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昭和な安房勝山自然公園
今回は「昭和的心の遺産を求めて・・・」にて以前投稿しました
「昭和な安房勝山にタイムスリップ」と
「安房勝山竜宮城水族館と勝山遊園地」の続編として、
当時の観光パンフレットと絵葉書から「昭和な勝山自然公園」の紹介です。
過去記事は、こちらをクリック
昭和30年代、勝山町の観光パンフレット
小麦色に焼けた水着姿の女性に、勝山水族館と浮島を配置した表紙はグッドセンス!
パンフレットを開くと、当時の観光地図が詳しく描かれています。
鉄道を境に上側が鳥瞰図で下側が観光案内図になっており、当時の観光施設の様子を
知る事ができます。
勝山竜宮水族館
大黒山の洞窟を利用し、ガラス張りにした水族館で珍しい魚類の生態が充分に観察出来る
ようになっていました。入口にある竜宮門をくぐると先ず大きな海亀が悠々と泳いでいた
そうです。地元の方の記憶では入場料は300円位だったとの事。
勝山自然公園 海浜とターザン島(浮島) 水族館
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勝山自然公園
スポーツランドと大黒山登山エレベーター
大黒山と佐久間川の中間の広場を利用して大規模なスポーツランドが作られました。
飛行塔・観覧車・サークリング・ロータリーチェアー・豆自動車・自動木馬・豆汽車等が
動き子供達に大人気だった。また地元の方の話しでは小動物園も併設されていたようで、
猿・孔雀・象等が飼われていたようです。またボールを投げて的に当たると鬼が怒る遊具
も有ったそうです。
大黒山登山エレベーター
大黒山は100m程の山で、スポーツランドの横から登山エレベーターも建設されました。
大黒山の山頂は公園になっていて、ここからの眺めは遥か伊豆の島々富士箱根の連山を
一望することが出来、その勝景は房総半島に冠たるものです。
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勝山自然公園・パールアイランド真珠島入口 真珠島・海女
はるばると志摩まで行かなければ見られなかった養殖真珠が房州勝山でも見物出来るよう
にと、パールアイランドが建設されました。海女さんが海底に潜って採ってきた真珠入り
のアコヤ貝を 買う事も出来、真珠料理も賞味できたそうです。
今だから話せますが、実はこの海女さん、本物の海女さんではなくてアルバイトだったそう
地元の方にこの絵葉書を見て頂いたところ、ああこれは○○さんちの○○ちゃんだと・・・
実名を聞かされてちょっと驚いちゃいました・・・
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勝山自然公園・海浜大浴場 田子荘 海浜の宿 頼朝荘
勝山海浜公園は夏期限定の営業で、都会からの避暑客で大いに賑わいました。
海の施設では東海汽船直営の海の家・海岸大浴場・無料休憩所・貸しボート・シャワー
更衣室・飛込台・海水プール・遊覧船・宝探し等、夜になると納涼大会・地元芸能人の
手踊り等が催されていたそうで、時には力道山や赤木圭一郎も来ていたとの事。
勝山の観光事業に敏腕をふるったのは、平田未喜三氏です。平田氏は昭和25年〜29年の
勝山町観光協会会長時代に、勝山自然公園・遊園地・水族館等の各施設を建設しました。
東海・東京両汽船会社の支援もあり、勝山は夏期には一大レジャーランドとして、めざま
しい発展をとげました。 映画俳優として「蟹工船」の船長役も演じた平田氏は、その後
鋸南町長となり、テレビのワイドショー等に出演し、個性的なキャラクターで地下足袋町
長として名をはせました。
次回「昭和な勝山の風景」に つづく
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房州・洲崎へ
実はじのさん、只今レイトサマー中です〜
レイトサマーって、遅い夏休みって意味なんだそうです・・・
と言う事で、今日はじのさんの癒しのスポット房州へ行って来ました。
洲の崎は房総半島の西南端 心地良い潮風に包まれながら、東京湾口を行きかう船舶を眺めるのも楽しみのひとつ。
今日の館山湾には停泊船は少なかったようですねぇ・・・ 三連休明けで、人影も少なく、波静かな磯場でした。
少し霞んでいましたが、遠くには雲を被った大島が薄っすらと見えましたョ
磯場には、沢山のタカラガイが打ち上げられていました。
タカラガイの種類は豊富ですが、どれも稚貝で1㎝〜2㎝程の小さいサイズばかり
残念ながら、コレクションにするような大きさのサイズは見つかりません・・・
と、思いきや少し離れた水深10㎝程の海中にビッグサイズを発見!
