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昭和な原風景を求めて・・・

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三舟山マルシェ

三舟山マルシェ

   8月20日 土曜日、君津市小香359番地の1にある「三舟の里案内所」にて
   月に1度開催される三舟山マルシェに行って来ました。

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君津市内外から、地もの野菜や手作り小物など多数のお店が出店しています。


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 三舟山周辺は、少年の頃に見た懐かしい里山の風景を思い起こさせてくれるような
 そんな自然に囲まれています・・・


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当日のメインイベント「流しそうめん」
 スタッフの方々が君津市最大の流しそうめん台をセッティングしたのだそうです。
 じのさんの歩数計測では、約26mもありましたョ!凄い!!


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 なんか、ほのぼのとした光景に思わずシャッターを・・・
 でも、後ろの方はそうめん流れて来ないような・・・


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三舟山マルシェ出店の中で、じのさんお気に入りの「三舟山 珈琲」です。

深夜、寝静まった時間帯に水出し珈琲を造ります。
抽出時間は12時間!抽出中には音楽を流し、珈琲のご機嫌を取っているそうですョ!

まろやかな口当たり、ほんのりとした甘さとコクがクセになる美味しさです。
        ↑
じのさんの個人的な感想ですが・・・(^^;


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 「三舟山 珈琲」さんのお店はありませんので、三舟山マルシェ出店の際に
  是非一度飲んでみて下さいネ〜♪






三舟山マルシェの詳細は専用Facebookページに随時掲載されています。

www.facebook.com/mifuneyama

ぜひお店をチェックしてお出掛け下さい!








94年前の絵葉書

大正11年8月18日の絵葉書

  今回は、旧「千葉懸君津郡上総湊町」の絵葉書から、大正時代の上総湊の
  様子を探ってみたいと思います。


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 絵葉書の写真は大正時代の上総湊海岸
 後方には、佐貫の大坪山と大貫の磯根崎が見える。
 上総湊は、じのさんの生まれ故郷なんです。


イメージ 9
 この絵葉書には、田沢型旧大正毛紙切手(1914.5.20発行)と
 千葉・湊11.8.18の消印があり、
 大正11年(1922年)8月18日に出された事が分かります。
 このような使用済み絵葉書はエンタイアと呼ばれていて
 文面からは、当時の人々の生活や風俗を読み取る事が出来ます。



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 当時は崩し字で書かれ、解読不明な物も多いのですが、
 この絵葉書の差出人は丁寧に書かれています。
 読みやすいので、皆さんも是非読んでみてください。

 當地は、見る所もなく、本当に淋しい町でございます。
 もう少しは、繁華な所かと思ひましたけれど、
 ほんとにほんとにつまらない所でございます。
 まあ海がございますからこそ、居られたものでございます。
 もう少々あきて東京がこひしくなって参りました。

 近頃は海の波が大分高く塩のひく時が悪うございますから、
 何時も深い時に入らなくてはならない様になりました。
 もう東京に帰りたくて仕方がございません。
  
 上記は、絵葉書から当時の上総湊に関する部分を抜粋しました。
 差出人は東京在住の女学生で、夏の季節上総湊に避暑に来ていたと思われます。
 それでは、女学生が見たであろう大正時代の上総湊を
 じのコレクションの絵葉書で見てみましょう!


イメージ 2
 大正時代の上総湊の街並みです。
 上町(かみちょう)通りで、右側には3階建ての福本楼(旅館)
 左側には大橋屋(魚商)が写っていますが、今はありません。
 当時の町を撮った写真には人力車が写っている事が多く、
 左側には、赤ん坊を背負った子守りの少女がこちらを見ています。 



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 こちらは大正時代の仲町(なかちょう)の通り
 キリンビールの看板は、渡辺佐七商店で今はない。
 ここでは酒類・ビール・醤油などを販売していたという。


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 上総湊海岸
 写っている人物の着衣や帽子、日傘などから夏の時季と分かる。
 子ども向けの海水プールも作られている。
 絵葉書に記載されている(竹渓堂発行)の竹渓堂は文具と書籍を扱う店で
 じのさんも子どもの頃からお世話になっており、現在も営業を続けています。


