慈遠の創作小説.

創作小説、活動中。 不定期になりますが、Upしていきたいと思います。宜しくお願いします。

・あの夕日の向こうに

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《説明》
 ⇒是非、想像をめぐらせながら、最後まで読んで下さい。
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 こいつに対抗できるとしたら、僕しかないという話になった。オジキを押す声もあったが、実はオジキは組から既に足を洗っていた。隠居の身である。
 ダンプカーに轢かれても死なないように思える空手の達人であったが、実はこれまでの激しいしのぎの結果、目をやられていた。片目が完全に見えないのだ。しかも見えるほうの目は、完全な鳥目だった。
 組を仕切ろうとする者に、一日中休み時間は無い。昼も夜も無く襲われる可能性が有るのが、この商売だ。それが、夜に全く使い物にならないとなれば、自分の身を守る事もままならないのだ。
そういう理由で、オジキは自ら堅気になったのだった。組の事に首を突っ込む事も無い。
 とにかく相良には僕がという事に決まった。不思議と、強敵である相良に対する恐怖感は沸かなかった。自分がやられるイメージも湧かなかった。ただ、派手に怪我するだろうと想像できた。
 残り一名、更に厄介なのが山科組にいる。鉤爪の仁だ。
 健二と僕はとても手助けできる状態ではない。これに関しては大きくもめたが、最終的には最近成長著しい、高志と太助が二人で組む事となった。
 私は高志には全幅の信頼を持っていたが、太助に対して一抹の不安も持っていた。それは心の問題だ。
 太助は人には滅多に見せないが、ギリギリの所で心が萎える所が有ると、私は思っている。
 しかしこれはあくまでも私見だ。それに、組の会議において、私の発言権は無い。二人が受け持つ事が決まった。
 決行は早くするべきと言う意見が大多数を占めていたので、一週間後と決まった。それまでに、オヤジと森さんを始め幹部連中が、前田組を篭絡する事と決まった。
 この仕事は、親父たちにとって得意分野だ。こういう政治的な事に対して、腹が出張ってきたオヤジは秀でていた。前田組は勢いはあると言っても、オヤジにとっては青臭い程に若い連中だし、おそらく切り取った山科組のシマノ一部を譲るとでも言って、あとは言葉巧みにだましていくのだろう。これらの事は、僕は心配していない。
 僕は、とにかく高志と太助の二人が心配だった。何かが起こる、そんな予感がしてならないのだ。

 会議が終わった後、僕は真っ先にオジキを訪ねた。会の内容を詳しく説明し、僕が心配している事も正直に話した。そして、何か言い知恵はないかと相談した。更に、実際に力を貸して欲しい旨も伝えた。
 オジキの回答は明快だった。
 太助に対する意見は僕と同じだった。ギリギリの所で、あいつは逃げを打つかもしれないと言った。それは大袈裟かもしれないけど、やつは固まって動かなくなる可能性はあると。そうなると、さすがに高志の身が危なくなるが。
 助っ人に関しては、はっきりと断られた。動くとなれば夜であることが、今からでも推測できる。ならば、自分は手助けどころか足を引っ張るだけだと。
「悪いな、健二」
とだけ言葉を残して、オジキは僕を帰るように促した。

 僕は何とかして、高志に起こるかもしれない危険性を取り除きたかった。高志は、僕にとって弟のような存在だったからだ。だが、妙案は浮かばない。一生懸命考えても、どうしても思いつかなかった。
 組の内情については、これまで母親に話す事は一度も無かった。だが、どうしても今回のことは話したかった。明確な答えは得られないだろうが、母親には話しを聞いてもらいたかったのだ。終始黙って聞き役に徹していた母親は、最後に一言だけつぶやいた。
「藤二さんがね後詰でいてもらえたらね。でも、目のことがあるから無理にも言えないわね」
と、母親はオジキの本当の名前を使って、私に優しく諭すように告げた。「健二、無理強いはだめよ」と言っている事が分った。






