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********************** ×× 五十年前 ×× ********************** 一九三三年。佐賀市。 私は、『藤口静』として、佐賀県佐賀市で生を受けました。 母違いの五人の弟妹の長女として育ち、血の繋がらない新しい母親のいびりと、父親の鉄拳の中で毎日を送っていました。 友達が次々に幸せな結婚をしていく中、私の心の中は、父に話さぬある決意だけを頼りに生きていました。 『上の妹が中学を卒業したら、この家を出る』、と。 この決意のみが、私が毎日を生きる力になっていたのかもしれません。だからこそ、誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで家事を努め、好きな服も買わずに生きていく事ができました。 しかし、元々貧乏子沢山の家計。家を飛び出す事が出来るお金は殆どありませんでした。でも、そんな中から本当に少しずつだったけれど、父の目を盗んで汽車の代金を貯めていました。 何処に行こうかと思って考えたけれど、黙っていくわけだから家族や親戚を頼る事は出来ません。とにかく、汽車のお金もあまり無いので、九州内で働き口があるような大きな町となれば、九州では博多しか思いつきませんでした。とにかく、ここを出たいと思っていました。 そして二十一歳の時、私は簡単な置手紙を残して家を抜け出しました。何処に行くとも書かなかったけれど、母はもちろん、父も私の事を探すとは思いませんでした。 不思議と、不安はありませんでした。ただ、あの空間から逃げ出す事ができると言う開放感と安堵感に、心が満たされていました。 福岡での生活は、苦しいながらも幸運の中に始める事が出来ました。それは奇跡だったと思います。 たまたま景気が上向きに変わろうとしていた時代だったこともあり、飛び込みでお願いした工場が、田舎者の何の資格も無い私を女工見習として雇ってくれました。また、既に他に私と似たような状況の先輩女工さんも少なからずいて、会社の寮に住み込みで働かせてもらうことになり、寝る所も確保する事ができたのです。 お世辞にも綺麗とは言えない生活環境だったけれど、元々がもっと酷かった家で生活していただけに、十分我慢できる範囲でした。 それから、名前を変えました。 佐賀に残した両親と係わり合いを持ちたくなかった事と、自分に帰る場所を無くす為に、他に知っている人がいない場所で生活を始めたこの機会も利用して、生まれ変わるつもりで自分に名前を付けたのでした。 溝口智子。 それから、出身地も伏せておきたくて、以前佐賀にいた時知り合いのおじさんから聞いた事のある、もちろん行った事の無い場所ですが、宮崎県の椎葉出身としました。どうしてその様な山奥の地名を使ったかと言うと、自分なりに考え、あまり人口が少ない所が良いと思ったからです。変に人口が多い所の出身とすれば、同郷の人に偶然出くわす事もありえると思って。 年齢は本当の年である二十一歳のまま。そう、こうして、宮崎県椎葉出身の溝口智子として、私の福岡での生活が始まりました。 ==================================================================
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