アッーと驚く?徒然日記【不定期版】

最近更新出来てませんねえ・・・・うむむ

歴史関係

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ ]

イメージ 1

久々の更新です。筆無精ですみません(´..`;)


さて、早くも再来年の大河ドラマの題材が決まりました。
ズバリ「天地人」


上杉景勝の重臣・直江兼続を主人公に据えた物語だそうです。時代は丁度今年の大河「風林火山」の直後の時代(直江兼続の生年は1560年、川中島で山本勘助が散る前年)ということになるます。

直江兼続というと「愛」の兜でも知られていますが、謙信亡き後の上杉家を支えた人物で、豊臣秀吉や徳川家康にも一目置かれた程の人物です。
直江兼続が大河に!という知らせは多くの戦国ファンが「おお!」と思った事でしょうし、実際かなり私も期待してます。しかし、大きな不安要素があるのもまた事実なんです。

まず、「愛」についてですが、直江兼続の兜の「愛」(写真参照)は、いわゆるLoveの愛ではなく、愛染明王あるいは愛宕権現の愛だと言われています(そもそも現代で言うloveの愛は明治以降の用法という)。
そして、直江兼続は生涯側室を持たなかったと言われているのですが、それとかからめて、妻お船の方とのラブストーリーになってしまうのでは、とうことである。これでは正直言って利家とまつ、功名が辻の2番どころか三番煎じです。
戦国武将だって、一個の人間ですから、妻との愛情などそういう描写は必要だと思います。しかし、それが過剰になって、そっちばかりがメインになってくると、正直今イチ骨の無い、腑抜けた作品になってしまう傾向がつよいんですよ。なにも大河でやる必要は無いわけです。

また、脚本の意図によると「戦国時代はまだ女性が男性と対等な時代だった」として戦国の女性たちも作中で大きく活躍させる・・・とありますが、これだってまんま三番煎じ・・・。しかも、この路線になると、女性の描き方もやけにフェミニズムチックな、ただ出しゃばるだけの描写になってしまう予感大です。じっさいに、直江兼続の妻は、直江死後も上杉景勝やその子定勝から絶大な信頼をうけ、藩政にかなり大きな影響力を持っていったと、史料は伝えています。また、戦国時代あたりまでは女城主の例もあり、また宣教師の記録を見ても女性の立場は決して低くは無かったです。さりとて、あくまでも「当時の女性として」の活躍として描くべきだと思います。妙な反戦平和思想が全面に押し出てきたりしてもらっては、戦国時代を取り扱ったドラマとしては、正直評価はだいぶ下がります。

ひたすら利のみを求める戦国時代に「義」と「愛」に生きた知勇兼備の「義の武将」「戦国ヒーロー」「民と故郷への愛を貫いた」直江兼続とそれを支えた女たちを描く。

とのことですが、完璧超人や、やることなすこと美化の嵐とかは勘弁です。戦国時代、主家の命運を託された立場ですから、当然時には詐術まがいのことをしたり、謀略を巡らせなければならないことだってあるわけです。そういった面も余さず描いてこそ、人物造形も深い物になると思うのですが。
「利家とまつ」の時に、利家が一向門徒を匿ったり(実際は、捕らえた門徒多数を釜ゆでにして処刑した記録が残っているし、一向宗は当時信長の敵対勢力のなかでも特に厄介だった)、信長死後の後継者を決める清洲会議に兵を率いて割り込んだり、何人も側室がいたのに、晩年の前田利常の母しか出てこなかったりとか、過剰な利家・まつ夫妻の美化というか、そういう陰の無い描写には萎えさせられる事がたびたびあった。
今回もそうなるのかなあ・・・・・。

どうも、こういうホームドラマチックな、恋愛ドラマチックな作風って、どういうわけか視聴率的に悪く無いらしい。しかし、高視聴率=いい番組というわけでもないし、折角国営放送やってんだから、もっと重厚な、昔のような「これぞ大型時代劇」というような作風にして欲しい物です。近年の例で言うと、「風林火山」のような路線でいってほしいです。キャストも知名度、人気も大事でしょうが、それだけでなく、演技の出来る「俳優」さんを揃えて欲しいです。アイドルのPVのようなのは勘弁です。