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 ゆっくりと振り返ると、この前までオネショを漏らしていたようなガキが一人立っていた。顔を見たことが無い。
(誰だこいつは?)
 そんな事を考える一方、自分を省みた。この距離で背後に他人を寄せ付けた事すらなかった自分が、こうも簡単に、他人を後ろに立つ事を許していた。その事に、驚いていた。
「お前、健二だろう!」
「誰だ?」
 今度は左足に衝撃が走った。自分で気が付いていなかったのだが、左眼が腫れていて完全に塞がっていたのだ。その死角から、誰かが僕の左足に攻撃をしたのだ。その方向を見えるほうの右目で見ると、さっき見たガキと同じくらいの女の子が立っている。
「どうして、おねいちゃんにあんな事したのよ!」
「そうだ、そうだ!」
 二人の子供は、泣きながら体当たりを喰らわしたり、めちゃめちゃに腕を振り回してパンチを繰り出している。いつもだったら、どうということも無い攻撃のはずだ。しかし、今の俺にはかわす事はもちろん、受け流したり、ブロックしたりする事も出来なかった。やられるままだった。
 それに、どうもこのガキどもは、健二と俺を間違っているようだ。いつもの事だ。だが、こいつらはそんな事は知らないだろう。
 今まで何度も間違われてきた事じゃないか。だが、今だけは間違って欲しくなかった。
「いや、俺じゃない」
 言葉を発した時、同時に二人が僕に体当たりをしてきた。
 ふんばりの効かない僕の足では、軽いガキにのしかかられた形で押し倒され、その勢いで更に後方に三回転した。ガキ二人は素早く立ち上がったが、僕は完全に自分の足への支配力を無くしていた。立ち上がろうとしても、起き上がることすら出来なかった。

 そこに、轟音を響かせて大きなトラックが迫ってくるのが分った。僕は今、道路の中に倒れているのだ。
 ガキどもは状況が分って、直ぐに歩道に飛びのいた。
 僕は必死になって、そこから逃れようと抵抗した。少しでいい、動いてくれと念じたが、自分の足は僕の願いを聞いてはくれなかった。
 ぎりぎりの、最後の最後まで僕は努力したが、トラックは僕の足を踏み潰して去っていった。

「うわーーーーー」
 ガキ共が、そう叫びながら去っていった。
 トラックに轢かれた足には、不思議と痛さは無かった。完全に麻痺していたのだろうか?改めて自分の足を見たら、足どころか腰も一部が踏まれている事がわかった。僕は完全に動けなくなっていた。

 オジキの言葉、
<けっして気を抜くな。最後までだ>
 最後の最後で、僕はそれを忘れてしまったのだ。ダメな奴だ、自分に対して、可愛らしくののしった。

 まだ、首と手は動くようだった。耳も聞こえていた。
 仰向けで転んでいたので、上空がよく見えた。
「空が、あ、もう星が見える。綺麗だな」
 口に出た言葉を自分で聞いて、何のん気な事を言っているのだと思った。僕がこのまま、死んで、悲しむ奴はいるのかと考えた。悲しむ奴はいるかもしれないが、喜ぶ奴もいるかもしれないなと思った。
 ふと視線を低い位置に落とすと、目の前に男の子が座っている。不思議そうに僕をながめていた。
「どうしたの?」
「トラックに轢かれたのさ」
「大丈夫?」
「ああ。ただな、俺は、坂の上に行かないと・・・・・・」
 そこまで喋った時、急に視界が狭くなっていった。
 遥か坂の下の方から、僕の名前を呼んでいるような気がした。「健二、健二」って言っている。
 最後くらい、本当の名前で呼んで欲しかったなぁ。






      最終章

 長い下りの坂を、お母さんに連れられて男の子が歩いている。
「ねーママ。さっきの猫さん。綺麗だったね」
「ねこさん?」
「ほら、公園にいた猫さん」
 ママは、坂の上にいた公園を思い出した。
「本当に、綺麗だったね。あっくん、猫さん好きなんだ」
「うん。僕ね、猫さん大好き。あ、見てママ。また別の猫さんが走ってる。速いなー」
 男の子の横を、立派な体格の猫が、坂の上に方に向って走り抜けて行った。
「ねーママ。早く帰って御飯食べよう」
 男の子はそう言って、下り坂をかけていった。
「あっくん、危ないから。転ぶわよ」
 あっくんはママの声が聞こえていないのか、それともご飯の事で頭が一杯なのか、ママの先をどんどん駆けて行った。
 五〇メートルも走っただろうか、あっくんは棒立ちになった。何かに見つめられて、体が固まったように、ママには見えた様だ。
「あっくん、どうしたの?」
 答えは返ってこない。男の子は、声すら固まってしまったようだった。

