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さて、先週の風林火山の作中で、武田信繁(嘉島典俊)らが大井夫人(風吹ジュン)を訪ねた際に、仏の絵を書いていた子供がいたのを覚えているでしょうか?孫六くんです。
(注:史実の内容にも触れます。従って若干ネタバレとなる事になりますがご容赦ください)
彼は信玄や信繁と母を同じくする弟で、のちの武田信廉(逍遥軒信綱)である。彼は武将としての活躍よりも、むしろ芸術面で才能を発揮した人物だった。
作中でも仏像の絵を描いていたが、やはりこの信廉は絵が得意だったようで、自分の父母、つまり武田信虎と大井夫人や、雪田和尚(甲斐恵運寺の開山)の肖像など、何点かの作品が現在まで伝わっている。
とくに、武田信虎(写真・大泉寺蔵)、大井夫人の肖像は、当人の雰囲気というか、容貌を中々よく捉えているように思われる。
また、彼は信玄によく容姿が似ていたと言われており、影武者をしばしば努めていたらしい。信玄の死んだときの事、それを嗅ぎ付けた北条氏政は早速真偽を確かめようと家臣を武田家に遣わしたが、信廉が信玄のふりをしてごまかし通すことに成功したというエピソードも残っている。
黒澤明監督作品「影武者」の冒頭で、3人の信玄が映し出されるシーンがあるが、あの中の一人が信廉(山崎努)である(ちなみに本物の信玄と刑場からスカウトされた主人公(仲代達矢・二役)が残り二人)。
ただ、彼は武将としては、兄二人には似なかったらしい。長篠でも早々に退却したらしいし、天正10(1582)年、織田信長が甲斐へ侵攻してきたときも、ろくに戦う事無く遁走している。もっとも、逍遥(ふらつく、うろつくの意)という号からも信廉が武将的な気質では無かったことが想像出来るが、どうあれ信廉は戦線を離脱した。しかし、武田家の重鎮だった信廉に追手が来ないはずは無く、結局織田信忠の手のものに捕らえられて処刑されてしまった。
やはり、武将としてはあまり優れてはいなかったようだ。
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