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花の房総 白浜フラワーパーク
昭和な情景を求めて、房総フラワーラインへ・・・
前回に続き、昭和な面影が色濃く残っている白浜フラワーパークのレポートです。
この斜陽な雰囲気の色褪せた看板にそそられます〜♪
駐車場には八角形のサービスセンター(ドライブイン)があります。 開園当時のサービスセンター
花のようにカラフルで斬新なデザインですねぇ
そして、こちらの画像は50年前の・・・じゃなくて! 現在の店内の様子です。
赤・黄・青のビニールテントも当時のまんまですねぇ
まるで昭和にタイムスリップした感覚です。
でも、この雰囲気が何故かとっても落ちつくんです〜♪
壁には提携先の旅行会社の看板や、
芸能関係のサイン色紙が沢山貼ってありました。
お土産コーナーには・・・
この猫の陶器の置物、昭和の頃流行ってましたねぇ〜って、お土産もレトロ?
スチールパイプの椅子を見ていたら座りたくなったので、
カレーライスを注文してみました。
昭和な子供のころ、家族でドライブに来た時に此処でカレーライスを食べたんです。
当時の家族の会話が聞こえてくるようでした・・・・・・・・・・・・・・・・・・
訪問当日に、フラワーパークで頂いた昭和40年代のポスター(B3サイズ)
さて、次回はいよいよフラワ−パーク内のレポートになります。
此処は、夢か昭和か幻か・・・
こんな内容にも触れてみたいと思います。
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昭和な原風景を求めて・・・
白浜フラワーパークバナナ園
昭和な子供時代、家族とドライブで訪れた房総フラワーライン。
南国ムードにあふれた景色が、非日常な空間を演出していた。
今回は、昭和39年にオープンした「白浜フラワーパーク」を
当時の大変希少なパンフレットより、ご紹介致します。
昭和40年代の白浜フラワーパ―クのパンフレット
知らない人がこのパンフレットを見たら勘違いしちゃうでしょうネ!
表紙のヌード写真はフラワーパークとは、全く無関係なんです。でも何故だろう?
こちらは裏表紙
そう、そう、昭和な子供たちはオールシーズン 半ズボンでしたネ!
それでは、パンフレットの内容を見て行きましょう。
ベビーゴルフ場は、今でいうパターゴルフの事ですね。
フラワーパーク下の海岸は屏風岩で、潮だまりには色々な生物を見る事が出来ます。
白浜フラワーパークの全景です。 大きなドームは東洋一の大温室
房総フラワーラインを挟んで、山側にホテル・ジャングルパレスがあります。
サービスセンターは、八角形のおしゃれなドライブイン
センター内は、昭和レトロの匂いがプンプンです!
このヒッピーな?お姉さんのシャツには、スマイルマークが見えますねぇ
という事は、昭和46年ころのパンフレットでしょうか・・・
そして、こちらはさらに希少なオープン当時のパンフレットです。
当初は「白浜フラワーパークバナナ園」と呼ばれていたようです。
道路案内の地図上には今は無い、フラワーラインの料金所が記載されています。
右はオープン当時の入場券で、大人\150 左は現在の入園券で、大人\420でした。
現在の入園券のバナナの写真は、昭和40年代のパンフレットの流用だと解りますねぇ
半ズボンの子供たちが写っていた部分は、ポピーの花に変えられています。
昭和な絵葉書から、ホテル・ジャングルパレス
ジャングルパレスからの海の眺めは最高ですョ!
ちなみにフラワーパークとジャングルパレスは経営者が同じだそうですが、
当時の建物としては先進的なデザインですねぇ 何方が設計されたのか?