逸る気持ちを抑えて、パチッと撮影
拾い上げて見ると、思ったより小さい・・・
海水のレンズ効果によって、大きく見えたんですかねぇ
この後、波打ち際で同等サイズを追加ゲットしました〜
画像右のタカラガイで、4.5㎝ありました。 今までじのさんが採集したタカラガイの中で一番大きいサイズです。 ところで、何方かこの二枚貝の名前をご存知ですか?
貝殻の縁がギザギザしていて、肉食恐竜の化石みたいですねぇ
もしかして、新種発見か!?(^^; * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
じのさん、いつもBAY−FMを聞きながら車を運転しているんですが、今日は
「あの素晴らしい味をもう一度!」という テーマで募集があって、リスナーより
千葉県人なら小学校の給食で食べた「麦芽ゼリー」をもう一度食べたい!との声
が・・・ じのさん、その麦芽ゼリーって知らないんですがねぇ 年代的な違い
だと思うんですが、それに共感するBAY−FMのスタッフも居たりして異様な
盛り上がり感が・・・すると他のリスナーからフルヤ牛乳エリア(千葉県北部)
を中心に給食で配給しているとの情報が入り、蓮沼の道の駅でも売っていて、遠
くから、わざわざ車で買いに行っているとか・・・そんなに美味しいのなら一度
食べてみたいと思わせる内容でした。ところが学校から帰って来た息子に聞いて
みたら、あぁ知ってるよ〜だって! 君津市内の学校給食にもたまに出ているよ
うです。同じく学校給食で「バンバンジードレッシング」をかけたくて、うずう
ずしてるんです〜との声も・・・ こちらは学校給食に携わっている方からの返
答で、北関東エリアを中心に業務用はSSK・丸和油脂が、小袋は理研から出荷
されているそう。でも「バンバンジードレッシング」については、息子も知らな
いとの事。ちょっと気になるBAYエリア情報でした。
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コメント(3)
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消えゆく昭和な木更津
嘗て木更津の繁華街は駅を挟んで西側一帯にあり、現在でも昭和の面影が色濃く残っている。
しかし近年では街の華やかさは失われ、老朽化の進んだ家屋も目立つようになっていた。
また最近では、それら昭和時代の建物が取り壊されている光景を多く見掛けるようになった。
鳥居崎通り 「木更津温泉ホテル」
昭和48年建築の鉄筋コンクリート8階建ては、当時木更津で一番の高さを誇っていた。
先日、足場が組まれているのを目撃したので、本日現場に向かってみると・・・ 木更津温泉ホテル旧館の部分は、すでに取り壊しが始まっていた・・・
大正の末に佐久間旅館として創業。特に旧館の建築構架や室内装置には、技法上に見る
べきものが多く、個人的にはその保存を望んでいた。せめて解体前に記録保存しておき
たかった。 別稿にて紹介予定
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八剱八幡神社前にあった「ムラヰ書店」 2013年5月撮影 ムラヰ書店跡は駐車場に・・・ 2014年8月撮影
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与三郎通りにあった「ロックムーン」 2013年6月撮影
与三郎通りに連なる飲食店
いつの間にか、ここも駐車場に・・・ 2014年8月撮影
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南片町浜通り 閉館後の「木更津東映」 2012年5月撮影
木更津東映も解体されていたとは・・・
跡地は駐車場になり、隣の人参湯(廃業)が大きく露出した。2014年8月撮影
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グェッ、マジで・・・
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有吉通り ゲーセン「ラッキー」2014年2月撮影
