|
2010年の夏は7月中旬から9月初めまで暑い日が続き、連日のように「暑い!」、「とにかく暑い!」等のメモ書きが残っている。
暑さのせいで免疫力が下がっていたのか、体調面でも色々症状が出て、内科や眼科、皮膚科等の世話になった。
また、腫瘍マーカも基準値超えが続き、右肩上りで上昇するようなことはなかったが、それでも心配な日々を送った。
そんな中で7月7日に、55回目の誕生日を迎えた。
特別な思い出もないが、こんなメモ書きを残している。
【2010年7月7日のメモ書き】
55回目の誕生日!
アパートで一人切りも侘しいものがあるが、さすがにそんなことを言う歳でもない。
それよりも、無事に今日の日を迎えられたことを感謝しよう。
来年も無事に今日の日を迎えたいが、いよいよ56歳で役定だ。
さあ、どうする? 単身赴任生活を始めて5年が過ぎていた。
会社は翌年の56歳を迎える7月で役職定年となるので、そのまま単身赴任の生活を続けるか、勤務地(業務も)を変えてもらって単身赴任の生活に別れを告げるか、先のことではあるがそんなことも考え始めていた。
その3日後から、故郷の愛媛県大洲市に帰省した。
膠原病の治療で入院中だった一番下の妹の見舞いと、恩師を囲んでの同窓会が目的だった。
【2010年7月10日のメモ書き(ホテルで)】
昨夜11時前に横浜を出発した。
順調に松山に着き、大学病院に入院中の○○(妹のこと)を見舞った。
○○は、思っていた以上に回復していたように見えた。
来週の水曜日には退院とのことで、家族の力が回復を早めてくれることを期待したい。
その後、内子に寄って町中を散策した。
歴史ある街並み、内子座、涼を取った甘味処
良い町だねぇ!
午後3時過ぎにホテルに着き、一息ついてから夜は同窓会へ!
喜寿を迎えられたI先生、KT先生、O先生、そして友
良い仲間だねぇ!
一番下の妹のことは闘病記170の中でも書いたが、この年の春に膠原病と診断され、やがて歩くこともままならなくなり松山の大学病院で入院治療をしていたのだ。
妹は、自分たちが帰省した時にはいつも何かと世話をしてくれ、また自分が手術した時にもわざわざ横浜まで来てくれたりもした。
そんなこともあり、本当は妹が入院した時にすぐに見舞いに行きたかったのであるが、体調が今一思わしくなかったり忙しかったりでぐずぐずしているうちに、この日になってしまったのだ。
ステロイド治療で、元々丸い顔は更に丸くなり、歩行の際には杖を手にはしていたが、元来の明るさは戻っていたのでホッとしたことを覚えている。
また、その翌週には退院できるとのことで、人一倍家族への思いが強い妹にとっては、家族との時間が何よりの回復剤になってくれるはずだとも思った。
妹は、今は治療は続けながらも、老人介護の仕事を頑張っている。
偶然ではあるが、今朝、妹からメールが来た。
姪っ子(妹の長女)が成人式を迎えたのだ。
難病と闘いながら頑張っている母親を見て育った姪っ子は、今、看護師学校で勉強中だ。
同窓会の方は、いつものことではあるが楽しかった。
特にこの日は、二人の恩師に30年振りにお会いできたし、お一人は前の月に喜寿を迎えられたので、そのお祝いも兼ねての一層賑やかな宴席となり、自分も嫌なことは何もかも忘れて楽しい時間を過ごした。
*この記事は、2003年に胃ガンが発覚して以降、日々の体調や出来事等をメモ書きしたものを、読み返しながら書いたものです。
|
闘病記(改)
[ リスト ]




