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大津の甚七町に公儀の目付長坂新右ェ門、藤沼猪之助が住んだころ狐がよく来て目付をだました。今の有楽座前の浜通が急に大井川になる。手拭を頭にのせて裾をからげ“浅いぞ浅いぞ”と狂言の出方のような風で川を渡る。向こうの方で肩まで着物をまくり上げて“深いぞ深いぞ”と答えて渡る。近所の人々がまた狐にだまされとると大勢笑って見た。これではというので稲荷さんを建てやがて遊郭が出来た。狐はいなくなったが、それから客をだます芸姑が出来た。
『近江今昔』(昭和39年3月31日発行 ¥280円) 著者 中神天弓
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日記
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大津の甚七町に中世公儀の目付長坂新右ェ門、藤沼猪之助が住み、稲荷を祀って目付屋敷の稲荷と呼んだ。妖狐が来て害多く困ったからである。
享保12年(1727)秋の頃、境内に茶店を構えて遊女のたぐいをおいた。甚七廓の始めである。大体、柴屋町廓の起源とよく似ている。
『近江の説話覚え書』(昭和46年3月1日発行 ¥500円)著者 中神天弓
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自治会長 清掃続け7年
ふるさとの川を守ろう ごみ捨て被害が減少(抜粋)
ふるさとの川をきれいにするため、大津市松本二丁目、甚七町自治会長北村健二さん(74)が、7年前から週に2度、一人で地元の常世川を清掃している。
京都新聞 2003年(平成15年)3月1日(土曜日)
私たちの町づくり 1986年毎日郷土提案賞に寄せて
川浄化で連帯感 大津市甚七町自治会(抜粋)
昨年8月8日の夜、大津市松本2丁目の児童公園では模擬店で埋まった。甚七町自治会(94戸)主催の七夕祭り。無料の流しそうめんサービスや会員提供の植木市などの多彩な催しで、自治体単独の祭りとは思えない盛況ぶりだった。
毎日新聞 1986年(昭和61年)4月5日(土曜日)
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○○新聞 表題「我が町」 日付不詳(抜粋)
大津市甚七町周辺
あばれ川 今は美しく
名神大津インターチェンジから琵琶湖文化館に通じる交通ラッシュの大通り横切っているのが、旧東海道の京町、中町、そして浜の各通り。
これらの道路には緑の木々に囲まれて神社や、みがき抜かれた格子、土壁の家が続く甚七町、了徳町がある。甚七町は今は87世帯の小さな町だが、太平洋戦争が始まった昭和16年ごろまで「稲荷新地」でにぎわった花町。(中略) 琵琶湖に注ぐ常世川は、あばれ川の悪名を返上、改修された美しい流れが、落ち着いた町の風情を伝えている。 懐かしい昔の華やかさ浜通りに木造では数少ない三階建ての家、甚七町自治会長、木村小太郎さん(61)宅である。木村さんは昭和12年、20歳で、海軍に入隊、戦後は海上自衛隊に入り、総務、厚生の管理業務担当の文官として舞鶴、大阪に長い期間勤務、三年前、定年となり、今は息子夫婦と孫に囲まれ気軽な生活。「うちは昔、料理屋だったんです。この一体は稲荷新地という遊郭がありましてなあ。新地へ遊びにきた人が、芸者衆を連れて料理を食べにきやはったもんです。隣の家は、今は金物屋さんですが、以前は帝国館という大きな映画館で、この辺はちょっとした歓楽街でした」と当時の華やかさを回想する。 ここの花街は、日華事変前が最盛期で太平洋戦争が始まった昭和16年には廃止された。つくったのは、芝居の興行元だった田中善五郎さんという人。 その義娘が「俵屋」の田中多可子さん(73)同家に残っている昭和2年1月14日付けの「近江新報」を見せてもらった。 ”大津市の名物男、三笠山善五郎翁の半生”との見出しで、当時のいきさつが大書してある。 田中さんは「善五郎は、明治初年、今の国鉄大津駅近くの裁判所のところにあった”四宮劇場”の興行元をしていたんです。そのそばに小さいくるわがあったんですが、県庁が建つことになったので、劇場は引っ越しました。そしてあとに遊郭が残ったんです。県庁のそばに花街があったんでは具合が悪いということで新しいくるわを作ったんですね」という。 住んでよさがわかる
遊女が願った地蔵尊
義仲寺の史跡保存会執事をしている矢守守一さん(80)は大津に生まれ育ち、さる29年まで新聞社の支社長も勤めた人だけに大津についての知識は豊富。
「甚七町のくるわは、2,30軒のお茶屋が並び、芸者、遊女も30人ぐらいいました。義仲寺には木曽義仲と、その愛妾だった巴御前の霊を弔う巴地蔵尊があり、稲荷新地で働く女性が自分の好きな人に合わせて下さいと願をかけに通ったのではないですか」。親のために苦界に身を沈めた遊女の悲しい願いを、この地藏さんは一手に引き受けていたのだろうか。(中略) 町の宝
田中義一郎さん(71)は農林省のお役人だった。中庭には立派な「車石」があった。「この車石は、札の辻から京都蹴上げ、今の都ホテルまで続いていたんです。石にミゾをつくり、そこに車の車輪をはめて通したんですね。逢坂山を越えて京都へ米や野菜を運んだんですよ」(中略)
浸水の心配、今はなし甚七町内を流れる常世川のほとりで文具店をしている田中茂さん(77)に川の由来を聞いてみた。「明治のころ、このあたりに常世川という名の侠客がいてつけたと聞いてますよ。稲荷新地遊郭の実力者だった人の名を付けた名かもね……この川は、昭和30年後半から上流の山手で始まった宅地開発の影響を受け、大雨が降るたびに川がはんらん、人家浸水の被害を受けた。山の緑が果たしていたため池の機能がなくなったためだという。 「打出中あたりから水があふれ、一番下流の甚七町で30軒ほど、他の町内も含めると百軒以上が毎回浸水したんではないですか。夜中に大雨が降ると、 商品を片づけるのに大変でした」と手振りをまじえて語る。そんな”あばれ”川だが、再々、市に陳情した結果、41年に改修された。静かな川面が夕日を浴びて光っていた。 |
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近隣の人たちは、「じんひちちょう」
と発音しているように・・・
「角川日本地名大辞典」では、じんひちちょう 「新修 大津市史 中部地域」では、じんしちちょう 「滋賀県の地名 日本歴史地名大系25」では、じんしちまち 「大津百町物語」では、じんひちまち 「七」を(しち)(ひち)と読む?「町」を(まち)(ちょう)と読む?
「言葉のゆれ」は出版社・著者の判断基準によって決まる?
住民感情としては、(じんひちちょう)の読みが・・
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