アッーと驚く?徒然日記【不定期版】

最近更新出来てませんねえ・・・・うむむ

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天地人・キャスト発表

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080603-00000011-oric-ent

http://www.nhk.or.jp/niigata/2009taiga/cast/cast2.html

俳優・妻夫木聡が主演する2009年のNHK大河ドラマ『天地人』の出演者発表会見が3日(火)、東京・渋谷の同局内で行われ、北村一輝、常盤貴子、長澤まさみ、相武紗季ら新たに追加キャスト12名が発表された。共演者と共に会見に臨んだ妻夫木は「『天地人』が動き出すと実感した。ドキドキよりもワクワクの方が強い」と早くも意気込みを語った。

 戦国時代に上杉景勝の家臣でありながらも、最も恐れられた直江兼続(妻夫木)の生涯を描く同作。景勝を演じる北村は「今の時代に忘れられているものを(同作で)伝えられると思う。人を信じる心、耐える心、正義、仁義を詰め込んで伝えられたら」と気合もひとしお。北村と初共演の妻夫木は「優しくて頼れる兄貴的存在と伺ってます」と役柄同様に慕っている様子だった。

 また兼続の妻・お船を演じる常盤は「夫婦(役)は、年下の男性を支える女性とあって、普通に「妻夫木くん、頑張って」と思う気持ちで臨んで大丈夫かな」と大人の色気たっぷりに報告。また、大河ドラマ2度目となる長澤はこの日が誕生日で会場から拍手されると、照れ笑いを見せながら「同い年が観ても面白いと思えるように頑張りたい」と張り切っていた。

以上転載しました。


・・・・・超久々の更新です。五月はいろいろ、あれであれがこれだったのでw、
まったく更新できず。

・直江兼続役 ・・・・・・・・・妻夫木 聡
・上杉景勝役・・・・・・・・・北村 一輝
・お船(おせん)役・・・・・ 常盤 貴子
・初音(はつね)役・・・・・長澤 まさみ
・樋口惣右衛門役・・・・・高嶋 政伸
・お藤(おふじ)役・・・・・・田中 美佐子
・樋口与七役・・・・・・・・・小泉 孝太郎

・泉沢久秀役・・・・・・・・・東 幹久
・上杉景虎役・・・・・・・・・玉山 鉄二
・華姫(はなひめ)役・・・ 相武 紗季
・菊姫(きくひめ)役・・・・ 比嘉 愛未
・仙桃(せんとう)院役・・ 高島 礼子
・上杉謙信役・・・・・・・・・阿部 寛


謙信役はナベケンさんくるかなーと思いましたが阿部さん。高和ではありませんw
でも、わりと正統派の武将になりそうで、これはよさげ。
(「風林火山」でのgackt謙信は、最初に発表されたときは変化球過ぎて結構不安になった
ものですが、実際見てみると好演してましたし、人物造形も面白かったと思います)

初音ってポジション的に「功名ヶ辻」の「こりん(星人ではありませんw)」に近いのか?
長沢まさみだし。原作ではこの人たちが直江・大国兄弟の初体験の相手でしたがw、
このテのキャラクターは今までのパターンからいくと、もてあまして結局良くわからんまま
退場したりしますが、今回はどうなりますやら。

配役紹介のページを見ると、原作ではあまり扱いのよくなかった景虎さんや菊姫なども
それなりの扱いにはなっているようです。


あと気になるのは、直江兄弟、泉沢以外の上杉家臣団。
これがまた曲者ぞろいです。
水原常陸介や安田上総介、本庄繁長、色部長実、さらに景勝に反旗を翻した新発田重家などを
誰が演じるのか?

また、秀吉や家康だけでなく、伊達政宗や最上義光など景勝・兼続と戦った武将たちの
キャストも気になります。

直江、景勝周辺ももちろんですが、この越後の猛者たちや、名将たちとのかかわりをどう描くか、
これも大きなな鍵だと思います。

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「風林火山」第28話でついに甘利虎泰(竜雷太)、板垣信方(千葉真一)がついに壮絶な最後を遂げました。
千葉さんの殺陣は当年68才とは思えないキレで、凄い・・・!といった感じですが、流石に体力的にはかなり
しんどかったようで、引退、俳優養成の道へ新たに進んで行くそうです。
あの殺陣を、どんな俳優さんが継承していくのか、今から気になりますね。


晴信の守り役として仕え、まさに右腕だった板垣信方(画像)ですが、その晩年には不名誉な逸話もチラホラ出ています。
勝手に勝鬨をあげる、首実検をやるといった越権行為を時々行うようになった、また、猪突した結果敵の伏兵に遭い。
あわや壊滅というところで原美濃守に救援されたなどといった逸話が「甲陽軍鑑」に記されています。