色恋沙汰メインは功名が辻は特に酷かった記憶がある。エッセンスとなった司馬遼太郎「国盗り物語」にも、信長、光秀、濃姫の三角関係的な要素はあったが、あそこまで露骨にというか、容量を割いて描く意味などハッキリいって無い。原作を完全に殺してしまっていたと思う。山内一豊の弟と、細川ガラシャの関係とか、淀殿が三成に対する気持ちを「唯一心から愛した男だった」みたいなこと言ったり、竹中半兵衛が死ぬ間際に「千代(一豊の妻)の事が好きでした」とか、恋愛ドラマをみてるみたいだった。
でも、こーゆーのって韓流にはまるオバハンとか好きそうだもんな・・・・・。


とにかく!「天地人」にせよ「坂の上の雲」にしろ、重厚な、骨っぽい、男らしいドラマにしてくれ!という話でした。

ただ、脚本書く方は朝ドラの「どんと晴れ」を書いてる方だそうですが、この人主にホームドラマや恋愛ものを多く書いている方だし,脚本の意図を読んでも、たぶんそういうジャンルになる可能性大。
NHK、いい加減気づいてくれよ・・・・・

曹操の息子・文帝曹丕

 三国志の主役の一人である曹操だが、彼の場合は劉備や孫権と異なり、生前には皇帝の位に就く事はなかった。正確には曹操の死後、漢の献帝から禅譲を受けたのは曹丕である。
曹丕は父の陰に隠れており、今ひとつ影が薄い感があるのだが、魏の諸制度を整えたのはこの曹丕である。
陳羣の提案を容れた九品中正法(=官吏登用システム)は、その後も長く隋の時代まで適応された。
また、文人としても彼は当時一流の人物のひとりだった。詩作に才を発揮し、また文学論評である『典論』を編纂、その中に収められた「論文」は、現存する最古の文芸評論である。

しかし、曹丕の場合評判となるとすこぶる悪い。帝位を半ば強制的に譲らせたこともそうだが、彼の場合度量の狭い、または陰険なエピソードが多く伝わっているからだろう。

例えば,関羽に敗れて降伏し捕虜となった、魏の将軍・于禁が孫権のもとを経て魏へと送還された際の事。
曹丕は一旦于禁を引見し、苦労を労った。そして、曹操の墓を詣でるように命じたんだが、いざ于禁が曹操の陵墓へ行くと、そこには絵が書いてあった。その絵とは于禁が関羽に命乞いをしているものだった。これを恥じた于禁は憤死してしまう。

また、若い頃、一族の曹洪に借金を断られたのを根に持ち(曹洪は守銭奴の節があったようだ)、曹操の死語に理由をつけて誅殺しようとしたこともあった(結局曹丕の母がとりなして役職を奪われるだけですんだが)。

他にも、夏侯尚の妻は曹氏一族の出身だったものの、妾ばかり寵愛していたらしい。そこで曹丕は刺客を放って妾を殺させてしまった。夏侯尚はこれがショックで発狂してしまい、葬儀の後に墓を掘り返して妾の顔を見るようなありさまであった。そしてほどなく死去してしまう。なお、夏侯尚と曹丕は非常に親密な間柄であったという。

ほかにも、皇后や弟にたいする苛烈な態度など、評判の悪い逸話が多い。三国志の著者陳寿も「好悪の激しすぎる点を改め、広大無辺の度量、仁慈の心を持ち合わせていたのならば、古代の聖王と比較しても何ら劣らない」と評しているが、中々的を得ている。

曹丕は皇帝の位に就いて7年目に、40才で死去した。ちなみに曹丕の子・曹叡も若死にしている(二人合わせて19年の治世)。もしこの父子に十分な寿命が与えられていたなら、魏もあっけなく滅亡する事も無かったと思われる。

