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「風林火山」第28話でついに甘利虎泰(竜雷太)、板垣信方(千葉真一)がついに壮絶な最後を遂げました。
千葉さんの殺陣は当年68才とは思えないキレで、凄い・・・!といった感じですが、流石に体力的にはかなり
しんどかったようで、引退、俳優養成の道へ新たに進んで行くそうです。
あの殺陣を、どんな俳優さんが継承していくのか、今から気になりますね。
晴信の守り役として仕え、まさに右腕だった板垣信方(画像)ですが、その晩年には不名誉な逸話もチラホラ出ています。
勝手に勝鬨をあげる、首実検をやるといった越権行為を時々行うようになった、また、猪突した結果敵の伏兵に遭い。
あわや壊滅というところで原美濃守に救援されたなどといった逸話が「甲陽軍鑑」に記されています。
そこで晴信は板垣の慢心を諌めるために「誰もみよ 満つればやがて欠く月の 十六夜ふ空や 人の世の中」という
和歌を送ったという逸話も伝わっています。ただし、この和歌は正徹という人が詠んだものを、ほんのちょっとだけ
アレンジしたものです。
また、上田原でも序盤板垣勢は猛攻を仕掛け
村上勢を押したが、そこで勝利を確信して首実検を始めたが詰めを誤り、そこを突かれて討たれたと「甲陽軍鑑」では
書かれています。
ただ、「甲陽軍鑑」はそれなりに信用出来る資料ですが、如何せんいろいろな人の手が入った形跡が有るほか、
勝頼の側近・跡部勝資などが不当なまでに貶されているなど、全てが事実と言えるものではありません。
おそらく板垣家が取り潰された事も、この板垣信方慢心の逸話の背景にある気がします。
板垣が晩年ポカが目立った感が有るのは否めませんが、晴信との関係(和歌に耽溺する晴信を諌めたetc)や、それでも
板垣を先陣に用いた点、また上記の和歌が実際は正徹の本歌とりである点など考慮すると、晴信が板垣に大きな信頼を
寄せていたのは、少なくとも事実ではないでしょうか?
そして板垣の死後、あとを継いだのは息子の弥二郎信憲。
しかしながらこの信憲、武将としての器量は父に比べ格段に劣っていたようです。
そして、家督継承後早速トラブルを起こしてしまいます。
父の家臣に、曲渕庄左衛門というものが居て、しばしば大きな手柄を立てたため、信方に納める税金が免除されていました。
ところが弥二郎は彼からも税を力ずくで徴収しますとします。そして訴訟沙汰に発展し、曲渕の戦功を考慮した形になりま
した。なんだか弥二郎の器の小ささが父と対比されているようなエピソードです。
他にも、味方の多田勢が突撃したのを楽観視して傍観していたとか、酒色にふけるばかりだったとか、ろくな逸話が
ありませんでした。そしてとうとう信玄に誅殺され、板垣家は絶家になってしまいます。
これらも甲陽軍鑑が出所ですが、諏訪郡代も長坂虎房などに替えられた上、同じく筆頭の家柄だった甘利の息子(昌忠)が
信玄に重用されていたことからみても、やはり父に大きく劣っていたと見ていいと思います。
(のちに於曽信安が名跡を継承する、信玄は側近や旗本に家中の名家を継承させる cf.山県三郎兵衛など)
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こんにちは。千葉さんの殺陣は素晴らしかったですネ!確かに年齢を考えると、きつかったと思いマス。
板垣サンの息子さんってあらら。。なんですネ。。甘利サンはあの安倍内閣の甘利さんのご先祖さんですネ。
2007/7/24(火) 午後 0:14
>ララさん
たしかに、年齢を考えるとキツかったと思いますが、すばらしい殺陣でしたね。
ちなみに、上に紹介した板垣の肖像は、千葉さん演じた板垣に似ているような気がします
2007/8/3(金) 午前 1:19 [ jir*_*abu*o_*006 ]
甲陽軍艦は資料としての信憑性に欠けるところはありますが、それを差し引いても信憲は不肖の息子であったことは間違いないようですね。
2007/8/12(日) 午後 4:05