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お勧め度:★★★★
大学時代に読んだことがあうと思いますが、数年前に松山の「坂の上の雲記念館」に行ってのをきっかけに再度チャレンジしています。全八巻の超長編だけに僕にとってはチャレンジです。
三巻は、正岡子規の最期からはじまった三巻は、日本の転換点となる日露戦争に突入する不穏な社会から投入しての初戦までが描かれている。登場人物の人格やその時の心情が手に取るようにわかる司馬作品は、何を読んでも引き込まれる。
以下が私が重要と思った箇所の抜粋です。
●「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、諸原理、諸原則はおのずからひきだされてくる。みなが個々に自分の戦術をうちたてよ。戦術は借りものではいざというときに応用がきかない」 P.17〜
●ふしぎなことに、ロシア軍人のひとりとして、日本の実力を正当に評価した者がいなかったばかりか、それを冷静に分析した者さえいなかった。
一国の軍部が侵略に熱狂したとき、自分の専門であるはずの敵国の軍事分析というものすら怠るのかもしれず、そういう作業をすることじたいが、取り憑かれている政治的熱気からみれば、ばかばかしくおもえてくるのかもしれない。 P.95〜
●好古の観察には、昭和期の日本軍人が好んでいった精神力や忠誠心などといった抽象的なことはいっさい語っていない。
すべて、客観的事実をとらえ、軍隊の物理性のみを論じている。これが、好古だけでなく、明治の日本人の共通性であり、昭和期の日本軍人が、敵国と自国の軍隊力をはかる上で、秤にもかけられぬ忠誠心や精神力を、最初から日本が絶大であるとして大きな計算要素にしたということと、まるでちがっている。 P.133〜
●問題を洗い晒して本質を露呈させてしまえば、日露の帝国主義の角のつきあいである。
十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、そらがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。
日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしもれをすてれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併合されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった。 P.173〜
●織田信長やナポレオンがそうであるように、敵に倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒することが戦術の大原則であり、名称というのは限られた兵力や火力をそのよに主決戦上にあつめるという困難な課題について、内や外に対してあらゆる駆け引きをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである。
あとは、「大軍に兵法なし」といわれるように、戦いを運営してゆきさえすればいい。 P.285〜
●大器についての認識が、先天的ににぶい日本軍の体質が、ここにも露呈している。
機関砲については、日本人が知らなかったはずはなかった。 P.301〜
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