アッーと驚く?徒然日記【不定期版】

最近更新出来てませんねえ・・・・うむむ

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緒形拳さん死去

さらば稀代の名優…緒形拳さん死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000006-dal-ent

昨日の朝、目を覚ましてテレビをつけたらこのニュースが流れていて驚きました。
昨年も「風林火山」でgackt謙信の軍師・宇佐美定満を演じていたほか、今年に入っても
精力的に活動していましたし・・・。
(宇佐美は若い頃(梅安や純友など)のギラギラした感じとはまた別の、静かな迫力があって、存在感が
あったと思います)


「楢山節考」などは見たことが無かったのですが、個人的には「必殺仕掛人」の藤枝梅安や
「風と雲と虹と」の藤原純友が印象に残っています。
息子の緒形直人も、大河ドラマで主演を果たしていますが、別のタイプのいい俳優だと思います。

最近の若い俳優さんにはなかなかいない、迫力のある、いい役者さんだっただけに
まだ早い・・・と思ってしまいますね。

松代・上田旅行記

こんにちわ。超久々の更新です。




いろいろとたてこんで足が遠くなっていましたが、更新します。
(生存報告も兼ねましてw)





さて、先日私は休日を利用して信州へ出かけてきました。
テーマは「真田昌幸・信之・信繁(幸村)」


最初に行ったのは上田。
真田氏が元和期まで支配した後、仙石氏や松平氏が支配した地です。
・・・といいましても、町の雰囲気は真田>その他諸大名という扱い。
駅前には馬上の真田幸村像がお出迎え。

駅からそれほど距離はなかったので、歩いて市内を散策。
まずは上田城。
真田昌幸が築城し、数で勝る徳川勢を二度にわたって翻弄した城として知られています。
城の一角にある博物館には、真田昌幸所用の具足や旗、文書といった真田氏の史料が
多数展示されていました。
また、真田氏が松代へ移ったのちに上田を治めた仙石氏(仙石秀久の子孫です)や
松平氏に関する史料も展示されていました。

そして、池波正太郎 真田太平記記念館。
真田太平記をはじめとする、おおくの「真田もの」を執筆した池波正太郎の記念館。
駅からやや歩いたところに位置しています。池波正太郎の作品では、『剣客商売』や
『仕掛人 藤枝梅安』シリーズを愛読している私としては、ぜひ行っておきたいと
思った場所です。・・・月並みですが、池波作品って「食」の描写が非常にそそりますよね。
池波正太郎の使用していた品々などからは「こうして信之や秋山父子、鬼平たちが生み出されて
いったのか」という感慨がわいてきます。
また、企画展では真田太平記の名場面・大坂の陣に関する資料が展示されていました。
真田軍の旗印や、大坂夏の陣を前に、姉やその家族(小山田父子)に宛てた手紙が
展示されていました。
文中の「我らのことはすでに浮世にないものと思ってください」という言葉からは
幸村の覚悟がにじみ出ているようでした。



二日目は松代です。駅は非常に古びた感じの、田舎らしい雰囲気でした。
駅では自転車が貸し出されており、自転車に乗って二日目は松代を散策しました。
街中には、「小山田(壱岐守家。昌幸の娘婿)」「真田(勘解由家。真田信之の孫)」の
屋敷があり、現在も御子孫の方が住んでいるらしく、表札がかかっていました。

まず最初に訪れたのは真田宝物館。真田幸正氏が寄贈した多くの真田氏の遺品が展示
されています。信之や幸村のみならず、松平定信の子で、佐久間象山の主君としても
知られる真田幸貫に関する史料もありました。
(幸貫の絵がパネルで紹介されていましたが、親子だけあって定信の絵に似ている印象)
真田家は途中井伊氏や松平氏、伊達氏から養子を迎えつつも、明治維新まで200年以上にわたり
松代一帯を治めたのでした。
昼食は宝物館のすぐ近くの食堂で蕎麦を食べました。山菜のてんぷら付の蕎麦でしたが、
これがなかなか美味しかったです。

続いて、佐久間象山記念館を見学。佐久間象山という人物は、幕末に活躍し、
吉田松陰ら多くの人物に影響を与えた、強烈な個性を持った人物として
知られています。ちなみに彼の子息は後に一時期ですが新撰組隊士となっています。
ただ、性格的にはけっこう問題もあったようで、義兄弟(妹が象山夫人)の勝海舟は
見識を認めつつも、その性分については辛口な評価をしています。