 心配してママが男の子に追い付くと、そこには下半身を車に引かれている猫が横たわっていた。
「ひぃ」
 ママは驚きのあまり、すっとんきょうな声を出してしまった。
「ママ、今ねこさんが死んだよ。さっき、僕を見て手が少しだけ動いたけど、そのあと動かなくなっちゃった」
 ママは、自分がこれほど怖がっているのに、子供が冷静に猫の死骸に接近して、なおかつ不思議な事を言っている事に驚いていた。ママは、一刻でも早くそこから逃げ出したいというのに。
「ねこさん、車に轢かれちゃったのよ。かわいそうね。さあ、行くわよ。早く、早く。ね」
 そう言いつつ、ママは男の子を引っ張って、その場を逃げ去った。

 動物の死が怖かったのか、昔祖母からでも聞いた祟り話でも思い出したのか、最後は男の子を抱え上げて、ママは全速力になっていた。
 ママの腕の中で、男の子が呟いた。
「ママ、あのね。さっきの猫さん、喋っていたんだよ」
「バカな事をおっしゃい。ねこさんは喋らないのよ!」
「だって、聞こえたよ。ねこさんね、『坂の上に行かないと』って」

                         完
 坂の上の公園まで、それほどの距離ではない。通常の体であるならば、何の事は無い距離のはずだ。
 しかし、今の僕の体は何だ!
 全ての間接が悲鳴をあげているし、無数の打撲による激痛で、気を抜くと目が回りそうだった。自分では全てが見えないが、恐らく体のあちこちで出血もしているはずだ。
 歩くと言う行為を、これほど意識した事はない。一歩づつ、一生懸命に前に進もうとしていた。歩く際に足が動くのではなく、歩く為に足を前に出す作業を行っていた。

 一歩、一歩。
 坂の上の公園で、彼女は待っている。
 健二を思って待っている。
 俺ではなく、健二を思って待っている。
 一歩、一歩。
 彼女は健二を待っている。
 それで、良いじゃないか。
 その事を伝えれば、良いじゃないか。
 一歩一歩。