壁の文字が・・・ 個人的には、好きなスポットだったんですがね・・・ 2014年8月撮影
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木更津の廃ホテル
別稿にて・・・
時代の流れとはいえ、幼い頃の思い出の中に鮮明に覚えている風景が、いつの間にか
身の回りから消えていくことは、幼い頃の思い出そのものが失われてしまうようで寂
しいものです。 残念ながら木更津駅周辺の再開発は今後も望めませんが、どうやら
現在解体中の木更津温泉ホテルの跡地が、アクアラインの高速バスのターミナルにな
るようです。木更津アウトレットモールから続く新しい道路を通るルートで、都心へ
のアクセスがより身近になりそうです。 そして10月18日(土)国内最大級の敷地面積
を誇るイオンモール木更津がオープンします。
ルーブル
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大正時代から届いた手紙
古絵葉書から、当時の人々の生活の様相を知る。
安房名勝 北絛海岸桟橋
この絵葉書は、1914年(大正3年)8月15日の消印
房州北條八幡・東京市本郷の住所に時代を感じます。
今から丁度100年前の手紙になります。
君と銀座で別れて以来 既に半月を経過してしまった。
講習は未だ終わりませんか、
僕は毎日焼けつく様な太陽の光にてらされて泳いでいます。
勉強よりは むしろ体育の方に力を注いでいます。
八幡は景色のみでなく遊泳場としても予想以上に、よい所です。
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何か銀幕のストーリーの始まりのような文面に感じますねぇ
(安房名所) 鋸山断頭 Seacost of Awa.
この絵葉書は、1915年(大正4年)8月13日の消印
房総の一角より
兄様
先日はどうも有難う御座居ました。
本日當館山湾内の冨浦お南無谷と云ふ所に来ました。
美しい山と美しい海がぞんぶんに私をなぐさめてくれたでせう。
心からオゾンを呼吸して強い強いからだになりませう。
意気壮健です。いろいろ次にお目にかかりました時に さよなら。
大正時代の盛夏の南無谷の風景が目に浮かぶようです。
夏の北條海岸
この絵葉書は、1920年(大正9年)3月28日の消印
漢字にフリガナがあるので、子供に宛てた手紙でしょうか、
房州那古町ニテ コワイオヂサン(笑)
3枚の絵葉書に共通するのは、房州の自然や景色の美しさを伝えている所
ですね。このような使用済みの絵葉書のことをエンタイアと言います。
私は未使用の絵葉書よりも、むしろ当時の人々の生活感が伝わって来る
エンタイアを好んで収集しています。
ちなみに、3枚の絵葉書とも北條松田屋書店発行と印刷されています。
そしてこの数年後、大正12年に起こった関東大震災により、館山方面
は途轍もなく大きな被害を受ける事になるのです・・・
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やっさいもっさい
40th
Anniversary
今日から3日間、第67回木更津港まつりが開催されます。
普段は人通りの少ない富士見通りも、お盆期間中は一年で一番賑わいます。
木更津駅西口から、港へと続く富士見通り。
毎年8月14日は「やっさいもっさい」踊りが開催されます。
やっさいもっさいは、今回の開催でで40周年を迎えました。
毎年お盆は仕事なじのさん・・・
仕事帰りに途中下車して、少しだけ雰囲気を味わって来ました〜
あと40分したら始まるんですが・・・
後ろ髪を引かれる思いで木更津を去りました・・・
やっさいもっさいは、人気ドラマ「木更津キャッツアイ」で取り上げられて
全国的に知られるようになりました。
今年は約80連のグループが富士見通りを踊り歩くそうです。
じのコレクションより
昭和なやっさいもっさいのレコードです。
このレコードは、ちょっとレアなんじゃないかな?
歌はデューク・エイセス
当時デューク・エイセスは、ご当地ソングを数多く歌っていましたねぇ
おっさ!
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