イメージ 5
 大正時代の湊郵便局
 今回の絵葉書の消印は、この郵便局で押されたものです。
 差出人の女学生は、実際にこの郵便局に訪れていたんですねぇ


イメージ 6 上総湊駅舎
 北条線(現内房線)が上総湊駅まで開通したのは大正4年1月15日の事で
 写真は駅舎の新築工事の様子を撮ったもの。
 この駅舎は建て替えられる事もなく、現在も使われています。
 女学生は東京から機関車で上総湊駅に着いたのでしょうか・・・


イメージ 7
 この写真のタイトルは「湊川河口ノ景」で福本楼発行の絵葉書です。
 十宮海岸から湊川の鉄橋を撮った風景で、
 鉄橋の向う側が上総湊の町です。

 湊川の鉄橋工事は大正初年に開始され、
 大正5年に上総湊、浜金谷間が開通しました。
 しかし、大正12年に発生した関東大震災により掛け替えが必要となり
 現在の鉄橋は大正14年に竣工されたものです。
 現在湊川橋梁は鉄道マニア達から人気の撮影スポットとなっています。



 古い1枚の絵葉書から、故郷の歴史を探ってみるのも面白いと思いませんか?





 
 

木更津海軍航空隊

大元帥陛下 海の荒鷲御親閲
木更津海軍航空隊にて

  昭和13年8月11日 波静かな東京湾上木更津2000mの沖に供奉の駆逐艦山雲を
  従えさせられた御召鑑夏雲は海路無事入港着御遊ばされた。沖合には御警衛の
  駆逐艦沖風 巡洋艦木曽の2鑑、着御と共に木曽は皇礼21発をもって御奉迎申
  上げた。 先導の案内より燦然と輝く天皇旗の御召艇が追波を蹴立てて奉迎者、
  奉拝前突提間水路を御通過遊ばされた。 昭和13年8月12日読売新聞より引用

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木更津海軍航空隊を行幸の陛下  二科會 田口省吾畫伯謹畫


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若草燃ゆる炎天下を、百武侍従長以下を従え木更津海軍航空隊を行幸の陛下
                          昭和13年8月11日撮影


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九六式海軍中型陸上攻撃機の列線
稼働状態にある多数の攻撃機をエプロンに整列させた状態


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 軍楽隊の君が代奏楽裡に玉歩を進ませられ、航空隊本部御座所に向かわれる陛下
 海軍服での陛下のお姿は珍しい。


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九六式海軍中型陸上攻撃機の編隊飛行や爆弾投下演習をご覧の陛下
説明は第一連合航空隊司令官・戸塚少将


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九六陸攻のパイロットたち
木更津海軍航空隊は、九六式陸攻の基地として、優秀なパイロットを養成した。


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 東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」撮影中のスナップ 写真右は出演の原節子さん
 当時は多数の国策映画が作られた。 昭和17年(1942年)9月木更津飛行場にて
 


「木更津航空隊歌」
 上総の浜や袖ヶ浦 鏡の如く凪ぎわたる 東京湾の明け暮れを 翼の下にかき抱く
 みそらの砦雲の城 これぞ木更津航空隊



 昭和天皇による初めての千葉県内での行幸は木更津海軍航空基地であり、それを
 記念する昭和天皇行幸記念碑が今も残っている。
 戦時中、木更津に航空基地があったにも拘らず、米軍による空爆などの大きな
 被害がなかったのは、将来木更津航空基地を米軍が利用する目的のためであった。



 本日8月15日、終戦から71年を迎えるにあたり約310万人の戦争犠牲者に
 対し、ご冥福をお祈りいたします。








房州うちわ

南房総に受け継がれる匠の技

 毎日暑い日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 8月という事で夏らしい記事をと、

 今回は、じのコレクションより房州うちわの紹介です。


イメージ 1

 「日本三大うちわ」といわれているのが、
 京都の「差し柄うちわ」と、四国は丸亀の「平柄うちわ」
 そして房州の「丸柄うちわ」になります。
 房州うちわの特徴は、優れた素材のシノダケを用いた
 丸柄の技法にあるといわれています。
 明治10年に、館山の那古町正木の竹問屋岩城惣五郎・庄七父子が
 竹材商からうちわ製造業に転じて、東京から職人を招き
 手作業と協業で製作を始めたが房州うちわの始まりです。