「健二!」
 と、後ろから声が聞こえた。大きな声だ。それは、健二の声だった。
 後ろを振向く事すら、スムーズにできない事が分かったので、体をゆっくり反転すると、駆け上がってくる健二の姿が見えた。僕も走ろうとしたが、それすら出来なかった。ただ其処に立って、健二が来るのを待った。
(やっと来たか。これで大丈夫!)
 ぼろぼろになっている自分の体に比べ、獲物を追いかける鷹の様な速さで駆け上がってくる健二の姿に力強さを感じて、僕は全身の力が抜けるのを感じた。張り詰めた緊張のゴムは、伸びきっているだけに、「ぷちん」と音を立てて、何本も切れていった。
 健二が目の前に現れ、私を見下ろした。自分では立っているつもりだったのだが、いつのまにか座り込んでいたのだ。下半身が、自分の指令を効かなくなっていた。
「大丈夫か?」
 息を軽く弾ませながら、健二が僕に尋ねた。
「ああ、なんとかな」
「だいぶ派手にやられたな」
「ああ。全くだ」
 僕は、喉まで出かかった文句の数々を飲み込んだ。
「話は事務所で聞いた。途中で高志にも会った。本当に世話になった。ありがとう」
「どうした、気持ち悪いぞ!」
 こんなに素直に、健二から礼を言われた記憶は無かった。しかしそれだけ、今回の事は、健二にとって大変な事件だったという事だろう。
 素直になった自分に対して恥ずかしいのだろう。健二は明らかに照れていた。
「ちゃかすなよ。今は本当に礼を言いたい気分なんだ」
「分かったよ、しかし、間に合って良かったよ」
「アケミも救ってくれたらしいじゃないか!」
「ああ、例の地震のやつ。教えておいて良かったよ」
「そうか」
 健二も、やはりアケミの事は気にしているのだ。
(だが、もっと重要な女性がいるだろう、健二!)
「すずお嬢さんのこと、聞いているだろう。迎えに行ってやれよ」
「いや、俺には」
「行かないのか?」
「色々あるんだよ」
 僕は、健二の態度がやはり気に入らなかった。すずお嬢さんが好きなのが誰か、健二は分かっていないように思えた。
「金城組のお嬢さんの事か?」
「ああ」
「断れば良いじゃないか!」
「簡単に言うなよ。実はさっき、話を受けてきたばかりなんだよ。断れば『はいそうですか』って事にはならないんだよ。向こうにすれば、顔に泥を塗られたのと同じさ。金城組と事を構える事になるかもしれない」
「だからって、健二!」
「分かってくれよ。俺だって」
 聞いた瞬間、僕は立ち上がって健二の頬を殴っていた。怒りに任せて力いっぱい殴ったつもりだったが、僕の拳は虚しく健二の頬に触っているだけだった。健二は避けもせず、打たれるがままに僕を見つめていた。
 自分の不甲斐なさ、力の無さ、健二の決断への怒りなどが更に混ざり合って、僕は何度も健二の顔を殴った。殴りに殴ったが、健二は避けもしなかった。むしろ、避ける必要も無いくらい、僕のパンチに力はなかった。
「すまん」
 健二が、殴り返しもせずに一言だけ謝った。僕は、ただ座り込むだけだった。
 二人の間に、沈黙が流れた。時間にして数分程のはずだが、生れてからこれまで黙り続けて来たような、そんな儚さを感じだ。
「俺には、あんな女、ダメなんだよ」
 聞いた瞬間、僕は健二に頭突きを喰らわしていた。これまでのパンチとは違い、それなりに攻撃力はあったようだ。僕は、健二と一緒にそのまま倒れこんだ。見上げた空は、夕方に移り変わっていた。
 横に転がっていた健二が立ち上がり、そして言った。
「それだよ!お前、御嬢さん好きなのだろう!」
 健二の言葉は、僕の心臓の奥底に響いた。隠しつづけ、我慢し続けてきた気持ちを、早く打ち始めた鼓動が、動揺という反応を引き起こした。
「いや、僕は」
 動揺は激しく、そして大きな触れ幅となっていった。
(僕が、お嬢さんを好きだって?)
「こんな時まで、影武者になって、遠慮する事は無いんだ。俺がいるとかいないとかで、ごまかすなよ」
(僕は、お嬢さんが好きなのかもしれない)
 しかし、言葉は勝手に逆の事を言っていた。
「そんなことはないさ」
「お前を見ていれば分かるさ。お前は、俺の影武者なのだから」
(僕は、お嬢さんが好きだ!)
「健二、俺はお嬢さんが好きだ」
 健二の右の拳が、撫でるように僕の頬を叩いた。触るように、もう一度叩いた。
「知っているよ!」
と言った後、健二は僕を起した。そして、軽く僕に肩で体当たりをした。優しい当たり方だったが、僕は 安定感の無い人形のように、簡単に転んだ。
 健二は、既に坂の上に向って走り出して行った。
 健二が僕の為に動いてくれている。珍しい事だ。怪我をするくらい頑張ってみたけど、ちょっとだけ良いことがありそうだ。
 遠くから健二の声が聞こえる。振り返って、僕に叫んでいるのだ。
「おーーーい、健二。お前達、きっと上手くいくぜ。頑張れよ」
 ありがとうって返事をする前に、健二はまた走り出して行った。せっかちな奴だ。僕は、いずれ目の前に現れるだろうお嬢さんのことを考えて、一人笑っていた。いや、にやけていただけかもしれない。
 僕は体を起こし、何とか座りの姿勢をとった。体が安心感からが、我慢していた痛みが復活してきた。痛いけど、待ってみようと思った。

 改めて、彼女の事を思い出そうと思った。
 これまで会った回数は、驚くほど少ない。喋った事も、殆ど無い事を思い出した。でも、彼女の美しく、綺麗な顔立ちや立ち姿は鮮明に脳裏に焼き付いていた。軽く目を閉じて考えると、頭の中で、それは容易に映像化する事が出来た。
「ああ、もう少しで、彼女が目の前に現れるのだ。」
 僕は、座って待ちつづけると言う行為を行いつづける事が出来なくなってしまった。
(会いたい。早く、会いたい!)
 その思いだけが、ギシギシになった僕の体を立たせる事ができた。そして、一歩づつ動きだす事が出来た。

 子供の歩みとどれほど違うというのだろう。自分でも信じられないくらい、僕の歩きは遅かった。もし今の目的地が坂の下にあるのなら、転がったほうが百倍早い気がした。それほど遅くても、歩いていくしかなかった。
 そんな時、頂上から吹き降ろしてくる風の中に、僅かだけど、彼女の匂いを感じた。体の色々な所が悲鳴を上げて興奮しているせいか、嗅覚が鋭くなっているのかもしれない。
 その匂いは、紛れもなくあの河原で嗅いだ、忘れる事が出来ない心地よい匂いだった。姿は見えないけれど、この坂の遥か上に、彼女がいる事が確信できた。
(良かった、彼女がいた・・・・・・・)
 そう思った瞬間、腰に衝撃が走った。
(ん? 何が起こったと言うのか?)