さて、今回は昭和なフラワーパークのパンフレットを中心にご紹介致しました。
次回は、現在のフラワーパークの様子を、当時のパンフレットと比較しながら
見て行こうと思います。
昭和にタイムスリップしたような、フラワーパークに感動の連続でした。
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フラワーラインのお城
じのさんが昭和な子供のころ、年に1、2回家族でドライブに出掛けていました。
行き先は日帰りで行ける南房総の館山方面か、鴨川方面がお決りのコースだった。
4月7日、そんな思い出のコース、春のフラワーラインをドライブしてきました。
平日なので、自動車の交通量も少なく、の〜んびり走れました。
時季的に今頃は、道路の両側は延々と菜の花で・・・と思いきや予想外(笑)
平砂浦グランドホテル オープン当時の絵葉書
この絵葉書の写真が、今回のテーマ「フラワーラインのお城」平砂浦グランドホテルです。
子供のころは、フラワーラインから見える、非現実的なお城の風景に心が躍ったものです。
当時は、このお城の様な建物が何だったのか知りませんでしたが、TBSの「キイハンター」
というテレビ番組の中で出ていたのを覚えています。なので、ここの前を通る度に、野際
陽子さんが唄う「非情のライセンス」が脳内再生されるんです。(笑)
現在の名称は「館山カントリークラブ」で、ゴルフ場のクラブハウスになっています。
お城のような建物は3年ほど前に建て替えられたようで、じのさんとしては子供の頃の
思い出が消えてしまったようで、ちょっぴり残念です・・・
ゴルフ場の敷地内には、椰子の木や蘇鉄が植えられていて、南国のムードがいっぱいです。
現在の風景です。この蘇鉄はオープン当時に植えられたものでしょうかねぇ・・・
当日は春のぽかぽか陽気で、ゴルフをしている人達も気持ち良さそうでした。
平砂浦グランドホテルの前で・・・
アンヌ隊員こと、ひし美ゆり子さん
ひし美さんがもたれかかっているのは、フルハシ隊員役の毒蝮三太夫さんの
当時の愛車で「いすゞベレット」
嘗て、ひし美さんが立っていたであろう場所で・・・
この3枚のスナップは、ウルトラセブン第30話「栄光は誰のために」と、
第31話「悪魔の住む花」で南房総ロケに来ていたときに撮影されたもの。
館山カントリークラブから平砂浦を望む
道路脇に植えられた椰子の木の成長が年月を物語っていますねぇ
ウルトラセブン第30話が放映されたのは、1968年の5月ですから46年経っています。
ホテル裏に見える砂山は、映画やテレビドラマのロケ地としてよく使われていましたが
今では緑の侵食が進んで、昭和な頃の面影がなくなってきています。
絵葉書の中央を横に走っているのがフラワーラインです。フラワーラインと海岸の間は
砂丘の砂が風で飛ばされることによる被害を防ぐために砂防林が植えられています。
砂防林を抜けて、平砂浦海岸に出てみました。
【平砂浦ビーチに真っ赤な陽が沈む】
ここの夕日が世界的に有名になったのは、英国のベストセラー作家、ジェフリー・
アーチャ―が「エンペラーの時代」のエンディングで、主人公のジャン・マーク・
カミュをここに立たせたからです。「おれがこれまで恥多い人生を生きてこられた
のは、今日のこの夕陽を見せようとする神の意志のせいだったに違いない。そうと
でも思わなければ、おれの人生はあまりにも貧しく、寂しいものだった。愛する妻
も、そして彼女とおれにとってかけがえのないものだった子どもたちも死んでしま
った。おれに残されたものは、思い出したくもない辛い記憶と、今日のこの平砂浦
の夕陽の美しさだけだ」ジャン・マークはそう独り言をつぶやきつつ、真紅のグラ
デーションの中に黒々と映える伊豆大島のシルエットに向かって、ゆっくりと歩い
ていった。この小説は映画化され、主題歌の「平砂浦ビーチ・サンセット」のリリ
カルで美しい旋律が、千葉が生んだ歌手高岡良樹の深い声によって世界中に流れた
高岡氏は以前、国連ホールで、原爆にまつわる民話を題材にした「おこりじぞう」
という曲を発表して絶賛を浴び、ハリー・ベラフォンテ以来の大地に根差した歌手
として、大きな評価を受けました。**********************************
平砂浦の夕陽、一度見てみたいものです!
