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第13回「招かれざる男」では、実は原美濃が金槌だったことが判明したり、勘助宅に太吉一家が転がり込んだりしていたが、その中で、晴信(=信玄)の次男が失明してしまう描写があった。
この子は信玄と正室・三条の方との間に生まれた子で、母を同じくする兄弟に義信や北条氏政夫人、穴山梅雪夫人などがいる。大河ドラマの作中でも描写されたように、早くに病を得て失明してしまう。なお、伊達政宗や勘助も疱瘡がもとで失明している(それがもとで勘助は作中では三条夫人に怖れられていましたね)。
さて、失明した次郎は、長延寺の実了の元出家して、「竜芳」と名乗った。ただし、完全に僧侶となったわけではなく、信濃の海野氏の家督をついで海野信親と称するなど、いわば半僧半俗の生活を送っており、御聖道様と呼ばれていた。
後年信玄の長男の義信は、今川義元亡き後の駿河への方針を巡り対立し(義信夫人は今川氏出身)、とうとう義信と飯富兵部らが謀叛を画策する事態にまで発展してしまう。この時義信は幽閉され(事実上の廃嫡)、やがて病死とも自害とも伝わるが、没してしまう。
ここで、もし竜芳が健康体であったならば、多分彼が武田氏の後継者となったであろう。しかし、如何せん盲目だったため、結局四男で、しかも母親が側室(諏訪氏、由布姫とか湖衣姫とかの名前で知られていますね)の勝頼が家督を継ぐことになる(三男も正室の子だが夭折)。
そして天正10(1582)年、織田信長は遂に甲斐へと侵攻を開始する事になる。この頃の武田氏は長篠での大敗以来、衰退しており、家臣や一族などの裏切りが相次いでいた。信玄の弟の逍遥軒信廉ですらまともに抗戦することなく逃走する有様で、同じく一門の穴山梅雪は徳川家康を介して信長に内応していた。そんな中、竜芳は入明寺(写真参照)に匿われたものの、結局武田家と運命をともにし、自害している。
しかし、竜芳の子・信道は生き延びるのに成功し、子孫は幕府の高家(儀礼を司る旗本。名門多し)となって、何回かの養子入りを経て存続している。
なお、以前「トリビアの泉」で上杉知彦氏(謙信の末裔)とオセロ対決をした武田邦信氏は、この竜芳の子孫にあたる。
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