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 奴のパンチやキックが次々に飛んでくる。
 奴は既にダメージを負っていたので、攻撃は強烈なものではなかったが、攻撃は絶え間無く続いた。時間はゆっくりと流れているようで、決して気を失わないようにしようと、精神を集中し続けていた。
 だが、だんだん苦しくなってきた。体のあちこちが痛み、血も何箇所かから出ていた。だが、動く事が出来なかった。遠くに、高志の横で太助がこちらを見て立っているのが見えた。
 奴の攻撃は、更に続いていた。自分の体の感覚が段々と鈍くなってきたのが分った。
(すまん、健二。すまん、おやじ。どうも、俺はお嬢さんを助ける事が出来ないようだ。すまん、高志)
 そう思いながら太助を見ると、その足元で高志が、太助の足を巻きこむ様にして動き始めたのが見えた。
「あっ」
 殴られているにもかかわらず、僕は首ごとそちらを眺めた。仁も僕の視線の先に何かが起こっている事に気が付いた。
「あいつ、動けるのか?」
 仁がそう発した時、高志は寝ている自分の方に太助を引き込んで、抱きかかえたまま、その勢いのままに二階から下に飛び降りた。あっという間も無かった。
 空中で太助は何とか逃れようともがいているのが見えたが、高志はがっしりと相手を掴みこんでいた。二人とも、恐らく頭から地面に落ちる事になるのは分っていたはずだが、高志は自分の頭を守る事はせず、両方の手と足で太助を抱きこんでいた。
 二人とも重力に従い、地面に到達するはずであった。だが、太助の落下する頭の真下に自転車があった。太助はその自転車の後部座席に頭を直撃させた。
 高志はしっかりと太助を掴んでいたものの、一瞬落下を引き止められた形となり、太助から引き離された上で、地面に叩きつけられた。不思議と、その体はもう一度三十センチほど跳ね上がって、また落下した。
 太助は自転車に直撃した後、その自転車共々倒れこんだ。遠くからでよく見えなかったが、凄まじい衝撃が頭に届いたはずである。なのに、太助はふんばるようにして立ち上がった。
 たち上がったが、麻酔銃に撃たれた象の様に、ゆっくりと倒れこんだ。
「高志!」
 僕はとっさにそう叫んでいたが、虚しく僕の声が届くだけだった。
(だめだ、あれでは助からない)
 僕は目の前で固まっている仁をにらんだ。
「おい、お前のせいで、若い命がまた二つ終わったのだぞ!」
「ち、役立たずが!」
 仁の回答は、僕の頭の血管を綺麗に三本ほど切ってくれた。
「この、ガキが!」
 僕はこれまでの攻撃で鈍くなった体を動かした。いつもの切れは無かったが、気力で。いや、怒りで、何発ものパンチを打ち込んでいた。仁は連続して私の攻撃を喰らい続け、もう二発も入れれば勝てると思った。
 その時、其処にいるべきではない映像が飛び込んできた。なぜか、奴の後ろに、アケミが立っていたのだ。
「お兄ちゃん、何しているの?」

