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http://www.zakzak.co.jp/top/2008_01/t2008012304_all.html
戦国武将、上杉謙信の後継者をめぐる「御館の乱」の舞台となった新潟県妙高市の鮫ケ尾城跡で、戦火で焼けたとみられる炭化したおにぎり4個が、市の発掘調査で出土していたことが22日、分かった。
当時は雑穀を混ぜたおにぎりが一般的だったが、出土したおにぎりは米だけの“銀しゃり”。市の担当者は「謙信の養子の景虎陣営が、最後の戦いを前に武将らに振る舞ったのではないか」と話している。
おにぎりは平成18年度の調査の際に、城内の「三の丸」付近で陶片とともに見つかり、握りこぶしほどの大きさで、重さは約40グラム。市が国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に鑑定を依頼したところ、手で握ったり、葉でくるんだりした痕跡が見つかり、おにぎりと判明した。具は見つかっていない。炭素測定で戦国時代のものであることも分かった。
市によると、鮫ケ尾城は上杉家が信濃と越後の境に築いた山城。同じく謙信の養子の景勝との家督争いに敗れた景虎が逃亡中に立ち寄ったところ、城主の裏切りに遭い、包囲された景虎は1579年、20代の若さで自害。城は火を放たれ、廃城となった。
おにぎりは26日から新潟県長岡市の県立博物館で展示される。
ZAKZAK 2008/01/23
以上転載です。
上杉景虎が最期をとげた鮫ヶ尾城で発見された握り飯。
明日はない、最期を迎える前の末期の一食として握られたものでしょうか。
真っ黒に焼け焦げているのが、悲壮感が漂う印象を受けます。
最期の時が近づく中、景虎たちが食べたものの一部でしょうか。
この握り飯、当時の状況を今に伝える貴重な資料です。
この鮫ヶ尾城が炎に包まれたことの証左でもありますし、また、城中のどんな層が
これを食べたのかなど、さまざまなことを考えたり調べたりする余地を与えてくれると
思います。この焼けた米の塊が、当時の状況をとく手がかりになるのですから、
歴史って興味深いと思います。
400年前の戦火の中にあった、まさに歴史の証人といえる遺物ではないでしょうか。
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僕も見ました^^。焼き米は,小山城(静岡県)で見たことがありました^^。撮影可能だったので,写真に撮ってきました。今度,歴史的秘宝館に載せようと思います^^(もしかしたら,もう,載せてあるかも?^^)
2008/1/24(木) 午前 8:33
めざましTVでやってましたネ〜!
当時、白米は高級だったので、白米だけのおにぎりは贅沢ですネ〜。
景虎が最期には贅沢しようと皆に振舞ったかもしれませんね。
2008/1/24(木) 午前 8:43
>makuさん
城関係で「米」というと水が尽きているのをごまかそうと米を・・・
という話を良く耳にしますね。
>ララさん
普通では白米だけのオニギリってのはなかなか食えないそうですし、
それだけに悲壮感があります。
2008/2/4(月) 午後 11:33 [ jir*_*abu*o_*006 ]