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丁度手術後12年目の日に、手術後10年目にして初めて「もう大丈夫でしょう!」との言葉が聞けた記事を書きました。
それを機会に、思い付いたことを締め括りとして2、3回に分けて書いて、この闘病記は終わりにします。
この闘病記は、胃ガンが発覚していて以降、その日その日の出来事や体調、心境などをメモ書きした手帳を読み返しながら、また記憶を辿りながら、ボツボツと書き続けてきました。
誰かに読んで欲しいとかと言うよりも、苦しかった時、辛かった時に支えてくれた家族や弟妹たちや友人たち、そしてガン細胞や抗ガン剤の副作用にも負けずに頑張ってくれた身体への感謝の気持ちを忘れないためでした。
自分は、喉元過ぎれば何とかで、いくら後悔したことでも過ぎてしまえばコロッと忘れて同じようなことを繰り返すので、自分への戒めと言う意味もあります。
ガンが発覚して12年、一番の想いは「やっぱり、生きなきゃあ!生きていてこそ!」です。
とにかく辛かったのは、抗ガン剤の副作用でした。
精神面で辛かったのはガンと言う病気に対する恐怖でしたが、肉体的には抗ガン剤の副作用でした。
特に最初の半年は、それこそ生きる勇気も何もかも奪われるようでした。
でも、抗ガン剤を止めるつもりはありませんでした。
守らなければならない家族がいます。
辛かろうと何だろうと、ガンを抑え込んで生きなければ、家族を守るどころではありません。
主治医からは、「如何に生きるかを考えるように…。」と言われたこともありますが、自分は生きるために何をするかでした。
運も味方してくれました。
抗ガン剤の副作用でどうにかなりそうだった時、たまたま治医が交代になりました。
後任の主治医は、1から抗ガン剤の服用量を見直ししてくれました。
先任の主治医(その後、再び主治医となった)は、あくまでも標準治療でしたが、後任の主治医は自分が服用し続けられるギリギリの線を見出してくれました。
そして、「ガンで死ぬより薬で死んだほうがましです!飲めるだけ飲みます。」と焦る自分に対して、
「焦る気持ちは分かりますが、今は10年後、20年後に笑える治療をしましょう!」と諭してくれました。
副作用の中でも一番辛かった下痢と食欲不振も、今は亡き妹が送ってくれたサプリメントが救ってくれました。
勤めていた会社にも甘えさせてもらいました。
10時に出勤して3時には退社と言う日々が続いた時もありましたが、上司や同僚たちが助けてくれました。
手術後2年間は、自宅から歩きで通勤出来ていたことも幸運でした。
当時は、電車での通勤にはとても耐えられませんでした。歩いての通勤だったからこそ、会社勤めを続けられたのだと思います。
長年の付き合いだったM先生に、セカンドオピニオン的な診察を受けられたのも精神的な大きな支えになりました。
何かあった時は、勿論主治医も頼れましたが、M先生にも頼ることが出来ると言う安心感もありました。
他にも、地域の友人たちや旧友、沢山の人たちに支えられました。
5年間の抗ガン剤治療で、身体にはあちらこちらにダメージが残りましたが、命も残りました。
お蔭で、笑うことも、泣くことも、怒ることも出来ます。
家族と一緒に過ごせ、友人たちと馬鹿騒ぎも出来ます。
還暦は過ぎたけど、まだまだ働くことも出来ます。
旅行にも行けるし、田舎に帰って弟妹たちや級友たちと話も出来ます。
やっぱり、生きていなきゃあダメです。
生きていてこそ、家族も守れているのです。
何年か前に帰省した際に、若かりし頃に妹のように想っていた人に30数年振りに会うことが出来た時、こんなことを言われました。
「生きて会いに帰ってくれてありがとう!」
多分、言った当人は忘れていると思いますが、生きていたからこそ言ってもらえた言葉として、大事にしています。
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闘病記(改)
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生死について経験された方には、何も語れませんが、、「生きなきゃあ、生きていてこそ!」
は、心に響きます。
古希のクラス会には、益々元気で、皆さんと盛り上がって下さい〜〜。
クレグレもお互い様ですが、健康留意にきを配りましょう。
闘病記が締め括られること、おめでとう!です、、心から。
2015/10/12(月) 午後 6:26
> aoiさん
いつもお心のこもったコメントをいただき、ありがとうございます。
自分など、確かに病気をして辛い思いはしましたが、恵まれていたと思います。
大きな病気をすると、職を失い、家族まで失う人もいます。また、心臓病などのように、いつ何時自分の命がどうなるか分からないような状況で闘病をしている方も沢山おられます。
家族に囲まれ、友人たちに支えられ、良い同僚と共に働き続けられた自分は、決して不幸ではありませんでした。
病気をして初めて分かったことも沢山あります。普通のことが普通に出来ることの有難さも分かりました。
自分にとってこの闘病は、我儘だった自分の人生の学び舎でもありました。
2015/10/12(月) 午後 9:46
卍朗さんは、
濃い生き方をした人だと思います。
卍朗さんの癌、心の隅っこに置いておきますね。
病気があったから、命の尊さ!家族の尊さ、わかったのですね。
「良く、生きよう!」
どちらにしても、孫の顔みたいですよね〜♪
私は、すご〜〜〜く、見たい!(^^)
2015/10/12(月) 午後 9:50
卍郎さん、生きていてこそですよ
ね

病気をされてる方々やいろいろ悩んでる人達が卍郎さんの手記を見て励まされてるといいなと思います。
現に私もくよくよ悩んでも人生笑って生きなくちゃって、一日一日大切にしなくちゃって闘病記拝見しながら思います
まだまだこれからですよね
2015/10/15(木) 午前 9:37
> ななくささん
自分の人生の半分以上は、薄っぺらいものでした。
今も大した人生は送ってはいませんが、病気は自分の生き方を考える一つの切っ掛けではありました。
孫の顔ねぇ😔
そりゃあ見たいですが、我が家の子供たちはみんな結婚願望は持っておらず、花の独身生活を楽しんでますからねぇ😰
長生きするしない以前の問題です😞
2015/10/15(木) 午後 7:15
> yukiさん
卍郎のブログは、それ程のものではありません。
もし、yukiさんがこの闘病記を読んで何かを感じていただいたのなら、それは本当に嬉しいことです。
でも、本当に生きていてこそでした。
小学校を訪れることが出来たのも、同窓生たちと還暦のお祝いが出来たのも、yukiさんに再会できたのも、生きていてこそでした。
妹が生きていてくれたらもっと嬉しいのですが、こればっかりはどうしようもありません。せいぜい、あいつの分まで生きなくてはとも思います。
2015/10/18(日) 午後 10:33