 アケミは、この状況が何なのか分っていない。
 命のやり取りが今ここで行われている、鬼気迫る空間である事など分るはずが無かった。それにしても、登場する場所とタイミングが悪すぎた。アケミは、仁の直ぐ後ろに立っていたのだ。
 アケミの声に気が付いて、仁が後ろを振向いた。
「お兄ちゃんだと?」
「待て!」
 僕がそういった時には、既に仁はアケミを抱え込んでいた。
「運は俺にあるようだな。この状況において、こんな獲物が俺の手元に転がり込むとは」
 勝ち誇ったような顔をしているが、仁は僕を警戒している。アケミは状況が分っていない。
「ダレ? ナニ? オニイチャンノオトモダチ?」
「こいつはいいや、そうさ、お兄ちゃんの友達さ。仲良くしような」
「アケミを話せ。アケミは分っていないんだ!」
「そんな事は関係ないな。しかし、いい尻しているじゃないか。そそるね。ひひっ」
 仁はアケミの尻を触りながら、自分の唇を舌でゆっくりと舐めた。
 僕は、奴の仕草を見て、時間的余裕が無い事が分った。そして、こんな悪魔に純真なアケミを渡すわけには行かないと思った。
「アケミ、地震だ!」
「地震?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>
 アケミは万事、頭回転がスローである。そして、敵愾心と言うか、自分への危機回避能力というものを持ち合わせていなかった。その上、全ての行動が遅かった。
 そんな彼女だが、地震だけは過敏に怖がるのであった。
 僕は、アケミにこの「地震」というキーワードを使って、一つの事を条件反射として教え込ませていた。そう、あの忌まわしい事故以来。
 周りの人が地震だと叫んだ時、その場を逃げ出す事を。最初こそ上手くいかなかったが、段々とそれが出来るようになった。
 そして、もし誰かに掴まれていたら、そいつを撃退して逃げるように教えていた。これはなかなか難しかった。だが、以前の不幸な事故を教訓として、彼女を襲ってくるのはスケベ丸出しの男である事を想像していたので、いかにして相手の股間を蹴って相手がひるんだ隙に、素早く逃げ込むかを教え込んだ。
 何人かの若い衆の実験台を経て、彼女はそれが出来るようになっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>

 地震と言うキーワードを聞いた彼女は、後は体が勝手に動いていた。
 素早く両の肩を左右に二三回降って奴が掴んでいる腕の隙間を持たせた後、隙の出来た仁の股間を蹴り上げた。動きがトロイと思い込んでいた所に、突然の彼女の攻撃だった。仁は完全に不意を突かれた。
 掴んでいた両の手からは力が抜け、アケミは体が自由になった。そして、一気に逃げ出して行った。素晴らしい動きだった。
 僕は、彼女の動きにかけていた。きっと上手く逃げるだろうと。その動きを予測・確認しつつ、僕は奴の目の前に立ちはだかっていた。
 仁の顔に、初めて恐怖が映し出された。そして、恐らく憤怒の形相になっている僕を見たはずだ。そして、それが奴のこの世で見る最後の映像となった。

 僕は右手の指を、仁の左眼に突っ込んだ。嫌な感触が右手を伝わってきた。素早く突っ込んだ指を引き抜き、渾身の回し蹴りを奴の左顔面に叩き込んだ。それは、最高の蹴りとなった。
 仁は後ろ飛ばされ、更にその勢いで後方に二回転した。
 奴の動きは、完全に止まっていた。近寄って確認する必要も無く、近づきたいとさえ思えなかった。
 とにかく、仁を倒した。僕はその場に座り込んだ。

 小屋に逃げ込んでいたアケミは、周りをキョロキョロしながら外に出てきた。
「お兄ちゃん、地震は?」
 アケミは、自分が仁に人質として襲われ様とした事など覚えていなかった。それで良いと思った。
「地震はね、アケミがいい子にしていたから何処かに行っちゃたよ」
「そっかー、地震は何処かに行っちゃったんだね」
「そうさ」
 僕は、近寄ってきた彼女の頭を軽く撫でた。そんな単純な動きですら、僕の体は悲鳴をあげていたが。

 ふと、後ろから僕を呼ぶ声がする。
「健二さん」
 弱々しく震えてている声だった。なんと、高志だった。声に負けないくらい、高志はやっと立っているだけのようで、小刻みに震えていた。
「おまえ、大丈夫だったのか?」
「はい、色々ご迷惑をおかけしました」
「俺は、あの落下でてっきり・・・・」
「俺も太助の体を離さない事だけ考えていて無我夢中だったのですが、自分が落ちた所に捨てられたクッションがありまして」
「そうか、それでお前は飛び跳ねたようになったんだな」
「その様です」
「とにかく、良かったよ。俺は嬉しいぜ」
「ありがとうございます」
 僕は大きく首を振った。
「いや、礼を言うのは俺の方だ。助かったよ。ありがとう」
「いえ、そんなこと」
 高志は、少し恐縮しているようだった。

「ところで、太助はやはりだめだったか」
「はい、頭が完全に割れていました。あれではだめです」
「そうか、辛かったな」
「いえ。あっ、はい。 いえ」
 裏切ったとは言え、高志にとって太助は大きな存在だったのだろう。友人であり、同士であり。行動はともかく、今は辛い事だろう。