そこで晴信は板垣の慢心を諌めるために「誰もみよ 満つればやがて欠く月の 十六夜ふ空や 人の世の中」という
和歌を送ったという逸話も伝わっています。ただし、この和歌は正徹という人が詠んだものを、ほんのちょっとだけ
アレンジしたものです。

また、上田原でも序盤板垣勢は猛攻を仕掛け
村上勢を押したが、そこで勝利を確信して首実検を始めたが詰めを誤り、そこを突かれて討たれたと「甲陽軍鑑」では
書かれています。

ただ、「甲陽軍鑑」はそれなりに信用出来る資料ですが、如何せんいろいろな人の手が入った形跡が有るほか、
勝頼の側近・跡部勝資などが不当なまでに貶されているなど、全てが事実と言えるものではありません。
おそらく板垣家が取り潰された事も、この板垣信方慢心の逸話の背景にある気がします。
板垣が晩年ポカが目立った感が有るのは否めませんが、晴信との関係(和歌に耽溺する晴信を諌めたetc)や、それでも
板垣を先陣に用いた点、また上記の和歌が実際は正徹の本歌とりである点など考慮すると、晴信が板垣に大きな信頼を
寄せていたのは、少なくとも事実ではないでしょうか?

そして板垣の死後、あとを継いだのは息子の弥二郎信憲。
しかしながらこの信憲、武将としての器量は父に比べ格段に劣っていたようです。

そして、家督継承後早速トラブルを起こしてしまいます。
父の家臣に、曲渕庄左衛門というものが居て、しばしば大きな手柄を立てたため、信方に納める税金が免除されていました。
ところが弥二郎は彼からも税を力ずくで徴収しますとします。そして訴訟沙汰に発展し、曲渕の戦功を考慮した形になりま
した。なんだか弥二郎の器の小ささが父と対比されているようなエピソードです。

他にも、味方の多田勢が突撃したのを楽観視して傍観していたとか、酒色にふけるばかりだったとか、ろくな逸話が
ありませんでした。そしてとうとう信玄に誅殺され、板垣家は絶家になってしまいます。
これらも甲陽軍鑑が出所ですが、諏訪郡代も長坂虎房などに替えられた上、同じく筆頭の家柄だった甘利の息子(昌忠)が
信玄に重用されていたことからみても、やはり父に大きく劣っていたと見ていいと思います。
(のちに於曽信安が名跡を継承する、信玄は側近や旗本に家中の名家を継承させる cf.山県三郎兵衛など)

武田信玄三男を巡る謎

久々の更新になってしまった感がありますが・・・・


信玄には数人の男子がいました。その中で、太郎義信(のち廃嫡)、次郎信親(盲目のため家督を継がず)らと同じく三条夫人
を母とする三男がいました。西保三郎信之というのですが、彼は一般には若死にしたとされています。
しかし、この三郎信之にはじつは若死にしていないという異説があります。

それはすなわち、上総武田氏の当主、武田豊信が信玄の三男であるという説です。これは、上総武田氏の嫡男清信が
若くして死んでしまったために、清信の父吉信や重臣達が相談の上、信玄と三条夫人の間に生まれた子を養子として
迎え、信栄のち豊信と名乗らせた、というものです。確実な史料には見られないものの、武田氏系図など、上総武田氏に
関する史料は多くが「豊信=信玄三男説」を採っているようです(残された史料自体が少ないが)。

また、以下のような伝承も残されています。天正10(1582)年、甲斐武田氏が織田信長によって滅ぼされた際に、仁科盛信
の子息が、上総の豊信が自分の父盛信の兄にあたることを頼りに落ち延びたとことです。ちなみに、その子孫は現在でも
健在で、盛信像や薙刀などの遺品が今に伝わっています。

これを確実なものと認める史料等は伝わっていません。しかしながら、この他にも多くの伝承や逸話が上総には残っており
一概に否定することも出来ません。むしろ、あながちあり得ない話でもないように思われます。

なお、信玄は北条氏との道営が決裂した後、安房里見氏(北条と敵対していた)との同盟を画策しますが、その時に信玄が
仲介を依頼したのが、他ならぬ武田豊信でした。結果同盟が結ばれますが、信玄は同族だからという理由で豊信に仲介を
頼んでいますが、豊信=信玄三男だとしたら、より話はスムーズでしょう。
つまり、豊信が父に頼まれて同盟の斡旋をしたということになります。
そう考えると、なかなか興味深い説でもあり、伝承や逸話、説などの具体性からも今後の研究が期待されると思うのですが
いかがでしょうか?

