致したい ―― 。双方が中央政府への働きかけを強める中、県民も賛否両論、各地で演説会を開き、ついには双方、一触即発の事態となりました。 そのとき、地元大津の意を受けて立ちあがったのが常世川でした。 200人の子分を引き連れて県庁を取り囲み、制止に入った警察を相手に「県庁を(彦根に)もって行くなら、この常世川の屍を越えて行け」と啖呵を切ったと伝えられています。 またこれ以前には、やはり彦根の熊役、下駄常という二人の侠客が常世川を訪れ「県庁移転に憤激した常世川の子分が暴行を計画しているようだが、何とか引き止めてくれ」と直談判。対して常世川も事態を憂慮し「熟慮して穏やかにせん」と応えていることが、当時の新聞(日の出新聞・明治24年12月23日号)で報じられています。
結局、この結末は中央政府まで巻き込み、県議会は強制的に解散、県庁は大津に残され、次の移転論議まで約半世紀を待つことになります。 (以上、京都新聞滋賀本社編著・新近江史を歩く近代編、滋賀県議会史より)
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