 とにかく、仁は片付いた。
 すずお嬢さんに、状況を伝えなくてはならない。
 目の前には、気丈にはしているものの倒れそうな高志がいるだけだ。そしてアケミ。選択の余地は無かった。
「高志、すまん。 そんな体なのに頼むのは酷だが、根性で事務所まで行って親父達に事の次第を告げてくれ。俺はこのまま坂の上にある公園に、お嬢さんを探しに行く」
「一人でだいじょうぶですか?」
「俺もぼろぼろだが、お前よりましだ。それより頼んだぞ」
「分りました。お気をつけて」
「お前もな!」
 そう言い残して、僕は歩き始めた。振向くと、アケミが高志の後ろについて歩いていくのがみえた。
(アケミは、案外高志みたいなのが良いかも知れないな)
 自分がふらふらになりながら、未だ嫁候補もいない僕は、そんな事を考えていた。




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      第六章

 幸運は、突然に僕の目の前に転がり込んできた。万事、ラッキーともアンラッキーとも思わない僕だが、心の中でガッツポーズをした。
 奴を見つけたのだ。坂の上の公園に程近い、やや広い空き地のヘリを隠れるように歩いていのが見えた。
「おい、仁」
 奴は声そのものには驚いたようだが、振向いて僕を見たその目には、焦りも驚きも無いと感じた。
(こいつ、冷静だ。厄介だな)
「探したぞ!」
「健二か。と言っても、どっちの健二か知らないが。しかし、意外に遅かったな」
「驚かないんだな」
「驚く?俺が見つかった事か? ああ、別に。 お前、計画は全部聞き出したのだろう?」
「何故、そう思う」
「こっちも聞かせてもらったからな」
「何をだ?」
「あのアパートの二階。廊下の左端が見えるか?」
 そう言って、仁は顎で僕にその場所を教えた。僕は、奴を警戒しつつ、その方向に目をやった。其処には、高志が倒れていた。
「高志!」
「お前の所の若い奴らしいな。ついさっきまで遊ばせてもらったよ。その後で、うちの若いのが捕まって、げろっちまったと聞いたよ」
 僕は、高志が死んでしまったのではないかと思ったが、この距離では確かめようも無い。
「時間がないのじゃないか?」
 仁は、わざとらしい聞き方をした。自分にとって、物事が優位になっていると思っているらしい。僕は、その喋り方にも、怒りを感じた。
「そうだ。しかし、お前はいったい何が目的だ!」
「目的?俺はな、お前ら健二の二人両方とも平らげて、この界隈の頭になる事が目的さ。つまり、いずれお前達とはやりあうって事さ。だから今会っても、驚く事は無いのさ」
「御託はもういい。仁、一つだけ言っておく」
「なんだ?」
「お前は殺す!」
「ほう、怖いな」

 僕は間合いを詰め始めた。仁は横に回りつつ間合いを詰めてきた。
 二人を中心にした回転は、仁の足が止まると同時に終わった。間合いは、完全にお互いの攻撃の間合いとなっていた。
 先に動いたのは仁だった。
 気がせいていたのかもしれない。じれた末での攻撃となった。
 左のパンチはフェイントで、体ごと突っ込んできたかと思うと右のフックが二連発で僕の目と肩に襲ってきた。目への攻撃はかわす事が出来たが、肩への攻撃は逃げるのが間に合わないと分ったので、ブロックしつつ前に飛び込んだ。
 肩に奴の得意な爪が刺さる感覚があったが、僕はそれに構わず、奴の引き足に合わせて飛び込んで、ショルダータックルを喰らわせた。その力を利用しつつ、奴は更に後ろに飛んだ。僕は更に、奴に向って飛び込んだ。
 奴にすれば逃げる為に後ろに飛んだはずが、僕の踏み込みで、それは実現しなかったのだ。
 そこに、ぼくは思いっきり頭突きを喰らした。額を狙った頭突きはぎりぎりで避けられたが、奴の鼻に、僕の額が届いた。
「がっ」
 仁が喚いた。僕は呼吸をおかず、左右のパンチを連続で叩き込んだ。最初の何発かはブロックされたが、段々に奴の体の芯をとらえ始めていた。連続して五発ほど良いのを打ち込んで、僕は後方に飛んだ。
 手に感触は残っている。ダメージは確実に与えているはずだ。僕はどうだろう。相手を視野の中心に捕らえながら、自分の体に信号を送って状況を把握した。傷は、最初の左肩のみである。呼吸が少し上がっているが、たいした事は無い。十分やれる。
「どうした。てこずっているじゃないか。自慢の爪も届かないと、どうという事は無いな!」
 わざと、僕は嫌味を込めた口調でしゃべった。仁が何か言いたそうだったが、僕以上に息があがっているようで、喋るのもきつそうだった。だが、なんとか大きく息を吸ってから、
「まだだ」
 と、搾り出すようにして声を出した。
 僕は、奴の目を見た。奥底まで見抜くように、しっかりと見た。
(奴の目は、まだ生きている。来る!)
 その瞬間、奴は驚異的なジャンプ力を見せて一気に僕の目の前に現れた。左右のフックが凄まじい速さで叩き込まれた。この攻撃は、瞠目に値した。腕の回転が速い上に、奴の爪が間合いを長くしていく。ブロックするのが精一杯で、こちらからの攻撃が出来なかった。
 しばらくは、受けに回らざるをえなかった。僕は、とにかく致命傷になることだけを避けて、防御にまわり、機会を待った。