その後は、真田信之夫人(本多忠勝娘・小松殿)の菩提寺の大英寺、歴代の松代藩主の眠る
長国寺へ行きました。長国寺では、お寺の方が丁寧に解説してくださいました。
やはり藩の礎を築いた信之は別格の扱いらしく、霊廟も立派なものでした。
ちなみに、中には信之と小松殿の位牌のみがあるそうです。
歴代藩主の墓所も見学しました。藩主とともに、やや時代は新しいものの、幸村・大助の
墓所や、幸隆・信綱など戦国期の当主たちの供養もなされていました。

松代城址も見てきました。ここはかつての海津城であり、武田信玄の家臣・高坂弾正が守って
いた城としても知られています。松代の近くは川中島一帯であり、足を運べませんでしたが
山本勘介・諸角豊後、武田信繁らの終焉の地も駅から数キロ以内にあったようです。

二日間かけて松代・上田を旅しましたが、移動時間も結構かかり、かなり疲れはしましたが、
なかなかに良い旅ができたのではないかと思います。

恩を仇で返す話

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080408-00000024-maiall-soci


【神奈川】 女性から現金約60万円をひったくり大けがをさせたとして、相模原署は7日、相模原市に住む派遣社員のとび職(17)と中学時代の同級生で外溝工(17)の少年2人を窃盗と傷害容疑で、とび職の弟で無職少年(15)を窃盗容疑で逮捕した。被害者は兄弟の家庭教師を無償で務めており、恩をあだで返した形だ。女性は「まさか兄弟が……」とがっくりしている、という。

 調べでは、3人は1月5日午後3時40分ごろ、同市光が丘の路上で、大和市の税理士の女性(57)から現金約60万円入りの手提げバッグをひったくり、転んだ女性に左足骨折で6カ月の重傷を負わせた疑い。兄が「手っ取り早いもうけ話がある」と他の2人を誘ったらしい。

 女性が家庭教師を終えて帰る際に、弟から兄に「今、先生が出る」と携帯電話のメールで連絡。女性に顔を知られていない外溝工が、兄から「(女性が)出た」とメールを受けて、背後から近づいたという。女性は足がやや不自由で、被害に遭った約60万円は年末年始の生活費に充てるため持ち歩いていた。

 女性は兄弟の父親に頼まれて家庭教師を務めていた。兄には小学生時代から算数・数学を、高校受験を控えていた弟には昨年11月から数学を教えていた。

 3人は調べに対して容疑を認めている。弟は捜査員に「恩をあだで返し、申し訳ないと思わないのか」と諭されると「カネを持っているなら誰でもよかった。『ドロボー』と叫んだ先生の声を聞いて『やったあ』と思った」と反省の色はないという。

 女性は「家を出た直後に襲われ、あまりにタイミングがいいので待ち伏せされたかなとも思ったが……」と話しているという。【高橋和夫】


以上転載です。


ひったくりに狙ったのが、日ごろから世話になっている人間だなんて、本当に
胸糞の悪い話です。しかもそれが足にハンデを背負っている相手に対してした上、
反省もしていないなんて本当に度し難い馬鹿です。

無償でということは、いくらツテなどがあったとはいえ、
完全にその被害者の好意によって行われていたわけですよね。
その善意を踏み潰すような真似を平然と行えるという性根には
驚かされます。

この犯人の親も、最低限人間としてやっちゃいけないことをもっと叩き込まなきゃ
ならなかったのではと思いますね。そもそもが、いくら好意に甘えたとはいえ、
自分の子に勉強に教えてもらうのに、謝礼も出さないなんてどうかと思います。家庭教師と
いうと、学生のバイトでも時給で1600〜2000円くらいにはなるそうです。
結局「この親あってこの子あり」なのかもしれません。

こういう重大な犯罪を犯した場合は、たとえ15歳とか17歳であれ、ちゃんと公表すべき
ものは公表した上で、大人と同じように裁いて、厳罰を与えてしかるべきではないで
しょうか?「子供だから」とかそういう問題ではないと思います。しかも、単なる
金欲しさ、欲望の赴くままにやったことですから、なおさらです。
反省してないということは、出所しても、再犯の可能性が十二分にあると思います。
何の罪にしてもそうですが、更正したといえるまで、社会に放流すべきではないはずです。

もちろん、逮捕された人間が不当な扱いを受けないようにすることは大切なことですが、
被害者や世間へ及ぼした影響についてももう少し一考の余地があるんじゃないですか?