ちなみに
平砂浦は、へいさうらと読みます。
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浦賀水道に面した房総半島の金谷に鋸山がある。
海抜330メートル、山全体が凝灰質砂岩と呼ばれる岩で出来ている。
嘗てこの山から切り出された石が、金谷石・元名石と呼ばれ、古くは
江戸城の改築や皇居の造営等をはじめ、関東各地に出荷されていた。
「脱皮の記念碑」
元は乾坤山と呼ばれたいた山が、石の切り出しによって出現した岩肌
が鋸歯のような景観となり、いつしか鋸山と呼ばれるようになった。
1969年の12月、鋸山の頂上近い岩壁に工藤哲巳という前衛美術家が
「脱皮の記念碑」なる彫刻を完成させた。工藤氏はフランスの五月革命
のときその渦中に身を投じ、帰国後、揺れ動く日本の学生運動の現場
で「大きく変化し、飛躍する社会の変動を感得、まさに繭を喰い破っ
て飛び立つ蝶を幻想した」という。脱皮の記念碑は、そうした若者達
へ寄せたメッセージであった。***************************
工藤氏の奥様 少女の日から苦労を共にしたと聞く 国定公園の鋸山にどうしてこのような彫刻を掘る事が出来たのか?
それは大日精化創業者の高橋義博氏が、鋸山のこの地一帯を入手し
ていたことによる。氏は美術に深い造詣があり、鋸山の別荘の辺り
を「鋸山自然美術館」と呼んで愛した。実は脱皮の記念碑以外にも
樋口シン 作「原生」や 中本達也 作「岩の声」の彫刻があり、
これらの作品を見上げる形で高橋義博氏の肖像彫刻が小高い丘上に
置かれている。それを作った木内克作の裸婦大ブロンズ像とセメン
ト像、その間には四季折々の花が咲き、茶室も配されている。****
樋口シン 「原生」 1960年
高さ32メートル 幅15メートル
「原生」に関する特別な記録はほとんど残されていない。
中本達也 「岩の声」1972年
中本氏は、工藤氏がパリへ帰った直後、対抗するように別の岩肌に
愛を誓い合う男女の巨像「岩の声」を掘った。しかし翌年の1973年
51歳で急逝した。
岩の声製作中の中本氏 1972年
1922年生まれ
大陸出征の経験を持つ中本氏の具象
1929年生まれ
焼跡で育った樋口の抽象
1935年生まれ
戦後派の工藤のオブジェ
三者それぞれの製作の姿勢に、敗戦後急速に進んだ国際化の時代
背景が窺える。方法は異なりながら、三つの壁画が共通の迫力を
持つモニュメントとなったのは、戦中戦後の人間不信への真剣な
問いかけが、三者に共通していたためなのかも知れない・・・・
鋸山自然美術館庭園を望む
鋸山自然美術館と聞いても、金谷の人には殆ど知られていない。
大日精化(ハイブリッジ)の前社長、高橋義博氏によって鋸山
北側十万坪の傾面につくられた美術庭園は、麓の合掌造りの移築
と合わせ、高橋氏ほど金谷に多くの文化的施設を残してくれた人
はいないであろう。しかし残念なのは、環境保全のため一般公開
はされていない事、これほど素晴らしい芸術作品を近くで見る事
が出来ないのは、実に残念でならない。
注:鋸山自然美術館は現在一般公開されていません。
管理人のY氏によって、周辺の環境整備が行われています。
アポ無しで、突然訪問しても見学することは出来ません。
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この度、じのもんたの「昭和的心の遺産を求めて・・・」から派生した形で、新たにブログ
を開設致しました。タイトルは「内房タイムス・昭和の原風景を求めて・・・」です。昭和
な地域情報に特化した記事を紹介して行きますのでどうぞ宜しくお願い致します。
鋸山のモニュメント「脱皮」 「原生」 近日公開!
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