イメージ 1

今までのブログを誤って削除してしまったため、リニューアルです。
 
平家物語の後半になると、栄華を極めた平家一族はついに都を追われ,西へ西へ逃れながら滅亡へ道を突き進む事になる。このなかで、ひときわ強く、大きな働きを示すのが平教経、すなわち能登殿だ。
屋島の戦いでは源義経の腹心の一人、佐藤継信を討ち取り、さらに壇ノ浦の戦いでは鬼神のごとき奮戦をみせ、義経をあと一歩まで追いつめる働きをみせるも果たせず、源氏方の安芸兄弟を「さればおのれら死出の山の供せよ」と両脇に抱えて捕らえ、道連れに入水した・・・という平家物語での活躍はあまりにも有名である。これはよく高校などの古典の授業でも良く出てくる。

ところが、じつはこの平教経、壇ノ浦ではなくて、その前年、すなわち寿永3(1184)年の一ノ谷の合戦で討ち死にしたという情報もある。「吾妻鏡」によると、義経方の部将・安田義定が討ち取った平家の将のなかに、平教経の名が挙げられている。そして、以後平教経の名前は出てこなくなる。もしこれが事実だとしたら、平家物語でのエピソードは脚色どころか、全くの虚構ということになる。では、実際のところはどうだったのだろうか?

源平合戦を調べる上で、重要な史料のひとつである「玉葉」という日記がある。これは当時の公卿・九条兼実が書いた物で、源平合戦などの記事や風聞などを多く載せており、当時を知る上で欠かせない史料である。その中に一ノ谷の合戦についての記述があり、寿永3年2月19日の項目には、討たれた平家の将達の首が都で晒された時の模様が記されている。そこでは、教経の首について「渡さるる首のうち、教経に於いては一定現存す」と記述されている。ここで一定(いちぢゃう)とは確実である、確かにという意味である。そして、現存を「生きている」という意味でとるか「存在する」という意味で取るかで変わってくるのだが、わざわざ教経の首にだけ言及しているということは、当時から都で彼の生死が話題になっており、情報が錯綜していたことを示している。
また「醍醐雑事記」という史料のなかでは壇ノ浦で自害した平家の一族の中で,平知盛などとともに、能登守教経の名前が挙がっている。

 また、一ノ谷の戦場のなかで、夢野という場所がある。ここは、平教経が陣を布いた場所と伝わっている。一ノ谷では平教経の死亡に関する史跡は壇ノ浦以外には無い。平敦盛など、そこで死んだ将の塚などはもちろんだが、平重衡が生け捕られた場所も特定され、碑がたっているにも関わらずである。
そして、屋島などにも教経に関する史跡は多い。後付けのものが殆どとしても、全てが虚構と言いきるのは難しいだろう。やはり、能登殿は壇ノ浦で最期をとげたんだろう。

そして何より,能登殿がいるからこそ、終盤の平家物語は盛り上がると思う。一ノ谷の合戦直前に、妻との最後の時を惜しむ兄通盛を諌めたり、その兄に仕えた菊王丸を可愛がり,その死を悲しみ引き上げてしまうなど、人間臭いエピソードも多く、義経の宿敵のポジションは不動のものといっていい。

一昨年の大河ドラマ「義経」では清盛一家に焦点を絞ったため、敦盛や教経の出番は皆無だった。そして、能登殿のポジションは知盛や平資盛がつとめていたが、知盛は平家全軍の指揮官だし、やはり資盛では力不足な感が否めない。
有名な「乗り合い事件」を起こしちゃってるし、建礼門院右京大夫との恋など、やんちゃしてる貴公子然としたイメージはあっても、王城一の強弓のイメージは無いのだ。

写真は北九州市門司区にある壇之浦合戦壁画より、能登殿と義経の対峙。

開く トラックバック(1)

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事