日々の気持ちを短歌に

やわらかき葉をまといたる山々のおおきなあくび赤子のあくび(後藤人徳)

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石川啄木 100首 選 (1)  大西民子 選

(一握の砂)

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

いたく錆(さ)びしピストル出(い)でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに

砂山の砂に腹這(はらば)ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出(い)づる日(ひ)

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握(にぎ)れば指のあひだより落つ

しつとりと
なみだを吸へる砂の玉
なみだは重(おも)きものにしあるかな

大とふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来(きた)れり

燈影(ほかげ)なき室(しつ)に我あり
父と母
壁のなかより杖つきて出(い)づ

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣いて
三歩あゆまず

わが泣くを少女等(をとめら)きかば
病犬(やまいぬ)の
月に吠(ほ)ゆるに似(に)たりといふらむ

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂(しと)げて死なむと思ふ

鏡とり
能(あた)ふるかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時

怒る時
かならずひとつ鉢を割り
九百九十九(くひゃくくじふく)割りて死なまし

ダイナモの
重き唸(うな)りのここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし

目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな

あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる

何やらむ
穏かならぬ目付きして
鶴嘴(つるはし)を打つ群を見てゐる

新しきインクのにほひ
栓(せん)抜けば
飢ゑたる腹に沁むがかなしも

はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る

(つづく)

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5月3日(木)

近藤芳美著「新しき短歌の規定」より

岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。

新しき短歌の規定「人民短歌に就いて」

(四)

時に歌論のはし等にかってのようなはげしい精神を見出し得るが、一体に「人民短歌」の作品の平板さ、

情熱の喪失は、其の包容して行く巾の広さと比例して眼立って来た。再び「短歌評論」の時代にもどれよ

う筈もなく、そのような注文が愚劣である事は無論だが、少なくとも作品の発表されて行く面だけは、今

少し清潔にならなければならぬ。同時に作品一首一首に芸術としての気魄、パッションを今一度とりもど

す事を望む。もっと精神の荷重をもつ作品作品を、生活の深い裏づけのある作品を、もっとしつこい私の

立場からの作品を期待したい。

そのためにも、「人民短歌」は今態度を明確にすべき時に至って居ると思う。言わば左翼の立場を一度は

っきり認めた上で、其処から一歩一歩自己批判としての理論を進めて行ってもらいたいと思う。僕はかっ

てやはり「人民短歌」論を書こうと思ってそのバックナンバーを見て行ったとき、正面切って今の立脚

点、作歌態度を述べた、言わば主張を明らかにした論文がほとんど無いと言っていい事を知った。


文壇でかっての左翼理論がかなり自己批判をくりかえし成長をして居る時に、短歌の方はこの方も少し貧

しいのではないか。政治と問題、人間性にからんでの問題も、片々たる文章以上に打ち込んだ論文を見出

せないとき、僕はここでも彼らにパッションをと望まなければならぬ。(1947・8)

人徳の日々の歌

施設より子が帰り来てしばらくは妻と不眠の生活続く

施設にていかなる暮らしをしておるや夜半(よわ)に起きいで子の騒ぎいる

障害を持ち生まれたる子なるゆえ夜半に騒ぐを布団にて聞く

夜半に起き騒ぐ子供の無邪気さをそのままさせん極楽ならん

備忘記録

平成17年の歌

黒船の祭過ぎたる街空を一羽つばめがひるかげりたり

連休を帰り夜中に騒ぐ子にほとほと妻もわれも疲れり

施設より家に帰りて子は寝る間惜しんで好きなビデオ見ている

真夜中に心おきなく叫ぶ子を時に見逃し時に叱れり

あまりにも心地良ければ 施設へと子は帰るまい こころむずかし

わが内にわれの知らざる力あり時々われを助けくれるか

「矢内原忠雄の今日の言葉」

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動による戦争と、武力による圧

力又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄(ほうき)します。前項の目的

を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しません。国の交戦権は、これを認めません。

(日本国憲法「第9条」)

戦争の放棄

 日本は、他国の政策に関係なく、一方的に、単独に、交戦権の放棄(ほうき)を国策として宣言したので

あり、それは敗戦国としての止むを得ない声である以上に、世界平和確立のための原則を、世界諸国に率

先して言明したのです。すなわち神は最も低い国を通して最も高い真理を語られたのであり、世界歴史に

類例のない、世界平和のための国家主権の自己制限を世界に率先提唱する器として、神は敗戦日本を選ば

れたのです。ここにおいて日本の敗戦は極度のはずかしめから極度の栄光に転化したのです。もしも日本

が真に平和国家の意味を学び取り、平和国家の性格を養い、平和国家の実践を行うならば、日本は世界平

和の中心となり模範となって、世界の歴史にその存在意義を輝かすでしょう。それは世界に対する日本の

永遠的寄与となるでしょう。またそれはギリシャの哲学、ローマの法律に劣らず、永遠的価値をもつ高貴

な貢献となるでしょう。

「内村鑑三一日一生きょうのことば」

5月3日(木)

あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すま

いあたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場

所を用意しにいくのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわた

しのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。(ヨハネ伝十四・一〜三)

この世における余の生涯はどうでもよい。憎まるるもよい、誤解せらるるもよい、貧しきもよい、裸なる

もよい。世の永久の運命はこの世における余の境遇によって定められるものでない。余の運命を定める者

は、余のために自己(おのれ)を捨てたまいし余の救い主イエス・キリストである。彼は余のためにとこ

ろを備えんために、父のもとに往きたもうた。彼はまた来りてなんじらをわれにうくべしと約束したもう

た。余はこの世にありては遠人(たびびと)である。暫時の滞留者である。余は一時天幕をこの地に張る

者である。永久の住家(すみか)を築く者ではない。神が余を呼びたもう時には、ただちに天幕の綱を絶

ち、これをたたんで彼の国へといそぐ者である。

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