 やつの攻撃が、その勢いを無くしてきた。
 やつにすれば、最高の攻撃だったのだろう。僕にすれば、なんとかしのぎきった形になった。
「行くぞ」
 僕は溜めきった力を、一気に爆発させた。蹴りとパンチを、ブロックの上だろうが振り抜いた。何発かはブロックされたが、途中何発か急所に入った。やつが「ぐう」と唸ったのが聞こえた。
 僕のラッシュは続いた。段々と、奴の足がよれ始めたのが見えた。もう五発も打ち込めば、奴を完全に倒せると思った時、やつは一歩下がって叫んだ。
「待て!」
 僕は、奴の意外な行動に、振りかぶった手を下ろした。
「なんだ!」
「あれを見ろ!」
 奴はそう叫んで、高志が倒れているアパートの二階を、顎でしゃくった。其処には、高志の横に太助が立っていた。
「太助!」
「そうだ、太助だよ」
 仁はにやりと笑って答えた。そして大声で、
「おい、太助。今からこいつが俺に少しでも手を出したら、其処に転がっている奴を殴っていいぜ!」
「貴様! なんて卑怯な」
「卑怯? 素晴らしい誉め言葉だね。もっと言ってくれ。ひひっ」
 仁は本当に喜んでいるようだった。
(なんて奴だ!)
「おい太助。そんな事は止めろ。高志はお前のダチだろう!」
 僕は、二人が仲良く話したり冗談を言い合ったりしている姿を思い出して、離れた所いる太助に向って叫んだ。だが、太助は無言のまま、高志の横に立っているだけだった。
「ダチ? 笑わせるね。奴は、お前達に笑いものにされ、そして追い出されたようなものさ」
「そんな事は無い、あいつなら」
 と、言ったものの、僕もそれは難しい事であるように思った。
 だがしかし、こんな仕打ちが認められるのか? 仁は、太助の心に隙間に付けこんで、奴をおもちゃにしているのだ。こいつだけは許せないと思った。
 仁がのっそりと立ち上がって、ゆっくりと近づいて来た。
「おい、動くなよ」
 奴は俺の顔面にパンチを入れてきた。動かないつもりでいたが、反射的に僕は避けてしまい、更に奴の顔面にパンチを入れていた。奴は僕が避けるなど、ましてや打ち返してくるなど想像していなかった様で、綺麗にパンチが入ってしまった。
「お前、状況が分っていないようだな!」
 そう言って、仁は僕から一歩下がった。
「追い太助、その虫の息の奴に、顔面に一発入れてやれ。思いっきりだ!」
「やめろーーーー」
 僕は叫んだが、太助は高志の頭にパンチを打ち下ろしていた。高志がパンチの衝撃で、一瞬頭をもたげた。
「あらららら。 あいつ本気で殴っているよ。いいね、いいね。ひひっ」
 仁は楽しんでいた。自分でやれと言っておきながら、恐らくは葛藤の末にそのパンチをはなった太助の心情にすら、おもちゃにしているのだ。
(こいつだけは、こいつだけは)
 仁はゆっくりと僕を見た。
「もう一回言っておく。俺に手を出したらどうなるか。あそこで寝転んでいる奴がどうなるか分っているな。ああ?」
「ま、待てよ」
「分っているな!」
 そう言いながら、奴は僕に攻撃を始めた。僕は貝のようにガードを固めて丸くなった。打開策は見つからなかったが、今はそうするしかないと腹をくくった。




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