イメージ 2

 房州うちわづくりは、竹の選別から始まり、
 割竹、弓削、貼りなど、21もの工程で仕上げられます。
 すべてが手作業で、熟練した職人たちの伝統の技が生きています。
 


イメージ 3

 うちわ職人は、冬期に山に入り
 房州では「ダイミョウ」と呼ばれるシノダケを伐ります。
 竹は一定の寸法に切られた後
 日本剃刀によって1本の竹が、太は64本、細は34本の穂先に割かれます。
 うちわづくりは、農閉期の主婦たちによる手間賃稼ぎの内職となりました。
 


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 さて、それではじのコレクションの房州うちわを見てみましょう!
 皆さんも気付かれていると思いますが
 このうちわに描かれている人物は
 昭和の歌謡界の女王「美空ひばり」さんです。
 マダイ・カツオ・イセエビでしょうか
 若かりし頃のひばりさんが、鮮魚と書かれた法被に鉢巻き姿・・・
 カワイイカワイイ魚屋さん♪の曲が聞こえて来そうですねぇ
 


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 その訳は・・・
 小宮商店という鮮魚も扱うお店で配られた
 暑中見舞いの粗品だったようです。
 記載されている電話と有線の番号から
 昭和30年代に製作されたと思われますが
 当時は無版権で、この様なグッズが多種つくられていたようです。



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 安房郡江見町・・・
 なんと江見気分さんのお近くじゃあないですか!(^^;
 現在でも商売されているんでしょうかねぇ?



 江戸うちわの流れを汲み、
 100年余も生き続けてきた房州うちわ
 扇風機、エアコンなどの電化製品が普及し
 実用品としてのうちわは使われなくなってきましたが
 現在では、贈答品やインテリアとして年間30万本の
 房州うちわが生産されているそうです。
 こうした中、平成15年に千葉県では唯一の
 経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定されました。
 房州うちわは、今、新しい魅力に置きかえられようとしています。













 

ケサランパサラン

ケサランパサラン

皆さんケサランパサランて覚えていますか?

 1970年代「欽ちゃんのドンとやってみよう!」で、気仙沼出身の「気仙沼ちゃん」が
 人気を浴びていた頃、同じ気仙沼で昔から伝わる正体不明の生物「ケサランパサラン」
 がテレビで放送され話題になっていました。

イメージ 1
これって「ケサランパサラン」なんでしょうか?

 昨日の事、家の玄関先でフワフワと白い綿のような物体が足元で風に揺れているのを
 見つけました。 えっ、これってもしかして「ケサランパサラン」じゃ・・・
 出勤前で時間がなかったので、取り合えずタッパーの中へ入れて保管しておきました。


イメージ 2
じのさんが捕獲した謎の物体 タンポポの綿毛にも似ている。

  当時テレビで見た記憶では、東北地方では昔から「ケサランパサラン」を
  桐の箱に入れて飼い、おしろいを食べて成長すると説明されていました。

  ネットで検索すると、じのさんが捕獲したものと似たような物体の画像が
  「ケサランパサラン」として紹介されていました。

  他にも「ケサランパサラン」を捕まえると幸せになるとか、
  人に話すとその効果が薄れる。
  年に2回しか見てはいけない等、様々な伝承があるようです。

  さて、「ケサランパサラン」の正体は・・・
  それは、昭和な少年の思い出のまま、謎としておきましょう!

   でも、じのさんの記憶では「ケランパサラン」なんだけどなぁ




  ウィキぺディア「ケサランパサラン」















※じのさんが捕獲したケサランパサランの正体はアザミの冠毛といわれています(^^
  

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