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こないだサークルKへいったところ、戦国武将のフィギュア「戦国覇王」(500円)が
売られていたので、おもわず購入してしまいました。

このフィギュア、もともとはデル・プラド社が出していた同名のフィギュアつき雑誌の
ものだったですが、デル・プラドが倒産した後、販売用として版権元から物販の許諾を得た商品
です。最初に雑誌として発売されていた際には週間雑誌のくせに定価1750円(!)という
恐ろしい代物でした。さすがに、これには驚き当時の私も安い1号あと何冊かだけ買って断念
した記憶のあるものでした。
しかも、本誌も新人物往来社が出している本の内容をぶつ切りにしただけのもので、別に
「有名な学者の書き下ろし」だとか「新見解が多数!」というものではなく、お世辞でも
高クオリティとは言いがたいシロモノでした。

(ちなみに、歴史関係の本は、ちゃんとした学者の本を買うのが一番無難だと思います。
モノによってはかなりいい加減なことが書いてあったりするので・・・)


で、いくつか買ったところ、加藤清正、小西行長が最初に出てきました。この2人は
不仲なことで有名ですね。いきなりこの2人が出るあたり、波乱の予感がします。
で、他にもいくつか買った結果伊達政宗(フィギュアの顔がすこし気持ち悪いw)、
島津義弘などが出ました。あとは、オークションで気に入ったもの(石田三成、藤堂高虎など)
だけを購入しました。

結構痛い出費でしたが、このテのものには結構弱いらしく、現在私の部屋の机の上は
武将たちの陣中のような状態です。

たしか、もともとの雑誌のシリーズは75冊でたらしいので、この際シリーズ化してくれれば
良いんですがw

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二日目です。
二日目はまず、甲斐善光寺へ行ってきました。
甲斐善光寺は武田信玄が、川中島の合戦による戦乱を避けるため、また
善光寺の宗教的な権威を取り込むために甲斐へ信州の善光寺を移したものです。
善光寺の宝物殿には、鎌倉時代末期に作られたとされる、国内最古の源頼朝、源実朝木像や
信玄の朱印状、秘仏などが所蔵されていました。因みに、わたしがこの日一人目の参拝者だった
ようです(朝でしたので・・・)。

つぎに、甲斐善光寺そばにある、小山田信茂首塚を見て来ました。
小山田信茂は郡内の領主で、武田二十四将にも数えられる武将として知られています。
大河ドラマ「風林火山」に登場した小山田信有(田辺誠一)の次男にあたります。
信茂は武田家滅亡の際、土壇場で信長に寝返ったものの許されず、甲斐善光寺で
首を刎ねられたのちに、善光寺裏手に葬られたといわれています。
信茂離反についてはまた別の機会に触れたいと思います。
今では民家のすぐ目の前、果物畑の中にあります。

そして、次に行った先は東光寺。諏訪頼重終焉の地として知られています。
蘭渓道隆の作ったという庭園などを見て来ました。頼重や武田義信が最期にみた
景色もこんな感じだったのでしょうか。
このとき、住職の奥様からお話を伺うことが出来ましたが、やはり戦時中には
すぐ近くまで空襲があり、幸い寺には被害はなかったものの、苦労があったそうです。
そして、諏訪頼重と武田義信の墓所はすぐ隣同士にありました。
諏訪頼重が自害した寺に後年武田義信が幽閉され、その頼重の外孫にあたる武田勝頼が
甲斐武田家を継いだのは、何か因果のようなものを感じました。

その後、山梨県立博物館を見学してきました。
山梨県の歴史にさまざまな方法でアプローチすることが出来る施設です。
このときの(現在の)企画展は収蔵品のなかからとくにすばらしい品を紹介するという
ものでした。徳川十六将図、穴山信友・穴山梅雪書状、山梨ゆかりのミシンなど
興味深いものが多かったです。

そして最後に下部温泉にたちよって旅は終了でした。
やや寂しい感はありましたが、やはり信玄もからだを癒したと伝わる温泉だけあって
とてもいいお湯でした。


一人旅は気楽ですし、気兼ねがないので(とくに自分の場合、自分の見たいところ=他の人も
見たい、というわけではないので)、折をみて行けたらと思います。
今度は米沢あたりへ行ってみたいですね。

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