アッーと驚く?徒然日記【不定期版】

最近更新出来てませんねえ・・・・うむむ

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こんにちわ。お久しぶりです。・・・・・またまた更新できてないなあ。いかんいかん。
今年の大河ドラマ「風林火山」もいよいよ終了しました。その後はかつて「武田信玄」でも
描かれていましたが、さらなる波乱が武田家を襲います。


さて、川中島の合戦から数年後、信玄は嫡男であった武田義信と対立し、義信が幽閉されるという
事件が起きます。しかし、この事件に関する情報は非常に少なく、わずかな資料や『甲陽軍鑑』などの
編纂物に頼らざるを得なくなります。

まず、信玄の嫡子・義信についてです。義信は信玄の長男にあたり、母は信玄正室・三条の方です。
将軍足利義輝から偏諱を受け、さらに後には幕府の三管領に準じる身分を幕府から認められています。
軍事面でも伊那平定戦に参加して功績を上げるなど活躍しているほか、父信玄と連署した書状を領内で
発給しており、信玄は勿論、周囲からも後継者と目されていました。

ところが、永禄8(1565)年、謀叛をたくらんだとして幽閉され、守役の飯富兵部(虎昌)ほか、長坂
源五郎などが討たれるという事件が発生します。
この義信と信玄の対立について、『甲陽軍鑑』では川中島合戦時に戦を巡って父子の意見が割れた事、
信玄が高遠に異母弟の諏訪四郎勝頼を置き、さらに秋山信友や安倍勝宝をつけたことへの反発、と
いったことが列挙されていますが、川中島合戦後も信玄と義信は同陣しています。また、勝頼を高遠に
置いたことについても、信玄・信繁兄弟との対比である可能性が高く、決定打とは言い難いでしょう。

次に政治的立場の違い。義信は妻を駿河の今川氏から迎えており、義元没後当主となった氏真とは義兄弟
にあたる関係です。ところが、信玄は義元亡き後衰える今川と手を切って駿河を併呑しようとしたために
義信と対立したと指摘されています。

そして、家臣団の違い。義信に近い立場の家臣は、飯富兵部や長坂源五郎などがおり、また、穴山氏なども
義信と親しかったといいます(穴山梅雪の弟が義信事件に連座)。義信の支持層というのは、武田氏譜代の
連中や国人領主層だったようです。一方信玄に仕える家臣は、飯富昌景、香坂弾正など信玄が引き立てた
連中が多いようです。義信の支持層というのは、かつて武田信虎放逐を推進した層にあたるわけですね。

つまりは武田信玄にではなく、「武田氏」に仕えている連中ということです。信虎追放にせよ、家臣団が
軒並み信玄(当時は晴信)を支持したのも、信虎が集権化をして、家臣(国人領主層など)への軍役増大、
権力の浸透、干渉を強めたのを嫌ったからでした。ところがその意図に反して信玄もまた軍役強化、
家臣への権力行使、干渉を強めていったため、信玄に替わる当主(=義信)を擁立しようという流れが
生じたと考えられます。

これら複合的な要因(信玄と義信の政治的立場の違い、家臣団の意図etc)が絡まった結果、ついに信玄は
義信を幽閉して飯富らを誅するまでに発展したのでした。この時信玄が小幡氏に出した手紙では、「飯富や
長坂を誅殺したが、本来われら親子には別条は無いので安心して欲しい」と記されています。

そしてこの事件の後、信玄は武田氏に従う家臣、国人領主、一門衆に信玄に二心無き旨を誓わせる起請文を
信州の生島足島神社に納めさせています。現在も武田信廉、原昌胤、小山田信茂らの起請文が伝わっています。
信玄の弟や甥からも起請文を集めており、義信事件が武田氏を大きく揺るがしたことが伺えます。
そして、その2ヶ月後、武田義信死去。自害とも病死、毒殺ともいわれ、詳しい死因は不明ですが、この時
30歳でした。

信玄は武田領内の動揺を収拾すべく、断固とした処置に出たわけですが、事件発覚から義信の死まで
およそ2年が経っています。信玄としても、小幡宛の書状などを見ても何とか解決を試みていたようですし、
また、義信の処遇にも頭を悩ませていたのかも知れません。

結局これにより四男勝頼が後継者に浮上します(次男信親は盲目、三男信之は早世※ただし異説有り)。
しかし、勝頼が高遠から甲府へ移ったのが元亀2(1571)年で、信玄没の僅か2年前でした。この頃から
勝頼は領内全体の統治に関する書状や、または外交的な文書などを発給するようになり、後継者として
位置づけられるようになりました。しかし、勝頼への権限委譲、武田氏次期当主としての立場の確立が
不十分なままに信玄は没する事となり、その課題は勝頼に重くのしかかる事になります。
更に、勝頼には高遠時代に形成された独自の家臣団がおり、彼らと譜代衆、信玄が引き立てた連中との
対立という問題も発生するようになりました。

かくして、勝頼の苦闘が始まります。写真は高野山成慶院所蔵の勝頼画像です。

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