なお、武田豊信は後年豊臣秀吉の小田原合戦の際に旗幟不鮮明を理由に攻め滅ぼされたとも、蟄居したとも伝えられており
最後は一定しませんが、彼の代で上総武田氏は滅亡することになります。弟と思われる勝頼、盛信らが滅びてから8年後の
ことです。

さる10日放送の大河ドラマ「風林火山」で、北条を舐めきっていた上杉憲政(市川左団次)に何回も諌言をしていた
武将をご記憶の方も多いと思いますが、今回はその長野業政(小市慢太郎)について紹介したいと思います。

長野業政は、関東管領上杉憲政に仕え、「箕輪衆」と呼ばれる西上野の領主達のまとめ役のような役割を果たしていた武将で、
川越の戦いなどにも参加していました。そして、川越での敗戦以後、主君である関東管領上杉憲政は勢力を失っていき、ついには
本拠地の上州も支えきれなくなり長尾景虎を頼って落ち延びていきます。

こうなると、関東のこれまで上杉方にいた武士達は次々と憲政を見限って北条氏康に寝返っていきます。その流れの中でも
長野業政は北条に従う事をよしとせず、上杉方につき続けます。業政にはなんと12人もの娘がおり、彼女達を近隣の豪族に
嫁がせて強固なネットワークを築いて、結束力を深めていきます。

そしてこの流れの中、北条氏康に加えて、上野はもう一つの勢力からも圧力を受ける様になります。それは信濃を手中に収めつつあった武田信玄でした。信玄ははじめは長野業政を懐柔しようとしますが失敗に終わり、結局武力をもって侵攻を開始します。
しかし、長野業政はよく防ぎ、なんと武田の精鋭を6度も追い返す事に成功しています。
そして信玄をして「長野業政が存命のうちには上州は手に入らないだろう」と言わしめています。

上州の反武田、反北条の中核として活動し続けた業政でしたが、永禄4年(1561)年、ついに病に倒れ、死去しました。
後を継いだのは長野業盛。当時14〜5才の少年領主です。
それに目をつけた信玄はいよいよ上野侵攻を本格化させます。業盛も父と同様勇猛さで知られ、善戦しましたが、悪化する情勢の中、永禄9年に武田勢2万の猛攻をうけ、遂に箕輪城は陥落、長野業盛は自害して果てました。時に19才の若さでした。

なお、剣豪として著名な上泉伊勢守は、この長野父子に仕えていたことでも知られています。



余談ですが、この長野氏の祖先は名前からも察しがつく通り在原業平と言われています。
ちなみに、長純寺に残る長野業政木像も、下膨れな公卿然とした容貌です。

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さて、先週の風林火山の作中で、武田信繁(嘉島典俊)らが大井夫人(風吹ジュン)を訪ねた際に、仏の絵を書いていた子供がいたのを覚えているでしょうか?孫六くんです。

(注:史実の内容にも触れます。従って若干ネタバレとなる事になりますがご容赦ください)

彼は信玄や信繁と母を同じくする弟で、のちの武田信廉(逍遥軒信綱)である。彼は武将としての活躍よりも、むしろ芸術面で才能を発揮した人物だった。
作中でも仏像の絵を描いていたが、やはりこの信廉は絵が得意だったようで、自分の父母、つまり武田信虎と大井夫人や、雪田和尚(甲斐恵運寺の開山)の肖像など、何点かの作品が現在まで伝わっている。
とくに、武田信虎(写真・大泉寺蔵)、大井夫人の肖像は、当人の雰囲気というか、容貌を中々よく捉えているように思われる。

また、彼は信玄によく容姿が似ていたと言われており、影武者をしばしば努めていたらしい。信玄の死んだときの事、それを嗅ぎ付けた北条氏政は早速真偽を確かめようと家臣を武田家に遣わしたが、信廉が信玄のふりをしてごまかし通すことに成功したというエピソードも残っている。
黒澤明監督作品「影武者」の冒頭で、3人の信玄が映し出されるシーンがあるが、あの中の一人が信廉(山崎努)である(ちなみに本物の信玄と刑場からスカウトされた主人公(仲代達矢・二役)が残り二人)。

ただ、彼は武将としては、兄二人には似なかったらしい。長篠でも早々に退却したらしいし、天正10(1582)年、織田信長が甲斐へ侵攻してきたときも、ろくに戦う事無く遁走している。もっとも、逍遥(ふらつく、うろつくの意)という号からも信廉が武将的な気質では無かったことが想像出来るが、どうあれ信廉は戦線を離脱した。しかし、武田家の重鎮だった信廉に追手が来ないはずは無く、結局織田信忠の手のものに捕らえられて処刑されてしまった。

やはり、武将としてはあまり優れてはいなかったようだ。

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